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カトリックの国ボリビアで人々がささげる奇妙な犠牲目ざめよ! 1977 | 7月8日
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れていました。ですからその人たちは実際にはパチャ・ママに,保護と,もっと大きな家と,もっと多くの物が与えられるよう祈っていたのです。
そのうちに,おばあさんと婿は,丘の少し下のほうにある祭壇のところへ下りて行きました。そこは平たい場所で,その場所をかばうようにして立っている岩は多くの犠牲の煙で黒くなっていました。前の儀式に使われた羊の脂肪があちこちのくぼみに溜まり,冷えて固まっているのも目につきました。おばあさんと婿はそれからビールびんを激しくふりながら祭壇全体にそれをまいて祭壇を「清め」ました。それはほかの宗教儀式で聖水を使うのを思い起こさせました。次いで細かく切った色紙がばらまかれ,男の子が細長い紙の吹き流しのようなものを持って祭壇の上に登らされました。さて用意は万端整いました。
足を縛られた例の羊が近くの岩の上に置かれました。おばあさんの合図とともに男は羊ののどを切り開き,そのナイフをおばあさんに渡すとおばあさんはそれで羊の腹部を切り開きました。見ていたわたしたちは驚いて立ちすくみましたが,彼女は両の手をさっと切り口に突っ込み,心臓をもぎ取りました。彼らの説明によると,心臓がまだ動いている間に,そして血がまだ頸静脈から流れ出ている間に,心臓をパチャ・ママにささげる必要があるのです。そのあと心臓は土の中に埋められました。また彼らは砂糖を混ぜた血液の入ったカップを男の子に渡しました。男の子はそれを持って丘の上のもといた場所に走って行き,丘を見おろす十字架の足元にそれをそそぎました。
さておばあさんは,血でべっとりとぬれた両手をおわんのように丸めてそれにコカ葉を盛り,両腕を延ばし,やはりケチュア語でパチャ・ママへの祈りを唱えながらそれを祭壇にささげました。後ほど羊の幾つかの部分が祭壇の上で焼かれました。残りは家に持ち帰って,二,三日続く祭りの間に食べるのでしょう。その祭りには,この大地の女神が自分たちのささげた犠牲を受け入れて幸運を与えてくれることを願って,踊ったり,飲んだり,コカ葉をかんだりすることが行なわれます。
異教の女神にそのような犠牲をささげることとカトリック教徒であることとをどのように調和させるのか,わたしたちはその人たちに尋ねてみました。もしそうしないなら,その女神の怒りを買うのだ,と彼らは答えました。また,それはエル・ティオをなだめるためでもあるのだ,とも言いました。このエル・ティオというのは前にも述べたように下界の神,すなわち悪魔のことです。その人たちは,カトリック教徒であることとそのような犠牲をささげることとの矛盾を少しも感じていませんでした。
その場所を去った後わたしたちは,そこで行なわれたことについて真剣に考えました。この儀式は,クリスチャンと称する人たちによって行なわれたのです。しかし聖書によると,イエスの犠牲の死によって動物の犠牲は全く必要のないものになりました。(ダニエル 9:27。ヘブライ 10:1-10)悪魔に対して崇拝行為を行なうことについて,これは他の神や女神に対する場合も同じですが,イエスはこう言われました。「『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,彼だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」― マタイ 4:10。
カトリック教会が多くの地域のそぼくな人々にキリスト教の基本的教えを教えることにいかに失敗をしたかを,わたしたちはつくづく考えました。しかし,ここボリビアのわたしたちの隣人に,あらゆる機会を捕えて聖書の真理を語るエホバの証人としてのわたしたちの責任もまた重いのだ,とわたしたちは考えたのでした。
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おびただしい数の魚目ざめよ! 1977 | 7月8日
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おびただしい数の魚
● 「地球上には魚のほうが ― 種類の数においても個々の数においても ― すべての哺乳類,鳥類,は虫類,両生類を合わせたよりも多い」―「驚嘆すべき動物の習性」,309,310ページ。
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