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    ものみの塔 1954 | 6月1日
    • 新しい世の合法的な基礎

      『神は,……その御考えの変らないことをより明らかに示そうとして,誓いをもつて間に立たれた。』― ヘブル 6:17,新世。

      1 パウロは自分の国の人々に手紙を書き送りましたが,それは正しいことでしたか?

      ユダヤ民族ではない『諸国民への使徒』(ロマ 11:13,新世。)であるパウロは,パレスチナにあつたヘブル人のクリスチャン会衆に手紙を書きましたが,それは一体どんな重要な理由のために,パウロはそうしなければなりませんでしたか? 自分の国の者たちに手紙を書いたといつても,なにもパウロが限界を破つていたということは全然ありません。同国人であるヘブル人たちに,パウロは絶えず大きな愛と関心を示していました。そして,主イエスがアナンに語つた次の命令の務めの中に,ヘブル人たちも含まれているということを知つていました『この人は,イスラエルの王や子らたちばかりでなく諸国民たちのところへ私の名前をひろめるよう,私の選んだ器である。』(使行 9:15,新世)しかし,ガラテヤ人たちへの手紙から引用してみる時に,パウロは次のことをよく認めていました『ペテロが(対照として)割礼ある人々に対して良いたよりを持つていように,私は割礼を受けていない人々に対して良いたよりを持つようになつた。』(ガラテヤ 2:7,新世)それですから,『少しだけ』と言つていますが,パウロが非常に興味あり,そして多くの教訓を与える手紙をヘブル人たちに送つたことには,なにか特別の理由があるに違いありません。―ヘブル 13:22,新世)

      2 パウロがヘブル人たちに手紙を書いた特別の理由は何でしたか?

      2 パウロの時代の時に,彼の心の中に起つた非常な理由が,再び私たちの時代に起つていると,信ぜられます。どうぞ間違えないでください! この記事のために選ばれた表題から判断して,これはある抽象的な真理についての法律の論議であり,ただ客観的な方法で研究されるのだなどと結論しないでください。そうではなく,パウロのように,私たちはこの問題を読者の前に提出しなければなりません。なぜならば,『私たちは,あなた方めいめいが同じ勤勉さを示し,最後に至るまで希望の全き確信を持つように願うものである。それは,あなた方が怠け者にならないで,信仰と忍耐を通じて約束を相続する人々をまねる者となつてもらいたいからである。』― ヘブル 6:11,12,新世。

      3,4 (イ)どんな論議にもとづいて,使徒は私たちの注意を向けさせますか?(ロ)現在,これがどのように私たちを助けるかと期待できますか?

      3 このことを支持して,さらに使徒パウロは,私たちの研究の一番の基いを作り上げる論議を続けて表わして示しています。アブラハムになされた神の約束について,パウロは私たちに思い起させます。その神の約束は,誓いの下に与えられました。それと似た手段を人間は用い,合法的な保証を得ようとします。そして,それはあらゆるすべての異議を終らせるものです。しかし,神の場合と人間の場合との違いは,ただ『人間は,より大いなる方を指して誓います』が,神は御自身を指して誓われた。』なぜならば,より大いなる者を指して神は誓うことができないからである。』それで,その約束に誓いを加えられることによつて,神の発表した目的は変ることが決してないという絶対の証拠が与えられました。そして,それは神の言葉が信頼するに足りるばかりでなく,真のものであると確証するものです。何の目的のためにですか? それは『私たちが強い励ましを持つ』ためで,つい怠け者になろうとし勝ちなことに対して,強い解毒薬を得るためです。―ヘブル 6:13-18,新世。

      4 それで,神の言葉のこの部分の研究には,良い研究資料があつて,何万という興味を持つている新しい読者たちに,真の実際的な援助を与えると信じます。新しい読者ばかりでなく,すべてのヱホバの証者も有益な研究をすることができます。そして,あらゆることにもまして,この研究はヱホバの証者をはげまして神への聖なる奉仕に押し進めさせます。

      5 この記事の表題の下に,どんな3つの質問が起りますか?

      5 法的のことが含まれていますので,法律家が調べる時にしばしば用いる方法から利益を受けたく思います。たとえば議会の法案とか,ある政令の言葉遣いなどというものです。法律家たちは,最初に特別の部分を設けます。それは,問題となつていることがらに関係を持つものです。それから,節ごとにまた言葉ごとにその部分を詳しく調べてゆきます。この方法に従つて,次の3つの質問を自ら尋ねてみましよう。(1)新しい世とは何ですか?(2)新しい世の基礎は何ですか?(3)その基礎はどのように合法的に造られますか?

      新しい世

      6 ギリシャ語のコスモスはどのように正しく定義されますか? そして『新しい世』という言い表わし方には,何の意味が含まれていますか?

      6 欽定訳(英文)で『世』と翻訳されているギリシャ語は,4つありますが,しかし,私たちがいま特別に関心を払つている言葉は,コスモスというギリシャ語です。新世訳では,その言葉は常に『世』と翻訳されています。このコスモスという言葉は,秩序ある制度,または事物の統一という意味を持つものであつて,文字通りの地球を指し示すことは決してありません。『新しい世』と言えば古い世があるということを意味するのは当然です。さらにつけ加えると,廃れて消え去つて行く前の世の代りに,その後新しい世が来ると考えられます。この論議は正しく,聖書的にも例があるもので,その場合に,パウロは新しい契約について論議しています。―ヘブル 8:13を見なさい。

      7 『世』という言葉についての聖書の用法を,ペテロはどのように,そして何処で示していますか?

      7 ペテロ後書 3章で,聖書が世という言葉を用いる時に,その『世』は象徴的な天と地で成り立つているということを使徒は非常にはつきりと示しています。天は,制度の目に見えない支配部分を象徴し,地は目に見える部分,すなわち私たちのまわりに見られるものを象徴します。大洪水の時に亡ぼされた天と地について使徒は語つていますが,しかし,文字通りの天も文字通りの地もその時になくなりませんでした,使徒はこう言つています『天と地は,いまや火のために貯えられ,裁きの日と不敬虔な人の亡びにたいして保存されている。』現在の世の制度が完全にどのように消え去るかについて,一層詳しく話した後,ペテロは新しい世について語り,このように書いています『神の約束に従つて,私たちが待つている新しい天と新しい地がある。それらの中に正義は宿るであろう。』(ペテロ後 3:7,13,新世)このペテロの言葉は,イザヤの予言によつて予言されていた約束と,すばらしい描写をうつくしく,そしてしつかりと結びついているものです。このことは,聖書の最後の本でもつと明白にはつきりと表わし示されています。(イザヤ 65:17-25。黙示 21:1-4,)しかし,この新しい世の基礎は何ですか?

      新しい世の基礎

      8 どんな手段で,新しい世の支配権は行使されますか? このことは古い世と,キリスト教国の教えとどのような対照をするものですか?

      8 新しい世には支配権があります。この支配権は,御国の手段によつて行われます。『御国』という言葉は,国または統治権を意味します。そして,その国の首は王です。新しい世は,王キリスト・イエスによつて支配され,彼は天と地の両方を含む一つの御国を通して仕事を行われます。これは,古い世と対照をなすものです。古い世には,『この組織制度の神』である目に見えない悪魔サタンはすべてのものを支配していますが,しかし,彼の支配の目に見える部分である地上では,多くの王や国々があり,今日にいたるまで同時に存在しています。(コリント後 4:4,新世)これは,貪欲,ねたみ,疑い,争い,そして戦争を引き起す大きな原因の一つです。一般にキリスト教国の教えによると,神の御国は結局に於て来るが,それは現在の世と人々が徐々に改宗し変化することによるのであると言い,それは,すべての人がキリストを王として,心からうけ入れる時がくるまでの進化の過程によるものであると言います。しかし,これは聖書の教えと全然違つております。それに,世の状態の現在の大勢から判断して,キリスト教国の教えることは,ますます間違いであると判ります。この点について正しい理解を与え,光を投げかける重要な聖句を一つか二つ述べましよう。

      9 この点について,ダニエルの予言は,どのように光りを投げかけますか? そして,イエスのどんな言葉で確められますか?

      9 夜の幻の中で,ダニエルは『人の子のごとき者』を見ました。その者は『日の老いたる者(ヱホバ)』の許にあつて,決して過ぎ去ることなくまた亡ぼされない『権と栄光と御国』を与えられました。(ダニエル 7:13,14,ア標)ダニエルの予言は,次のように記録していますが,それは前の予言と同じことを指しており,神の油注がれた王がその力を取る時に,何が起きるかを示しているものです。『それら王たちの日に,天の神は亡ぼされることのない一つの御国を立てるであろう。また主権は他の民に帰することもないであろう。しかし,それ(神の御国)は,(現在の世の)これらすべての国々を粉砕し亡ぼすであろう。そしてそれ(神の御国)は永久に存在するであろう。』(ダニエル 2:44,ア標。また詩 2:7-9を見なさい)イエス自身も前述のことが全く一致調和する真の立場を良く認めていました。そのことは,イエスが王であるということについてピラトが彼に質問した時に,イエスが強く答えたことから判ります。イエスは『私の御国はこの世のものではない。』と言いました。(ヨハネ 18:36,新世)しかし,キリストの御国は,ただ天的のものだけに過ぎないなどという意味に取ることはできません。なぜならば,イエスは,彼に従う者たちを教えてこのような言葉で神に祈るようにと命じたからです『あなたの御国が来ますように。あなたの御意が,天で行われているように,また地上でも行われますように。』(マタイ 6:10,新世)主権の変化とその結果を語る同じ予言的型について,最後的に全く確めたいと願うならば,黙示録 11章15-18節の聖句を参考してください。

      10 (イ)神は肉のイスラエル人をどのように用いましたか?(ロ)彼らの支配権について,どんな予言が与えられましたか? そして,シオンの『かたくすえられた隅石』は誰であると示されますか?

      10 すでに述べた聖句から見て,新しい世の基礎は,約束された『平和の君』として明白にキリスト・イエスであると言うのは正しいことであります,そのイエス・キリストの肩の上に,新しい世の政府は基いているのです。(イザヤ 9:6,7)しかし,それよりももつと直接な言葉があります。昔のイスラエルには支配権がありました。そして神はイスラエル民族を用いて,将来に来るところのより良い事,またはより大いなる事について予言的型を作られました。実際に,それはヘブル人に宛てたパウロの手紙全体にある論議の基礎となつています。その手紙の中で,イスラエル人への神の律法は『将来に来る良いことの影』であると,パウロは言つています。(ヘブル 10:1,新世)そうです,その模型的神権政府の支配権は,エルサレムの都を首都とする王国の制度を通じて行われました。その首都の統治部門は,シオンと呼ばれ,王座が置かれてありました。シオンについて,神は次の予言を記録せしめられました。『みよ,われシオンに一つの石をすえてその基いとなせり,これは試みをへたる石,貴き隅石かたくすえたる石なり。』(イザヤ 28:16)イエス・キリストが基いの隅石であることには,議論の余地がありません。使徒ペテロは,この予言を直接に私たちの主に適用しています。そして,似ている言葉で書かれてある別な予言と結びつけています。ペテロは次のようにその予言を引用しています。『建築者たちが捨てた同じ石は,主な隅石となつた。』― ペテロ前 2:6,7,新世。詩 118:22。またルカ 20:17。使行 4:11を見なさい。

      11,12 これによつてどんな質問が生ずるようになりますか? どんな特別な言葉に関係するようになりますか?

      11 いま述べた聖句から考えてみますと,ただ一つの基礎だけがあることを知ります。つまり一つの構造上の基礎があるということです。しかし,他の聖句は,構造上の『基礎』を複数形として述べています。さらに他の聖句は,別の場合に単数形で,『基礎』ということを言つています。しかし,このことを研究する前に,新しい世の基礎がどのように合法的にされるかについての質問を次に考えたく思います。その際に,すでに強調された特色,すなわち,新しい世とその基礎は,たんに古い世を造り直したものではなく,全く新しい組織制度であるということを忘れずに心にとめておかねばなりません。

      基礎は合法的に造られる

      12 合法的な基礎とは,どんな意味ですか,そしてヘブル書 6章16節(新世)に言われている『合法的な保証』とは,どんな意味ですか? 私たちの研究を助けるものとして,ある言葉の語根の意味と語源に注意を払つてみましよう。

      13,14 (イ)合法的(ロ)法律そして(ハ)規則というこれらの言葉はどのように正しく定義されますか?

      13 合法的ということは,法律に従う,または法律で許されるという意味です。それですから適法であるという意味です。法律とは,先ず主として行いの規則または行動の規則を意味します。これら二つの英語の言葉は,置くという言葉が語源となつています。それで法律とは置かれるもの。定められるもの固定されるものです。

      14 規則は一つづきの行い,定期的な実行,確立された習慣を意味します。これらの表現の中にどれもみな連続するという意味があるのに注意してください。

      15 これらの言葉は,堕落した人間の基磯的な必要物をどのような方法で示しますか?

      15 これらのどの言葉の中にも,似ている考えまたは思想があるのに気がつきます。それは,必要物を非常に求める時の人間の性質の最も深いところに及び,そして人間の歴史の一番最初の時にまで達しているのです。創造者に対して,完全なそして忠義な従順を捧げるという安全な路から,人間が離れ去つて以来,絶対の信頼を置くことのできるものを,人間は是非必要とするのであると認識しました。人間の必要とするものとは,すなわち変化しないもの,そして永久のものであつて,現在殆どないものであります。そうです。人間が,必要であると感じたものは,安全または確実を与えるものであつて,それらは法律と一致し,法律によつて支持されるものです。別の言葉で言うならば,人間が仲間の人間と交渉をする時に,合法的な保証を求める要求が起つたのです。

      16 誓約をするということはどういう意味ですか? どんな目的を持つものですか?

      16 人間のすることについてのいろいろな面の中で,人間の言葉に関する時,この必要が一番つよく感ぜられます。人は約束をするかも知れませんが,しかしその約束が果されるかどうかが確実でないならば,その約束は何の価値がありましようか? 特に大切で重要な事柄が関係しているならば,全く無益なものでありましよう。それで,なにか重要な発表,事実,または約束と関係して合法的な保証を必要とするような場合の時には,族長社会の初期の時代から一つの習慣,すなわち,宣誓するという習慣が生じたのでした。この宣誓は,たんなる人間の権威よりもより高い権威のものであるとすべてのものが互に認める一つの名前,またはものに対して祈るか,あるいは訴えるかによつてなされました。それですから,もつとも一番高い権威,つまり神自身か,または神の言葉である聖書に対して訴えがされたということは当然なことです。宣誓をするということは,神に訴えて,確証されるものは真であると確証し,厳粛な発表を言うことを意味します。それで宣誓がなされるのが一つの社会であれ,国家であつても,そのような宣誓には是非しなければならない法的な義務が伴つています。そしてその宣誓が破られたという証拠が与えられる時に,制裁または刑罰がなされます。それで宣誓をする時にはもつとも強い『合法的な保証』があるということになります。パウロの言うように,人間として出来得るかぎり,これは『あらゆる論議の終り』を意味します。―ヘブル 6:16,新世。

      17 新しい世の基礎は,主として何に基いていますか? 神の与えた言葉の重要性について,ペテロはどのように強調していますか?

      17 人間についての例を心に考える時,私たちは新しい世の基礎が,どのように合法的に造られるかをより一層良く認めることができます。キリスト・イエスはなぜ新しい世の王となりますか? なぜならば,キリストは,アブラハムになされた基礎の約束に言われている予言された裔であると,全くの疑いなしに証明されているからです。その約束の一部をパウロはヘブル書 6章14節で引用しております。次の言葉でその約束は結論づけられています。『あなたの裔によつて,地の全国民は必ず祝福をうるであろう。』(創世 22:18,新世)そうです。それは神の誓いにあつて,合法的な保証を持つており,それは神の約束の言葉ですから,新しい世についての一番のそして大切な合法的な基礎です。さらにキリスト・イエスは正しい権利を持つ王として認められるのです。このことを支持するものとして,ペテロはどのように密接に神の言葉と,すでに話されている三つのそれぞれの世とを結びつけているかを注意してごらんなさい。最初の世の間の地の制度は,『神の言葉によつて』命ぜられました。次に,『同じ言葉によつて』現在の悪い世の運命は決定されています。最後に,『彼の約束に従つて』正義の新しい世を私たちは熱心に待ち望みます。(ペテロ後 3:5,7,13,新世)神の語られる言葉の重要さと決定について,いくら高く評価しても,評価しきれるものではありません。

      18 誰の利益のために,そしてどのように神は,その約束の言葉を強められていますか?

      18 神御自身について関するならば,そしてまた多分天に居る神の忠義で完全な造られたものについて関するならば,神は,その約束の言葉になにかをつけ加えることも強めることも全く少しの必要もありません。しかし,アブラハムとあの約束を作られた時,神はわざわざ『誓いをもつて間に立たれ』ました。そのことは,『確かに私はお前を祝福しよう』と神の言われたことから示されています。(ヘブル 6:14,新世。また創世記 22:16を見なさい)その宣誓された誓いは,約束を厳粛な発表とし,是非行わねばならぬという力をもつものです。また破れることのない合法的な保証を与えるものです。それで,約束に誓いがつけ加えられる時,それは非常に強い結合となり,『二つの変ることのないもの』を作り上げます。『このものによつて,神には偽ることができません。』― ヘブル 6:18,新世。

      19 (イ)新しい世の運営は,主としてどんな目的のためですか?(ロ)新しい世の『基礎』を複数にして語るのは,聖書的ですか?

      19 そうです。神の誓いの約束は,新しい世の合法的な基礎を作り上げます。なぜならば新しい世の運営は,約束された裔である王キリスト・イエスの統治の下にあり,地上の全家族を祝福するというあのアブラハムの契約を完全に成就するという目的のためにあるからです。(創世 17:2)ついでですが,『契約』という言葉の意味は興味深いものです。その言葉は,すでに論議された他の言葉と密接に関係しています。というのは,『契約』という言葉の語源の意味は,二人の者の間にある合法的な正当さについての厳粛なそして是非せねばならぬ同意ということだからです。しかし,いま調べたいと思う質問は,『合法的』ということに関係して,複数形である『基礎』という言葉を使うことは正しいかどうかということです。『基礎』という言葉を使うのに,少くとも4つか5つの深い理由があります。それで,新しい世の政府は,構造的な基礎を持つているということに注意しましよう。ヘブル人たちへの同じ手紙の中で,アブラハム自身も『真の基礎を持つ都を待ち望んでいた』とパウロは語つています。(ヘブル 11:10,新世)いまこれらの理由を一つづつ研究いたしましよう。

      20 どんな他の『石』は『基礎の隅石』につけ加えられますか?

      20 アブラハムへの神の誓いは,新しい世の合法的な基礎であるという事実に最初の理由があります。さて構造という点からみて,ただ一つの基礎の隅石だけがあると予言は語つていますが,しかしこの予言が成就される時,他の石もつけ加えられると特別に言われています。これらの他の石は,主な隅石にたいして置かれたのと同じ要求に適うものであると証明されます。そして,それらの石は全く密接にぴつたりと結び交わる価値があると示されます。それらの石は良く適合していますので,小刀の刃はその中に挿し入れることはできないほどです。朽ちることのない天の相続を受け,キリストと共に分けあづかるという『生きている希望』を持つクリスチャンの信者に手紙を送つて,ペテロはこのように書いています『生きている石である彼(キリスト)のところに来なさい。…あなた方自身も生きている石であつて,霊の家に建てられ,聖い祭司となつているのである。』それで,交り結ぶ基礎は使徒であります『都の城壁には,また十二の基礎の石があつた。そして,それらの石の上には,小羊の十二の使徒の名前が十二記されてあつた。』(ペテロ前 2:4,5。黙示 21:14,19,新世。またエペソ 2:20-22を見なさい)これはパウロの述べていることと同様なものです。すなわち,アブラハムへの最初の約束は,ただ『キリストである「あなたの裔」』という一つの裔について語つていましたが,パウロはそれから,『キリストにあつて洗礼をうけている』ものと,キリストと共にある者はみんな,『真にアブラハムの裔,約束に基く相続者』であると示しています。(ガラテヤ 3:16,26-29,新世)これらの構造を形造る基礎は,アブラハムえの約束を支持する神の誓いによつて「合法的に保証」されました。

      21 アブラハムの裔であるというだけでなく,他のどんな誓いの約束をイエスは成就していますか?

      21 第2の理由はこうです。キリストは,アブハムに誓いをもつてなされた約束を成就していますが,そればかりでなく,誓いをもつてなされた別の約束をも成就しています。こんどは,大祭司の職務についての約束です。私たちはいままでヘブル書 6章を論議してきましたが,その章の終りの部分にあるパウロの論議の最高潮は,大祭司の職務についての約束についてであることに注意してください。その終りで,パウロは『先達』について説明しております。その『先達』は,私たちのために『帳』すなわち,天そのものにすでに入つております。その方は,『イエスであられ,メルキゼデクの状に似て,永遠の祭司となられた。』(ヘブル 6:19,20,新世)それから,続けてヘブル書 7章でこのメルキゼデクがどの位に大きいかをパウロはある程度まで示しています。メルキゼデグは彼に戦利品の10分の1を献げたアブラハムよりもより偉大であり,アブラハムの子孫であるレビや,またレビ族の祭司たちより確かに偉大でした。そして最後に,イエスはメルキゼデクよりもより勝れているという秘密を,パウロははつきりと示しました。詩篇 110篇の4節を成就させて,ヱホバはイエスを『誓いの言葉によつて』大祭司に任命されたとパウロは言つています。こう書かれています『ヱホバは誓われるが,悔い給わない。汝はメルキゼデクの位をついで永遠に祭司である。』(ヘブル 7:20,21,28,新世)この『誓いの約束』は,新しい世の別な合法的な基礎であり,アブラハムへの神の誓いにつけ加えられたものです。

      22 なぜ神は新しい契約を準備されましたか? そして,それが新しい世の合法的な基礎の一つであるというのはどうしてですか?

      22 その誓いによつて,イエスは大祭司となられましたが,それはイエスが『より良き契約の保証(安全)を与えられた人』であつたという意味であるとパウロの言つたことに気がつきましたか?(ヘブル 7:22,新世)その『より良き契約』は,新しい契約です。この事実は,私たちの表の中にあつて第3の理由となるものです。それは,新しい世の合法的な基礎の一つですか? 全くそうです。そして使徒はヘブル書 8章と9章で明白に証明しています。イスラエルの肉の家となされた前の契約がなくなつた時に,新しい契約はその後をうけつぐとパウロは示しています。新しい契約の期限が書かれてあるエレミヤ記 31章31-34節を引用して,パウロはこのように説明しています。すなわち,前の(律法の)契約と,その契約の下にいた民の両方について神は欠点を見出されたというのです。そのことは民についての神の次の言葉から良く判るのであるというのです。『彼らは,私の契約を守らなかつた。それで,私は彼らに心をとめなかつた。』(ヘブル 8:9,新世)前の契約は,真の救済をもたらすのに不充分であると証明し,そしてヱホバの御名のための民をだすことができませんでした。対照的に,新しい契約は全く勝れているものです。そして,パウロはすでに話された二つの章(ヘブル書 8章と9章)の中で詳細に示しています。さらにイエスは『より良き約束に合法的に設立されたより良い契約の仲保』であると明白に示しています。(ヘブル 8:6,新世)新しい契約は,心から神の御意を行うことをよろこぶ民を産出します。なぜならば神の律法は『彼らの精神と心の中に』書かれているからです。新しい契約は,その良心が,キリストの流された血,すなわち正しい救済によつて清められる民を出します。それですから,その民は『生きている神に聖なる奉仕をささげる』ことができ,そして最後には『永遠の相続』を得,そしてキリストと共に,新しい世の政府の一部を形成することができるのです。―ヘブル 9:14,15,新世。

      23 約束された裔の系図をたどつてきますと,さらにどんな誓いの約束は表われていますか?

      23 第4番目の理田は何ですか? 神がアブラハムに約束された時,王や御国について,神は最初に何も語られませんでした。後になつて神は語られました。(創世 12:1-3; 17:15,16)それで,約束の裔について,祖父アブラハムからの系統をたどつて来る時に,ダビテに来ます。ヱホバは彼を選び,そして任命しましたので,模型的神権政府であるイスラエルの王に,ダビデはなりました。神はダビデと重大な契約を結び,そしてその契約には,神の誓いの約束がつけ加えられました。それは次のような言葉で表わされています。『われ,わが選びたるものと契約をむすび,わが僕ダビデに誓いたり。われなんぢの裔をとこしえに固うし,なんじの座位をたてて代々におよばしめん。』(詩 89:3,4)ダビデの裔で王となる者は,キリスト・イエスです。五旬節<ペンテコスト>の日聖霊の注がれた後にペテロは霊感された話しをイスラエル人にし,そのことを証明しましたが,そのペテロの話しは次のようです。『なぜならば,彼(ダビデ)は予言者であり,彼の子孫の一人を彼の座位につけようと神が誓いをもつて約束されたのを知つていたので,彼はキリストの復活について前以つて予見し,話したのである。』(使行 2:30,31,新世。またルカ 1:32,33を見よ)ここに,新しい世の別な合法的な基礎がたしかにあります。その合法的な基礎は,神の誓いの約束によつて合法的に固く保証されました。

      24 (イ)贖いと神の目的との間の関係は何ですか?(ロ)贖いは,新しい世の合法的な基礎の一つであるとどのように見なされますか?

      24 理由を述べる表の中でキリストの贖いの犠牲が最初か,または少くとも初めの方に言われるだろうと,おそらく,読者の中のある人は,期待していたかもしれません。しかし,そうではありません。ことさらにキリストの贖いの犠牲を最後に残しました。なぜでしようか? なぜならば,神の目的は,それに附随してされる必要な手段よりもずつと重要だからです。神の目的とは,なそうとする目標として神が決定し,神自らの前に置かれているものです。贖いは,目的を達成するのに是非必要な手段であり準備ですから,私たちは贖いの重要さを小さく見積るのではありません。アブラハムがイサクを犠牲にして捧げたのちに,神の誓いの約束がアブラハムにされたということを私たちは憶えています。イサクを犠牲にしたことは,ヱホバが御自分の独り子イエス・キリストを犠牲にされたことを予表しました。(創世 22:1-18。ヨハネ 3:16)いままで論議してきました4つの理由によつて,神の目的の前述の面は説明されましたが,しかし全部の人間家族の上にある無能力が最初に取りのぞかれないならば,そして無能力が取り除かれる時まで,神の目的の前述の面は一つとして成功のうちになしとげられないでしよう。『無能力』といつても,それは創造者との立場に関係して,人間の法的な無能または無資格を意味するのです。なぜならば,それは人間を墓に導くところの相続した罪と,そして不能にさせた不完全さのためだからです。『一人の人によつて罪は世に入り,その罪によつて死が世に入つた。それで死はすべての人に及んだ,というのはすべての人はみな罪を犯しているからである。』それで一人の人,すなわち『すべての人の贖いとして自らを捧げたキリスト・イエス』を通して神は恵み深く『私たちの罪のために宥めの犠牲を準備された。しかも私たちの罪のためばかりでなく,全世界の罪のためにである。』それですから,私たちはよろこんで,そして感謝の心をもつて,新しい世の基礎の,この大切な部分を認めます。それは,公正という神の根本的な律法とぴつたり一致するよう合法的に与えられているのです。『世の基礎から殺された小羊』にたいして私たちは神に感謝します。―ロマ 5:12。テモテ前 2:5,6。ヨハネ第一書 2:2,黙示 13:8,新世。

      25 新しい世の強い基礎を研究して,どんな質問を生じ,またどんな結論に達しますか?

      25 短い研究ではありましたが,しかし動くことがなく,安全な新しい世の力ある基礎について十二分に調べ,少い言葉の中にも,良く理解するよう努めてきました。実に良く支持されているこれらの基礎を研究して来ますと,どうしても次のように自問するようになります。それは前にも言われたものでいままた再び繰り返すものですが,すなわち,なぜ神はわざわざと誓いの約束を次々にとなされたのですか? 私たちがこれらの合法的な基礎を正しく認める時,その合法的な基礎は私たちを励まし,最後にいたるまで勤勉を保つことを助けるでしよう。そしてまた怠けようとする傾向を力強くおし止めるということは,明らかにパウロの心の中にあつたのでした。次の記事の中で,この主題は研究されています,というのは今こそできるだけの励ましを必要とする時であり,また神によつて与えられた警告に注意を払うべき時だからです。

  • 安定と永続
    ものみの塔 1954 | 6月1日
    • 安定と永続

      『それで揺ぐことのない御國を私たちはいただこうとするのであるから,恵みある御親切を持ち續けよう。その御親切によつて,私たちは敬虔の恐れをもつて神に悦ばれる聖なる奉仕を捧げることができるのである。』― ヘブル 12:28,新世。

      1 どのように,そして誰に,神は希望のたしかな基礎を与えられますか?

      正しい心を持つ人はみな,信頼することができるもので,そして真なるものを愛します。前の記事を研究して,私たちは,変化しない神と彼の子に,永続し,そして破れることのない確信を持つことができると知りました。神の子は『イエスキリストであつて,昨日も今日もそして永久に同じである。』(マラキ 3:6。ヘブル 13:8,新世)私たちは不確実な世に住んでおりますので,確かな希望をおける,なにか安定したもの,永続するものを,心から求め願つていますが,神とイエスに確信を持てるということは,その私たちの願いをかなえてくれるものです。その確かな希望は『魂の,しつかりして動かない錨』でありましよう。(ヘブル 6:19,新世)神の目的によれば,そしてまたどんな角度から見た場合でも,いま論じましたように,その希望はキリストを中心としています。キリストは,栄光ある天の制度シオンの『基礎の隅石』です。そして神の目にもまたすべての真の信者の目にも貴重なものです。『その上に信仰を置く者は決して失望することがないであろう。』パウロはまたこう書いています『神の約束はいかに多くあろうと,それらは彼(キリスト・イエス)により「然り」となつている。』― ペテロ前 2:6,7。コリント後 1:20,新世)

      2 『基礎の隅石』は,どのように励ましとして役立ちますか? しかし,どんな警告に注意を払わねばなりませんか?

      2 前節に引用したペテロの言葉は,彼が言つていますように,あなたを励ますために言われているのです。そして,『あなたを暗やみから彼の素晴らしい光りに呼ばれた方のほまれを,広く宣べ伝える』ようなあなたをはげまし元気づけるためのものなのです。と同時に,与えられている警告に注意しましよう,というのは,ある人は同じ石につまづくであろうと,使徒は示しているからです。なぜ彼らはつまづきますか? その答えにどうぞ良く注意してください。『これらのものはつまづいている。なぜならば,彼らは信ぜず言葉に従わないからである。』(ペテロ前 2:8,9,新世)神の話された言葉は,後に記録されて聖書の中に取り入れられ,書かれた言葉となりましたが,その神の言葉の重要さをいくら高く評価しても,評価しきれることはありません。そのことは前の17節で説明されています。その神の言葉は,私たちにもつとも豊かな祝福と励ましを与えるものであり,そして強い信仰と真の希望を立てることのできる固い基礎を与えるものです。そして,勤勉な聖なる奉仕のよろこびをもたらすものです。あるいはまた,「神の正しい言葉と来るべき組織制度の力を味つた後,私たちは信仰と行いを弛め,結局しりごみして離れ去り,最初に不信となり,それから福音の音信を信ぜず,私たちがかつてはそんなにもよろこんで熱心にうけ入れたものにつまづくようになるのです。パウロのように,次の通り結論することができると信じます『私たちは,ひるんで亡びる者ではなく,信仰を持つて魂を生き長らえさせる者である。』ヘブル 6:5; 10:38,39,新世。

      3 裁きについて,『試みられた石』のする目的を,予言はどのように示しますか? そしてそれはどんな特別な時ですか?

      3 あらゆる面でこれらのことがらをより一層重要にし,緊急にするものは,私たちが裁きの日に住んでいるという事実です。裁きの日とは,この悪い組織制度の『終りの日』であつて,『神の家より始まる裁きに定められた時』のことです。(テモテ後 3:1。ペテロ前 4:17,新世)イザヤ書 28章16節の前後の文の関係によつて示されているように,基礎の隅石がシオンに置かれている一番の目的は,その『試みられた石』の大さと角度に基いて,厳しい裁きが実施されるためなのです。イザヤ書 28章16節のすぐ後に続いて書いてあるものに注意しなさい。『われ公平をはかり繩とし,正義をおもしとす,かくて雹はいつわりにてつくれる避所をのぞきさり,水はそのかくれたるところに漲りあふれん。」(イザヤ 28:17)それは,古い世の基礎と,その制度および,その神である悪魔サタンを含めて古い世の建築者に滅亡を意味するものです。『試みられた石』を置くという縮図的な成就は,イエスの初臨の時に行われました。ヨルダン河で,神の御霊によつて油注がれてから3年と半年後に,イエスはエルサレムに馬に乗つて入り,自らを王として献げました。それと同様に,この同じ石が置かれるのは,再臨の時に完全に成就されます。西暦1914年に『異邦人の時』が終り,キリストは王としてまた祭司として働きを始めるよう権威を与えられましたが,それは詩篇 110:2-4節の成就でした。それから3年と半年後の1918年,キリストは,彼の民であると言い表わすすべての人に自らを王としてささげました。(イザヤ書 28章のくわしい研究は,1952年4月1日号の『ものみの塔』を見なさい)

      4 どんな関係した聖句をパウロは書きましたか? それは何を示していますか?

      4 使徒パウロの次に書いたものは,別に興味あるもので,うがつたものです。『それにもかかわらず,神のしつかりした基礎は固く立ち,このような印を持つている「ヱホバは,彼に属する者を知つておられる」そして,「ヱホバの名前を言うものは,みな不義を捨てなさい。」』(テモテ後 2:19,新世)神が厳しい裁きを始める時に,人々はめいめいどのような立場にいるかということは,その裁きによつて明白に示されると,この聖句は表しています。実際に,使徒がこのように述べたということは,二人の人の名前をあげて使徒が話したことがらでした。その二人の人は,『真理から離れ』そして,彼らがどんな種類の者であるかを曝露されねばなりませんでした。(テモテ後 2:16-18,新世)私たちが民数紀略 16章5節を参考にし,その前後の文を見てみますと,この同じ教訓はより一層力を増すものです。というのはその民数紀略 16章15節からパウロは前述の引用文の前の方を作つたからです。使徒が次のように書いたものから,励ましと警告の両方を得ることはなんと重要なことであり,緊急なことであるかということが良く心に銘記しませんか?『神に認められるようあなた自身を捧げるために全力を尽くしなさい。そして何物をも恥じることのない働き人として,真理の言葉を正しく扱いなさい。』(テモテ後 2:15,新世)私たちは注意深く神の言葉を聴き,信じるばかりでなく,神の言葉を宣教し,清い手と心をもつて他の人たちに伝道する時に,私たちは神の言葉の正しい扱い方を学ばねばならないということにどうぞ注意してください。

      5 テモテ後書 2章19節にある二つの引用文は,『印』としてどのように役立ちますか?

      5 テモテ後書 2章19節にある二つの引用文が,『神のしつかりした基礎』の『印』としてどのように役立つのか,あなたがたは疑問に思つていることでしよう。事実はこうです,人はどのように他の人や,自分自身を欺こうと,ヱホバを欺くことはできないということです。すでに知つていますように,神の首要な制度はシオンと名づけられており天的の制度です。キリスト・イエスは及ぶ限りに験され試験された隅石です。パウロが示していますように,同じ試験とこらしめは,一人の例外なしに神の子らとなる他のすべての人に適用されます。(ヘブル 12:4-11,新世)サタンにかなりの自由行動が許されており,『麦の中に雑草を多く播く』ことをして,大きな問題をかくそうと努めるとしても,しかし神の裁きが始まるよう定められた時が来る時,そしていまは,本当にその時が来ているのですが,その時には一人のこらず『ヱホバは彼に属する者を知られる』ということは全く明白になります。(マタイ 13:25,新世)もし人が,行いと真理において「不義を捨てず」また自らを神に献身したとは証明せず,神の律法を彼の心の中に入れず神の御意をよろこんで行わないならば,その人はシオンに入つて,シオンの基礎であるイエス・キリストに安定することができず,また都の自由を楽しむということは全くあり得ません。それですから,合法的でありそして『神のしつかりした基礎は固く立つ』というすばらしい根本的な真理にたいして,前述の二つの引用文の成就は絶対的に確証し,または承認(確印)するものです。

      古い世の違法の基礎

      6 私たちは,どんな対照に注意することによつて,新しい世について,より一層鋭く認識することができますか?

      6 比較対照することによつて,物ごとをより鋭く認識することができるのは当然なことであります。たとえば,春の良い暖い日と冬の暗い寒い日とを比較するという具合です。それで,古い世の違法の基礎について少しく見て比較する時新しい世の合法的な基礎をより良く認識することができると信じます。そうです,神の言葉に示されているように,物事の根本に行きましよう。キリスト教国の多くの牧師が,聖書はみな神話であるとか,またはたんなる譬話であるなどと言おうと,気にしてはなりません。そして,法律家の方法に従うことによつて再び利益を得るよう努めましよう。いま二つの質問があると言えるでしよう。一つは事実の質問であり,他は法律の質問です。この場合に,事実とは何ですか?

      7 どこで,そしてどのようにサタンのもともとの地位と堕落は書き表わされていますか?

      7 エゼキエルの予言は次のように語つています。後になつてサタン,すなわち『この組織制度の神』と表わし示された一人のものは,もともとは完全に創造されたものであり,地上に造られたものを保護するという責任ある地位をまかされていました。こう言われています『汝神の園エデンに在りき,…なんぢは油注がれしケルブなり。』また『なんぢは,その立てられし日よりついに汝の中に悪の見ゆるにいたるまでは,その行い全かりき。』(コリント後 4:4,新世。エゼキエル 28:13-15)次に,(明星)の気持と心の中に悪のこの表れが起つた形式について,その時よりも何千年も後に,バビロンが第3の世界権力になつた時,イゼヤの予言はこのように告げています『汝さきに心の中に思えらく,われ天にのぼり,我くらいを神の星の上にあげ‥‥至上者の如くなる(に匹敵する,ロザハム訳)べし。』(イザヤ 14:13,14)それらは,初めの事実です。さて合法的な面とはなんですか?

      8 『悪と』いう言葉は,どんな意味を持つていますか? このことについて,サタンとイエスの間にどんな対照が見られますか?

      8 エゼキエル書 28章15節にある『悪』という言葉は,最も興味深いものです。その言葉は,邪悪なることと,また正しいことから自ら決定して離れ去るという意味を持つており,また道徳或いは神の律法に反対する不正という意味をも持つています。イエスはサタンと反対ですが,イエスについてはこう予言されていました『なんじは義をいつくしみ,悪をにくむ』しかし,この聖句を引用しているパウロの言葉はこのようです『あなたは義を愛して不法なることを憎んだ』(詩 45:7。ヘブル 1:9,新世。またダイアグロット訳とロザハム訳を見なさい)神の言われた律法,または行いの規則は,造られた凡てのものが神を恵み深い創造者と認め,忠義の献身を神に捧げて,心から神に従順であるということです。このことは,ベツレヘムで生まれた時にイエスと名づけられた神の独り子によつて常に表わし示されました。(シンゲン 8:22,30)しかし,サタンはイエスとは全く反対な道をとりました。造られた理智あるものが持つ最も貴重な所有物の一つである完全な自由意志をサタンは行使し,神の定められた任務を忠実に行わず,そしてまた命令に従わず,守りませんでした。最初の正義の世は,すべて崇拝と従順をヱホバに捧げ,正しい方向に向つていたのでしたが,サタンは自分の役割を誠実に果さず,守りませんでした。彼は反対の路,違法の路をとりました。その高慢で叛逆なそして不敵な路をとることによつて,サタンは人間の崇拝と奉仕を自分自身に向けさせようとしました。彼は不法のあらゆるものの創始者となりました。サタンには全く信頼することができず,その聖なる信用にサタンは全く不実になりました。

      9 同様な誘惑を,エバと彼女の夫の前に,サタンはどのようにおきましたか? それはどんな結果をもたらしましたか。

      9 さて,最初の完全な人間の夫婦の前に,サタンがどのように同じ誘惑を置いたかを見てみましよう。その場合に,事実と法律の両方を注意しましよう。創世記 3章の記録は,最初にエバ,次にアダムが選択についてどのように自由意志を用いたかを語つています。彼らは,ヱホバと彼の律法に従うことから独立するという考えを,魅惑する一口の食物のようにみなし,自らの意志をもつてその考えをとり入れました。自分自身の方法で,自分自身の生命を生きる権利を彼らは欲しました。彼らは自分自ら法律を立てる者となりたく願いました。人間の従順を験す一つの簡単な命令を神は置きました。その命令によると,彼らはある木の実を食べてはなりませんでした。いろいろなものが豊かに彼らのまわりにあつたのですから,その木に近づく必要は全然無かつたのです。また,不従順に対する刑罰は,すなわち死であり,生命から全く切り絶たれる(永遠のくるしみの中に生命が保つのではない)ということをはつきり言われていました。蛇を代弁者として用い,サタンがエバに近づいた時に,サタンのした最初のことは,神の語つた言葉の真実性を疑わせることであつたということに注意してください。サタンがエバに言つたことを意訳してみると次のようになります「もし背くならば,あなたは必らず死ぬと神は言つたか? 神はあなたに真理を言つていない。あなたは決して死なないであろう。なぜならば,神はあなたに言わなかつたが,あなたが禁ぜられた実を食べる日には,あなたの目は開け,あなた自身神のようになり,そしてあなたは善と悪を知るようになる。つまりあなた自身で何が正しいことであり,何が悪いことであるかを決定することができるということを神は知つているからである。」(創世 3:1-5)そして,彼らの目は開きましたか? そうです。開きました。しかし期待したものに開きませんでした。彼らの目は開いて,罪の意識を恐ろしいまでに認識しました。何も着ない裸の状態では,創造者と顔を合わせることがとうていできないということを,彼らは鋭く意識しました。自分自身の自由意志を用いて,彼らは不従順と高ぶつた独立という同じ違法の路に従うという機会をとりました。それは,サタンの時と良く似ており,不法という罪であつて,死に値するという同じ結果をもたらしました。

      10 この研究は,現在の世の状態と精神について,どのように光りを投げかけますか?

      10 根本的な問題をこのように研究したことは,現在の世界の状態と現代流行の精神についてたくさんの光りを投げてはいませんか? 地上全体に亙つて,国々はそれぞれの独立の主権を曾つてない程に主張してはいませんか? 一般に人々の間では,過去の時代にはなかつたような非常な利己主義が今日あるというのが本当ではありませんか? そしてそのことについてしばしば言われてはいませんか? いま聖書の音信に注意を払うのを拒絶する際に,次のように言つて人々はよく言い訳をするではありませんか?『その聖書の文書は要りません。結構です。教会にそう多くは行きませんが,正しい生活をしていると信じており,誰にも害を与えていません。それが私の宗教です。それ以上なにをすることがありますか?』 そうです,これは人間家族の最初の両親と同じ独立の精神です。自分自身の方法で他人からなんらの干渉をうけずに,自分自身の生活をする生命の権利を求めているものです。たしかに,『現在の悪い組織制度』の全機構は,その主張することにも拘らず,神と不調和であるということについては,十分の証拠があります。『現在の悪い組織制度』の基礎は違法であり,全く正しい途から外れておりますので,亡びに向つています。丁度イエスの言いましたように,この世は『砂の上に家を建てた愚かな人に譬えられる。雨が降り注いで,洪水が起り,風が吹いてその家を打つた。そしてそれは倒れ,そのたおれは大きかつた。』簡略に言うとこのことがらは,次の予言に力強く表わされています『民おきてにそむき,法を犯し,とこしえの契約をやぶりたるが故に,地はその下にけがされたり。このゆえに,のろいは地をのみつくし,そこに住める者は罪をうけ,また地の民はやかれて僅かばかり遺れり。』― ガラテヤ 1:4。マタイ 7:26,27。新世。イザヤ 24:5,6。

      賢い御国建築者たち

      11 なやみと苦しみのこの日は,神の献身した民にとつてなぜすばらしく幸福な日なのですか?

      11 その暗い絵から離れてくる時に,神の恵みある御親切になんと,私たちは深く心を打たれるのでしよう。神の恵みある御親切は,私たちに自由に示されています。いま話したそのような予言が,成就するのに近づいているのを見て,人々が『恐れのために気絶する』ような兆は,私たちをして非常によろこばせます。というのはイエスはこのように言つたからです『しかし,これらのことが起り始めるならば,真直ぐに立ち,頭を起しなさい。というのはあなた方の救助は近づいているからである‥‥これらのことがらが起るのを見る時,神の御国は近いと知りなさい。』(ルカ 21:26-31,新世)真理に目の開かれている人々にとつて,それは本当にすばらしい幸福な日です。それらの人々は,そのような行いをする特権を見ることができます。そのような行いによつて,彼らは,神の制度シオンの指示を受けつつ聖なる御国奉仕に,献身した神の民と共に分けあずかることができるのです。そのような人には,神の語られ,書いた言葉を信じまた理解するというよろこびが与えられているばかりでなく,ヱホバの証者として神の言葉を語り,伝道するという権威が与えられているのです。そのことは,次の約束の中に美しく言われており,私たちに確信を与えるものです『われはわが言葉をなんじの口におき,わが手のかげにて汝をおおえり。かくてわれ天をうえ,地の基いをすえ,シオンに向いて汝はわが民なりと言わん。』(イザヤ 51:16)そのような約束は,私たちの合法的な相続になるのです。

      12 ヘブル人への手紙の中で,パウロはどんな主題に従い,どんな最高潮に達していますか?

      12 ヘブル人にあてた長い手紙の最高潮に来た時,パウロもまた,建設された御国という主題をとり上げて『あなた方は,シオンの山と,生きている神の都,すなわち天的エルサレムに近づいている』と彼は書いています。それから又,もつとも重要な神の語られた言葉を強調して,彼はこのように警告しています『語られる方を拒まないように気をつけなさい。』実際に,神の語られた言葉は,使徒の手紙の書き出しの言葉から始まつて,すべてのところにしばしばくり返されている主題です。そして最後にパウロの次の言葉を読みましよう。それは最も私たちを励ますものですが,しかし警告をも与えるものです。『揺ぐことのない御国を私たちはいただこうとするのであるから,恵みある御親切を持ち続けよう。その御親切によつて私たちは敬虔の恐れをもつて神によろこばれる聖なる奉仕を捧げることができるのである。』そしてそれは天的希望を持つ者を励ますものだけではありません。というのは,王であるキリスト・イエスによつて今日『右に』おかれているすべての羊は『世の基いからあなた方に準備されている御国を相続する』よう招待されているからです。―ヘブル 12:22,25,28。マタイ 25:34,新世。

      13 一つの基礎に立つ時に,私たちは何を注意して避けねばなりませんか?

      13 私たちの一人一人各自が,御国の『基礎の隅石』の上に勤勉に,そして賢く立てるよう気をつけましよう。(コリント前 3:11-13)一方にまた,ヱホバとその制度より先走つてはなりませんし,あなた自身で神によろこばれる聖なる奉仕の捧げ方を決定してはなりません。そうするならば,法律家の言うように,あなたは権限を越える,つまりあなたの法的な権利を踏みこしてしまうという危険を冒すことになります。また別に,あなたの御国奉仕で怠けてはなりませんし,不規則になつてはなりません,そのようでは,価値あるものを何一つ建てることはできないでしよう。というのは『ものうきところよりして,屋根は落ち,手を垂れおるところよりして家は漏る』。本当に『あなたの業に怠けるな,御霊に燃えなさい。』― 伝道之書 10:18。ロマ 12:11,新世。

      14 私たちがヱホバに与える最も重要な言葉は何ですか?

      14 結論として,みなさんにこの点を考えていただきたいと思います。ヱホバは最も重要な彼の約束の言葉を誓われているということです。神の言葉を研究して真理をより多く学び続けるにつれて,私たちの利益のためにされている神の驚くべきほどにすばらしい御準備を,より一層鋭く認められませんか? そして,『わが子よ,汝の心を我に与えよ』という召の言葉に答えるようになりませんか?(シンゲン 23:26)献身の誓約をすることによつて,あなたの約束の言葉を誓い,その召に答えるのはあなたの特権です。あなた自身の個人に関する限り,それはあなたが与えることのできる最も重要な言葉です。その言葉を守りなさい! その言葉を尊びなさい! その言葉にふさわしいように生活しなさい!

      15 神の祝福を受けるのに,私たちにとつて何が最も大切なことですか?

      15 アブラハムの裔の一部であるという希望はなく,またキリストと共に天の御坐に与る見込みがないからなどと言う言い訳はなりません。神の祝福を楽しみたいとあなたは大いに望んでいるのではありませんか? アブラハムと同じ種類の信仰をあなたが表わさず,そして真の献身と崇拝の霊をもつて,心からの従順を表わさないならば,あなたは,アブラハムの裔の一部としても,または『地上の全家族』の一部としても,全く祝福をうけないでしよう。悪魔によつて欺かれてはなりませんし,脅かされてもなりません。悪魔は『吠える獅子のように歩き廻つており,誰かをむさぼり食おうと求めている。しかし,信仰に固く立ち,悪魔に反対しなさい。』― 創世 12:3,新世。ペテロ前 5:8,9,新世。

      16,17 最後にどんな訴えがなされていますか? それに答えることのできるようどんなすばらしい励ましが与えられていますか?

      16 それであなたが祖先アブラハムのようになつてもらいたいと,また最後にいたるまで正しい種類の勤勉さを示し表わすよう私たちは強く願うものです。そして,あなた方は,まことの固い,合法的な基礎を持つその都から流れ出るそれらの祝福を相続するという希望は,全くたしかに持つことができるのです。それらの祝福はいまあなた方に示され,あなた方を招いているのです。聞いてごらんなさい!

      17 『それから,私は新しい天と新しい地を見た。なぜならば前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。私はまた聖なる都エルサレムが,夫のために美しく装いした花嫁のごとく準備して,神から天から下つてくるのを見た。それと共に,御座からの大きな声が次のように言うのを聞いた「みよ! 神の幕屋は人間と共にあり,神は人間と共に住まわれ,人間は彼の民となるであろう。そして神自ら人間と共にいるであろう。神は彼らの目から涙を全部ぬぐい取られるであろう。死はもはやないであろう。そして歎きも,叫びも,苦しみもないであろう。前にあつたものは過ぎ去つたからである。」すると御座に坐られる方は言われた「みよ! 私はすべてのものを新たにする。」また言われる「書き記せ,これらの言葉は信頼するに足り,真のものであるから。』― 黙示 21:1-5,新世。

  • 完全に一巡り
    ものみの塔 1954 | 6月1日
    • 完全に一巡り

      クリスマス飾り木は今や完全に一巡りしました。最初異教徒が真冬の祝にそれを使いました。自称キリスト教徒達は彼等が征服して同化した異教徒を真に改宗させようと骨を折らず異教徒の汚れた儀式にキリストの名を冠しました。異教徒はそれに満足し,「キリスト教徒」もキリストの誕生は1年の中で真冬に祝の行われる時期であつた筈がないにも係わらず,それに満足しました。初代の所謂キリスト教徒と同様,今度は共産主義者が事の善悪はさておき,人々の習慣に反対する必要はないと思つています。そこで彼等は簡単にもう一度名前を変えました。1952年2月3日のルーマニア・ニユース紙に依れば,新しい名前は「冬の木の祝い」,「子供の冬休み」或は「冬の祭り」です。ブカレストには無数の電球や飾紐,金色の球,小さな金属製の鐘をつけた,70尺(英尺)もの高さのクリスマス・ツリー(ではなくて冬の木)が立ち,贈物を差し出している『霜の父』が大きな板に画かれて,「お伽ぎの国」が出来ました。電球や飾りのついた常緑樹があり,贈物を与える『霜の父』も揃い,キリストの名が取り去られて,クリスチヤンのものでない儀式はその異教の起源に戻りました。

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