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    ものみの塔 1978 | 11月1日
    • 月25日にこれは議会によって正式に認可され,その年以来スウェーデンの証人たちはあらゆる種類の徴兵から自由になりました。

      業を妨害する努力

      一般にスウェーデン人は宗教,とりわけ国教会に対して無関心です。大部分の宗教組織は衰退しており,会員数の点で次々とエホバの証人に追い抜かれています。エホバの証人のこの増加は大きな驚きを引き起こしています。スウェーデンのルーテル国教会やいわゆる自由教会派の代表者たちは幾度も立ち上がり,「あまりにもひど過ぎる。彼らを止めるために我々は何らかの手を打たねばならない」と抗議しています。例えば1976年の初めには,スウェーデン国教会のウプサラ司教区の30人の司祭と平信徒が,ある新聞の言葉を借りると,「エホバの証人に宣戦を布告する」ために集会を開きました。最も顕著な点として,彼らはエホバの証人に関する情報を載せたパンフレットの準備とその公の配布に同意しました。

      幾年にもわたって,様々な教会の代表者たちはエホバの証人を異端者として“暴露”する目的で多くの書籍やパンフレットを発行してきました。こうした出版物を調べてきたある研究者は,その印象を次のようにまとめています。「わたしは宗教を研究する者として,他を早急に“異端者”もしくは“偽預言者”と呼ぶ者にかぎってそうした批判を受けるに最もふさわしい者であるという自分の考えを裏付ける証拠を,長年にわたり多く見てきた。表面はキリスト教に見えながら偽りを伝える,例えばエホバの証人について偽りを伝えるこの種の本をブラックリストに載せる時は来ていると思う」。(レリヨン・オック・クルトュール,第四巻,1976年版)もちろん,わたしたちはこの種の評判を恐れてはいません。それが多くの正直な人々の関心を呼び起こすのに役立つことを知っているからです。

      1976年10月に放送された三つの連続ラジオ番組に関しても同様のことが生じました。この国ではわたしたち自身が宗教的なラジオ番組を製作することは許可されていませんが,ラジオ・スウェーデンのある職員の発案でエホバの証人に関する三つの番組が製作されることになりました。最初,この人はどの宗教組織にも所属しておらず,したがってどの宗教にも偏らない番組が製作されるように思われました。後日,彼は,スウェーデンに400人の会員を持つ自由主義カトリック教会の司祭であることがわかりました。番組は会衆の集会や様々なエホバの証人とのインタビューの録音に基づいて製作されることになっていました。ところが,録音が行なわれる段になって,その番組がわたしたちを攻撃するためのものであることが明らかになりました。インタビューに臨んだ兄弟たちは挑発的な質問を浴びせられました。しかし,兄弟たちは挑発にのることなく,冷静に,また事実通りに答えていました。録音が行なわれた後,わたしたちやわたしたちの聖書に対する見解に関してできるだけ悪い印象が伝わるよう,テープはその職員によってカットされ,編集されました。

      その結果はどうだったでしょうか。ものみの塔協会の支部事務所の職員は,全国の聴取者から多くの手紙や電話を受け取りました。こうした人々は,証人たちと攻撃者たちとの精神の違いに気付いたと述べ,わたしたちのほうに真実らしい響きがあると述べていました。結果として,エホバの民の以前反対していた親族たちは多くの場合,王国の音信に関心を持つようになりました。ある新聞記者は,「証人たちの受けている迫害にわたしは当惑している。このためにわたしの心は本当に悲しくなる」と書いていました。しかし,わたしたち自身は,迫害が人を強めるものであり,神の王国に関して広く証言するのに役立つものであることを知りました。(使徒 8:1-4)ついでながら,1976年11月,すなわちそのラジオ番組が放送された翌月に,スウェーデンのエホバの証人は1万6,693人という「良いたより」の宣明者の新最高数を記録しています。

      研究の対象

      スウェーデンのエホバの証人の前例のない発展振りは,とりわけ宗派の分析研究を行なう学生や研究者たちの間に驚嘆の念を引き起こしています。中には,研究の結果自らエホバの証人となった“研究者”もいます。心理学を専攻する一人の若い学生は,エホバの証人について“研究する”ために自分の教師と共に王国会館へやって来ました。後に彼は不満をもらし,聴衆はもっと批判的であるべきだと語りました。つまり,聴衆は教理を教え込まれていると言おうとしていたのです。その後まもなく,この学生の姉妹が聖書研究を始め,彼は姉妹を“救う”ために研究に参加したいと思いました。一緒に参加するよう招かれた青年は,証人たちをすぐに“ノックアウトする”だろうと考えた質問を次から次に浴びせかけました。ところが反対に,彼はその答えが興味深いものであることに気付き,わたしたちの信仰についてどんなことが言われようとも,「わたしたちは少なくとも洗脳されていない」という点を認めるようになりました。この青年も聖書研究を始め,今では姉妹と共にバプテスマを受けたクリスチャンとなっています。

      ストックホルムには,宗教の社会学的研究を行なう研究所があります。宗派を調査し,目録を作るのがその目的です。この研究所はわたしたちについて調査し,最近,「前進するエホバの証人」と題する研究報告を発行しました。スウェーデンの人々がわたしたちの教えに関心を持つようになる理由を説明して,この報告は次のように結んでいます。「聖書の預言に全く一致し,それと同じほど個人的な必要にも合致した前途の見込みや希望が人々の家の戸口で差し伸べられている。前途はもはや脅威ではなく,有望である」。

      同じ報告は,スウェーデンで行なわれた1976年のある地域大会におけるバプテスマ希望者の大半が18歳から25歳までの年齢層の人であったことを記しています。若者の比率が高いというこの傾向は,他の宗教が今日スウェーデンで経験しているところとは正反対です。わたしたちにはその理由は明白です。自分がその中で育てられてきた宗教に多くの若者が幻滅を感じていることを知っているからです。その上,スウェーデンの若い世代は,高い生活水準から得られるものをほとんど経験してきています。そうした物質的にはパラダイスのような状態にありながら,多くの人は将来に失望し,あきらめています。そこで彼らは,アルコールの乱用や麻薬の常用,不道徳な行為などに屈することによって現実から逃れようとするのです。しかし,こうした若者のうちある者たちはエホバの証人の訪問を受けると,先に触れた報告が適切にも述べていた通り,『前途の見込みや希望が戸口で差し伸べられている』ことに確かに気付きます。こうして彼らは,「前途はもはや脅威ではなく,希望である」ことを理解します。そうなると,気まぐれな道を捨て,はるかに満足のいく霊的パラダイスの中で新しい生活を始めるようになるのです。

      これは,老若を問わず非常に大勢の人々がここスウェーデンで行なっている事なのです。世界中の敬けんな人々と共に,スウェーデンのクリスチャンもこの地上に物質的な意味でのパラダイスが建設されるのを待ちながら,霊的パラダイスの祝福を楽しんでいます。

  • 忠実なしもべはその報いにあずかる
    ものみの塔 1978 | 11月1日
    • 忠実なしもべはその報いにあずかる

      フランツ・ツィルヒャー兄弟は1891年11月25日に生まれ,1918年11月18日にバプテスマを受け,1923年6月15日にスイスでのベテル奉仕に入りました。同兄弟はおよそ55年間にわたってものみの塔協会のスイス支部で忠実に働き,長年支部の監督として奉仕しました。ツィルヒャー兄弟は数か月の間病床にありましたが,1978年5月13日,その地上での生涯を終えました。同兄弟はヨーロッパや他の国の大勢のエホバの証人によく知られ,愛されていました。すべての人がその忠実な奉仕とともに,今やその報いを得たことを喜んでいます。―啓示 14:13。

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