愛とあわれみの神を見いだす
● 人間はいま,神と神の助けをかつてないほど必要としています。わたしたちの命は神を知るかどうかにかかっているからです。ところが奇妙なことに,神とはだれかという問題は非常に混乱しています。多くの土地でさまざまな神が崇拝されているからです。しかし今日,あらゆる種類の大勢の人々が,愛とあわれみの神を見いだすよう助けられています。以前無神論者であったひとりの人はどのように真の神を見いだしたかを次のように述べています。
「私の家では,両親は全くの無神論者であり,姉と妹はとても熱心な創価学会の信者です。特に祖母は祈とう師でしたので,毎日のように多くの来客がありました。祖母は弘法大師を拝んでおり,占いの仕事をし,ある時には病気の人をいやしたりもしていました。ですから多くの客は功金をささげたり,米,野菜,その他生活に必要な物は本当にあまりあるほどでした。それで私は小さい時から今日に至るまでそのような祖母の状態を見て来ました。それですから,当然私は感化されていたことは言うまでもありません。祖母の神を崇拝することは,祈とうすることによって物質的な富を得ること,また,客は拝んでもらったということで心のなぐさめを得て来たこと,単にそれだけのことでした。信仰を持つ人々の欺瞞を小さい時から見て来たので当然,神あるいは神の存在という問題になると実にくだらないことだと思い,ある時には憎しみさえ感じました。そして,私の生活はというと本当にはずかしいことですが,夜は毎晩遊びに出て,かけマージャン,花札,ボーリングをし,また酒を飲んでは全くのめいてい状態で家に帰ることが毎日で,そのような放とうな生活をくり返していました。ですから,寝るのはほとんど夜明けで起きるのは昼近くになりそれから家の仕事をしていました。こんな生活を毎日くり返していたわけですから当然体をこわし,胃を取り除く大手術をしなければなりませんでした。そんな生活が毎日だったものですから,夫婦げんかが絶えることはありませんでした。
ところがちょうどそのころ,とてもまじめな,せんべい屋さんの友人が聖書の勉強をしていることを聞き,聖書から神の事について聞くことができました。しかし私としては,以前から神の事を聞くだけで憎しみを持つほどでしたから,その友人が神などにだまされては危険と感じ,本当に誠実な気持ちでその勉強をやめさせようとしました。ところが何度やめさせようとしてもその決意は固く,やめさせるどころではありませんでした。それで私もやむなく聖書の勉強をするようになりました。といってもそれは聖書を知りたいからではなく,聖書の間違いを指摘して,友人の勉強をやめさせるのが主な目的でした。
「しかし順序よく調べるにつれ,聖書の真実性や神の存在というものを次第に理解できるようになり,エホバ神は他の神と全く異なった,愛とあわれみの神であり,全能者かつすべての物の創造者であり,私たちの命の与え主であるという事に確信をいだけるようになりました。そしてヘブライ 4章12節には『神のことばは生きていて,力を及ぼす』と記されていますが,それは確かに真実であると確信することができます。真理を知ってから,以前の放とうの生活は次第に変化して来ました。その良い証拠として,いつも夫婦げんかが絶えない毎日でしたが,妻も私の変化に気付き次第に真理に関心を持つようになり,何度か集会に出席するようにもなりました。そして今では私に対して心から信頼していることをよく言います。家族のふんい気はとても良いものです。私は週2回,『とこしえの命に導く真理』の研究をし,3か月目で伝道に参加し,6か月目でバプテスマを受けられるようになりました。
「私は本当に言葉では言い尽くせない心からの感謝をしており,これからもエホバのご意志を行ないつづけ,神のあらゆる誉れとなるよう励んでゆきたいと思います」。
確かに,真の神についての知識は,今日多くの人々の思いや心そして生活に大きな変化をもたらしています。