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終わりの時における忠節ものみの塔 1974 | 1月15日
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ご意志に従うことを願う動機となりました。(ヨハネ 5:30)わたしたちの心の中にもそれと同じ義の律法があって,そのような願いをいだかせるようでなければなりません。
忠節であることから来る益
21,22 エホバに忠節であることから来る益をいくつかあげなさい。これは肉の快楽とどのように比較できますか。
21 人が今まちがった肉の欲を満たすことから得るかもしれない快楽は一時的なものです。しかし,エホバに対する忠節から生まれる益は永久的なものになる可能性があります。なぜそのような永久的な益をつかのまの快楽のために捨てますか。モーセは,「罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民とともに虐待されることを」選びました。なぜなら,エホバの忠節なしもべとなることから来る益のほうがはるかに大きかったからです。(ヘブライ 11:25)わたしたちが今日期待しうるきわめて著しい益は,現体制に悲惨な終わりをもたらすきたるべき「大患難」の時に守られて生き残る,エホバの忠節な崇拝者の「大群衆」の一員となることです。―ダニエル 2:44。啓示 7:9,14。
22 もうひとつの顕著な益は,神の王国が招来する新しい時代に限りなく生きることです。つかのまの不義の快楽よりも,義の支配者たちのもとで平和に安全に暮らすことのほうが,はるかに大きな益ではありませんか。そのような快楽よりも命そのもののほうが大きな価値を持たないでしょうか。エホバに対する不忠節は永遠の死を意味しかねませんが,エホバに対する忠節はその反対,つまり永遠の命を意味しえます。「さらに,永遠の命,これが,ご自身がわたしたちに約束してくださったその約束のものなのです」。(ヨハネ第一 2:25)これらや他の多くの顕著な益が忠節な者たちにもたらされます。
23 それで今日歩むべき賢明な道とは何ですか。
23 クリスチャンが,新しい時代のまさに入口まで来て,まちがった肉の欲をいだき,真の神に不忠節になって落伍するのは悲劇です。それよりも,この終わりの時に神に忠誠をつくす正しい道を歩んで,清い良心を保つほうがどんなにか賢明でしょう。―詩 37:28,29。
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しんぼう強さは実を結ぶものみの塔 1974 | 1月15日
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しんぼう強さは実を結ぶ
● インド洋のレユニオン島でのこと,年配のあるエホバの証人は娘夫婦に聖書の真理を伝えようと10年以上も努力していました。ついに(義理の)息子は,しゅうとめが『自分の宗教を伝道する』ことに非常にいらだつようになり,ある日彼女がやって来た時,「お入りなさい。でも,あなたのエホバは外においてきてください」と言いました。息子が真の崇拝についてふれたくないというあまりに強い態度で話し始めたので,彼女は泣きだしました。涙が彼女のほほを伝わって流れました。しゅうとめは涙声で,せめてエホバの証人の集会に来て,自分で調べることはできるはずだと言いました。しゅうとめが涙を流しているのを見て動かされた息子は,「わかりました。涙をふきなさい。泣くのをやめれば集会に行きましょう」と言いました。そして,彼は集会に来ました。実際,彼はその集会を非常に楽しんだため,続けて集会にやってきました。今では,この夫婦はふたりともバプテスマを受けたエホバの証人です。
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