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集中的な冊子配布王国宣教 1974 | 4月
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いる人びとのほとんどすべてに同じ緊急な音信がそれぞれ知らされたことにやがて気づくでしょう。この方法は,何か月もの間に徐々に配布するよりもはるかに深い印象を与えます。そのうえ,わたしたちは,バビロン的な宗教が神と人をほんとうに裏切ってきたことを知っています。人びとはそうした事実を知って,大いなるバビロンから逃れ,生き残るためにエホバの側に立たなければなりません。わたしたちは人びとを深く愛し,人びとのことを心配するゆえに,できるだけあらゆる機会を彼らに与えたいと思いますし,同時にエホバに誉れをもたらす偉大な証言を成し遂げたいと思っています。
このわざにおけるあなたの役割
6 あなたは自分に割り当てられる「王国ニュース」すべてを喜んで配布なさいますか。わたしたち各人はもう一度特別の努力を払うよう求められています。しかし,わずか何日間かのうちにこれまでの最大の証言の一つが行なわれるということを知るのは喜びではありませんか。確かに,人びとがのんびり休日をすごすゴールデン・ウィークに,偽りの宗教をこのようにして暴露するのは,きわめて時宜を得たことといわねばなりません。それはまた,野外の奉仕の務めによりいっそうあずかるべく努力すべき格好の時期ではないでしょうか。疑いもなく多くの人はこの時期に一時開拓者となって,まず「王国ニュース」を配布し,次いでその同じ区域を回って,通常の文書あるいは雑誌を提供したいと思われるでしょう。また,会衆は週中の群れの証言のための特別の取決めを設けることができます。さらに多くの土地では,特に日曜日の集会が午前中に行なわれている所では,集会後,会衆の人びとがこぞって冊子配布のわざに加わるよう招くこともできます。ほんのわずかの時間しかあずかれない人がいるにしても,そうした一団として行なう証言に会衆とともに加わるようお勧めします。
だれがあずかれますか
7 このわざにはだれがあずかれますか。すでに良いたよりの伝道者となっている人は皆,確かにそのわざにあずかるべきです。しかし,皆さんが研究を司会している人で,会衆の集会に出席している大勢の人びとのことを忘れてはなりません。そのうちの何人かは伝道者になる資格を持っていますか。もしかするとそれらの人は,冊子に収められている音信を伝えるあなたのお手伝いをしたいと考えているかもしれません。そして,その後も引き続き戸毎に良いたよりを知らせるわざにあなたといっしょに加わることを考えているかもしれません。では,そうするよう,それらの人を招待してください。
8 すでにご承知のとおり,これは難しいわざではありません。それはすべての人があずかれるわざです。健康がすぐれないため,一度に数軒の家しか訪問できないなら,それだけでも行なってみてください。もし数時間野外に留まれるのでしたら,躊躇せずにそうしてください。もちろん,中には健康をひどく害しているため,したいと思うほど多くを行なえない人がいるかもしれません。しかし,それでも,何枚かの冊子を他の人に手渡したり,あるいは郵便で送ったりすることができるでしょう。それに会衆内の他の伝道者は残りの冊子を配布するお手伝いを喜んでするでしょう。もし何らかの理由で,割り当てられた冊子全部を配布しつくせないなら,残りの冊子を書籍研究の司会者に渡すか,王国会館で返すかしてください。最後の週末が来る前にそうしてください。そうすれば,他の人たちが手伝って,残りの冊子を一般の人びとに手渡せるでしょう。
あなたの奉仕の報告
9 また,会衆の伝道者も開拓者も,5月の野外奉仕報告を提出するさいには自分が実際に配布した「王国ニュース」の冊子の数を報告用紙の下欄に記入してください。野外の監督は,会衆の配布した冊子の総合計を協会に知らせます。
同じ区域を再び回るわざ
10 冊子の配布を完了した後には,他の地区で働く代わりに再びその同じ区域に直ちに戻り,通常の戸別訪問の活動を行なうようお勧めします。このようにして区域を二度回るさい,それを「再訪問」としては報告しません。しかし,そうすることによって,冊子を読んだ人たちは質問をする機会を持つことになり,さらに何度か再訪問をしたり,良い聖書研究を始めたりする道が開かれるかもしれません。そうした再訪問は報告できます。また,あなたの区域のだれかが協会に手紙を書いて,いろいろ尋ねたりしたなら,協会はそのような人のことを皆さんに連絡します。その場合,そのような人を早速訪問するようお勧めします。そして,それを再訪問として報告してください。
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なおもためらっている人についてはどうですか王国宣教 1974 | 4月
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なおもためらっている人についてはどうですか
1 私たちの多くは,王国の音信に好意的な態度で答え応じている,私たちの区域内の関心のある人たちのことを知っています。その中のある人たちとは「真理」の本や,場合によっては他の出版物も研究し終えているかもしれません。それらの人たちは時々集会に出席し,エホバの証人のひとりとみなされるのを喜ぶ態度を示し,神のみことばの基本的な事柄の大半を受け入れていると唱えています。それでも,宣べ伝えるわざに私たちとともに参加してはいません。「自分を捨て」てバプテスマを受けることをためらっているのです。(マタイ 16:24; 28:19)そのような人たちを助けるために行なえることがもっとありますか。
2 それらの人はエホバの目的に関する知識は持っているかもしれませんが,エホバに対して抱くべき愛をなお身につけなければなりません。(エフェソス 3:18,19)端的に言えば,真理が頭には入っていますが,まだ心には入っていないのかもしれません。
3 そのような人たちと研究をするさい,学んでいる事と密接な関係のある事柄を考えるよう励ましてください。これは結局私と私の家族にとって何を意味するのだろうか,と自問させるような仕方で一緒に筋道を立てて考えてください。もし,真の宗教を見分ける特徴を学んだのであれば,研究生は自分の以前の宗教は真の宗教であると正直に言えるでしょうか。もしそう言えないとしたら,それは偽りの宗教であって,それは近い将来に滅ぼされることが神のみことばの中ではっきり予告されている偽りの宗教の帝国の一部です。筋道を立てて論理的に考えれば,その制度との関係を維持するとすれば死を招くことになるとの結論に達します。
4 学んでいる事柄を適用するという観点から考えさせるようにしてみてください。たとえば,ある祭日の祝いは神に喜ばれるものではないことを学んだとしましょう。さて問題は,そのような祝いの時がやってくるさい,研究生はどうするかということです。それに関係するよう親族や友人あるいは職場の仲間から勧められたならどうしますか。
5 時には,ある基本的な真理を受け入れるのを好まないゆえにためらっている場合があるかもしれません。たとえば,輸血の使用に関して確固とした立場を取ることはできませんと,率直にあなたに言うかもしれません。では,その問題について聖書の述べる事柄を復習した後,反対する根拠を分析するよう助けてみてください。その問題で聖書の見解ははっきりしていないと正直に言えるでしょうか。質問をして綿密に調べてみると,実際は聖書の教えがわからないからではなく,その教えに従った場合他の人がどんな反応を示すかを恐れてためらっているということが明らかになるかもしれません。そうなれば,つまるところ問題は,神それとも人間 ― そのどちらを喜ばせようとしているのかということになります。―箴 29:25。
6 時は縮まっているので,明確な立場を取る必要はいよいよ急を要するものとなっています。教え方の点で分別を働かせるなら,そうした人たちに心底からの認識を培わせることができるかもしれません。そうすれば,それらの人はなお機会があるうちにエホバの側に立てるでしょう。
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