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  • 「あなたがたは忘れてはならない」
    ものみの塔 1969 | 3月1日
    • あなたはそれらをあなたの子と孫とに知らせなければならない」― 申命 4:9,新。

      7 (イ)人は自分の命と自分の子の命をどのように守ることができますか。(ロ)エジプトにいたイスラエル人は,自分の命を保つためにどんな処置をとりましたか。

      7 自分の魂に気をつけるのは,自分の命に気をつけるのと同じことです。あなたの魂とはあなた自身のことです。わたしたちはみな自分の目が見たことを忘れてはならず,文字になったみことばの中でエホバが語られることに聞き従わねばなりません。それによって,わたしたちは自分の命に気をつけることになります。わたしたちが聞いて忘れず,わたしたちの命の日のあいだ神の語られたことを自分の心から決して離さないなら,わたしたちは自分の子と孫とを助けることができます。子や孫も神が語り,神が行なわれたことを知る必要があるのです。神はこの時までに何を行なわれましたか。このことです。イスラエルは大きな民となっていました。ヨセフの死後,イスラエルはエジプトで奴隷となりましたが,エホバの力によりパロの圧制下から解放されました。しかしこうして自由が到来する前,神からの災いが次々にエジプトに臨みました。そして10番目の災いが臨む前,モーセはイスラエルの子らすべてに対し,救われてエジプトから進み出る準備をするように命じました。イスラエル人にとって,神がもたらすこの自由を得るために多くの準備をする必要はありませんでした。たゞ要求されたものは信仰です。イスラエル人は家族ごとに1ぴきの小羊を殺し,その血を取って家の戸口の柱とかもいとに振りかけ,そののち小羊を焼き,家の中にとゞまってそれを食べることになりました。この指示に従うのはむずかしいことではなかったでしょう。たゞエホバが命じたとおりに行なうという信仰の行ないのゆえに,エホバの天使はイスラエルの子らを過ぎ越しました。しかしエホバの天使は人間と獣を含めエジプトのすべての初子を殺しました。その夜エジプト人はどんなにか嘆き,どんなにかわめいたことでしょう。しかしイスラエル人の家にはなんと大きな喜びがあったのでしょう。イスラエル人の中に死んだ者はなく,彼らはほどなくモーセに導かれて紅海を渡る旅に出たのです。モーセは彼らをエジプトの地から導き出し,約束の地に向かわせました。このできごとはしっかりと記憶し,子や孫に幾世代も語り伝える価値があると思われませんか。

      8 代々の子孫はエホバがイスラエルをエジプトからの救い出したことについてどのようにして知りますか。これにちなんで,わたしたち各自はどんなことを自問できますか。

      8 劇的なできごとに満ちたこの解放の日について,親は幾世代にもわたり自分の子孫に語り伝えてゆかねばなりませんでした。『あなたの目が見たことを忘れてはならない』と神は言われました。彼らは来る年もくる年も,過ぎ越しの日また他の時に,この偉大なできごとについて語らねばなりませんでした。彼らが奴隷の状態から解放されたのは神話ではないのです。それは子供を楽しませるだけの物語でもありません。それはエホバのみわざであり,現実にあったことであり,偽りのない歴史でした。男も女もそれを現実に経験したのであり,自ら慎み,自分の魂に気をつけるためには,これらの事実について自分の子と孫に語ることを忘れてはなりませんでした。あなたは聖書にある昔のできごとについてどれだけお子さんに話しておられますか。

      9 神のみわざをすぐに忘れたイスラエルはエジプトを出てまもなくどんな境遇にはいりましたか。

      9 しかし人が忘れるのはなんと早いことでしょう。その後,日ならずして,パランの荒野にいた時,モーセは約束の地の様子をうかがうため12人の斥候を送りました。そのうちの10人はおびえて帰り,エジプトにもどろうと言いました。エジプトに行けばにんにくやすいかをまた食べられるというのです。(民数 11:5)しかしふたりの斥候ョシュアとカルブは自分が見てきたものに喜び,乳と蜜が流れる地に『直ちに上りゆこう』と勧めました。(民数 13:27-30)しかし民は神がエジプトで施したすばらしい救いを忘れ,こわがる10人の斥候のことばに聞き従いました。信仰に欠けた彼らはこの年長の世代が死に絶えるまで40年の長きにわたって荒野で暮らさねばなりませんでした。新しい世代の子供たちは自分の親また祖父母が経験した救いについて聞いていました。そして今,新しい世代の人々はエホバの導きのもとに約束の地にはいる備えができていたのです。

      10 イスラエルがエホバを忘れたにもかかわらず,エホバはイスラエルをどのように扱われましたか。それはなぜでしたか。

      10 イスラエルの家族の多くはエホバの施した救いについてすぐに忘れても,エホバは忘れるかたではありません。「汝の神エホバはあはれみある神なれば汝を棄てず汝を滅さずまた汝の先祖に誓ひたりし契約を忘れ給はざるべし」。(申命 4:31)この時より数世紀まえ,エホバはアブラハムとイサクとヤコブにこの土地を与えること,またアブラハムの裔を通して地の全家族が祝福されることを語られました。今,新しい世代には信仰がありました。エホバは彼らに数々の成功を与えました。しかし神は再び,忘れてはならないと警告されました。

      11 神の約束に基づき,イスラエルにどんな祝福が注がれることになりましたか。これは彼らにどんな問題を提出しましたか。

      11 エホバ神はイスラエルを,聖書がエデンの園のようであったと述べる地に向かって導かれました。イスラエルの人々は自分が建てたのではない家に住むのです。彼らは自分が掘ったのではない掘井戸の新鮮な水を飲むのです。そして自分が植えたことのないオリーブの実を食べ,ぶどう畑のぶどうを食べることになるでしょう。こうした繁栄とぜいたくな生活は彼らにどんな影響を与えるでしょうか。約束の地でこれらすべてを受けるこの新しい世代もエホバを忘れるでしょうか。彼らは満ち足りて神を忘れるでしょうか。

      12 エホバは約束の地とそこにある良い物とに伴う危険をイスラエルにどのように警告しましたか。

      12 エホバがイスラエルの子らに与えた警告のことばを聞いてください。「汝の神エホバその次の先祖アブラハムイサク ヤコブに向ひて汝に与へんと誓ひたりし地に汝を入しめん時は 汝をして汝が建たるものにあらざる大なる美しき邑々を得させ汝がみたせるにあらざるもろもろのよき物をみたせる家を得させ汝が掘たるものにあらざる掘井を得させ給ふべし 汝は食ひて飽ん しかる時は汝つつしめ 汝をエジプトの地奴隷たる家より導き出しゝエホバを忘るゝなかれ」。(申命 6:10-12)今日,このことばのように忘れてしまう人はどれだけいることでしょう。その人々は繁栄し,物質面でほしい物すべてを得ると,霊の思いを全く失い,自分の神エホバに対する関心をなくしてしまいます。

      人間は忘れる

      13 今日でも,多くの人々は神が備えてくださるものについてどんなことを忘れていますか。

      13 エホバは人間が物事を忘れることを知っておられました。エホバが警告を与えたのはそのためです。しかしどれだけの人がエホバの警告に心を配りましたか。善良な者の上にも悪い者の上にも太陽を輝かせ,正しい者にも正しくない者にも雨を与えるのがエホバ神であることを決して考えない人が多くいます。また多くの人は,神がわたしたちの吸う空気を与え,食べる植物を備え,陸と海また山と谷と清水の流れとを造られたことを決して考えません。あなたが地上に生まれ出た時,これらすべてはすでに存在していました。しかしあなたはこれらのものについて創造者に何度感謝しましたか。わたしたちの食物の種類は豊富であり,木の家,石の家,地中から得た他の材料の家など,わたしたちをおゝう物の種類も豊富です。木綿の衣服,毛の衣服,絹の衣服があります。エホバが供給される物は限りなくあります。エホバはそのすべてを人間に与えました。あなたも食べて満ち足りましたか。とすれば,エホバを忘れることがないように自分を慎まねばなりません。

      14,15 「忘れる」ということのおもな意味はなんですか。今日の人々が神を忘れていることに関してどんな質問をできますか。

      14 『でも,一時的に忘れるかもしれない』と言う人があるかもしれません。しかし,それは「忘れる」ということのおもな意味ですか。「ウエブスター辞典」によると「忘れる」の第一の意味はこうです。「記憶を失う,記憶から去らせる,それについて考えたり思い出したりすることができない……能力や使用する力を失う,しなくなる」。これがこゝに引用した聖句中の「忘れる」ということばの意味です。つまり,以前には非常に鮮明であった事柄を自分の心もしくは記憶の中から完全に去らせてしまうことです。

      15 今日,神を忘れ,神がどんなかたであり,何をなされたかを思い出せない人がどれだけいると思いますか。あらゆる良い賜物,完全な賜物の与え主である宇宙の偉大な神をほんとうに崇拝している人がどれだけいると思いますか。神はご自分のひとり子を世につかわし,それによって人が永遠の命を得られるようにしてくださいました。神がこれほど人類を愛されたことをほんとうに信じている人がどれだけいると思いますか。キリスト教国の人々の大部分は神とその律法,また神がクリスチャンに命じた事柄を覚えていると思いますか。あなた自身は忘れていませんか。

      16 (イ)「忘れる」ということばのそれほど重大でないもう一つの意味について述べなさい。(ロ)引用した「ニューヨーク・タイムズ」の記事と忘れやすさとにはどんな関係がありますか。

      16 もとより,「忘れる」ということばには第二の意味があります。つまり,「何心なく抜かす,もしくは無視する,見落とす」,すなわち持って行ったり,持って来たり,言ったり,注意したりするのをしそこなうことです。この種のもの忘れは家庭で日ごとに起きています。妻は,『今日,お仕事の帰りにパンを買ってきてくださらない』と夫に頼むかもしれません。しかし夫は忘れてしまいます。夫はこれを意識して忘れるのではありません。帰りがけに頼まれた店に寄らないなら,晩食はパンなしですまさねばならないからです。このように生活上の小さな事柄を忘れることは時たまあります。でもわたしたちはあやまちを正し,それを行なうことができます。しかし真の宗教についてあなたは何をしておられますか。あなたの場合は,1968年9月15日付「ニューヨーク・タイムズ」日曜版第1面に載ったことと似ていますか。4欄ぬきのその見出しは「人々の無関心さは英国教会の危機」となっていました。この報告はエドワード・B・フィスク氏によるものであり,次のように書き出されていました。「ロンドン ― 教会はさながら居酒屋である。つまり,どの町にもあるが,はいってもはいらなくてもよい。わたしなら,はいらない。これはジェームズ・カベナウのことばである」。同じ記事のしばらく先でフィスク氏はこう述べました。「教会の出席者数ははなはだ減少し,バプテスマを受けた信徒100名のうちイースター礼拝に出る者はわずかに8名という現状である」。この国の国民の92パーセントは神を忘れていると言えるでしょうか。キリスト教国のほかの部分についてはどうですか。そこにある崇拝のための施設は人でいっぱいですか。あなたが知っておられるとおり,そうではありません。そして,それは人々が神を忘れているからです! 彼らは神についてこれまでに聞いたり,読んだりしたことがあるにしても,神に関する事柄を自分の記憶から去らせています。事実,神は死んでいると教えられている人が多くあり,他の人々の大部分は,聖書に書かれていることは神話にすぎないと教えられています。彼らは忘れないでいるための励み,あるいは助けになるものを牧師や長老から与えられていません。それで彼らは神を忘れてしまいます。

      17 (イ)多くの人はだれ,また何を崇拝してきましたか。(ロ)人間の誤った崇拝の現状を見て,どんな問いに答えるべきですか。

      17 宗教は崇拝の形式であり,世界のすべての人はなんらかの形でこれに携わっています。人間には生来,何かを崇拝する性向があります。キリスト教以外の人々にもそれぞれに崇拝する神があります。またお金,映画俳優,政治家,支配者などを崇拝している人があり,自分自身を崇拝している人もいます。あるいは像が崇拝され,涅槃のように幻想的なものがあこがれの対象とされている場合もあります。しかしこの点を論じているあいだにキリスト教国の現状をふり返り,幾つかの点をまじめに考えましょう。キリスト教国の宗教は人類のために何をしましたか。それは諸国家とその国民を道徳的また霊的に向上させましたか。それは諸国民を平和にしましたか。それに従う人々は互いを愛し,50年前また500年前より愛を深くしていますか。キリスト教国は『神に栄光をさゝげ,地では主のよろこび給ふ人に平和』をもたらしていますか。(ルカ 2:14)なぜそうしていないのですか。人類および人類の中の司祭や牧師が神を忘れ,神のみことばを無視し,御子キリスト・イエスによるエホバの御国を退けたからです。イエスはその点を明白に語られました。「この民は口びるにて我を敬ふ,されどその心は我に遠ざかる。ただいたずらに我を拝む。人のいましめを教として教えて」。(マタイ 15:8,9)偽りの諸宗教はあなたに神のみことばを教えておらず,教えているのはたゞ自分の教えです。わたしたちは神のことばを聞いて,それに従わねばなりません。神は今,「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災いをともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」と述べておられるからです。(黙示 18:4,新)キリスト教国と偽りの宗教の世界帝国全体は滅亡に定められています!

  • 「すべてのみわざを忘れてはならない」
    ものみの塔 1969 | 3月1日
    • 「すべてのみわざを忘れてはならない」

      1 詩篇 103篇3-5節はエホバ神のあわれみについてなんと述べていますか。

      神のみことばを読み,エホバ神の真の崇拝者であった忠実なダビデ王のようになってください。ダビデはこう語りました。「わたしの魂よ,エホバをほめたゝえよ。そのすべてのみわざを忘れてはならない」。(詩 103:2,新)神ご自身の御旨にかなった人ダビデは,エホバが自分のためにしてくださったことを何一つ忘れたいとは思いませんでした。エホバがダビデのために行なわれた事柄の中にはどんなものがありましたか。ダビデはエホバについてこう語りました。「彼はあなたのすべてのあやまちを許し,あなたのすべての病をいやし,あなたの命を穴の中から再生させ,あなたにいつくしみとあわれみとをもって報い,あなたの命の日を良いもので飽かしておられる」。(詩 103:3-5,新)ダビデは自分が『よこしまの中にうまれ,罪にありてはらまれた』ことを十分に理解していました。(詩 51:5)そして,自分があやまちをする者であることを認め,祈りを通して神に近づき,神の許しを求めました。ダビデは自分が誤った道を離れ,正しい道に転ずる時,エホバが許してくださることを確信していました。彼は自分のすべてのあやまちを許しておられるかたを忘れようとはしませんでした。

      2,3 (イ)わたしたちは保健上の忠告に従うにしても,病気そのものはどのようにしていやされますか。(ロ)わたしたちは健康に関するどんな祝福を待ち望んでいますか。イエスはこうした希望をどのように強固なものにされましたか。

      2 ダビデは人間のすべての病をいやしておられる神を忘れることができませんでした。人間はほんとうにすばらしく,また驚くべきしくみを備えたものとして造られています。ダビデはこのことを認めていました。彼は自分が見たり,

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