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『嘆き悲しむ者たちは幸福である』目ざめよ! 1971 | 9月8日
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と笑いが彼らのうけた分でした。―イザヤ 61:1-3。詩 126:1,2。
しかしながら,「嘆き悲しむ人たちは幸福です」「幸福なるかな,いま泣く者よ」ということばはまた,ほかの人たちにも当てはまる原則を述べています。預言者エゼキエルは,エルサレムの都の「中に行はるるところの諸の憎むべきことのために歎き哀しむ人々」の幻を見ました。次いで彼らは,神の刑執行者たちがその都を行きめぐって,嘆き悲しむ者として,しるしをつけられなかった者すべてを殺したとき,神に保護されるという,大きな恩恵にあずかりました。―エゼキエル 9:1-7。
これらの嘆き悲しみ,かつ泣く人々の対型は,わたしたちの時代に存在しています。というのは,キリスト教世界はエルサレムと同じように,自らを神の『都』と唱えているからです。その古代の都市と同様,キリスト教世界は嫌悪すべき事柄 ― 偽りの宗教・性その他の不道徳,暴力 ― で満ちています。心の状態の正しい人々はこうした事態に無関心ではありません。彼らはそうした事柄を大いに嘆き悲しんでいるのです。こうした人たちもまた,今日,神の恵みを受け,慰められるのです。
どんな方法で? それはエホバ神の王国の良いたよりの伝道によってです。エホバのクリスチャン証人たちがそれら嘆き悲しむ人たちに伝えているこの音信は,悪行者すべてを地から除き去るという神の目的をそうした人々に告げます。(箴言 2:21,22)またそれは,「あなたの王国が来ますように。あなたの意志が,天におけるごとく,地上でも行なわれますように」というクリスチャンの祈りが今やまもなく,成就されるということを告げるものです。そうした人々にとってこれは確かに大きな慰めです。またそれに加えて,この良いたよりは,記念の墓にいる者がみな復活して出てくることをも告げるものなのです。そうです,死によって別かれ別かれにされた人々が再び結び合わされるのです。―マタイ 6:9,10,新。ヨハネ 5:28,29。
また,それら嘆き悲しむ人々にとって大きな慰めとなることの一つは,神の王国のもとでは,傷つけたり破壊したりするものが何もないという良いたよりです。それは,水が海そのものをおおうように,エホバに関する知識が地をおおうようになるからです。(イザヤ 11:9)それに加えて,神はイエスのあがないの犠牲の益を人類に適用して,「かれらの目の涙をことごとく拭ひ去」られるので,「死もなく,悲歎も,さけびも,苦痛も」なくなります。―黙示 21:4。
確かに,イエスが言われていたことをこのようにより深く理解すれば,矛盾とされる問題は一掃されます。拡大された,より広い意味において真に幸福な人とは,嘆き悲しむ人たち,つまりエホバ神に対する正しい心の状態をもって深い悲しみに沈む人たちです。なぜなら,そのような人たちは神の恵みを享受し,慰められるからです。
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学校の先生に感謝された進化の本目ざめよ! 1971 | 9月8日
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学校の先生に感謝された進化の本
メキシコシチーにあるエホバの証人の会衆の一つに交わっている高校生の若い伝道者ふたりは,学期の終了する前に生物の先生に「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」の本を提供しました。先生はその本を受け取りましたが,大した関心はなさそうでしたし,それについては何も言いませんでした。ところが,学期末試験の日に,先生は個人的にふたりを呼んで,その本に対する感謝を表わし,とても良い本だったので何度も読んだ,と話しました。そればかりか,来学期に教科書として使いたいから,もう50冊ほしいと言い,その理由をこう説明しました。「ほかの本に書かれていることはたわいないことばかりで,偽りの理論だらけだ」。次の学期始めに,この若いエホバの証人たちは注文の本50冊を先生に渡しました。しかし,それでも十分ではありませんでした。その本について知った他の先生や生徒が関心を示し,2冊かそれ以上注文する人がいたからです。2週間のうちに175冊の本が先生と生徒のために配布されました。若い伝道者たちは学校で自分たちの信仰と,エホバに対する信頼を表明するすぐれた機会を持っていたといえます。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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