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  • 「良いたより」は地の「最も遠い」所にまで達する
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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  • 支部事務所と印刷工場
  • “奥地”で“厳しい生活条件に耐える”
  • 宣教者が到着する
  • 原住民が「良いたより」を聞く
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 10/1 8–11ページ

「良いたより」は地の「最も遠い」所にまで達する

“地球の反対側”の国と呼ばれる“孤立した陸地”,オーストラリアは,西ヨーロッパのどの国よりも広大な面積を持っています。しかし,そこを本国としているのは,様々な国籍から成る約1,350万人ほどの人にすぎません。

ほぼ777万平方㌔もの面積を持つこの人口のまばらな国では,場所によって地形や気候が著しく異なります。それは熱帯性の北部から砂漠地帯の内陸部まで,また世界最大のさんご礁 ― 生物の群がるグレートバリアー・リーフ ― から荒野に囲まれた巨大な不毛の地エーアズ・ロックに至るまで実に変化に富んでいます。オーストラリアの東部では砂糖きびや小麦や他の穀草類が豊富に産出され,ここに人口の約61%が集中しています。

しかし,東部の海岸沿いを南北に走るオーストラリア大分水山脈を越えると,肥よくな海岸地帯は起伏のゆるやかな丘へと変わり,その後景色は平野から半砂漠へと移ってゆきます。

エーアズ・ロックのあるオーストラリアの中央部には,塩湖や砂漠が数多く見られます。広大な平野部の乾燥した気候条件によって,このオーストラリアの孤立した陸地は羊毛の生産に理想的で家畜の飼育に適した土地となってきました。“奥地”に広がる所有地,つまりいわゆる“大牧場”は非常に規模の大きなものです。

このような訳で,『地の最も遠い所にまで,わたしの証人』となるようにとのイエスの命令を果たすことは現在に至るまで挑戦となってきました。(使徒 1:8)70年ほど前の初期の時代にさかのぼり,こうした地の遠い所で「良いたより」を宣べ伝えてきた人々の経験をたどってみましょう。

オーストラリアが植民地となってから100年ほどしかたっていなかった19世紀の終わりごろ,聖書に親しむ数人の人々は,当時国際聖書研究者として知られていたエホバの証人の出版物を外国に住む親類や友人から受け取っていました。また同じころ,ウェスタン・オーストラリア州のパースとクイーンズランド州のブリズベーンに英国から移住して来た聖書研究者が到着し,これらの町に会衆を設立しました。

支部事務所と印刷工場

オーストラリアとニュージーランドにおける業を監督するため,1904年にビクトリア州のメルボルンに聖書研究者の支部事務所が設置されました。1915年にメルボルンで開かれた大会には250人の人々が出席し,14人がバプテスマを受けました。1935年までには,30のラジオ放送局を通して聖書の真理が人口の多い中心部はもとより,オーストラリアの遠く離れた地域にまで宣べ伝えられていました。

1929年3月に支部事務所はメルボルンからシドニーに移され,1932年にその拡張が行なわれました。その後1972年に,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を発行するため同事務所の敷地内に大きな印刷工場が建設されました。現在さらに施設の拡張が行なわれており,60人ほどの男女がこの支部事務所で奉仕しています。

遠くに住む人々のもとへ行くには多くの努力と苦難に耐えることが求められます。今日でも,この国の東西を結ぶ道路は一本しかなく,その距離は約4,000㌔にも及びます。人口の最も多い東部の海岸地方を除くと,南北を結んでいるのは大陸中央部を通る道路と,鉱物資源の豊かな西部の海岸沿いの非常に孤立した道路だけです。

“奥地”で“厳しい生活条件に耐える”

すでに亡くなったバート・ホートンは,1921年にウェスタン・オーストラリア州のカルグーリーという鉱山のある町で聖書研究者と交わり始めました。彼は,「“開拓者”(王国の全時間宣明者はこう呼ばれる)になりたいという申込書を出したところ,ウェスタン・オーストラリア州全体で奉仕するようにとの任命書が戻ってきたのです」と語りました。ホートンはフランク・ライスと他の二人の男の人と共に,寝台の二つ付いた貨物自動車に調理用設備やそのほか路上の生活に必要なものを備え付けました。彼らはその貨物自動車で広大なナラーバー平野を横断し,ウェスタン・オーストラリア州のへき地の町々すべてを訪問しました。そのうちの一人は次のように詳しく語っています。「当時は道路がなかったので,ある石油会社から青写真を数枚もらい,タンク(水が手に入った孤立した場所)からタンクへと旅行しました。44ガロン(約200㍑)入りのドラムかん二本のガソリンと水や食物などの必需品を運んでいったものです。途中で大牧場に立ち寄り,そこの人々に聖書について話をしました」。奥地で多くの時間を過ごした別の“開拓者”はアーサー・ウィリスです。彼はウェスタン・オーストラリアの北部のへき地で奉仕するため,1933年に二人の仲間と共に出発し,この国の上端部を横断しました。ウィリスはこう語っています。「あのころの旅行者は,ただで肉を食べることができました。どの大牧場へ行っても,好きなものを選ぶことができたのです。大牧場の人々や町々の間に真理を聞いて受け入れる人が見いだされました」。彼らは最北端のダーウィンを出た後カサリンに向かって南下し,それから東部のクイーンズランド州や海岸地域に向かいました。ウィリスは次のように回想しています。「当時そうした地域にはアスファルトの道路がなかったため,クイーンズランドの西部を横断するのに160㌔の黒い土の上を三日がかりで走ったのを覚えています。泥がこびり付いてタイヤが回らなくなることもたびたびでした。そこで,何とか旅を続けるためには泥よけ[フェンダー]をはずさねばなりませんでした」。

1936年にアーサー・ウィリスとビル・ニューランズは,この国の奥地に行くためさらに長い旅行を企てました。彼らは3,000ポンド(約1.4㌧)積みのトラックでシドニーを出発し,走行距離1万9,300㌔の一年余りもかかる旅に出掛けました。まずシドニーから真西に向かって走り,この国の中央部に達すると,今度はダーウィンに向けて北上し,その後西部の海岸沿いを南下して,パースへ行きました。この旅行中,サウス・オーストラリアのアデレードから北へ800㌔ほど奥地へ入ったところで,彼らはチャールズ・ベルンハルトに出会いました。この人はそれより三年ほど前に王国の音信に接していました。二人の“開拓者”が彼に出会ったのは,アデレードからアリス・スプリングスへ旅行し,さらに引き返すため暑さと孤独に耐え忍んでいたときでした。ウィリスとニューランズが現われたとき,ベルンハルトはバプテスマを受けることを望んでいました。この人はカワード・スプリングスとウィリアム・クリークにホテルを二軒持っていましたが,それ以降,多くの人は彼を通して「良いたより」を知りました。85歳の現在でも“開拓者”としての奉仕を続けており,四輪駆動の乗り物でサウス・オーストラリアのへき地を毎年数回旅行しています。

これら“奥地の開拓者”の一人であるジョー・ベルの次の経験にもこれと同じ精神が見られます。当時ベルはブリスベーンから北西へ480㌔行った所を割り当てられ,遠くの“大牧場”へ自転車で出掛けて行きました。それはつらい激しい仕事だったと彼は語っています。「道路がないも同然の砂地が続く斜面にぶつかり,自転車を運ばねばならないこともたびたびありました。こうした旅行の幾つかは非常に危険なものでした。広々とした土地に見られる生き物は,あちこちさまよい歩く牛の群れだけでした。この動物は非常に好奇心が強く,近付いて来るものを見に行こうとする習性があるので,時には危険な場合もありました。これらの動物が草を食べながらどこかへ行ってしまい,私が旅行を続ける機会が開かれるまで,木の中に隠れ何時間も待たねばならないことが幾度もありました」。

オーブリー・バクスターという別の“開拓者”は,クィーンズランド州の中央部と北部を自転車で何千㌔も旅行しました。彼はその経験を次のように回想しています。「私たちは面白いことに出会いました。ある晩,大きな家畜牧場に泊めてもらい,翌日,そこから何㌔も離れた所にあるカンガルーのハンターの家で一晩過ごしました。小屋のきたない床の上で何百枚もの臭いカンガルーの皮に囲まれて眠った訳ですが,ディンゴ[オーストラリア産の野犬]の群れが遠ぼえする中で眠ろうとするのも容易なことではありませんでした」。

宣教者が到着する

1940年代の後半に,米国にあるエホバの証人の宣教者の学校であるものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業生数人が「良いたより」を広める業を援助するために到着しました。それらの卒業生の中には,ジョン・カットフォースとドナルド・マクリーンというカナダから来た人々がいました。二人は何年もの間,旅行する監督として奉仕しました。マクリーンは次のように思い出を語っています。「オーストラリアでの私の最初の任命地がギレアデ学校から見てちょうど地球の反対側に当たる南西オーストラリアであることを知ったときには,非常に驚きました。私は地の最も遠い所へ送られることになったのです」。マクリーンはある経験についてこう語りました。「私たち来たばかりの者は,へき地を旅行しながら楽しい事柄を経験しました。エミュー[ダチョウに似た大きな鳥]の群れに初めて出会ったときは面白かったと同時に,当惑させられました。オートバイで奥地を走っていたとき,エミューの群れに道をふさがれたのです。エミューは大変好奇心の強い鳥で,オートバイのクロムメッキを施した鏡とハンドルが太陽の光を受けてきらめくのに魅せられたようでした。エミューの扱い方を知らなかった私は,群れの中を走り進んで自分の命を危険にさらしたくなかったのでオートバイを止めました。大きな鳥たちは動く気もなくしばらくそこに立っているので,私のほうが動くことにしました。警笛を鳴らし,エンジンを掛けて大きな音を出したところ,エミューはいよいよ好奇心をつのらせて近付いて来るだけでした。控え目に言ってもこれにはかなりろうばいさせられました。チャンスを捕らえて群れの中に突進することにしましたが,鳥たちは私がかろうじて通り抜けられる程度に散らばるだけで,その後道路に沿って追い掛けて来るのです。速度を時速約50㌔まで上げても,エミューは私のオートバイより速い速度で走っていました。時速約60㌔に達したとき,ほっとしたことに,私はやっとエミューから離れることができました」。

マクリーンは先に触れたチャールズ・ベルンハルトの食料品店とホテルを初めて訪問したときのことをこう回想しています。「ウィリアム・クリークに到着すると,列車がかなりの時間停車することを知りました。男たちは冷たいビールの配給を受けるために酒場に向かって気も狂わんばかりに走り出しました。酒場に入った私は,『世界の希望,エホバの王国を知らせる「ものみの塔」誌をご覧ください』という標示を見つけて驚きました。二番目の標示は,『「目ざめよ!」誌をご覧ください』と勧めていました。雑誌や小冊子や製本された書籍は酒場のカウンターで得られるようになっていました。皆が支給を受けて満足すると,ベルンハルトは人々の注意を引いて,“皆さん,こちらにご注意願えますか。今日の世界で最もすばらしい雑誌を求められるようお勧めします”と言いました。男たちはそれぞれすぐに「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を受け取り,雑誌のために寄付をしてそれをポケットに入れると,ビールの入った袋を肩に掛け,列車のほうへ戻って行きました。支配人のクリスチャンとしての評判に敬意を払って,ベルンハルトの酒場で飲んでいるときにはだれも不敬な言葉や下品な言葉を使いませんでした。その後ベルンハルトは,機関士を初め,列車に乗っているすべての人々に『良いたより』を知らせたものでした」。

現在525の会衆の努力を通して,オーストラリア中の人々が定期的に「良いたより」を聞いています。旅行する監督たちはこの国のあらゆる地域を訪問しており,エホバの活発な証人たちは2万8,000人以上います。

原住民が「良いたより」を聞く

1971年の統計によると,原住民の数は約10万6,000人にすぎませんが,彼らは大抵いなかや奥地に住んでいます。そうした人々と接するために多くの努力が払われてきました。数年前に亡くなるまで44年間も全時間奉仕を続けたベン・ブリッケルは,大牧場や開拓地の原住民に話しながら自転車やオートバイや自動車で何千何万キロもの距離を旅行しました。音信を分かりやすくするために,彼は絵や表を用いました。ノーザン・テリトリーのウェーブ・ヒル地方を訪問したとき,ブリッケルは聖書中の出来事や約束を描いた絵を使いながら,地面の上に足を組んで座る80人の原住民に神の約束について一時間ほど説明しました。原住民の間で,また奥地で行なったその業のために,ブリッケルはオーストラリアにおいて有名になりました。別のときに,この国の中央部に当たるアリス・スプリングスから数㌔離れた所で,彼は100人余りの一団の原住民と話をしました。二,三人の原住民は忠実な王国の宣明者となりました。

広大な面積,大部分人の住むのに適さない内陸部,また人口がまばらであることなどのために,オーストラリアにおける業は困難なものでしたが,幾年もの間にその住民の間でまかれた神の言葉の種は,ある場合驚くべき仕方で実を生み出してきました。

来たるべき神の世界政府に関する良いたよりは,人口密度の高い沿岸部の工業都市から大陸の“レッド・ハート”に至るまであらゆる場所で宣べ伝えられています。1940年ころのエホバの証人の率は2,764人に一人の割合でした。しかし今では,オーストラリアに住む人々のうち483人に一人は活発なエホバの証人となっています。このような訳で,地の最も遠い所の一つであるこの国でもイエスの命令は成し遂げられています。

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