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歴史書から益を受ける目ざめよ! 1974 | 7月8日
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記述を自分ではつぶさに読んだことのない人が多くいます。
しかし,その内容(出エジプト記 12章から15章に記されている)を自分自身で思慮深く検討する人は,人物や場所の名が記録されていることに注目するでしょう。―民数 33:1-8と比較。
イスラエル人のエジプト滞在が終了した時も次のように示されています。「イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は,四百三十年であった。四百三十年の終りとなって,ちょうどその日に,主[エホバ,文]の全軍はエジプトの国を出た」― 出エジプト 12:40,41,口。列王上 6:1と比較。
こうして,聖書の歴史記述の中では,紅海でのできごとに関して,その起きた時と場所という,事件の明確なわく組みが示されています。どの時代,またどこに住むいかなる歴史家にしても,自分が現実に目撃した事がらを書き記した証拠として,これ以外のどんなことを提出しえたでしょうか。何もありません。では,どんな根拠で,聖書のこの記述を史実ではないとして退けうるでしょうか。だれもできません。
聖書の歴史記述は信頼できるものです。それは,他の歴史書と異なって,神の預言のことばの確かさ,神の定める道徳律の優越性,そして,創造物に対する神の不断の関心を正確に強調しています。歴史を正確に記録させる神が過去に行なわれた事がらは聖書の中に記されていますが,それを親しく読む人は最大の益を受けます。―ローマ 15:4。
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神のことばは人の生活を豊かにする目ざめよ! 1974 | 7月8日
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神のことばは人の生活を豊かにする
人間は霊的に満たされることが必要です。そしてこのことは,当人がその必要を認めているかどうかには関係がありません。イエス・キリストは悪魔の誘惑を退けたさいにこう言われました。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。(マタイ 4:4)ですから,相当裕福な生活をしている人でも,霊的な必要が満たされていない場合には,ある種のむなしさを強く感じることがあります。確かに何かが欠けていることには気づいていても,多くの場合,それが何であるかがわかりません。また世間の騒がしさは,その人の欲求不満をいっそうつのらせます。
アメリカ,カリフォルニア州に住むある男の人もそうした経験をしました。その人は,自分の境遇と自分が感じていたことについてこう語っています。
「わたしたちの結婚生活はうまくいっていました。また,二人のよい息子がおり,家,自動車,帆船など,生活を楽しくするものもそろっており,そうした生活を支えるに足る高級の職業も二つ持っていました。しかしわたしたち夫婦は,物質を手に入れてそれを手離すまいとあくせくする無情なこの社会の行き方に不満を感じ,また世界の将来に不吉なものを感じていました。
「わたしたちはそこから逃げ出す必要があると感じていました。二人とも海が好きでしたので,船を造り,子どもたちが事実上社会から孤立して安全に生活できるような孤島に行こうと考えました。もちろんわたしたちは,自分自身のことも考えていました。海に出ていった人々のことを書いた本を読んでは,スモッグで汚れた,無味乾燥なこの世界から全く離れた遠い場所のことをいつも夢みていました。回りのいやなことを忘れようとして,わたしたちは1969年に大型の帆船の建造に取りかかりました。
「エホバの証人は何度もわたしたちの家に来ましたが,わたしはいろいろな支払いに追われて二つの仕事をしていたため,いつも妻が応対していました。しかし,ある土曜日にエホバの証人がやって来て,わたしが応対に出ました。わたしたちは聖書について話しはじめました。そのさい,証人は幾つかの質問をしましたが,わたしにはその答えがわかりませんでした」。
この会話は,その男の人の関心を呼び起こしました。その後ほどなくして,この夫婦はエホバの証人と聖書の勉強をはじめました。神のことば聖書の勉強は,二人の家庭生活を富ますものとなったでしょうか。それによって,生活に欠けていたものはおぎなわれたでしょうか。その人はこう話を続けています。「自分たちが学ぶ事がらと,目の前に大きく広がるすばらしい希望とにただ喜ぶばかりでした。現在の体制から逃れること,つまりそこからの真の解放は,キリストによる神の王国によってのみもたらされるということをわたしたちは知ったのです」。
もはや二人は,他の土地に移ることによって逃避しようとはしなくなりました。船が完成した時,それは初め意図されたようには使われずに売却されました。現在この夫婦は,人の生活を真に富ます神のことば聖書を知るよう他の人々を助けるために,自分たちの資産を用いることができるのを喜んでいます。
名声を得ることは十分でない
霊的な必要が満たされないために生活のむなしさを感じる人々の中には,名声を追い求める人々も含まれました。アフリカの北西部に住むある男の人はそういう状態にありました。その人はこう語っています。
「わたしは非常に幼い時から,世界的に有名な運動選手になり,自分だけでなく,アフリカに栄誉をもたらす者となろうという目標を定めていました。数多くの犠牲を伴う激しい訓練を何年も積んだ後,わたしは国際的なボクサーとして栄光と名声への段階を登っている自分の姿を見ました。ソ連,ドイツその他のヨーロッパ諸国で母国のブラック・アフリカを代表することにわたしは大きな誇りをいだいていました。しかし,人々の苦しみや犯罪を旅行先で見聞きし,わたしは深い悲しみをおぼえました。
「わたしは,わたしの国の首都の有力な宗教指導者である父から,宗教的な面で注意深く訓練されていましたから,現在の苦悩はわたしたちの神アラーのご意志であると教わっていました。しかし,神がほんとうに人間の創造者であるなら,人間がこれほどまでに苦しむのをなぜ望んでおられるのだろうかと疑問に思っていました。
「そんなある日,わたしが水泳のコーチをしていた町のプールで,誠実そうな一人のアフリカ青年がわたしに近づき,スポーツの話からはじめて世界状勢のことに,そして現状を改善する真の救済策があるという希望に話を発展させていきました。その青年はエホバの証人でした。
「こうしてわたしは初めて,真の神であり,人間のほんとうの創造者であるエホバと,地上からすべての犯罪や苦悩を取り除き,あらゆる人種の人々に永続的な益をもたらすという,神の愛ある目的とについて聞きました。
「その時わたしは,自分が別の訓練を受けはじめていたことなど少しも気づきませんでした。その訓練とは,『少しの事に益がある身体の訓練』ではなく,『すべての事に益がある敬神の専念』に関するものでした。(テモテ第一 4:8)その後しばらくして,わたしたちは,神の真理のことば,つまりそれまで漠然としか聞いたことのなかった聖書という本を定期的に勉強するようになりました。ボクシングの試合に出て魂をこめて戦うなら,永遠の命に通じるレースを走るための時間的余裕もエネルギーも残らないことに気づきはじめました。個人的な栄光や名声を得ようとしてあらゆる努力をつぎ込む生活は,栄光を受けるにふさわしい唯一のかた,つまり人体の造り主エホバに栄光を帰すための時間のない生活であることがわかったのです。しかし,スポーツという職業をやめるのは容易なことではありません。宗教や身近な家族が関係している場合には特にそうです。妻や父や友人から長いあいだ激しい反対を受けました。しかし,天の父に仕えることはわたしの強い願いでした」。
そうした願いに一致して行動したこの人は,名声を得るだけでは満たすことのできなかったむなしさをもはや感じなくなりました。苦悩に満ちた世界の状態はまもなく変わるという真の希望を聖書が与えたのです。彼はこの良いたよりを熱心に他の人々に伝え,より意義深い生活を今送るようにと勧めています。
現在のためだけに生きることは満足をもたらさない
名声を追い求めてはいなくても,物質的にできるだけ多くのものを得ること,あるいは快楽のためだけに生活することが自分たちにとって最高の生活であると考えている人もいます。そうした人々の中には,結果として,身に害を招くような生活に陥った人が少なくありません。しかし彼らも,神のことば聖書の勉強を通して助けを得て,自分の生活を豊かにする道を歩み始めることができます。中央アメリカから,そのことを示す次のような経験が寄せられています。
「わたしの野望は,あまりあくせく働かずにお金を得ることでした。この野心と当時の交友とが結びついて,わたしは麻薬の密売に関係するようになり,まもなく自分もマリファナ常用者になりました。また,ある女と奔放な生活をはじめ,一女の父親となりました。そして1970年8月に,小型飛行機にマリファナを積み込んだわたしは警察に逮捕され,やがて懲役5年の判決を受けました。
「ある日のこと,わたしは一人の訪問者を迎えました。それまでは,自分の身に生じたことを考えて悲嘆に暮れていました。その訪問者はある郵便局員でした。彼はエホバの証人で,『新世界訳聖書』や『とこしえの命に導く真理』など,数冊の本が入った小包と一通の手紙を持ってきてくれました。その手紙はいっしょに生活してい
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