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  • 聖書の第66番めの本 ― ヨハネへの啓示
    目ざめよ! 1975 | 7月22日
    • の幻をとりとめもなく書き記したものではありません。わたしたちはこの点を認識すべきです。啓示の書の始めから終わりまで,その全体は,来たるべき事がらに関する一貫した描写であり,一つの幻から他の幻へ移行しつつ,やがてそれらの幻が終わるまでに,神の王国に関する目的の全容が明らかにされているのです。それゆえわたしたちは啓示の書の全体を見,その各部が相互に関連と調和を保ちながら,読者をヨハネの時代よりずっと将来に運び入れるものであることを知らなければなりません。この書は次の四つの部分に分けられます。(1)前書き(1:1-9);(2)七つの会衆に対する音信(1:10–3:22);(3)来たるべき事がらに関する幻(4:1–22:7);(4)結び(22:8-21)。

      ヨハネへの啓示の内容

      8 ヨハネはこの啓示の由来についてなんと述べますか。彼は七つの会衆とどんなものを共にしていると述べていますか。

      8 前書き(1:1-9)ヨハネは,この啓示がみ使いを通して神から与えられたものであることを説明し,ついで,アジア地区の七つの会衆に対して語りかけます。イエス・キリストは彼らを「ご自分の神また父」すなわち全能者なるエホバ神に対して「王国とし,祭司とし(た)」のです。ヨハネは,自分がパトモスに流され,「イエスとともになって患難と王国と忍耐を」彼らと「分け合う者である」ことを銘記させます。―1:6,9。

      9 (イ)ヨハネは何を行なうように指示されますか。(ロ)彼は燭台の中央にだれを見ますか。その者は何について説明しますか。

      9 七つの会衆に対する音信(1:10–3:22)霊感によって,ヨハネは,自分が主の日にいるのを見ます。ラッパの音のような強い声が,その見る事がらを巻き物に書き,エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアの七つの会衆にそれを送るようにと告げます。その声のほうを向くと,七つの燭台の中央に「人の子のような者」が見えます。その右手には七つの星があります。その者は,自分が「最初であり最後であ(る者)」,一たび死んだが今やかぎりなく永久に生きる者,また死とハデスの鍵を持つ者であることを述べます。それゆえ,これは復活したイエス・キリストです。イエスはこう説明します。「七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台は七つの会衆を表わしている」― 1:13,17,20。

      10 エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラの会衆に,それぞれどんな賞賛のことば,また助言が与えられますか。

      10 ヨハネはエフェソスの会衆の使いに書き送るようにと告げられます。その会衆は,多くの労苦と忍耐,また悪人たちと歩みを共にすることを拒んだ記録を持つにもかかわらず,その最初の愛を離れましたから,悔い改めて以前の行ないをすべきです。スミルナにある会衆に対しては,患難と貧しさの中にあっても実際には富んでいるのであるから,恐れてはならない,と告げられます。「忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう」。ペルガモンの会衆は「サタンの座のある所」にありますが,キリストの名をしっかり守りつづけています。しかし,その会衆のただ中に背教者たちがいます。それらの者は悔い改めなければなりません。でなければ剣に処せられることになるでしょう。テアテラの会衆は「愛と信仰と奉仕と忍耐」を保持していますが,それでも「かの女イゼベル」を容認しています。しかし,良いことをしっかりと守り通す忠実な者は「諸国民に対する権威」を受けることになります。―2:10,13,19,20,26。

      11 サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアの会衆にそれぞれどんな音信が送られますか。

      11 サルデスの会衆は,生きているとの名を持ちながら,その行ないが神の前で十分になされていないゆえに死んだものとなっています。しかし,征服する者たちは,命の書から自分の名を消されることはありません。フィラデルフィアの会衆はキリストのことばを守ってきました。それゆえ,イエスは,その会衆を,「人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る」ことを約束します。征服する者,イエスはその者を自分の神の神殿の柱とし,自分の神の名と,自分の神の都市つまり「新しいエルサレム」の名をその者の上に書きます。キリストは,自分のことを「神による創造の初め」と呼んだ後,ラオデキアの会衆に対し,その会衆が熱くも冷たくもないゆえに自分の口から吐き出そうとしていることを告げます。富んでいると誇りながら,彼らは実際には貧しく,盲目で,裸の者となっています。彼らには白い外衣が必要です。また,見えるようになるために目薬も必要です。キリストに対して戸を開く者がいれば,キリストはその者のところに来て晩さんを共にします。征服する者に対し,キリストは,自分の座にともにすわることを許します。キリスト自身,み父の座に,み父とともに座ったのと同じようにです。―3:10,12,14。

      (この続きは次号に載せられます)

  • 真の更生
    目ざめよ! 1975 | 7月22日
    • 真の更生

      ◆ USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌は最近,議論の的になっている考え方として,囚人を釈放する前に社会で“試験的に生活させる”ための“休暇を与える”という問題を論じた。そのような囚人の一人で,無期懲役刑に服しているある囚人に関して,同誌はこう述べている。「[その囚人は]良い記録を残したため……数え切れないほどしばしば休暇を与えられた」。その囚人が「良い記録」を残すのに何が寄与したのだろうか。その記事は,彼が「敬虔なエホバの証人になった」ことに注目している。

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