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  • 「緑の革命」とは何か
    目ざめよ! 1972 | 10月22日
    • 「緑の革命」とは何か

      つい数年前まで,幾億という人々が各地でききんに苦しんでいるという報告が聞かされたものです。食糧不足のため毎日何千人もの死者が出ると言われていました。

      特にインドではそれがひどく,1965年,1966年と2年連続で干ばつが起こり,作物は大きな被害をこうむりました。飢えのために多くの人が命を失い,他の国々から大量の食料が送り込まれたので,どうにか大災害になるのを食い止められたような状態でした。

      その結果,世界的なききんが起きるという恐ろしい予測が各方面で行なわれました。一部専門家たちの推測によると,1970年代の半ばにはまちがいなくききんが生じるだろうとのことでした。世界的なききんはすでに始まっている,という人さえいました。

      ところが今日では,世界各地で人々が飢えのために現に死んでいるということを当時ほど耳にしなくなりました。わずか数年前まではたびたび食糧不足で悩まされていた場所で,食糧の「余剰」が聞かれる所さえ出てきています。

      その理由はなんでしょうか。穀物生産に『革命』が起きているからです。この現象は非常に高く評価されていて,「緑の革命」という名がつけられているほどです。

      しかし,これについて次のような質問も出されています。「緑の革命」はどうして起きたのか。それには危険が伴わないのか。世界の貧困や飢えに対する真の助けとなっているのか。それは人間の食料問題に対する答えなのか。こうした質問を一つずつ調べてみることにしましょう。

      どのようにして始まったか

      「緑の革命」は専門的に言うと,収量の非常に多い小麦と米の品種を生み出すのに成功したことが関係しています。この二つの穀物,中でも米は世界人口の大半が主食としているものですから,とても重要です。

      この「緑の革命は」,1965年ごろに始まりましたが,実際にはそれよりも早く,メキシコの農務省とロックフェラー財団がメキシコで行なった,小麦の共同改良計画に端を発しています。

      最初の画期的な成果は,ノーマン・E・ボルラウグ博士に率いられた農業専門家の一団の努力によってもたらされました。それは20年の実験のすえ生み出されたものです。以前には1ブッシェル(約35㍑)しか収穫のなかった所で最高4ブッシェルまで産出する小麦の変種を作り出しました。

      この小麦の新品種はたけが低く,非常に固い茎をしています。これは重要な特質で,穂が特に大きいにもかかわらず,その重みで小麦が倒れる心配がありません。さらに日照時間に敏感ではありません。ということは,種が作り出された所とは日照時間の異なる他の場所でも植えることができるという意味です。それに,肥料とかんがいのききめがすぐに表われてきます。

      ほとんど時を同じくして,高収量の米の品種がフィリピンで作り出されました。その媒介となったのは国際米穀研究所です。この発見は,メキシコの実験が小麦にもたらしたと同じ成果を米にもたらしました。

      1965年,大規模な実験を行なうため,それらの新しい種がアジアに大量に,数百ヘクタールにわたって植えられました。それから7年しかたっていない今日,世界各地で数千万ヘクタールにわたりこの新しい品種が栽培されています。特に,小麦の生育するインドとパキスタン地方においてはそうです。フィリピンや米を栽培する東南アジアの他の地方においては,米の新しい変種がやはり急速にふえています。

      どれほど効果をあげているか

      新しい変種のために,穀物の生産には著しい変化が生じました。いくつかの国で穀物の生産が増大しました。1971年11月1日号の「生物科学」誌は特にインドとパキスタンを取り上げ,「それらの国では,穀物の増収は広がるききんという亡霊を追い払っている。少なくとも,その到来を一世代遅らせていると言われている」と述べています。

      以前,インドが最高の収穫をあげたのは1964-65年食糧年度で,そのときには約8,900万トンの収穫がありました。しかし1970-71年度には,約1億700万トンの収穫が報告されました。最も顕著な増加が見られたのは小麦の収穫で,6年間に約1,100万トンから2,300万トンと2倍以上にふえました。米の生産はそれほど顕著な伸びを示しませんでしたが,それでもインドの官吏の中には,1972年までには米も「自足」の域に達するであろうと予言する人もいます。

      報告によると,作物の収量が増加した結果,ききんが起こるとすぐ大量の穀物を輪入しなければならなかった地方が,今では十分の収穫があり,輸出をしている例さえあったということです。新しい品種の栽培が成功しているため,この品種を作付けする農家は年々ふえています。

      以上のことから,科学はついに人間の食料問題に対する解答を見いだしたと結論する人がいるかもしれません。世界各地で飢えている人は,新しい品種の小麦や米を栽培するだけで飢えから救われるように思えます。

      警告

      ところが,農業専門家の多くは,そうした結論に警告を発します。彼らは,「緑の革命」は人類の飢えの問題を解決していないし,これからも解決しえないだろうと言います。

      たとえば「生き残るための方程式」と題する本の中で,農業経済学者ウオルフ・レードジンスキーの論文は次のように述べています。

      「農業技術の遅れている,アジアのいくつかの国で『緑の革命』が始まってからほとんど5年になる。因習に縛られた農業社会へのその到来は,世界の大部分が飢えに苦しむであろうとの恐ろしい予測に対する論ばくの先ぶれとして迎えられた。

      「しかしそれにとどまらず,変化がすぐにももたらされるという幸福感に眩惑された者たちは,耕作者の大多数を貧困から救う救済策がそこにあると考えた。…

      「しかしながら,新しい技術の真価を発揮させるのに好都合な状況は簡単に得られるものではない。したがって,その規模にしても,進歩にしてもおのずから限度がある。それを抜きにして,成功が得られた場合にも,革命は多大の政治および社会問題を生み出した。かいつまんでいえばフォートン博士が1969年4月の『海外事情』の中でいみじくも指摘しているように,緑の革命は“豊饒の角”であると同時に“パンドラの箱”でもありうる」。

      「緑の革命」が進行している最中に,多くの権威者たちが楽観を許さないとして警告を発するのはなぜですか。どんな問題が持ち上がっているのですか。それはどのように,「緑の革命」が飢えと貧困を克服することをはばむのでしょうか。

      大きな危険をはらんでいる問題が一つあります。それは新しい品種の遺伝的背景と関係があります。

  • 一種類の作物を大量に栽培する危険
    目ざめよ! 1972 | 10月22日
    • 一種類の作物を大量に栽培する危険

      「生物科学」誌は最近次のような警告を載せました。『緑の革命』にはもう一つの亡霊,つまり病菌の大流行という亡霊がつきまとっている」。これはどうなのでしょうか。

      広い地帯にわたって同種類の穀物が育成されることになります。新しい病虫害が発生すると,被害はそれが栽培されている面積全体に及びます。しかし,何種類かの穀物が栽培されているなら,普通そうしたことにはなりません。

      高収量の新品種にこの危険性が大いにあるという点で,専門家たちの意見は一致しています。それらの新種は,遺伝的に非常に狭い範囲の原種から作り出されたもので,ロックフェラー財団の報告によると,今日アジアで他のこの品種よりも広い作付け面積を占めている小麦の品種は,全部一種類の品種から出ているとのことです。

      にもかかわらず,新しい品種は収量が非常に多いため,優先的に栽培されるのです。農家は金が欲しいので,すぐ金になるものならなんでも植えます。したがって,その地方で栽培されてきた収量の少ない穀物の代わりに,収量の多いものをどんどん植えていくわけです。しかし新しい変種はその地方で育てあげられたものでないために,ある種の病菌に対して耐病性があるかどうか不明だという問題があります。

      このため,ロンドンの「新しい科学者」のある論文は警告を発しています。新しい品種が発病菌に負けるようなことになれば,破滅的な結果を招くことになるであろう。当分それに代わるものを得る可能性はほとんどない。新しい病気に抵抗しうる新種を育てあげるには時間がかかるからである。同論文は結論として,災害の起こる可能性は,人間が自然環境に手を加えたため,減少するどころか倍増しているであろうと述べています。

      前例があるか

      それにしても,これはただ理論の上だけの心配でしょうか。決してそうではありません。遺伝的にごく限られた原種から作り出された作物に,以前同じことが起きました。

      その一例は,前世紀にじゃがいもを襲った疫病です。それは後期胴枯れ病として知られており,1845年にヨーロッパに広がり,猛威をふるいました。引き続き1846年にもヨーロッパのじゃがいもは減収し,アイルランドに大災害がもたらされました。

      アイルランドの人々は自分の土地の大部分をじゃがいもの栽培に当て,それも一種類だけを重点的に栽培していました。そのじゃがいもを胴枯れ病が襲ったのです。ワールドブック百科事典はその結果をこう述べています。「1840年代に起きたじゃがいものききんは,アイルランド史上最悪の災害をもたらした。…飢えや病気で死んだ人の数は,約75万人に上る。この期間に何十万人もの人がアイルランドを離れた」。

      今世紀の例としては,20年前に生じた疫病があります。アメリカのえんばく生産者たちは,収量の多い新品種を栽培しはじめました。それは,ビクトリーという名のえんばくの品種を交雑したものです。多くの人がそれらの変種を購入して植えました。ところが,ある特殊な菌が繁殖し,大量のえんばくが犠牲になりました。それから2年のうちに,問題の菌は非常に広範に発生するようになり,ビクトリー種のえんばくを安全に育成することは不可能になりました。

      1930年代に,ホープと呼ばれる小麦の変種が作り出されました。それは,茎が腐って減収するという問題を解消するものとして歓迎され,数年のうちに,テキサスからノースダコタにいたるアメリカ西部一帯に植えられるようになりました。しかし1940年代の後期に,きわめて悪性の新しい菌が発生しました。アメリカとカナダで栽培されていたパン小麦とマカロニ小麦は,この菌に対して全く免疫性を持っておらず,新しい菌は小麦の主要な栽培地に急速に広がって被害をもたらしました。そのため数年間というもの,北米の大草原地帯のマカロニ小麦の栽培はほとんど中断されたも同然の状態でした。

      最近における後退

      1971年,ニューヨーク・タイムズ紙に「大きな被害をもたらしかねない遺伝学の勝利」という見出しが載ったことがあります。その記事の内容は,1950年からアメリカに紹介された交雑育種によるとうもろこしの改良品種に関するものでした。それらの品種は,1エーカー当りのとうもろこしの収量を2倍以上にふやしました。

      ところが1970年に,サザン・コーン・リーフ・ブライトという,葉の病気をもたらす新しい悪性の疫病が不意に襲いました。それは,たいていの農家で栽培されていた,特殊化とうもろこしのもろさを暴露しました。1970年の7月から収穫期にかけて,7億ブッシェルのとうもろこしが被害を受けました。それはとうもろこしの全収穫量の15パーセントに当り,約10億ドルに相当します。

      このとうもろこしの被害について,ニューヨーク・タイムズ誌は次のように評しています。

      「被害を受けやすい基本的な理由は,すべての農家が各作物の最善の品種を同時に植えたがることである。その結果生じる作物の均一性は,近年のサザン・コーン・リーフ・ブライトのような,突然変異による新しい敵が表れると,大災害を招く結果になる。

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