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弟子にするわざを完成するものみの塔 1966 | 7月15日
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とおり,わたしたちがしているのは実際にはエホバのわざです。このわざはキリスト・イエスと天使たちに導かれています。(黙示 14:6)このような導きを得ている以上,わざの完成は確かです。今日,真理をほんとうに愛している人にはだれにでも,なんらかの方法で真理を聞く機会があるのです。
26 弟子を得るための今の時について,何が言えますか。
26 いまは喜びの時です。またそうでなければなりません。この時代一般についてイエスは次のことを言われました。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。(ルカ 21:28)1匹の迷った羊が見つかった時の喜びを,マタイによる福音書 18章13節は次のように述べています。「もしそれを見つけたなら,よく聞きなさい。迷わないでいる九十九匹のためよりも,むしろその一匹のために喜ぶであろう」。多くの羊が見出されている今はとくに喜びの時です。
27 弟子を得るわざを完成することは,なぜいっそう大きな喜びがありますか。
27 何かを始めるときの期待もうれしいものですが,努力して行なったことの初めと終わりではどちらに最も大きな喜びがありますか。いうまでもなく,それは終わりのほうです。その時に人は努力の成果を見ます。その時に見るのは設計図や計画ではなくて実現したものです。弟子を得るわざについても同じことが言えます。御国のこの福音を宣べ伝え,それによってあらゆる国民,民族の中から弟子となる人を集めるのは,かつて地上で試みられたことのない偉大なわざです。そのわざの完成を目のあたりに見ることができる時代に住むことは,大きな喜びではありませんか。このように考えるならば,喜ぶのは当然です。
28 この大きなわざの最高潮を見て,どんな思いを心に抱くべきですか。
28 しかしほんとうの喜びは,このわざに加わることにあるのです。自分自身,弟子になるだけでなく,弟子を得なければなりません。そしてこのわざに加わるのは今です。ひとたびこの機会が過ぎ去ったならば,それは二度とおとずれないでしょう。このわざのため,神がわたしたちを必要としているということはありません。しかし神の恵みによって,わたしたちがそれに参加できるのは祝福ではありませんか。そのことを認識するわたしたちは,力と能力をつくして働かなければなりません。
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「見よ!」の小冊子から実を結ぶものみの塔 1966 | 7月15日
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「見よ!」の小冊子から実を結ぶ
◆ フィンランドの一開拓者からの手紙は,たとえごくわずかでも関心を示す人に注意を払うことの大切さを教えています。「家から家の伝道で私はある若い婦人に会い,聖書の話を用いて証言できました。婦人は何かの事情で『楽園』の本は断わりましたが,少し関心があるように思えたので,『見よ! 私は凡のものを新しくする』の小冊子を読むようにすすめたところ,それを求めました。それで,この小冊子からより多くの益を得るための読み方を教えてあげました。この最初の訪問は11月の終わりのことでした。12月初めに再び訪問した時に,婦人はこう尋ねました。『主人も宗教の問題を話し合いたいので,いつか夜家に来ていただけないでしょうか』。約束の晩,私はある人を伴って二人で訪問し,暖かい歓迎を受けました。その主人は宗教問題に深い関心を持ち,聖書を深く尊敬していることがわかりました。話し合いは非常に活発に進み,色々の質問に答えを得た彼はそのたびに,『それで納得しました』と語るのでした。ある晩のこと電話で次のように尋ねてきました。『エホバの証人はクリスマスをどのように祝いますか』。私たちの考え方をわかってはもらえまいと最初に私は考えましたが,それは無用な心配でした。というのは,私が説明すると,よくわかりましたと述べて,こうつけ加えました。『では,クリスマス・ツリーのお金も節約できますね』。この夫婦は一緒にその同じ月に奉仕を始め,夫は職場でも自分の堅い立場を取り,真理に関心を持つ同僚を一人見出しました」。
― 1966年度エホバの証人の年鑑から
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