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  • 神のお名前に関する宣言
    ものみの塔 1972 | 5月1日
    • 16 (イ)おびただしい数の人々は心の底でどう感じ,またどんな飢えを感じていますか。(ロ)わたしたちはそれらの人々の必要に答えるどんなものを持っていますか。わたしたちはそのために何をしたいと考えていますか。それはなんのためですか。

      16 わたしたち自身かつてそうであったように,義を求めるおびただしい数の人々が,この堕落した無政府主義的な信頼できない世界,とりわけその宗教的な領域で起きている事柄に対して心底からの嫌悪の情をいだいています。それらの人たちは心の中で絶え間ない飢えを感じており,自分たちをほんとうに救出し,祝福しうるかたを知り,そのかたに接したいと願っています。エホバのクリスチャン証人であるわたしたちは,イエス・キリストを通してもたらされたエホバの愛ある親切により,彼らの霊的な必要を満たさせるものを持っています。このことを自認できるのは喜びです。わたしたちは命を救うものとなるエホバからの啓発を自分たちだけにとどめておくようなことはあえてしませんし,そうしたいとは思っていません。したがってわたしたちは,神のお名前エホバと,そのメシヤ・イエスによる約束された神の王国とに関する聖書の光を今後も照らし続けます。わたしたちはこうした愛ある仕方で,真理に飢えている人々すべてが,エホバの「剣」がこの邪悪な体制を打つとき,それを免れるにふさわしい者であることを明らかにするのを助けます。それは,彼らがイエス・キリストの治める神の王国のもとで楽園の地が人間の永遠の住みかとされる,エホバの新しい秩序に生き残るためです。

      17 わたしたちはどんな決意を新たにしますか。その決意をいつまで遂行しますか。

      17 したがって,わたしたちはこの機会にさいして,「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」とのご自分の宣言を全能の神が成就される時まで王国のこの良いたよりを宣べ伝えるというわたしたちの決意を新たにするものです。―エゼキエル 39:7,ア標。

  • 一連の「神の支配権」地域大会
    ものみの塔 1972 | 5月1日
    • 一連の「神の支配権」地域大会

      神の王国に誠実な関心をいだいておられるかたがたはみな,ものみの塔協会がきたる6月下旬から始まる一連の地域大会のための取り決めを設けていることを知って喜ばれることでしょう。「神の支配権」というその主題は,神の新秩序の到来が非常に迫ったこの時期になんとふさわしいのでしょう。

      おのおのの大会の特筆すべきものは,人を建て起こす,ほんとうに楽しい,四日間のプログラムです。その益に十分あずかるため,大会が始まる木曜日の昼すぎには会場に出席できるようにし,日曜日午後の閉会までとどまるように計画してください。

      大会は日本では下記のとおり,四つの都市で催される予定です。これらの大会のいずれか一つに出席する計画をさっそく立てて,その努力が祝福されるよう,エホバの導きを仰いでください。

      7月27-30日: 旭川,下関

      8月3-6日: 新潟(予定),名古屋

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1972 | 5月1日
    • 読者からの質問

      ● 血を食べることを禁じた神の律法からすれば,骨の赤い髄の成分を含むビタミン剤や乾燥させた肝臓その他,同様の臓器の成分を用いることには何か問題があるでしょうか。―アメリカの読者より

      ノアとその家族に与えられた血に関する神の律法によれば,動物を食物として供する場合には正しく血を抜かなければなりませんでした。(創世 9:3,4)この要求は,使徒行伝 21章25節に示されているように,クリスチャンにも適用されます。

      律法契約下のユダヤ人にはさらに詳しい指示が与えられました。すなわちこうしるされています。「汝その心に好む獣畜を……殺してその肉を食ふことを得……但しその血は食ふべからず水の如くにこれを地に灌ぐべし」。また,「汝等は脂と血を食ふべからず」。(申命 12:15,16。レビ 3:17)脂つまり脂肪を食べることに関する制限はノアには与えられませんでしたし,西暦1世紀にクリスチャンの統治体が,血を食べることを禁じた定めを再び述べたときにも,脂肪に関する制限は含められていませんでした。ですから,このことはイスラエルにだけ適用されました。しかしながら,血を食べることを禁じた定めは確かにクリスチャンにも適用されます。律法の中の詳細な事がらは,このことを正しく認識するのに助けとなります。

      もちろん,たとえ正しく血を抜いても,動物の筋肉や臓器の中の血を一滴残らず完全に取り除くことができるわけではありません。とはいえ,動物の血が正しく抜かれているかぎり,その動物はどの部分であれ,食物として,あるいは他の方法で用いてもかまいません。

      骨の赤い髄は造血作用の点で肝要な役割を果たしてはいますが,そうだからといって,髄は食用に供するのにふさわしくないというわけではありません。エホバみずからその民のために備えてくださる「宴」に関連して,預言者イザヤが「髄おほき肥たるもの」に言及しているのは注目すべきことです。―イザヤ 25:6。

      これは,血に関する神の律法が守られているかぎり,動物を原料にした製品の使用はさしつかえがないことを明らかにしています。あるビタミン剤その他の製品が,正しく血を抜かれた動物を原料にして作られているかどうかが疑問の場合は,問題の製品の製造所に個人的に問い合わせて,事情を調べてみるのはよいことです。

      ● マルコ伝 11章13,14節で伝えられているように,いちじくの季節でもなかったのに,イエスはなぜ実をつけていないいちじくの木をのろわれたのでしょうか。―アメリカの読者より

      イエスがそのいちじくの木をご覧になったのは西暦33年ニサン10日(3月28日)でした。同地方のいちじくの木の場合,その季節の最初に収獲されるいちじくの実が,それ以前の時期に伸びた枝に生じはじめるのは2月ごろです。一方,葉は4月の終わりか5月になるまでは現われません。葉がいっぱい茂るころまでには,いちじくの実は熟しているはずです。イエスがご覧になった木は,珍しいことに時期が早いのに葉をつけていたので,時期はずれの早い実が食べられるものと期待されたと考えられます。実がついていないということは,それが実を結ばない木であることを示します。その外見は人を欺くものでした。

      イエスはその木をのろって枯死させてしまいました。なぜですか。単に見かけ倒しだったからですか。明らかにイエスの行為にはもっと重大な目的がありました。それは実際,弟子たちが目で見て学べる教訓でした。このことはその記述のあとの箇所からもわかります。その中でペテロはいいました。「ラビ見給へ,詛ひ給ひし無花果の樹は枯れたり」。すると,イエスは答えていわれました。「神を信ぜよ。…凡て祈りて願ふ事は,すでに得たりと信ぜよ,然らば得べし」。(マルコ 11:20-22,24)イエスののろいの効果を生じさせたのは,神に対する彼の信仰でした。

      加えて,その木自体は,古来のユダヤ国民を表わしていたとも考えられます。ユダヤ国民はエホバ神との契約関係から見て,またユダヤ教の宗教指導者の自らを義とみなす,これみよがしの態度ゆえに,一見実を結んでいるかに見えました。(マタイ 6:5; 23:25,28)しかしながら,その国民は神の栄光に資する良い実を生み出してはいませんでした。そして,ほかならぬ神からつかわされ,数々の奇跡や教えによって神のみ子であることが明らかにされたイエス・キリストを退けたのです。それにしても,ユダヤ国民はどうしてイエスを退けたのですか。神のことば聖書に対する信仰に欠けていたためです。(ルカ 13:5-9)したがって,悔い改めない不信仰なユダヤ国民は,実を結ばないそのいちじくの木同様,枯死しようとしていました。―マタイ 21:43。

      イエスがいちじくの木をのろって教えられた教訓から今日のわたしたちは益を得ることができます。神はそのしもべたちの祈りに答え,ご自分を真剣に求める人たちに報いをお与えになれますが,神のそうした能力に対する信仰をわたしたちが万一失おうものなら,わたしたちは退けられ,実を結ばないいちじくの木のようにのろわれてしまうでしょう。(ヨハネ 15:2-6。ヘブル 6:7,8)神のことば聖書はこう述べます。「信仰なくしては神に悦ばるること能はず,そは神に来る者は,神の在すことと神の己を求むる者に報い給ふこととを,必ず信ずべければなり」― ヘブル 11:6。

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