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崇拝の自由ものみの塔 1967 | 4月1日
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か。死の少し前,イエスは弟子たちに言われました。「人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな,それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう」。(ヨハネ 16:2)しかし,そのようにまちがって考えたからと言って,真のクリスチャンを殺す者が自分の行為を正当化できるわけではありません。
26 (イ)キリスト教国の刑務所を満員にしているのはだれですか。しかしエホバの証人は何をしていますか。(ロ)迫害される場合でさえ,エホバの証人は政府に対してどんな態度をとりますか。
26 人間の法律だけでなく,神の律法をも犯して刑務所を満員にしているのはキリスト教国の信心家です。しかしエホバの証人は人々が長年祈り求めてきた神の国の福音を平和裏に宣べ伝え,すべての人が神の新秩序で永遠の命を受けるのを助けようとしています。国家の上に立つ権威によって迫害される場合でさえ,エホバの証人が武器を取って反抗し,あるいはひそかに政府の転覆をはかることはありません。良心のために,彼らはいつも神のものをまず神に返し,ついでカイザルのものをカイザルに返します。彼らは至高の神に対する忠実と従順の試練として迫害を受け入れています。そして,自分を迫害する者たちについては,やがて大いなるバビロンを滅ぼし,ついでハルマゲドンにおける『全能の神の大いなる日の戦い』でその政治上の情夫を滅ぼされる神のみ手にゆだねています。―黙示 16:13-16; 17:5。
27 (イ)すべての土地で崇拝の自由を与えられてはいなくても,エホバの証人はどういう意味でやはり解放された民ですか。(ロ)この解放された立場を彼らはどのようにして守っていますか。
27 すべての土地で崇拝の自由を与えられてはいなくても,エホバのクリスチャン証人はやはり解放された民です。彼らは清い崇拝の実践によって得る自由を守ろうとしています。(ヤコブ 1:27)そしてキリストによって得た自由を保つことを決意しています。彼らはこの世にいても,イエスが言われたとおり,この世のものでないことをよく理解しています。彼らは,イエス・キリストが必ず終わることを予告した,この事物の制度の存続をはかる活動に加わりません。(マタイ 24:3-22)彼らはこの世にも,その君たちにもより頼みません。(詩 146:3-5)彼らはこの世に依存しません。それゆえ,この世の負担を負わされ,この世を喜ばすことを求めて,人間の奴隷になりません。山上の垂訓の中でイエス・キリストから命ぜられたとおり,神の国と神の義を第一に求め,必要な他のすべての物をエホバが備えられるにまかせています。―マタイ 6:33。
28 (イ)これまで数千年の間,エホバ神は偽りの崇拝を行なう諸国民に何を許してこられましたか。(ロ)このことはいつ終わりますか。そののち宗教についてどんな時代が来ますか。
28 古代バビロンの時代から今日に至る数千年の間,至上の神エホバは諸国民に信教ならびに崇拝の自由を許してこられました。しかしやがて,メシヤによる神の国がこれら諸国民を滅ぼす時,偽りの崇拝を行なう自由はなくなるでしょう。真のクリスチャンは主の祈りの中でこの神の国を祈り求めています。(マタイ 6:9,10)そして,神の国のもとに新秩序が到来する時,イエス・キリストをとおしてまことの神を崇拝する自由には何の妨げもないでしょう。このまことの崇拝は従順な人間に,神の地上の子としての自由を永遠に与えます!
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セヴンスデイはエホバの証人を模範にするものみの塔 1967 | 4月1日
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セヴンスデイはエホバの証人を模範にする
● バーミューダの一人の開拓者は,セヴンスデイ・アドヴェンテストの牧師が彼の組織の反対にもかかわらず真理の正しい理解に進むのを援助して良い経験をしました。この牧師は説教壇からエホバの証人のよい模範を公けに述べ,彼らの歩みに従うように自分の会衆の人たちに忠告しました。彼の招待でエホバの証人たちはおよそ50人ほどの集まりで話し,全部の人に雑誌を配布することができました。彼を通して彼の3人の友人と研究が始められました。
― 1967年度エホバの証人の年鑑より
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