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全世界で平穏のうちに行なわれた“神の勝利”大会ものみの塔 1974 | 7月1日
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単に良いたよりを伝えているだけでなく,そうした地域に滞在して,神に関する正確な知識を得ることができるように土地の人々を助けることさえしています。ペルーのリマで開かれた大会の出席者は,そうした地域で用いられた一つの方法についての興味深い報告を聞きました。それによると,十人から成る奉仕者の一団が,二台の大型ハウストレーラーを運転してアンデス山中の辺ぴな地域に出かけて行きました。そして,五人ずつの奉仕者がそれぞれのトレーラーを“本拠”として用い,活動を行ないました。また,道幅の狭い道路や行きにくい野中の小道とか場所に備えて,ジープを一台持って行きました。ほんの数か月のうちに,一行は,聖書を説明した書籍や雑誌を7万5,000冊も配布しました。現在彼らは,そうした人々が神のことば聖書を勉強し,それを理解するよう助けることに忙しく働いています。
全世界のエホバの証人は,自分たちが成し遂げてきたことは自分自身の力や知恵によるものでないことを認めています。彼らは,次のように語った使徒パウロと同じように感じています。『何にせよそれがわたしたちから出ているとみなせるほどわたしたち自身にじゅうぶん資格があるのではなく,わたしたちにじゅうぶん資格があるのは神から出ているのです』。(コリント第二 3:5,6)障害や障壁は『力ではなく,エホバの霊によって』克服されます。―ゼカリヤ 4:6,新。
ですからエホバの証人は,人を自由にする真理を知ることができるようにしてくださったエホバ神に感謝を捧げます。エホバの霊によって,彼らは以前の生活態度を改めることができたのです。証人たちは,他の人々が真理を学ぶのを助けるという,神から与えられた宝にも似た奉仕の務めをたいせつにしています。
世界がかつてないほどの不安と苦悩をかかえているこの時期に,これほど多くの土地で,しかもさまざまに異なる状況や政府のもとでともに集まれるようにエホバの霊の導きがあったことと,道が開かれるように天使の助けを備えてくださったことに対し,全世界のすべてのエホバの証人は個人的にもまた公にも,み子を通してエホバに感謝を捧げています。
エホバの証人は信仰を持って前途をのぞみ,規模は小さくなりますが,もしそれがエホバのご意志であれば,1974年6月に始まる同様の一連の大会を計画しています。その大会では,人々を霊的に築き上げるプログラムが準備されています。多くの国では前回よりも多くの場所で大会が開かれるため,かなり出席しやすくなるでしょう。おそらく,あなたの住んでいる地域でも大会が開かれるものと思われます。大会に出席する計画を,さっそくお立てになってください。大会で聞く話から大きな益を受けこそすれ,それが失望に終わることはないと,わたしたちは確信しています。神と神のみことば聖書に信仰を持ち,聖書の原則を自分の生活に適用している人々との交わりを大いに楽しまれることでしょう。大会に出席して,『エホバの恵み深きを味わい知る』ように心からお勧めします。―詩 34:8。
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読者からの質問ものみの塔 1974 | 7月1日
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読者からの質問
● エホバの証人は喫煙をクリスチャンの慣行に反するものと見ていますが,他の人が自分の家や事業所に来てたばこを吸うことを禁じますか。―アメリカの一読者
個々の証人がこの点でどのような決定をするとしても,それは聖書によって訓練された各自の良心が定める個人的な事がらです。
しかし,概してエホバの証人は,自分の家でだれもいっさいたばこをのまないことのほうを好んでいます。それによって自分の家族の健康を守り,自分の家がたばこのにおいなどで汚れることを防ぐことができます。また,エホバの証人は,他の人たちが「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め」るのを助けようとしています。自分の家に来てたばこをのむことをだれにでも許すのは,この点で一貫性のあることでしょうか。(コリント第二 7:1)もしそれを許すなら,喫煙を重大な問題とは見ていないといった印象を他の人に与えることにならないでしょうか。
エホバの証人の見方を親切に説明するなら,訪問者はたいてい,その家の所有者の意向を尊重します。しかし,その人のたばこ常用癖が強く,どうしてもたばこをのまないではいられないと感じるほどであれば,その人は他の人たちにいちばん気にならずまた害とならない場所でのむことができるでしょう。そうした場合に個々の証人が何を許し,どのように取決めるかも各自の決定する事がらですが,これは家族の頭がエホバの証人であるかどうかによっても左右されるでしょう。
事業の場所では,「禁煙」という掲示を見ることは珍しくありません。もちろん,国の法律が喫煙を特に禁じておらず,たばこ
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