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非常な忍耐は喜びをもたらすものみの塔 1968 | 7月1日
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ついでものみの塔協会が巡回のしもべと呼ばれる特別な代表者をドイツの諸会衆に派遣しはじめた時,そのひとりに選ばれたことは大きな喜びでした。会衆を強め,霊的な円熟に進むようにクリスチャンの兄弟たちを助け,エホバへの奉仕に忠実に忍耐するように励ますのは,大きな特権です。
1946年,わたしはひとりの霊的な妹姉と結婚し,生涯の伴侶を得て祝福されました。彼女の最初の夫といちばん上のむすこは,戦争中,中立を破ることを拒絶してエホバ神に忠実を保ち,そのためナチスに殺されたのです。結婚以来わたしたちは,全時間のしもべとしてともにエホバに奉仕してきました。
創造者に対する喜びの奉仕を始めてから,すでに42年あまりたちました。その間,忍耐を必要とする多くの厳しい試練にもあいましたが,エホバに信頼し,忠実を保ち,神のことを生活の中で第一にしたゆえに,わたしは豊かに祝福されました。エホバに信頼する者は,クリスチャンの忠実をまげさせようとするどんな試みにあっても,不動の立場を保つことができます。わたしは自分の経験からそう言えます。生涯を回顧してますます確信できるのは,非常な忍耐が遂にははかり知れない喜びと祝福をもたらすということです。―詩 125:1。ルカ 21:19。
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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 7月1日
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『すべての国の民への証言』
エホバの証人の1968年度年鑑より
ハワイ
人口: 773,609人
伝道者最高数: 2,527人
比率: 306人に1人
過ぐる奉仕年度を振り返ると,コリント人への第一の手紙 3章6節にある使徒パウロの次のことばが思い起こされます。「わたしは植え,アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは,神である」。ホノルルの支部事務所は,ハワイ諸島およびマーシャル諸島の伝道活動を監督しています。
4月には3日間にわたるノア兄弟の地帯の訪問があり,南アメリカの大会のスライドの映写や,オアフ島から集まった2143人の人々への話が行なわれて,わざに喜びと活気を加えました。年度末に開かれた3つの地域大会は,新しい奉仕年度にも人々を弟子とするわざに励むように兄弟たちを力づけるものでした。聖書の劇,新しい出版物,1969年の一連の大会に関する発表に人々は特に喜びました。開拓者の精神が高まり,兄弟たちは霊的な必要をますます自覚し,奉仕の特権を喜んでいます。過ぐる年のあいだ神の畑で働き,エホバの祝福によって良い収穫を得たわたしたちは,歴代志略下 31章10節にあるユダの大祭司のことばに全く同感であり,エホバに感謝するものです。「エホバその民をめぐみたまひたればなり」。
日毎に霊的な食物をとるように,不定期また不活発な人を助けるとりきめは,その人々を強め,活気づけ,また霊的な成長を促します。次にかかげる地域のしもべの経験はそのことを物語るものです。ある会衆を訪問した時,父親が不信者で,家族の大部分が不活発な伝道者となっている大家族のことが,会衆の監督との話の中でもっぱら話題となりました。聞いてみると,しもべたちはこの家族を助けるためにかなり努力しており,ほとんどすべてのしもべがその援助のとりきめにいつかは参加しているのですが,成果を得ずに終わりました。聖書を毎日読み,集会の準備をするようにとのすすめも無駄でした。その家族は次第に不活発な状態に陥り,巡回のしもべの訪問中の特別な集会に出席するようにとの勧めにも応じないほどでした。霊的な健康の回復を目ざしてとられたこれらの方法がいずれも功を奏さないので最後の方法として,ひとりの特別開拓者が,毎日その家に寄って日々の聖句と年鑑の一つの経験を話し合うことが提案されました。家族の同意が得られたので,特別開拓者は熱心にそのことを続けました。次にこの巡回区を訪問したおりに地域のしもべがこの家族のことを尋ねてみると,今のところあまりはかばかしくなく,特別開拓者が訪問しても子供たちの多く,そして母親も留守がちであるとのことでした。そこで地域のしもべは,努力をつづけ,討議に参加する人だけでも援助するように特別開拓者を励ましました。この大家族のひとりだけでも援助できるならば,努力のかいがあります。この家族は次第に霊的に目ざめ,集会に出席しはじめ,のちには野外の宣教にも活発に加わるようになりました。毎日の年鑑の討議は,「永遠の生命」の本を用いての家族の聖書研究に切りかえられました。1年半にわたる積極的で親切な援助の結果,嬉しいことに今では家族が会衆の全部の集会に出席し,7人の子供が野外奉仕に活発で,母親は最近,休暇開拓奉仕をしました。そしてこんど高校を卒業したむすこは正規開拓者を目ざしていま休暇開拓をしています。年鑑をはじめ,エホバの「忠実な思慮深い僕」が備えた出版物から霊的な食物を日毎にとったことは,この家族にとって大きな祝福となりました。
ある家族は物質主義のために不活発になり,主の晩餐と時おりの講演会に出席するだけの状態が10年も続いていました。しもべたちは,「偽ることのできない」や「永遠の生命」その他多くの出版物を用い,最後には「ものみの塔」を用いてこの家族との研究をしました。そのうち大学にはいった娘が家族の研究の時に哲学をふり回すようになり,学校で学ぶ知識と対応させて真理に対する疑問を表明しはじめました。彼女は学士号を得て,修士号を得るための勉強をしていたのです。しもべたちは家族を訪問して研究を司会する努力をつづけました。過ぐる年の間に大学生の娘は集会に出席しはじめ,霊的な面で家族に大きな力と励みを与えました。巡回のしもべの訪問中にさそわれて野外奉仕に出た彼女は,宣教において援助と励みを得,その月に5つの家庭聖書研究を始めました。それが自分の力によるものでなく,エホバの祝福であることを知って,彼女は喜びにあふれています。以来彼女は定期的な伝道者となり,休暇開拓奉仕も何度かしました。何年にもわたってこの家族に関心を払い,親しく援助したことはエホバの祝福を得,家族の中から4人の活発な伝道者が生まれました。また他の者も霊的に良い進歩を見せています。大学で勉強した娘も,正規開拓者になることを計画しています。この家族は,年鑑,聖書,他の出版物を毎日読みます。それは霊的な平衡を保ち,知識に進み,主なる救い主イエス・キリストの過分の恵みのうちにとどまるための助けです。しもべたちは,この不活発な家族を援助することを積極的に考え,忍耐して何年も親切に援助したことを,ほんとうに良かったと思っています。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 7月1日
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読者からの質問
● 「ものみの塔」を読みはじめて数か月になりますが,助言を頂きたいと思います。最近わたしは,聖書から見て正当と思われる根拠に基づく離婚の訴訟をおこしました。離婚が最終的に決まらないうちに,以前の配偶者以外の異性と“デート”をしたり,あるいはその関心をひくことに努めるのは,聖書から見て間違っていますか。―アメリカの一読者より
まず離婚に関して聖書の述べる事柄をはっきり心にとめておくほうが良いでしょう。神のことばによれば,再婚を許す離婚の唯一の根拠は配偶者の姦淫です。(マタイ 19:9)配偶者が姦淫を犯した疑いが濃いというだけで離婚できるとは,イエスは述べていません。配偶者の告白あるいは正しくない環境の下でひとりの異性と一晩をすごした証拠など,姦淫の確かな証拠がなければなりません。―箴言 5:8-11。
姦淫の証拠がなくて得られた法律上の離婚は,法律的には婚姻関係を解消するかもしれませんが,神の目から見て再婚の自由を与えるものではありません。(マルコ 10:9)配偶者の姦淫の証拠なしに法律上の離婚をした人の場合,再婚はエホバの目から見て姦淫を犯すに等しいことです。次のようにしるされています。「だれでも[姦淫の証拠なしに],自分の妻を出して他の女をめとる者は,その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が,その夫と別れて他の男にとつぐならば,姦淫を行うのである」― マルコ 10:11,12。マタイ 19:9とくらべてください。
さて法的に離婚する聖書的な根拠が実際にあるものとしましょう。離婚が最終的に確定しないうちは,だれかほかの人と“デート”したり,“求愛”したりする自由は,その人にはありません。その人はなお結婚している者です。離婚の法律は土地によって異なります。ある国また州においては,離婚の当事者は直ちに完全に,また法律的に自由となります。他の場所では,6か月を経ないと離婚の効力は発生しません。さらには一時的すなわち中間の判決が下されてから,たとえば1年というかなりの期間を経ないと,離婚が確定しない土地もあります。
ある州で行なわれているこの最後の型について,法律の本に次のように出ています。「離婚を許すべきであると法廷が判断するならば,裁判ののちに中間判決が下される……これは1年間,有効であり,その期間中,当事者双方はなお夫婦である……最終判決によって当事者双方は独身者の立場をとりもどす」。このようにある期間が定められているのは,できるものなら和解の成立を促すためです。和解が不可能であれば,最終判決があって初めて当事者は法律的に自由となります。
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