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日本の葬式の費用はかかり過ぎる?目ざめよ! 1976 | 11月22日
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このような葬式に対して政府は東京都の場合一律に5万1,700円を出しています。お分かりのようにこれらの葬式は簡素なものです。しかし尊厳さをなお保ちながら,このような葬式は遺族に負債を負わせることがありません。
エホバのクリスチャンの証人の行なう葬式は,伝統的な仏式の葬式とくらべて普通の場合はるかに少ない費用ですみます。これは聖書の勧める慎み深さと穏当さに加えて,死者に関する聖書の教えを彼らが理解しているためです。一例として,最近エホバの証人の王国会館の一つで行なわれた葬式を考えてごらんなさい。
葬儀屋に提供を求めたものと言えば棺と,遺体を火葬場に運ぶライトバンだけでした。故人を火葬に付してのち埋葬するたいていの仏教徒は墓石に多大の費用を投じますが,この場合のクリスチャンの家族はそれも必要のないものと考えました。最も大切なのは創造者の前における人の立場であることを悟っていたからです。創造者はキリストの犠牲によって贖われた人々を将来,復活させるでしょう。この家族は仏教徒がするように毎年,宗教的な墓参りをすることもありません。これもまた墓石に費用をかけない別の理由です。
「でも葬式はあったのですか」とお尋ねかもしれません。それはありました。火葬の後,大多数の人にとって都合の良い日時を選び,王国会館で追悼の話が行なわれました。高価な祭壇,写真,崇拝のための香などは一切ありません。また会葬者が香典を出す必要もありません。クリスチャンの抱く復活の希望について話をした奉仕者も,その奉仕に対して報酬を期待してはいません。会衆のメンバーが匿名で寄付した花が演壇に美しく飾られていました。仏教徒である親類や知人の多くは,復活に関する歌のあと,死者を復活させることのできるかたへの祈りで閉じられた簡素な式が大変良かったと述べました。
考えるべき問題
伝統的な仏式の葬式を簡単に見ましたが,多くの人にとっては葬式の費用が高過ぎて死ぬにも死ねないと言って差し支えない訳がこれで分かります。しかし習慣に従うことから生ずる費用のすべてが必要なわけでないことも分かります。現在のところ死が‘人生の一部’であることは事実です。それでも単に慣習だからということによらず,実際の必要あるいは最善の事に基づいて決定するならば,遺族は肉身を失った悲しみに加えて負債をも背負い込む必要はなくなります。
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数少ない基本作物目ざめよ! 1976 | 11月22日
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数少ない基本作物
◆ 地球上にいる40億の人々の大部分が食糧としている基本作物は二十種類にも満たない。その中には,小麦,米,トウモロコシ,キビ,そしてモロコシなどの穀物が含まれている。根菜作物の中には,ジャガイモ,サツマイモ,カサバがあり,豆類には,エンドウ,様々なインゲン豆,ナンキン豆,大豆が含まれている。他の基本作物は,サトウキビ,テンサイ,ココナッツ,そしてバナナである。基本作物の数が比較的限られているため,専門家たちは,それを補うために,長い間なおざりにされてきた他の作物を育てるよう勧めている。専門家たちは,現在の基本作物の幾つかが病虫害によって大損害を受けた場合に,大規模な飢餓状態を防ぐに足る十分な他の作物がないことを憂慮している。
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