エホバ神を知るまでの長い道
「私は求め続けました。悲しい哀れな人間の歩みを考える度に,こんな人生であるはずはない,生まれて苦しんでそして死ぬだけがすべてであるはずがない。これが私の若い心に食い込んだ問題でした。教会へも何度となく通いました。牧師の話も聞きました。しかし見下すような態度に失望し信頼を培うことが出来ませんでした。占いの宗教の一派に属したことや,深山渓谷へ滝にうたれに行ったこともありました。しかし少しも私の心は満足しませんでした。(そうした宗教からは)私が知りたいと思う答えは何も得ることが出来なかったことから,その後『何かを知ろうとしても何もない。ただ現在のこの生活の営みだけなのだろう』と考えるようになりました。
「(後に)結婚し,子供二人を産みましたが結婚生活も本当の心の一致というものはありませんでした。互いに違った人生を経た二人が夫婦になったからと言って,すぐ心からの一致が醸し出せるわけではありませんでした。
「数年前からすぐ上の姉がエホバの証人から聖書を学び出していました。父と母は姉がしているエホバの証人の信仰をひどくきらっていました。このころ姉は実家に用事があって来ても縁先から上がって入ろうともせず,すぐ引き返していました。父の顔は苦虫をつぶしたような表情でした。それらを見るにつけ,『宗教なんてそんなに極端にならなくてもいいのでは』とさえ思っていました。丁度そのころから私の家にも時たまエホバの証人の人たちが『ものみの塔』誌を携えて訪問することが多くなりました。姉のことを思うと振り向くことが出来ず……聖書という言葉を聞くたびに一歩足が出ても,心はかたくなに拒みつづけました。
「私の心を和らげたのには,二,三のきっかけがありました。まず最初は1974年の秋の終わりのどしゃ降りの雨の日でした。3歳位の身だしなみの良い女のお子さんを連れた婦人が訪問してくれた時のことです。『姉がやっていますので結構です』とぶしつけな態度で断わったにもかかわらず,やさしく礼儀正しく受け答えられて帰られました。去った後で『どうしてこんなどしゃ降りの日に,ましてお子さんを連れて。彼女たちには何かがあるのではないだろうか』と思い巡らさざるをえませんでした。その後正月に実家に帰った折,エホバの証人である姉に対する父と母の態度が変化していました。極端にきらっていた母が『……ちゃん(姉の名前)が本当に良い人になってくれたんで良かった』と一語漏らしたのです。私はハッとしました。以前は会う度に姉が雑誌を持って売り歩いたとかいって何一つ理解しようとせず,恥知らずなことをしているといやがっていた父と母の態度が変化していたのです。また姉自身もものすごく変化していました。思いやりのある上品なやさしい人柄に変わっていたのです。それをきっかけとして私も聖書をもう一度読んでみようと考えだしていました。聖書を本屋に行って買って来なくてはと思っている矢先,あるエホバの証人が訪問してくれました。
「一週間後に男の方も伴って再び訪問してくださいました。その方の巧みさ,熱心さはさておき一番私の疑い深い心を和らげたのは『この方なら信頼が持てそうだわ』と思わせる誠実な態度です。その時聖書を学び始めることを受け入れたのです。その方は主人と一緒に学び出すことを提案してくださいました。1975年2月11日から聖書の勉強を主人と一緒に,子供たちも加えて家族全員で学び出すことが出来ました。これはこの上ない喜びでした。その後すぐに,家族全員で日曜日の集会に定期的に出るようになりました。真理の勉強が進むにつれて『聖書にはこんなことが書かれていたのか』という驚きと,断わり続け無為に過ぎた幾年かを心から後悔しました。3月27日の主の記念式の時にはさらに確信を深めました。せいそな飾りも何もない講堂で聖書を片手に心を一つにして学び合う人たちを見て『ここ,こここそ私の捜し求めていた所ではないだろうか』と思いました。この日を契機としてエホバ神を心から確信し,真の宗教の存在を確信しました。さらにエホバ神への愛をつのらせたのは,イザヤ書 2章4節の聖句を知ったときでした。真の神であるなら,こうあるはずです。流血をきらい,平和を愛する神であるはずです。この聖句を読みながら『本当にそうだ』と何回もつぶやきました。ここで私は自分の道をはっきり知りました。寛大な愛を持ち,人間一人一人の苦悩を慰め,希望へと変えてくださる神,光の中を喜びの中を歩ませてくださる神にやっと会うことができました。6月から「王国ニュース」の配布より伝道に出させていただきました。自分一人で伝道をはじめて10日程して一つの研究が取り決まりました。この研究もエホバ神が与えてくださったのです。未熟な私ですが,神への愛と熱意を認めて祝福してくださったのでしょうか。今では5件の研究が決まり,毎日,一生懸命,喜びのうちに歩んでいます。聖書を学び始めてから丁度一年余たち,主人と一緒にバプテスマを受けることになりました。
「今,真理を知って喜びのうちにペンをとっています。結婚前の悶々とした日々を思い出しました。しかし今それを思い出す度に,一層の確信を持って,真理を受けとめることが出来ます。エホバ神こそ私の捜し求めていた神です。この上ない喜びを得ています」。―最近寄せられた経験談より