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エホバを喜ばすには信仰と決意が必要ものみの塔 1969 | 12月1日
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れる人もあるでしょう。しかしそのために恐れてやめてはなりません。それはいくじのないこと,また自殺行為にさえなるでしょう。臆病な者は神の国に決してはいれないからです。(黙示 21:8)賢明な道は全き信仰と決意をいだき,かつ,それがたとえ苦しい死を意味するものであっても,エホバに対する全幅の確信と信頼とをもって急ぎ前進することです。あなたを激励するものとしてこうしるされています。「なんぢ受けんとする苦難をおそるな,みよ,悪魔なんぢらを試みんとて,汝らの中のある者をひとやに入れんとす。……[ゆえに]なんぢ死に至るまで忠実なれ,さらば我なんぢに生命のかんむりを与へん」― 黙示 2:10。
33 エホバに忠実な人は,今また将来,どんな報いを受けますか。
33 信仰,そうです,妥協することがなく,かつ,行動によって実証された信仰,それとともに,神のご命令に従う確固たる決意,これこそエホバの心を喜ばし得るものです。(箴言 27:11)そして,報いを賜うこの偉大な神は,「終わりの時」の今,そのような忠信者を数数のすばらしい特権をもって豊かに祝福してくださるのです。彼らの喜びの杯はあふれ,その前途にはなんと輝かしい賞があるのでしょう。そして最高潮を迎え,終わりなき命の最上の報いが永遠に彼らのものになるのです!「義人は信仰によって生くべし」とあるとおりです。―ガラテヤ 3:11。ロマ 1:17。
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クリスチャンは正直に生活すべきですものみの塔 1969 | 12月1日
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クリスチャンは正直に生活すべきです
今の時代にあって,正直に生活することは可能ですか。クリスチャンはどうすれば良心を守れますか。
あなたは,入口に二重の鍵をかけないでも,家族で二,三日遠出をできた時代のことを覚えておられますか。買い物の際のおつりをポケットに入れる前に確かめる必要を感じなかった時代を覚えておられますか。こうした事柄を脳裏にとどめておられるならば,あなたは少なくとも中年に近づいておられるでしょう。たいていの場所において,そうした時代はしばらく前に過ぎ去ってしまったからです。
盗み,うそ,欺きなどは,食事や睡眠のごとくに,日常茶飯のことになりつつあります。人から物を奪うことは,今では,それほど異常なこととはみなされません。夜を待たずに自分の“仕事”をする略奪者が多くなっています。白昼にナイフを突きつけて,人から物を奪うことさえするのです。だれも手を出す者がいないことを知っているからです。事実,そうした者たちが一種の英雄のごとくにみなされることもあります。そして,もしつかまれば,へまをしたと見る人々もいるのです。
しかし,不正をほしいままにするこうした態度は,職業的な犯罪者の世界に限られていません。あなたもその点に気づいておられるでしょう。不正な行為のはるかに多くは,卑しからぬとみなされる人々,つまり,ひととおりの家を構えて世間なみの仕事につき,小ぎれいな身なりで善良な市民のごとくに町を歩く人々によってなされているのです。
たとえば,休暇か仕事の旅行で海外に行き,関税を払うべき品物を携えて帰って来る人がいます。どろぼうと呼べば,その人を怒らせることになるかもしれません。しかし,多少の策を弄して,あるいはなんとか巧みに言い抜けて,関税を払わずに税関を通ることができるなら,その人はそれについて誇らしげに言いふらすでしょう。税関の目をごまかした品物が多ければ多いほど,それを聞く人はそのことをもてはやします。こうして政府に対する不正はごく普通に行なわれています。
しかし,真のクリスチャンであれば,こうした行為をどのようにみなすべきですか。一般の風潮に加わって,自分も不正な行為にふけることができますか。そうではありません。クリスチャンは,神の名を汚すような人々や行為から離れることを命じられています。「盗する者は今よりのち盗すな」とはっきり命じられているのです。したがって,巧妙な手段でごまかしたり,周囲の人々がしているからという理由で不正を行なうことは全く許されていません。―エペソ 4:28。
取り引きにおける正直さ
正直に商売をすることはしだいにむずかしくなっています。輸入税は高すぎ,他の商人たちは密輸をしたり,製品の質や価格を偽る不法な生産者と取り引きしたりするかもしれません。しかし,クリスチャンの商人はそうした慣行に頼ってもよいですか。
そのようなことは許されません。クリスチャンは何よりもエホバ神を喜ばせようとしているからです。聖書は,「邪曲なる者はエホバににくまれ,ただしき者はその親しき者とせらるべし」と述べています。(箴言 3:32)確かに,正直な取り引きをし,しかもなお不正な商人たちと競争してゆくことはむずかしいでしょう。しかしたとえ利潤は減るとしても,正直に行動するクリスチャンは人の信頼と自尊心とを得,何よりも神の御前で良い立場を得られます。これは,物質面で成功するより,はるかに価値のあることです。
取り引きにおける不正は行政当局者の不正な慣行に由来する場合があります。会計検査官その他の監督官の中には,片手に“大むち”を握りながら,他方の手でわいろを求める者がいるのです。しかし,わいろの授受は神のしもべの行なうべきことではありません。「なんぢ賄賂を受く(あるいは,与ふ)べからず賄賂は人の目を暗ましただしき者の言を曲しむるなり」。(出エジプト 23:8)不法な行ないに目をつぶってもらうため,政府の役人にわいろを送るのは,法律に違反する行為です。それは他の人々の道徳心を低下させることにもなります。
クリスチャンの商人は政府当局者と顧客の双方に対して道義上の責任を負っています。当局者の目をくらますために二重の帳簿を作り,公衆を欺くために二つのはかりを使うことは一般の慣習となっているかもしれません。しかしこれはどちらもエホバ神の不興をこうむる行為です。そのみことばはこう述べています。「二種のふんどうはエホバに憎まる 虚偽のはかりはよからず」― 箴言 20:23。
雇い人を正直に扱うこともクリスチャンの務めです。雇い主には,健康,失業その他の社会保険のために,従業員の月々の給与の中から一定額を控除する務めがあるかもしれません。しかし国によっては,雇い主がこの種の支払いを怠り,結果として,従業員が必要な時に恩恵を受けられないような場合もあります。しかしこれは雇い主の不正です! イエスは,「労働人のその値を得るはふさはしきなり」と教えられました。今日,働き人の受けるべき値の中には,給与から差し引いたものを正しく処理することも含まれているの
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