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  • 第2部 ― ドイツ
    1975 エホバの証人の年鑑
    • いると私にささやくことができました。娘たちは二人だけになると,一人がドアのそばに立って外の物音に耳を澄ませ,人がやって来る気配のないことを確かめ,他方の娘が数節を読むことにしていたのです。私はどんなに嬉しく思ったかしれません。

      「さて,1945年,忠実な兄弟たちが投獄されていた所から戻り始めました。おもに東部からの大勢の兄弟姉妹を乗せた船がフレンスブルクに到着しました。そのころ,強烈な活動の行なわれる時期が始まりました。その町で私は,私の現在の夫,ヨーゼフ・シャルナー兄弟と知り合いました。彼もまた,9年間自由を奪われていました。確かに私たちは二人とも困難な時代を切り抜けて来ましたし,また二人とも自分たちの残りの歳月を費やして力のかぎりエホバに仕えたいとの同じ願いを抱いておりました」。

      死の独房の中でさえ弟子を作る

      死の独房の中でさえ弟子を作ることができるとは信じ難いことのように思えますが,マソールス兄弟はその妻に宛てて1943年9月3日付でしたためた手紙の中でそうした経験を伝えています。

      「私はプラハで1928年,1930年そして1932年に開拓奉仕をしました。講演が何度か行なわれ,プラハの町は文書で覆われました。そのころ,私は政府から送られた政治問題の講演者でアントン・リンクラーという人に会いました。私は長い時間彼と話し合いました。彼は聖書と数冊の書籍を求めましたが,家族を顧み,生計を立てなければならないので,そういう問題を研究する時間はないと述べました。しかし,彼の親族はみな,教会には行かないが宗教に深い関心を抱いていると彼は言いました。

      「それは確か1940年か41年だったと思いますが,当時しばしば行なわれていたように,新しい同室者が私の独房に入れられました。だれでも最初はそうですが,彼も非常に気落ちしていました。独房の扉が後ろでぴしゃりと閉められて初めて囚人は突然,自分がどこにいるのかを悟るのです。その新しい同室者は私にこう言いました。『私はプラハ出身で,名前はアントン・リンクラーといいます』。私はすぐ彼のことを思い出したので,『アントン,そうです,アントン,私を覚えていませんか』と言いました。『そうですね,見覚えはあるのですが,しかし……』。それからすぐ彼は,私が1930年か32年ごろ彼のもとを訪ねたとき,聖書と数冊の書籍を私から求めたことを思い出しました。アントンは言いました。『何ですって! あなたはご自分の信仰のゆえにここにいるのですか。それは私には理解できません。そのような牧師は一人もいませんよ。実際,あなたはどんな事を信じているのですか』。彼はそれを知ろうとしていたのです。

      「そして,こう尋ねました。『しかし,牧師はどうしてこういう事柄を私たちに話さないのでしょうか。これこそ真理です。私がなぜこの刑務所に来なければならなかったのかが今わかりました。フランズさん,私はどうしても話しておきたいのですが,この独房に入る前に私は信仰の厚い人の所に入れていただきたいと神に祈りました。さもなければ,自殺をする考えでいました。……』

      「何週間そして何か月かが過ぎてからのことですが,アントンは私にこう言いました。『私がこの世を去る前に,妻と子供たちが真理を見いだせるよう神に助けていただけるなら,私は安らかな気持ちで去って行けます』。……すると,ある日,彼は妻から次のような一通の手紙を受け取りました。

      「『……もしあなたが何年か前にあのドイツ人からお求めになった聖書と書籍類をお読みにさえなれるなら,私たちはどんなにか幸せなことでしょう。万事がそれらの書籍の言うとおりになりました。私たちはそのために決して時間をさきませんでしたが,これこそ真理です』」。

  • 第3部 ― ドイツ
    1975 エホバの証人の年鑑
    • 第3部 ― ドイツ

      強制収容所における霊的食物

      兄弟たち,とりわけ強制収容所内で兄弟たちが「孤立させられ」ていた何年かの間,聖書あるいは他の出版物を入手する機会にはほとんど恵まれませんでした。ただ,中庭に何時間も立たねばならなかったりした時,あるいはバラックの中で晩の少しの静かな一時を過ごしたりする時,「ものみの塔」誌の重要な記事の内容を思い起こすために相当の努力が払われました。何らかの方法で聖書を入手できた時の兄弟たちの喜びは特に大きなものでした。

      エホバは時には,興味深い方法を用いてご自分のしもべたちに聖書を入手させてくださいました。レンヒュン(シュワルツワルト)出身のフランズ・ビルクは,ブッヒェンワルトである日,この世の一囚人から聖書を1冊入手したいかどうかを尋ねられた時のことを覚えています。囚人は自分の働いていた紙の工場で聖書を1冊見つけていたのです。もち論,ビルク兄弟は感謝してその提供物を受け取りました。

      また,1943年のことですが,単に当時の時代の圧力に動かされて親衛隊の組織に加わった年配のある親衛隊員が休日に聖書を求めて何人かの牧師を訪ねたのをフランケ兄弟も覚えています。牧師たちは皆,残念ながら聖書はもはや手もとにはないと述べましたが,その晩,彼は遂にある牧師を見つけました。特別の理由があってルーテル訳の小型の聖書を取って置いたと述べたその牧師は,親衛隊員が聖書に関心を示すのを見て大いに喜んだものの,その聖書をもらって行くと告げられました。翌朝,この白髪まじりの親衛隊員はその聖書をフランケ兄弟に与えましたが,自分の監視している囚人の一人にその贈物を与えることができたので明らかに喜んでいました。

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