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エホバはクリスチャン会衆を牧されるものみの塔 1969 | 10月1日
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な牧者およびその御子の導きを求めます。これら牧者は会衆内に起きる大切な問題すべてを注意深く考慮し,神のみことばの中に導きと助力を求めます。これは正しい決定を下すためです。彼らは神の民を牧する者であり,それゆえに,神のみことばについて確かな知識を持たねばなりません。彼らはそのみことばを正しく,またふさわしい仕方で扱うことが必要です。(テモテ後 2:5)牧者として仕える人々は,聞くことに速く,語ることや怒ることにおいて遅い人であるべきです。(ヤコブ 1:19)そして彼らはイザヤの語った人々のようにならねばなりません。「ここにひとりの王あり正義をもて統治め,その君たちは公平をもてつかさどらん また人ありて風のさけどころ暴雨ののがれどころとなり,かわける地にある水のながれのごとく,うみ疲れたる地にある大なる岩かげのごとくならん」。(イザヤ 32:1,2)そのような人々自身は,会衆においてともに交わる人々から大いに尊敬され,また深く愛されるでしょう。
19 どうすれば,偉大な牧者エホバがわたしたちをいま養っておられることを確信できますか。
19 『わたしは自分の手を知り,わたしの羊はわたしを知っている』と言われたのは主イエスです。同じように,自らもキリストの羊である神の羊の牧者たちは,会衆内の人々を知り,またその人人に知られねばなりません。こうしてわたしたちは,現存する邪悪な事物の体制の終局の時である今日においても,宇宙の神であられるエホバが忠実な下位の牧者たちを通じてわたしたちを世話し,養ってくださることを理解できるのです。
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柔道をやめた少年ものみの塔 1969 | 10月1日
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柔道をやめた少年
● 若い人々も戸口で証言をするようにとの,ものみの塔協会の助言の効果は,次の南アフリカ連邦の経験からもわかります。ある平日の午前中,家から家の伝道をしていた1人の婦人の奉仕者は13歳の少年に会いました。少年は召し使いが出かけている間,おばの二人の子供のお守りをしていました。婦人の奉仕者は少年と聖書の話し合いができてたいへん喜びました。聖書にある人間創造の記録と,進化論について話し合ってみて,その少年が十分に物事を考えることができるのを知りました。そしてその少年とまたすぐ会うことになるとは予想もせずに,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」と題する本を配布して帰りました,同じ日の午後,その少年は婦人の家を訪れて,彼女がどの教会に属しているのかを尋ね,さらに,前述の本の今読んできたばかりの箇所について二,三の質問をしました。その少年が聖書の研究をすれば大きな益を受けるにちがいないと考えた婦人は,自分の家に来て毎週聖書の研究を行なうことを提案し,両親の許しを得るようにすすめました。カトリック教徒である少年の母が司祭に忠告を求めたところ,みな同じ聖書を持っているのだから別に害にはならないだろうとのことでした。最初の勉強が終わったとき,週に2回来てもよいですかと,少年は尋ね,その後,いつもたくさんの質問をするようになりました。ある日,その婦人が少年のために,製本された出版物から答えを捜していたところ,たまたま少年は「暴力に抵抗するための訓練」という記事を見つけて読みました。それまで柔道の練習に励んでいたかれは,自分がスポーツと思っていたものをクリスチャンが暴力とみなすのを知って驚きました。翌日,少年は,柔道をやめることを母親に告げました。たいへんお金のかかることだったので,母親は少年の決心を喜びました。この少年は最近,初めて巡回大会に出席し,良い進歩を示しています。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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