ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 砂糖の過去 ― どれほど甘くて快いものだったか
    目ざめよ! 1983 | 2月22日
    • 砂糖の過去 ― どれほど甘くて快いものだったか

      それは1829年のことでした。300㌧の帆船が西インド諸島のある小さな港で碇を上げ,その舳先を南々東に向けて外洋へ出て行きました。その船に乗っていたのは船長と航海長,それに国籍や人種や社会階級の異なる毛むくじゃらの荒くれ男たち55人で,これが乗組員全員でした。船倉には砲身の短い鉄製の大砲16門,火薬,24ポンド(約10㌔)の砲弾,手りゅう弾,西インド諸島のラム酒の荷,サンゴの首飾りや他の色々な品物,食品の蓄えや食糧などが積み込まれていました。甲板には船首と船尾に,小銃や弾薬や短剣が載せられていました。

      強風と荒れ狂う海とに76日間もまれた末,その船と乗組員は目的地であるアフリカ東海岸のモザンビークにあるポルトガル領の港に到着しました。

      わずか八日で積荷を降ろして,新しい積荷を載せ,この小さな1本マストの縦帆船はキューバへ向けて出帆しました。港にはまだ14隻のもっと大きな船が停泊中で,同じ種類の荷が船倉に積み込まれるのを待っていました。

      喫水が深くなって,甲板が荒れ狂う海にほとんど絶え間なく洗われるので,乗組員はその船の帰り荷を絶えず心配しなければなりませんでした。船倉には貴重な積荷 ― 黒人の男女子供800人が載せられていたのです。みな例外なく全裸で,頭をそられ,刻印を押されていました。西インド諸島のサトウキビ栽培者たちにとって,それは貴重な積荷でした。その黒人たちを奴隷にし,黒人たちが額に汗して作るサトウキビを砂糖に換えるのです。それはまた船主や船長にとっても貴重な積荷でした。それらの奴隷の売買から10万㌦を優に超える利益が得られたからです。

      鉄の足かせで二人ずつつながれて,右舷側に詰め込まれた者たちは進行方向に向かって,ちょうどスプーンを重ねたように互いの膝の上に座らされ,左舷側に詰め込まれた者たちは船尾の方に向かって座らされました。

      読者は,800人の人々が座っているホールを思い浮かべ,それからその同じ数の人々が幅数メートル,長さは列車の1車両ほどしかない非常に狭い場所に文字通り詰め込まれることを想像しなければなりません。まさに“すし詰め”という表現にぴったりです。船倉はこのようにしていっぱいになっていたので,残りの奴隷たちは甲板につながれていました。

      海を行く800の惨めな人たち。一行がキューバに着くまでに,奴隷船を襲う最大級の惨事の一つが,その数をほぼ半減させることになりました。天然痘です! 船倉内で最初の犠牲者が出た時,天然痘と聞いて船の乗組員はみな震え上がりました。この恐ろしい疫病は猛威をふるい,息を引き取った死者が次から次へと舷側から海に降ろされました。積み込まれた800人のうち残ったのは480人にすぎませんでした。船長もやはり命を失いました。

      砂糖の需要に金もうけの機会を見て取った利己的なやからは,当初からすかさず時流に乗りました。アフリカにいた宣教師たちは僧服と羊の群れを捨て,自分たちが改宗させた黒人たちを奴隷狩り屋に売り,貪欲にも砂糖に関係したもうけに手を出しました。教皇ニコラウス5世でさえ,砂糖貿易が財源になるのを見て取り,奴隷制度に祝福を与えました。

      奴隷船は水をかき分けてアフリカと西半球の間をひっきりなしに行き来したので,もし船が航跡をみぞのような状態でずっと残しておくことができたとしたら,ほんの数年の間にアフリカと西インド諸島との間だけにでも,まさに海底にまで達する深い渓谷が切り開かれていたことでしょう。外洋では,鎖につながれて船倉に詰め込まれた黒人をねらって,船が船に対して海賊行為を仕掛けました。ですから,その貴重な積荷を守るために大砲や小銃が必要とされたのです。

      貪欲は奇妙な仲間を作り出すということを覚えておかなければなりません。貪欲は白人をも黒人をも同じように冒しました。ですから,奴隷商人にもアフリカ人の共犯者がいました。大きな魅力のあるえさであれば,黒人同士,家族の者同士,部族同士を敵対させることができました。こうして,奴隷狩り屋が生きた商品を容易に仕入れることのできる組織だった方法が出来上がりました。黒人の女は,部族間で戦争をした時の分捕り物だった奴隷を,新しいサンゴの首飾り1個と引き換えに売り渡したものでした。戦士は戦いで勝利者になろうとして一層戦いに熱を入れました。征服した相手を一樽のラム酒と引き換えに売り渡せるようにするためでした。当時アフリカでは硬貨が知られていなかったので,奴隷商人は必要な食料と,白人にとってはわずかな価値しかない,しかし黒人にとってはぜいたく品に見えた品物で船倉を満たしました。黒人たちは黒人の同胞と引き換えに,そうした品物を受け取ったのです。こうして,関係者すべての貪欲な渇望が満たされました。

      いったいどれほどのアフリカ人が大陸から大陸への輸送を生き延び,そのたくましい筋肉を砂糖ラッシュに用いたかは分かっていません。現代の一人口統計学者は控え目な概数として1,500万人という数を挙げています。英国の一歴史家は,「奴隷貿易の総数と犠牲者数をアフリカ人2,000万人としても誇張にはならないであろう。そのうちの3分の2は砂糖のためであった」と語っています。

      読者の皆さん,次のようなことが理解できますか。自分の国から,そしてまた自分の住む大陸からも連れ去られ,航海に何か月もかかる海の向こうに輸送され,上陸すればおりの中に入れられて競売にかけられ,家族はばらばらにされて,多くの場合二度と会うことはできないのです。砂糖の価格は目方ではなく,命で計られねばならないのです! 船が海をかき分けて航海している間に,サトウキビ栽培者は自分たちの土地をかき分けて耕し,この砂糖と呼ばれる甘くて白い金をさらに植えて生産を増やせるようにしました。

      16世紀ごろまでサトウキビは西半球では比較的新しい商品でしたが,アレクサンドロス大王の治世中からその存在はすでに知られていました。アレクサンドロス大王の配下の兵士の一人が,西暦前325年にインドでサトウキビを発見したのです。

      西暦1世紀のネロの時代には,ギリシャのある医師が砂糖の本源を最初に発見したのは自分だと考えていたかもしれません。その医師はこう書いています。「インドのキビにはサッカラム(砂糖)と呼ばれる固い蜜のようなものがある。それは塩のように粒状をしており,かむともろく崩れるが,同時に甘い味がする」。

      砂糖は次第に人気を得ていきました。サトウキビは極東からヨーロッパへ移植されました。アラブ人がそれをエジプトやペルシャに持ち込み,8世紀にスペインを征服した時にはスペインにそれを持ち込みました。その後200年間,ヨーロッパで砂糖を栽培していたのはスペインだけでした。

      クリストファー・コロンブスはその二度目の航海の際にほかならぬスペインからさし穂を西半球に持って来て,西インド諸島の現在ドミニカ共和国として知られる土地にそれを植えました。中国もこの甘いぜいたく品の恩恵にあずかり,サトウキビから砂糖を製造する秘伝を学ぶために,人をインドへ派遣しました。幾年も後に,マルコ・ポーロは,中国のサトウキビ圧搾機を同国の注目すべき不思議の一つとして挙げています。

      教皇の導きと祝福の下に十字軍はトルコ人からエルサレムを確保しようとしました。そして兵士たちは砂糖と呼ばれるこの新しい甘味料についての非常に好ましい話を持ち帰りました。間もなく東洋とヨーロッパとの間に砂糖貿易の経路が確立されました。しかし,砂糖は高価で,それを買えるのは裕福な人々だけでした。1742年になっても,砂糖はロンドンで1ポンド(約450㌘)当たり2㌦75㌣(約687円)もしました。貧しい人々もこの甘い商品の味みをした時にやはりこれに取りつかれてしまいました。先見の明のある国家支配者たちは,自国の国庫に税収が転がり込む全く新たな可能性を見て取りました。砂糖を求める声は世界中で聞かれるようになりました。

      スペインとポルトガルは,ある国々がインドとの砂糖貿易で裕福になっているのを見ました。それで自分たちも分け前にあずかりたいと思い,まだ知られていない海に直ちに帆船を派遣し,インドへのより早い,新しい航路を捜させました。遣わされたのはコロンブスでしたが,彼が発見したのは西インド諸島でした。しかし,その誤りは十分引き合うものとなりました。コロンブスはその地に,サトウキビの栽培にまさに打ってつけの気候と土壌を見いだしたのです。

      次にスペイン人の植民者たちがやって来て,原住民から土地を取り上げました。原住民は植民者たちの奴隷になりましたが,その奴隷たちはサトウキビ畑での仕事では全く役に立たないことが明らかになりました。そこで,スペインの王フェルナンドは1510年に,アフリカから大きな船で奴隷を輸送する許可を与えました。このようにして海を越えての人身の無情な不正取引きが始まったのです。それは300年以上も続きました。

      英国は七つの海を行く最大の艦隊をただいたずらに誇っていたわけではありませんでした。砂糖産業に手を付け,奴隷の取引きに足を踏み入れる絶好の機会が到来すると,その巨大な艦隊は西インド諸島にやって来て,スペイン人を追い出しました。やがて英国は世界の砂糖産業の中心になりました。その当時ナイトに叙せられた一英国人は,「英国の喜びと栄光と威光とは,羊毛よりも,また他のいかなる商品よりも,砂糖によって促進された」と語りました。

      奴隷貿易と一民族に加えられる信じ難いほどの苦痛とに対する英国の見解は,同国の著名な一政治家の次の言葉に最もよく凝縮されていると言えるでしょう。「西インド諸島では奴隷なしでやってゆくことが不可能であるために,奴隷売買の廃止は常に妨げられるであろう。ほかに言い訳がないので,それを続けていかなければならないという必要性,絶対的な必要性だけがその言い訳になるのである」。そして,英国はそれを「続け」ました。砂糖を生産するための奴隷の使用が頂点に達していた18世紀に公に言われた次の言葉は,すべてを十分に物語っています。「ヨーロッパに運ばれて来る砂糖の樽で,血の付いていないものはなかった」。

      一度に大量の奴隷の買付けを行なう場合には割引き価格になるという密約を英国人がアフリカ人の共犯者たちと結んでいたことは明らかです。だからこそ英国の一貴族は,「黒人の供給においては,我々はアフリカ貿易で圧倒的優位にあるために,6分の1安い価格で奴隷を手に入れることができる」と言い放ったのです。

      砂糖はもはやつかの間の熱狂的な流行ではなく,すっかり定着し,その産業を続けてゆかせるにはアフリカからの奴隷がどうしても必要なことはだれの目にも明らかでした。それで,関係者すべてが頭を悩ませていた最大の問題は,どれほどの期間奴隷の流入が続くか,ということでした。アフリカの黄金海岸の総督から次のような返事がきました。「アフリカはこれまで西インド諸島に供給してきた量を供給し続けることができるだけでなく,必要とあらばさらに幾千人,いや幾百万人でも送る余裕がある」。

      しかし,そのようなことにはなりませんでした。黒人を不正に売買するこの非人道的な行為に激しく反対する勢力が既に活動しており,世界中で抗議の声があがりつつありました。そうしたメッセージを広め,奴隷制を撲滅するために,可能な限りのあらゆる手段が用いられていました。注目に値する例として,次のような広告が広く配布されました。「B・ヘンダーソン陶器店 ― ライ・レーン・ペックハムは,アフリカの友に謹んでご通知申し上げます。当社は,金文字で“奴隷の手で作られたのではない東インドの砂糖”というラベルを付した砂糖壺[容器]を各種販売しております」。次いでこの広告文はこう述べていました。「週に5ポンド(約2.25㌔)の砂糖を使う家族が21か月間にわたって西インド産のものではなくて東インド産の砂糖を使えば,仲間の人間一人が奴隷にされるのを,つまり殺されるのを未然に防ぐことができます。そのような家族が8家族あれば,19年半で100人が奴隷になる,つまり殺されるのを未然に防げます」。

      時たつうちに,奴隷貿易を禁止する新しい法律を制定する国が相次ぎました。しかし,従来南隣りの国キューバから砂糖を買い付けていた米国は,自ら砂糖と奴隷の取引きに乗り出しました。そして,新たに開発された砂糖プランテーションを擁する南部のルイジアナ州がその中心になりました。同州が使いきれない奴隷があれば,南部の綿花プランテーションがそれを用いました。

      3世紀にわたって砂糖は帝王のようにこの世界に君臨し,想像を絶する貢ぎ物を要求してきました。地面からであれ海からであれ空からであれ地の底からであれ,砂糖ほど悲惨さと人間の血とをもって取り出された商品は地球上に存在しません。今味わうと甘いかもしれませんが,その過去は非常に苦いものなのです。

  • 砂糖の現状 ― どれほど甘くて快いものか
    目ざめよ! 1983 | 2月22日
    • 砂糖の現状 ― どれほど甘くて快いものか

      私はだれでしょう。科学者の友人たちには,C12H22O11として知られています。そして世に出て以来,私は脚光を浴びてきました。世界史上幾たびか,それも地球上の多くの場所で,私は金よりも貴重なものとされ,金以上に希少価値のあったことがありました。中国でのことでしたが,あるインドの君主たちが皇帝に貢ぎ税を納める義務を負っていた時,中国のその支配者が金ではなくて私をその貢ぎ物として納めるよう求めたことを私は覚えています。

      私が存在しているために,世界各地の壮麗な宮殿や大きな議事堂で激しい討論や論争が行なわれてきました。また私のために文字通り幾百万もの人々が奴隷にされ,幾百万もの人々が私のために死んで行きましたが,そのことを話すのは決してうれしいことではありません。

      今日,私は再び激しい論争の的になっています。中には私のことを地の表から一掃すべきであると言う人がいます。一方,私は洗練(精白)され,甘くて快く,必要とされており,非難されているほどの悪党などでは決してないと言う人もいます。

      さて,私がだれだかお分かりでしょうか。私は,1960年代に流行した歌に,「薬をとてもおいしく……飲みやすくしてくれる」とあるスプーン1杯の砂糖です。お母さんが家事をしている間,むずかる子供をなだめるおしゃぶりになった,小さな布切れに包まれたあのスプーン1杯の砂糖です。あなたが飲む緩下剤の糖衣になり,そのままでは苦い薬を甘くするあのスプーン1杯の砂糖なのです。あなたが顔につける化粧品の中にも,文字通り至る所にある合成ゴムやプラスチックの中にも,私は使われています。あなたが履いているくつの皮をなめすのにも役立っています。たばこを吸う人は私の一部を吸っています。あなたが衣服を染める時には私はそこにいます。死んで遺体が合成樹脂製のひつぎに収められて葬られれば,私はそこにもいます。文字通り,ゆりかごから墓場まであなたの生活に付きまとっているわけです。

      こうしたことやほかのことに加えて,私が最も人気を博している分野があります。それは甘い物を食べたくてたまらない気持ちを満足させる能力です。ここに矛盾があります。私の長所は,私を敵視する人々にとっては私の欠点なのです。私があらゆるところで,あらゆる物の中に見いだされるとその人たちは言うのです。もちろん,これを否定するなら事実を無視することになります。私の使用がしばしば私の誤用になっていると,まっさきに言いたいのは私の方です。

      スプーン1杯の砂糖で薬が飲みやすくなると言うのは筋が通っています。しかし,スプーン1杯の砂糖でトマトケチャップやわさびや薬味やサラダドレッシングがのどを通りやすくなるというのはどうでしょうか。さらに二,三挙げるとすれば,パン,缶詰の野菜,信じられないかもしれませんが塩などについてはどうでしょうか。プレッツェル(塩味のビスケット)に砂糖は必要でしょうか。ほかでもない,一袋の魚だんごの一人分の量に,ケーキ1個に含まれている以上の糖分が含まれていると分かれば,びっくりするのではありませんか。

      第一甘い味など期待されないような食品の主要な成分にどうして私がならなければならないのでしょうか。甘党なら,クッキーを食べればその欲求が満たされることを知っています。しかし,塩味のクラッカーに糖分が12%含まれていて,同じほど糖分を摂れるという事実はどれほど道理にかなっているでしょうか。ある種のチョコレート菓子を食べると51%の糖分を摂取することになるということは十分予想できるでしょう。しかし,チキンに付けるある種の衣を食べると同じ量の糖分を摂る結果になるということになれば,正しい判断は下しにくくなるでしょう。

      私は天才ではありませんが,ほとんどどの消耗品の製造業者や食品加工業者も,私が必要であろうとなかろうと,スプーン1杯の砂糖で自分たちの製品がとてもおいしくのどを通るようになると考えているらしいことは天才でなくても分かります。これは私の誤用であると思います。それは私を批判する人々に攻撃材料をさらに与えるものとなりました。

      例えば,1982年の世界の砂糖消費量を考えてみましょう。それは9,200万㌧を超えるものと計算されています。アメリカ人をはじめ他の多くの国民は年間一人当たり77ポンド(約35㌔)の私(精白したもの)を消費し,平均的な青年は週に3ポンド(約1.3㌔)消費します。ところがこの消費量の75%は任意に消費するのではないのです。実際にお宅の砂糖壺からくるのはそのうちのごくわずかな部分にすぎません。事実の示すところによると,人々は私を余り買わなくなっていますが,それでも私の消費量は増えているのです。それで,私を全く使わないでメニューを作るのは,不可能とは言わないまでも,非常に困難です。

      ほとんどの人はきっと,砂糖壺の中での私の姿 ― 白く精白された姿 ― でしか私のことを知らないでしょう。この形で私は蔗糖(サッカロース)として知られ,純度はほぼ99.9%で,グラニュー糖あるいは粉砂糖の形で売られています。しかし,食品のレッテルに“砂糖”あるいは“蔗糖”とあるのを見たらそこでやめてしまわずに,私のほかの名前も気を付けて見てください。つまり果糖(果物から),乳糖(牛乳から),麦芽糖,ぶどう糖,コーンシロップ,固形コーンシロップ,右旋糖およびカエデ糖などがあります。米国では,ゴミや虫,カビ,バクテリアその他の汚染物質などの不純物を除去しない限り粗糖は販売を禁じられています。この処理が施されると,赤砂糖として売られます。濃い色はしていますが,これを三温糖と取り違えてはなりません。三温糖は普通,精白糖に糖蜜を散布しただけのものです。

      1982年の国民一人当たりの推定精白糖消費量77ポンド(約35㌔)に,スーパーマーケットの棚にある食品に含まれる,トウモロコシから取った甘味料(コストが安いために食品加工業者の間ではこれまで以上に多く使われるようになっている)45ポンド(約20㌔)を加えると,一人当たりの砂糖消費量はさらに目もくらむような量になります。

      私についてのごく基礎的な知識があれば,私がデンプンと同様炭水化物であり,体にエネルギーや熱を与え,その結果,体を動かす燃料になるということはご存じでしょう。体が使える以上の炭水化物を摂取すると,余った分は脂肪に転換されます。

      では,体が燃料とエネルギーを基本的に必要としているのであれば,砂糖を食べることのどこがいけないのでしょうか。問題は,他の炭水化物源と異なり,私には蛋白質も,無機質<ミネラル>も,ビタミンも含まれていないということです。カロリー以外に,何の栄養分もないのです。しかしカロリーは豊富にあります。15㌘ほど,つまり大さじ一杯ほどに60カロリーが含まれています。栄養学者は私のことを「中味のないカロリー」と言います。一方,胚芽の付いた穀物,豆類,野菜,果物など,やはり炭水化物を豊富に含む,砂糖以外の食品を取れば,良いエネルギー源を得るだけではなく,様々な栄養分も同時に摂取することにもなるのです。

      1978年3月号のコンシューマー・レポーツ(消費者報告)誌は,私のことを手ひどく非難しています。しかし,その雑誌が述べている次の点は私も認めざるを得ません。「本質的に言って,砂糖には,果物や野菜などのような他のより栄養価の高い食品では果たせないような食品としての役割は全くない。午前中にテニスやスキーなどの運動を行なう力を与える,いわゆるすぐに役立つエネルギー源としてさえ砂糖は必要ではない」。体に既に蓄えられたエネルギー源がそのエネルギーを供給します。

      また,食前に,キャンデー・バーやパイやケーキなどの形で私を非常に高い濃度で摂取すること,それも,360ccの缶入りコーラ飲料でそれらのものを流し込む場合にも害があります。コーラ飲料自体にスプーン9杯分ほどの砂糖が含まれています。ですから,その中味のないカロリーで食欲が満たされてしまい,体のためになる食物が食事時に入らなくなってしまいます。体重は増えますが,実際には栄養価の高いものに飢えていることになります。体重が増えていることは分かっても,栄養が不足していることには気がつきません。

      私は様々な悪い事の原因になると非難されていますが,その非難の多くは議論の余地のあるものです。しかし,すべての専門家たちの意見が一致していると思われることが一つあります。私は虫歯の原因になるのです。特に子供たちの場合にそう言えます。私の後押しをする役割を持っているはずの砂糖協会さえも,この点に関しては同じ意見です。歯科医によると,問題は,口の中に通常存在しているバクテリアが砂糖の私を使って半固体のゼリー状の物質を作り出し,それが歯にこびりつくことです。それはバクテリア歯垢の形成を早め,その歯垢が他の酸と一緒になって歯を襲い,虫歯になりやすくするのです。

      しかし,専門家の話では,虫歯が何本できるかを左右するのは砂糖の摂取量ではなく,どんな形の糖分を取るかということです。例えば,10%の糖分を含むキャンデー・バーを食べるなら25%の糖分を含むソーダ飲料を飲む以上に歯に害を与えることがあります。その理由は明らかです。キャンデー・バーのキャラメルは歯にくっつき,歯が長い間砂糖に触れることになりますが,ソーダに含まれる糖分は流し去られます。しかし,清涼飲料水を沢山飲む人は,安どの息をもらす前に,次の点を覚えておかなければなりません。つまり,科学者の報告によると,1日に数本の清涼飲料水を飲むほうが,よくかまなければいけないキャンデーを1週間に1個食べるよりも歯を悪くする場合があるということです。また,コーラなどの多くの清涼飲料水には歯に悪い酸が含まれていることがよくあります。

      ですから,子供の皆さん,このことはお父さんやお母さんがあなたに理解させようとしてこられたに違いないもう一つの事を強調します。それは,いつもきちんと,そして甘いものを食べた後には特によく歯をみがくようにしなければならないということです。寝る前に糖分の沢山含まれた物を食べたなら,なおのことみがかなければなりません。私が歯の間にとどまっている時間が長ければ長いほど,歯が冒されて虫歯になる可能性も大きくなるのです。

      必ずしも防御策になるわけではありませんが,ここに一つの希望があります。1980年12月16日付のニューヨーク・タイムズ紙が伝えた,最近行なわれた予備的な発見によると,チェダーチーズは実際に虫歯を抑えるかもしれません。「これは引き続き調査をしてゆかなければならない,根拠のある観察であると我々は思うが,まだ予備的な段階にしかない」と,全米歯学研究所の虫歯予防研究部門の部長,ウイリアム・H・ボーエン博士は述べています。

      チェダーチーズに人間の歯が虫歯になるのを抑える効果のあることを発見したのは英国のある科学者でしたが,米国人の同僚の科学者たちはその研究をさらに詳しく調べるために,セミプロセス・チェダーチーズを使って実験室のネズミで実験してみました。ボーエン博士は,「ネズミが虫歯の要因として知られている砂糖を食べた直後にチーズを食べさえすれば」同じ結果が出たと報告しています。ニューヨーク・タイムズ紙はさらに,「チーズになぜそのような効果があるのかは分かっていない」と述べています。

      悪いニュースで四面楚歌

      私は自分の話をしているので,たとえ自分が非常に悪い立場に立とうとも,有りのままをお話ししなければなりません。私を愛する人々にとってさらに悪いニュースがここにあります。このニュースはまた,私の大の好敵手である塩をも告発するものです。塩,あるいは塩の摂り過ぎが高血圧を引き起こす点で恐ろしい役割を果たすことは広く知られていたようです。ところが最近のある報告は,砂糖と塩が一緒になると,その危険は増すかもしれないとしています。

      米国のルイジアナ州立大学医学部の研究者たちの話によれば,クモザルに3種類の異なった食事が与えられました。一つは実験室のサルのために作られる栄養豊かな標準的食事でした。2番目は同じ食事でしたが,塩がよけいに与えられました。3番目は2番目と同じで,同量の塩を与えられましたが,それに余分の砂糖が加えられました。1980年10月号のサイエンス・ダイジェスト誌はこの報告を掲載し,明らかになった点を次のように述べています。

      「それらのサルは全部,3週間にわたる“基礎期間”の間注意深く検査され,次いで三つのグループに分けられた。各グループは3種類の試験食のうちの一つを8週間にわたって与えられた。予想通り,塩を余分に与えられたサルの血圧は上がったが,その実験チームが米国臨床栄養学ジャーナル誌上で発表した報告によると,塩と砂糖を余分に与えられたサルの血圧の上昇は他より著しく高かった」。

      私がここに挙げた幾つかの事柄については私自身も同じ意見ですが,それに加えて私が非難されていながらもまだ十分に証明されていない医学上の害はほかにも数多くあります。最終的にどちらかの側に軍配が上がるまで,論争は続くに違いありません。

      その間,食物と砂糖の摂取量に節度とバランスを保たなければなりません。どんな物でも摂り過ぎれば,病気の原因になり,数々の問題を引き起こす恐れがあります。分別のある食べ方をしていただけるなら,私にもあなたの毎日の食事の中に私なりの場があります。

      また,私を造ってくださった偉大な神エホバはイスラエル人を「乳と蜜」の流れる約束の地へと導き入れてくださったことを忘れないでください。その蜜は砂糖の一形態なのです。このことは私に悪いところばかりあるわけでないことを物語っています。そして地上の楽園で,そこに住むにふさわしい人が皆それぞれ,「自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に」座る時,私もその楽園の中の甘いぶどうや熟したいちじくの中にいるでしょう!―ミカ 4:4。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする