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  • 生活の中の重要なことを選びましょう
    ものみの塔 1971 | 12月15日
    • 人として誇りうるものをみな持っていました。(使行 26:5。コリント後 11:22。ピリピ 3:5)にもかかわらず彼はそうしたものについて次のように述べています。「然り,我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために,すべての物を損なりと思ひ,彼のためにすでにすべての物を損せしが,これを塵芥のごとく思ふ」― ピリピ 3:8,9。

      パウロはクリスチャンが,富や名声への野心などうしろのものを忘れ,神への奉仕,神の是認,そして報いという前のものに向かって努力して,自分にならうよう励ましました。これらのことは,彼らの生活において,重要な事柄となるべきでした。十二使徒も同様の心構えをもっていました。彼ら自身,イエス・キリストに従うために,すべてのものをあとにしていました。―マルコ 10:28-31。コリント前 11:1。ピリピ 3:13。

      あなたは選択しなければならない

      クリスチャンは,食物,衣服,住居など,物質のことについて不当に心配すべきではありません。たしかにこれらは欠くことのできないもので,これらがなければ生きてゆけません。しかし生活の中心とすべき,最も重要なものではありません。だからこそイエスはこのように助言されたのです。『何を食ひ,何を飲み,何を着んとて思ひ煩ふな。これみな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父はすべてこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり』― マタイ 6:25,32。

      では,どうすればわたしたちは,イエスのこの助言を,今日の問題に当てはめることができるでしょうか。立派な家,立派な自動車,立派なカラー・テレビその他このたぐいのものは,それ自体べつに悪いものではありません。けれども,もしクリスチャンが,こうした物をしきりにほしがり,聖書の個人的な勉強に必要な時間や,会衆の集会で仲間のクリスチャンたちと交わる時間,命のことばを他の人々に伝えるための時間を奪われるほど,それらの物を追い求めるとしたらどうですか。その人はその行ないによって,それらの立派な物は,自分の生活において重要なものである,と言っているのではないでしょうか。そして,神の王国の関心事と霊的な事柄は,小さいとまでは言わないまでも,少なくともそれよりは小さな事柄だと言っているのではないでしょうか。クリスチャンが,そのような精神的態度で,エホバの是認と,神の新しい事物の体制における永遠の生命を望むことができるでしょうか。

      このうえに,肉の欲の誘惑があります。生殖力の行使に伴う喜びは,しばしばクリスチャンに正しい見方を失わせました。彼らはその行ないによって,性の快楽が,たとえ性の不道徳に至ることを意味しても,彼らの生活のなかでは重要な事柄であって,仲間のクリスチャンたちとの交わりや神の証人として奉仕する名誉などは,比較的小さな事柄であることを示しました。なかには,パウロの時代のあるクリスチャンと同じく,クリスチャン会衆から排斥,つまり放逐された結果はじめて,問題の正しい見方をもつようゆり動かされた人もありました。(コリント前 5:1-13。コリント後 2:5-11)信仰が完全に難破してしまった人々もあります。

      あなたはどちらを選びますか。あなたの生活のなかでは,何がほんとうに重要なものですか。

      他の大きな事柄と小さな事柄

      ある人は,人が気にさわることをしたとき,自分が何を重要なこと,あるいは小さなことと考えているかを示します。もし誇りや,いわゆる『個人の名誉』が生活のなかで重要な事柄になっていれば,人が気にさわることをするとおもしろくなく,腹を立てます。また恨みをいだいたり,許すことをしなかったり,自分の『顔を立てる』ことにつとめます。

      しかしクリスチャンの兄弟間の一致と,仲間の兄弟たちとのよい関係を,生活のなかの重要な事柄としていれば,ちょっとした無礼や怠慢や手抜かりは大目に見ることができます。そうしたことはあなたにとって小さな事柄に思えます。事実それは小さな事柄です。そうなると,同じことをして仕返しをしたり,恨みをいだいたりせず,イエス・キリストが弟子たちに助言されたように,別のほほを向けます。―マタイ 5:39。

      この教訓を強調しているのが,使徒ペテロの,「何事よりも先づ互に熱く相愛せよ。愛は多くの罪を掩へばなり」という助言です。これを実行することは,正しい見方をもっていること,つまり人の無礼などは小さな事柄のなかにはいり,クリスチャンのあいだの愛と平和と一致は,生活のなかの重要な事柄であると見ていることを示します。―ペテロ前 4:8。

      たしかに,何を生活のなかで重要なこととし,何を小さなこととするかを,注意深く考慮するのは知恵の道です。この問題における正しい選択は,現在においては平和と喜びと満足を得ることに,そして近づくエホバ神の新しい体制においては,永遠の生命を得ることに寄与するからです。

  • 神は地の支配者たちを賢明な仕方で選ばれる
    ものみの塔 1971 | 12月15日
    • 神は地の支配者たちを賢明な仕方で選ばれる

      過去16世紀にわたりキリスト教世界の諸教会は,みずから主張する使命 ― 世界をキリスト教に改宗させることに熱心に従事してきました。それはどれほど成功しましたか。

      諸教会はみじめにも失敗しました。なぜでしょうか。なぜなら,世界の改宗は教会独自の考えであって,神の考えではないからです。もしそれが神の考えであったなら,教会は成功していたでしょう。(イザヤ 46:9,10)では神は,すべての人間に関心をお持ちではないのですか。もちろんお持ちです。しかも非常に深い関心をお持ちです。しかし神はこの19世紀間,一般人類を改宗させることに忙しく努力してこられたことは一度もなく,また真のクリスチャンにもそうする使命をお与えになりませんでした。

      誤解してはいけません。神はたしかに,救いをすべての人の手のとどくところに置くよう意図されています。そして,そのための時を定めておられます。(伝道 3:1)しかしながら,過去1,900年のあいだ,神はご自分が救う者を精選してこられました。なぜですか。なぜなら,神は最近まで,人類の支配者となるべき者だけを選んでこられたからです。

      キリストが選択を開始された

      イエス・キリストも地上におられたとき,選択にあたって慎重を期したことを読者は思い起こされたでしょう。イエスが,それを受けいれる人間すべての救いのためにあがないを備える目的で,この地にこられたのは事実です。(マタイ 20:28。ヨハネ 3:16)しかしキリストが地上にこられた第一の目的は,義をもって世界を支配する神の王国の王としての資格を得るために,神への忠誠

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