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  • 第1部 ― ドイツ
    1975 エホバの証人の年鑑
    • ある日,二人の官憲が庭を通って,両親のいる所にやって来るのを見つけたその息子は,隠されている文書を見つけるために官憲がやって来たことに直ちに気づき,またそれらの文書を官憲に見つけられないようにする方法をすぐ考え出しました。まだ学齢期前でしたが,学校に通っている兄の鞄を取って,その中のものを全部取り出してからにし,文書類を全部詰め込んで,その鞄を背負って道路に出て行き,官憲が何も捜し出せずに帰って行くまで外で待ちました。その後,家に戻って来て,それらの文書を自分が見つけた元の場所に再び隠しました。

  • 第2部 ― ドイツ
    1975 エホバの証人の年鑑
    • 第2部 ― ドイツ

      刑務所で見いだされた「羊」

      兄弟たちは刑務所にいる際,あらゆる種類の人々に接したので,当然のことながら,自分たちの希望についてそうした人々にもできるかぎり話しました。仲間の囚人の一人が真理を受け入れたとき,兄弟たちはどんなに喜んだか知れません! ヴィリ・レーンベカーはそうした経験についてこう述べています。彼は他の何人かの囚人と一緒にある部屋に監禁されましたが,そこでは喫煙が許されていました。

      「私の寝台は上段でしたが,下段に休んでいた囚人があまりたばこを吸うので,私は息を吸うのもやっとでした。他の囚人が皆寝静まった後,私は人類に対する神の目的についてその囚人に聖書から証言することができました。彼は私の話を注意深く聞いてくれました。その青年は政治活動を活発に行ない,不法な雑誌を配布したかどで監禁されていました。私たちは,もしなお生き長らえて再び自由の身となったなら,お互いに訪ね合うことにしようと約束し合いました。ところが,それとは違った仕方で会うことになりました。1948年のこと,私はある巡回大会で彼と再びめぐり会ったのです。彼はすぐに私を見てそれと知り,喜びにあふれながら私にあいさつし,それからその後のいきさつを話してくれました。彼は刑期を終えて釈放された後,徴兵を受けてソ連国境で軍務に従事し,そのとき,かつて私から聞いた事柄すべてを思いめぐらす機会を得ました。……そして最後に彼は私にこう言いました。『今日,私はあなたの兄弟になりました』。そのとき私がどんなに感動させられ,またどんなに嬉しく思ったかを想像していただけるでしょうか」。

      ヘルマン・シュレマーも同様の経験をしました。これも同様に巡回大会でのことでしたが,ある兄弟が近づいて来て彼に尋ねました,「私を覚えておられますか」。シュレマー兄弟は答えました。「お顔は見覚えがありますが,あなたがだれかはわかりません」。すると,その兄弟は,フランクフルト-プロインゲシャイム刑務所で5年間服役していたシュレマー兄弟を扱ったかつての看守であると言って自己紹介をしました。シュレマー兄弟は真理に関する非常に多くの事柄をその看守に話したのです。同兄弟はまた,聖書を1冊求めて欲しいと刑務所の牧師に頼んだところ,その願いを退けられたので,その看守に依頼しました。すると,その看守は人情のある人だったので,シュレマー兄弟のために聖書を1冊求めてくれました。また,独房に監禁されている同兄弟に何か手仕事を行なえるようにするため,家族のストッキングを持って来て繕わせたりもしました。そうです,この場合,エホバのみ言葉が肥沃な土の上に落ちたことを知ったシュレマー兄弟には,確かに歓喜するに足る十分のいわれがありました。

      霊的な食物が欠乏する

      ドイツにおける霊的な料理は減少し続けました。組織との連絡を断たれ,霊的な食物を得る機会にもはやあずかれなくなることが,グループはもとより個人個人にとってどんなに危険かについてハインリヒ・フィーケルはこう報告しています。

      「ナチ党が政権を握った当時,私たちの会衆には30人ないし40人ほどの伝道者がいました。この体制が挑戦的な様相を呈するようになると,ほどなくして多くの兄弟たちはいわば『陰に回る』ようにして不活発になり,伝道者の約半数の人々はもはや姿を見せなくなりました。このことは,私たちがそれら退いて行った人々に会う場合,あいさつは交しますが,手もとに雑誌があっても彼らには供給しないようにし,非常に慎重な仕方でそれらの人を扱わねばならないということを意味しました。ある話し合いのさい,約14人を除いて兄弟たちは皆,ある選挙が行なわれたとき投票したことがわかりました」。

      当然のことですが,単にエホバの組織から退いたのではなかろうかという疑いを他の人に抱かせるような状況が生じたためにある兄弟たちが霊的な食物にあずかれなくなるという危険性もありました。シュテッチンに住むグレーテ・クラインとその母親の身の上に生じたのはそのことでした。彼女の話を聞きましょう。

      「私たちは色々の兄弟たちの家で小さなグループになって集まり合いました。私たちの会衆の監督は『ものみの塔』誌を私に与えたので,私は謄写版刷りのための原紙を切ることができました。ところが,それもほんの短期間に過ぎず,その後,私がそれほど大事にしていたその特権は終わってしまいました。兄弟たちは私の父が真理に反対しているということを知った後,たいへん恐れ,自分たちが見つかりはしないかと心配したのです。そして,母と私は『ものみの塔』誌を1冊も入手できなくなりました。実際のところ,兄弟たちはあまりにも恐れたため,道で私たちに会っても,あいさつさえしなくなりました。私たち二人は組織から完全に切り断たれてしまいました。シュテッチンの聖書研究者の会衆は消滅しました。

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