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  • それとは知らずにサタンを崇拝することがありえますか
    目ざめよ! 1971 | 8月8日
    • にかかわらず,神のことばに注意を払わない人は,神の敵対者,悪魔の意志を行なっています。

      人間の知恵を信頼する者が陥りかねないわなにはどんなものがありますか。聖書が不正を是正する解決策として述べている神の王国を無視する人は,ある種の“平等促進”グループや政治闘争,または人間の思考の同様の所産に類するものに巻き込まれるようになるかもしれません。あるいは,自分の隣人を愛せよとの聖書の助言を非現実的なものとして拒絶する人は,「人はすべて自分のことで精一杯」という態度を取って,徹底して利己的で,物質主義的な生き方をすることになりかねません。

      そうした事柄に巻き込まれる人は,それが原因で神から離れ,神の王国の良いたよりを受け入れません。―ヤコブ 4:4。

      さらに,進化論があります。それもまた,聖書に支持されていない人間の哲学です。そうした哲学を採用する人は誠実であるかもしれませんが,それは私をどこに導くだろうか,と自問すべきです。進化論は知性ある創造者を否定し,その結果,創造者の義の規準に従う責任を否定します。そうした信念をいだく者は神と相いれない立場に自分を置くことになります。

      キリスト教世界の諸教会の立場

      前述の証拠と照らし合わせて,次のことがわかります。つまり,キリスト教世界にある多くの教派の一つの会員であり,神の崇拝者さらにイエス・キリストの追随者であると主張する人であっても,それと知らずに,実際には悪魔に献身と崇拝をささげている場合があるということです。マイアミ・ヘラルド紙の宗教関係の論説者は,1970年7月11日付の同紙の記事の中でこの事実に注目して,次のように報じました。

      「サタン教会に関する〔先日公表された〕報道に応答してくださった読者の中には,当教会の性行為に対する見解とその所信の表明に衝撃を与えられた人もいた。しかしながら,過去3か月間に,合同長老教会,米ルーテル教会,キリスト合同教会といったキリスト教の“正統派”の宗派が,程度の差はあれ,婚外交渉および同性愛行為を認める報告書を出版しているのである。

      「このうちの二つの宗派は,教会の勤労青少年向けの雑誌を協同で出版しているが,その最近号には“ペッティング・パーティー”の詳細が生き生きと描かれており,その行為を十代の性的発育に対する健全な態度を示すものであるとして認めている。

      「…ほとんど全宗派が,すべての人に生活を楽しませるために十分の食物,衣服,それに住居と健康を与えることにいっそう重点を置きはじめた。〔その結果,霊の思い,神のことばで人々を教育することがおろそかにされている〕。

      「これをサタン崇拝の浸透と見る人もいる。なぜなら,サタン的聖書によると,『人間たる動物こそ悪魔崇拝者の神なり』であり,宗教の目的は人間のあらゆる肉欲を充足させることによって,人間を幸福にする点にあるからである」。

      論説者はこうした事実を考慮して,次のような結論を述べている。「われわれのすべては自分では認めたくないほど異教的なのかもしれない」。

      真の自由は神への奉仕に見いだされる

      神に仕えることを真に願うなら,平和,健康,楽しい生活をもたらす方法に関して神が語っておられることを信じなければなりません。また,伝道之書の賢明な記述者の言ったことが,わたしたちの住んでいる現在の事物の体制に関して真実であることを悟る必要があります。すなわち,「曲れる者は直からしむるあたはず」。(伝道 1:15)そうです,この事物の体制はいたるところ利己主義で痛めつけられており,改めるにも償うにも打つ手がありません。その証拠として,とどまる所を知らない犯罪・貧困・汚染・麻薬の問題を考えてみてください。

      したがって,神のことばの真理を受け入れる人々は,「地に属し,情欲に属し」かつ悪鬼に導かれているがゆえに「悪鬼に属する」知恵ではなく,ただ神からの知恵だけが人類を正しい方向に導きうることを認識します。(ヤコブ 3:15,16)彼らはメシヤによる神の王国がサタンと彼の精神を表わす人々を滅ぼすことを待ち望みます。その王国が人類の事態を正すことに信頼を置いているのです。

      使徒パウロは,『造られたる者も滅亡の僕たる状より解かれて,神の子たちの光栄の自由に入る』時をさし示しました。(ロマ 8:21)神から独立しては,真の自由も幸福ももたらされません。人生をほんとうに生きがいのあるものにするのは,実際には「愛,喜び,平和,寛容,親切,善良,信仰,柔和,自制」ではありませんか。そうした事柄に対して,同じ使徒はそれを「禁ずる律法はない」と述べています。それらは神の霊の実であり,拘束を受けずに実践することができます。それこそ真の自由であり,今でさえそれを楽しめるのです。―ガラテヤ 5:22,23,新。

      これがあなたの心の願いをかなえる自由ではありませんか。神の霊の導きのもとに,神のことばを学び,そうした良い事柄を今実践することにより,神の新秩序での命を受ける備えができます。その時には,これらのすぐれた特質が全人類の物事の中で顕著なものとなるでしょう。そうです,わたしたちはこうして「神の子たちの光栄の自由」を享受するものとなりうるのです。宇宙の創造者かつ所有者の子たちであるということにまさる偉大なほまれや自由が,いったいどこにありえますか。―詩 19:7-11。

      しかし,神のことばを生活の導きとして心をこめて受け入れた後でさえ,なお神の敵対者に用いられる危険があるのでしょうか。

  • だまされないように気をつけなさい
    目ざめよ! 1971 | 8月8日
    • だまされないように気をつけなさい

      真のクリスチャンになった者たちは,「暗黒の権威より救ひ出された」と述べられています。(コロサイ 1:13)この暗黒をつかさどる支配者の実体は,聖書のエペソ書 2章2節〔新〕のことばによって明らかにされています。そこで使徒パウロは,エペソ会衆の会員たちがクリスチャンになる前,『この〔事物の体制〕の習慣に従ひ,空中の権を執る〔支配者〕,すなはち不従順の子らの中に今なほ働く霊の〔支配者〕にしたがって歩んだ』と述べています。

      この使徒はそれらのクリスチャンに,「悪魔の術に向ひて立ち得んために,神の武具をもてよろふべし」と助言した時,その強力な支配者の名前を明らかにしました。―エペソ 6:11,12。

      したがって,クリスチャンは細心の警戒と用心を必要としています。多くの面で神の要求を果たしているかもしれませんが,警戒を怠ると,やはり突然に,そしてうっかりとサタンの意志を行なう事態に陥るかもしれないのです。使徒ペテロはこう助言しました。「慎みて目を覚しをれ,汝らの仇なる悪魔,ほゆる獅子のごとく歴廻りて呑むべきものを尋ぬ」― ペテロ前 5:8。

      エペソ会衆のある者は,明らかに警戒を怠りました。そして真理から逸脱させられようとしていました。パウロはテモテに手紙を書き送って,そうした者たちが『悪魔のわなから出て正気に戻る』

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