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バビロン的宗教は暴力を生み,また国を滅ぼすものみの塔 1965 | 2月1日
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いるこれらの憎むべきわざは軽いことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし,さらにわたしを怒らせる。見よ,彼らはその鼻に木の枝を置く。f それゆえ,わたしも憤って事を行う。わたしの目には彼らを惜しみ見ず,またあわれまない。たとい彼らがわたしの耳に大声で呼ばわっても,わたしは彼らの言うことを聞かない」― エゼキエル 8:17,18。
滅亡か平和かを決めるものは崇拝
ついでエゼキエルはどんな刑執行のわざを見ましたか。それは何を前以て示すものでしたか。
エゼキエルの幻の中で,エホバの刑執行者は,太陽を拝んでいた25人の者をまず殺し,壁に刻まれた像を拝んでいた者および十字架のしるしをつけたタンムズの神のために泣いていた女たちを次に殺しました。(エゼキエル 8:17–9:8)これはエルサレムに臨もうとしていたことを,あらかじめ示したものに過ぎません。エルサレムに何が臨んだかについては,この雑誌の後の号にとりあげます。―エレミヤ 25:9,15:18。
(イ)ユダの歴史のこの頁から何を学びますか。(ロ)バビロン的な宗教は現代の諸国家にどんな影響を及ぼしていますか。それはどんな結果になりますか。
ユダの歴史のこの頁は,ユダの災の根本的原因が,バビロン的偽りの宗教にあったことを明白に物語っています。ユダはエホバを神とし,エホバの律法を国の律法とした国であり,神に従順であった時には神の保護を受け,平和と繁栄を楽しみ,道徳的にも物質的にも清い状態でした。ユダの歴史は,世界に見られる悪,不法,暴力の根底にバビロン的な偽りの宗教があることを知る助けになります。偽りの宗教が神の名によって行なった悪は,キリスト教国においてさえ多くの人を神から遠ざけ,共産主義のような無神論のイデオロギーに人々を転向させました。そしてそれは更に暴力を生む結果となっています。今日においても,バビロン的な崇拝が国の中に行なわれているならば,その国はユダと変らず,決して永続しません。
(イ)各人は,諸国家の直面する悪い終わりを避けられますか。(ロ)真の崇拝とバビロン的な偽りの崇拝は,それぞれどんな違う結果をもたらしますか。
しかしイエス・キリストは,国々の中にいる心の正しい人々を力づけることばを述べました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)エホバ神とみ子を正しく知るとき,また霊と真をもって神を崇拝する人々と交わるとき,混乱したり,煉獄,地獄の火などの迷信的なおそれにとらわれる事はなくなります。それは不法な性の欲求や,他の人の財産また身体に対して暴力をふるいたいという欲求を亢進させません。また諸国家が進んでいる滅びの道に落ち込まないように私たちを守ります。そして私たちを清い者にし,平和と神の恵みをもたらし,正義の新しい秩序の下における生命を保証します。―ヨハネ 4:23,24。
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隣から聞くものみの塔 1965 | 2月1日
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隣から聞く
◆ ブラジル,キュティバ州の一人のエホバの証者は,家から家への伝道をしていましたが,ある戸口では,聖書を読もうとしたところをさえぎられました。家の人は言いました。「どこかよそへ行って,カトリックの方々に伝道して頂けません? 私は20年前に改宗しておりますので,お話をお聞きしなくても結構です」。伝道者は,親切に自分の訪問の目的を説明しようとしましたが,その機会は与えられませんでした。しかし,次の家では温かく迎えられました。家の人は伝道者の話を,むしろ意外なおももちで聞き,喜んで「失楽園から復楽園まで」の本を求めました。次の日曜日,約束どうり,説明のために再び訪ねると,家の婦人は言いました,「私はこの本をお隣の奥さんに見せました。奥さんは非常に喜んで,自分も1冊ほしいと頼んで下さいとのことでした」。証者がたずねると,婦人は,本を受け取ってこう言いました。「なんでも知っていると思った私は,実は,なにも知りませんでした。でも,エホバは,バプテスト派信徒になってから20年の間,私の知らなかった事柄を教えて下さるでしょう」。
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