ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 『神の全きみこころ』を行うために自由の身となれ
    ものみの塔 1959 | 7月1日
    • 『神の全きみこころ』を行うために自由の身となれ

      『この世の組織制度に従うのをやめなさい。むしろ,神の善にして御旨にかなう全きみこころをわきまえ知るために,あなた方の思いをかえて変化しなさい。』― ロマ 12:2,新世。

      1 どんな勝利の宣明は,いまなされていますか。そして,どこで?

      ヱホバは次のいましめを与えました,『国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。』(レビ記 25:10,新口)くらやみは地をおおい,核時代のこい暗黒は諸国民の上にたれふさがつていますが,自由は地の果までも宣明されています。どのように?『この世の国は,われらの主(ヱホバ)とそのキリストとの国となつた。主は世々かぎりなく支配なさるであろう。』ということを堂々たる勝利を得た仕方で宣明することによるのです。(黙示 11:15-18,新口)神と人類のすべての敵どもは滅びを受けます。間もない中に全地は『水の海をおおえるごとく,ヱホバを知るの知識』がみち,そして善意者は一致したひとつの人間家族として永遠の自由と幸福の中に入り,その創造者にして大いなる恩恵者を賛美する,ということを宣明します。―イザヤ 11:1-9。

      2 どこだけにこの良いたよりは見出されますか。

      2 なんとすばらしい良いたよりなのでしよう! 人種,国家,種族がなんであろうと,又住んでいるところがアフリカ,アメリカ,アジア,欧州又は海洋の島々であろうと,正直な心を持つすべての人の心をあたためるなんと良いたよりなのでしよう! この自由を告げるよろこびのたよりは,神の自由の本,聖書の中だけに見出されます。この聖書について,神の子イエスは『あなたの御言葉は真理であります。』と言いました。―ヨハネ 17:17,新口。

      3 (イ)どんな面でこの世は牢獄の家ですか。(ロ)イエスは言伝えの罠をどのように識別しましたか。

      3 聖書は捕われている人類に自由を告げています。そして又,現在のこの世を大きな牢獄の家に変えた命取りの罠をも明白に示しています。この世が牢獄の家? そうです,牢獄の家です。そして,キリスト教国と異教国の両方ともがんじがらめの宗教的な言伝えにより,この牢獄の家の中に束縛されているのです。今から19世紀以上のむかし,偉大なる自由の戦士イエス・キリストはユダヤの国民の牢獄管理人たちを非難して次のように言いました,『なぜ,あなたがたも自分たちの言伝えによつて,神のいましめを破つているのか。……あなた方は自分たちの言伝えによつて,神の言葉を無にしている。偽善者たちよ。』(マタイ 15:3,6,7,新口)彼らは偽善にも表向きの敬意を神に払いましたが,しかしその間サタンに束縛されている崇拝の形式という言伝えを教えたり,また言伝えに従う生活をしました。しかし,言伝えの罠はパリサイ人の時代に限られていたのではありません。言伝えと習慣の束縛は,今日の地上にいる全国民をいま抑制しているのです。

      4 神のみこころを行うために,人はどのように束縛を絶ち切つて自由になれますか。

      4 人は,この束縛をどのように絶ち切つて自由の身になれますか。偉大なる自由の戦士イエスの言葉に注意を払うことにより自由の身になることができます。このイエスは,『柔和な人々に良いたよりを告げ,……捕われ人に自由を告げ,縛られている者の目を大きく開く』ために,ヱホバより油を注がれました。(イザヤ 61:1,新世)彼は真理すなわち聖書の真理を教えることにより,理解の目を開きます。彼の教えを信ずる者に向かつて,彼は次のように言つています,『もし私の言葉のうちにとどまつておるなら,あなた方は,ほんとうに私の弟子なのである。また真理を知るであろう。そして,真理は,あなた方に自由を得させるであろう。』(ヨハネ 8:31,32,新口)真理は言伝えから人を自由にします。それで人は『神の善にして御旨にかなう全きみこころ』を証明して行うことができます。―ロマ 12:2,新世。

      5 自由の身になるため,どんな種類の戦いが必要ですか。自由の身を保つためには? それをするだけの価値がありますか。

      5 イエスの弟子たちは,彼らの主と同じように,全世界にわたる束縛と,自由になる為に必要な戦いについて語りました。弟子たちのひとりである使徒パウロは,次のように述べています,『私は主にあつておごそかにすすめる。あなた方は今後,異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり,その内なる無知と心の硬化とにより,神のいのちから遠く離れ,』(エペソ 4:17,18,新口)しかし,諸国民と共に歩くことを止めるため,善意者たちは『すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ』ねばなりません。(コリント後 10:3-5,新口)彼らは,神を知らないこの世の混乱している無益な考えとか,習慣を断ち切つて自由の身になるため,戦わねばなりません。そうです,いつしようけんめいに戦わねばなりません。そして,自由の身になつてからは,彼らはこの自由を保つために戦いつづけねばなりません。それは努力と大きな犠牲を意味するでしよう。しかし,神の与えたもう報いは,その犠牲を100倍以上もつぐのうものです! ―マルコ 10:28-30。

      6,7 (イ)全世界にわたりどんな因襲の型が見出されますか。(ロ)偶像崇拝は,どの程度まで罠となりましたか。

      6 『あなた方の思いをかえて変化しなさい。』とパウロは言つています。何から変化するのですか。この世の因襲の型からです。これは,国によつてはすこしくちがうでしよう。しかし,一般的な型は同じです。それは,真理や愛にもとづいておらず,迷信,偽り,そして利己主義にもとづいています。ソロモンは,この大きな世を『最大の空虚』『風のために労する』ものと語りました。―伝道之書 12:8; 5:16,新世。

      7 全世界にわたるこの型の大きな部分は,宗教的な形式主義のきずなです。キリスト教国でも異教の国でも,聖なる行列,ろうそく,香をささげること,偶像そして『聖徒』があります。いわゆる『クリスチャン聖徒』を良く知つている人々は,東洋の国々を訪問したとき,後光や珠数を持つ仏陀の偶像を見つけても驚きの言葉を言い表わす必要はありません。それはみな,この世の型の一部です。パウロの助言は,全世界にいて真理を求める人々に良いものです。『愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。』(コリント前 10:14,新口)偶像崇拝は罠であつて,唯一つの真の神の崇拝について人々をめくらにしています。―コリント後 4:3,4。

      8,9 (イ)『クリスマス』や類似の祝祭は『キリスト教国』に限定されていますか。(ロ)そのような祭り騒ぎについてペテロは何と言いますか。

      8 しかし,偶像崇拝や他の形式主義的な儀式から自由になつた多数の者たちは,一層巧妙な偶像崇拝の形式に対して警戒しなければなりません。全世界にわたり,神の御言葉に反対な宗教の習慣や国家的な習慣が深く染みこんでいます。もし神の新しい世で生命を見出したいなら,これらのものからも自由にならねばなりません。これらの習慣の多くは,一般的なものになり,キリスト教国や異教国の両方ともそれを行つています。例えば,『クリスマス』のばか騒ぎがあります。キリスト教国は,『クリスマス』を異教国から借用しました。a ところが,いまはいわゆる異教国も『クリスマス』を取りもどしているのです。仏教の国,日本の東京からの次の新聞報告にこう示されています,『クリスマス・イブ ― この夜の人出は延べ370万(警視庁25日朝までの調べ)という戦後最高のにぎわいだつた。』b

      9 『クリスマス』の型は,全世界にわたつて同じです。しかし,それはキリスト教のものですか。絶対に否!であります。世界中で行われている新年の祝い,春の祭り,収獲の感謝祭は,聖書の教えと一致していますか。それとも,それらはこの世的な『逃避主義』ですか。「心を変えている」人々に向かつて,ペテロは次のように言つています,『過ぎ去つた時代には,あなた方は,異邦人の好みにまかせて,好色,欲情,酔酒,宴楽,暴飲,気ままな偶像礼拝などにふけつてきたが,もうそれで十分であろう。』(ペテロ前 4:3,新口)この世的な事がらを避けなさい!

      10,11 (イ)不滅性という一般的な教理は,人々にどんな大きな重荷をかけましたか。(ロ)死人についての聖書の真理は,どのように慰めをもたらしますか。

      10 ヨハネはこう言いました,『全世界は悪しき者の配下にある。』(ヨハネ第一書 5:19,新口)人類の先祖たちにむかつて,『あなた方は決して死ぬことはないでしよう』と語つたのは,その『悪しき者』サタンでした。これは,いつわりの父から出た最初の嘘であつて,その中には人の魂は生まれながらに不滅という後日のいつわりも含まれます。(創世 3:4。ヨハネ 8:44,新口)神の言葉は『罪を犯せる魂は死ぬべし』と明白に述べています。しかしその神の言葉とは反対にこの世の宗教はサタンの教えにかたくしたがつています。(エゼキエル 18:4)魂は不滅であるという信仰に従つて,自称『クリスチャン』も『異教徒』も,『死んだ者』の霊のために長い祈りをささげ,特定な季節には家族の社か墓に詣でます。西洋の国々では,葬式はしばしば非常に値の高いもので,故人のための祈りは極めて高いものです。ところが,ある東洋の国では,それはもつと高い費用です。中国人は一生涯の働きを貯金して,自分の葬式をいちばん豪華なものにしようとします。子供たち,孫たち,甥たち,そして他の親族は,生者および死者に服従し,死後の幾年間はいろいろの色の喪服を着るよう期待されています。

      11 しかしながら,神の完全なみこころを知るために「その心を変える」人々は,そのような宗教的な束縛を絶ち切つて自由の身になることができます。さらに,聖書の真理を持つている彼らは,『正しい者も正しくない者も,やがてよみがえるとの希望を,神を仰いでいだいている』と告げることにより,遺族たちを慰めることができます。(使行 24:15,新口)『神を仰いで希望』をいだいている人々は,死んだ人々を崇めるというこの世の仕方に従う行いをいたしません。むしろ,彼らはヱホバを崇め,死人についての神の愛ある目的を知らせます。―ヨハネ 5:28。

      12 どんな生命の力は,物質主義と抑制の働きをなす封建的な言伝えを克服することができますか。

      12 この世の束縛の形式は,生活のあらゆる活動に食いこみます。西洋の国々で,『富むことを願い求める者』は,致命的な物質主義という束縛に落ちこみます。(テモテ前 6:9,10)東洋の国々では,人々は習慣や義理につよくしばりつけられているため,明瞭に考えるとか自分自身で考究することは非常にむずかしいものです。それらの人々は,封建主義社会内で屈従の地位を保たねばならぬと,すくなくとも考えます。タイ国の仏教徒たちは,クリスチャンの奉仕者たちに向かつて,タイ人に聖書を説明することなどは,丁度水牛にバイオリンを奏でるのと同じく無益なものだと言います。ところが,このことは必ずしも正しいことではありません。というのは,仏教徒でさえ,自由になり,『全国民の貴重なもの』の一部になつて,ヱホバ神を崇拝しているのです。このことはヱホバの御言葉,聖書の中にある力強い,生命の力を真実に証明するものです。―ハガイ 2:7。ヘブル4:12。

      13 この世的な知恵の束縛について,パウロはどんな警告を与えていますか。

      13 それからこの世的な知恵の足かせがあります。西洋と東洋の両方でも,多数の人々は人間の哲学に束縛されているのです。孔子は頭の学問である知恵を強調しました。今日に至るまで,いわゆる知者という人々がいて学問を祭り上げ,ひとつの種類の学問から別の種類の学問にと移り動いて行きます。彼らは,文化を求めるのだと言います。そのような者について,パウロは次のごとく戒めています,『哲学や空しい欺きで,あなた方をとりこにしようとする人のいることに注意しなさい。それらは人の言伝えや,この世の初歩の事柄に従うのであつて,キリストに従うものではない。』― コロサイ 2:8,新世。

      自由を得る為に全く絶ち切る

      14 (イ)いま何がぜひ肝要ですか。(ロ)いま真の幸福をどのように得ることがきますか。

      14 古い世に束縛されている人々にとつて,いまや自由の身になるために古い世から離れるすばらしい機会,自由を得る機会が来ました。いまこのように離れさることは,是非とも肝要なものです。この世は『終りの日』だからです。(テモテ後 3:1)今日,正確な知識はなんと必要なのでしよう!『ヱホバを畏るるは,知識の本なり。』(シンゲン 1:7)自然界の畏怖すべき業や,創造の美しい変化を見るとき,善意者はみなヱホバの居られることを認識するにちがいありません! しかし,聖書の神は名前のない抽象とはちがいます。彼は最高の御方で『世々の支配者,不朽にして見えざる唯一の神』です。(テモテ前 1:17,新口)彼はあらゆる生命と力の源です。彼は偉大なる目的を立てる方,ヱホバです。ヱホバの考えと道は,人間の知恵よりずつと高いものです。(イザヤ 55:8-11)ヱホバのことを学び,真の知恵を得る人は幸いです。(シンゲン 3:13-18)ヱホバを知るためと,「すべての心をこめ,すべての魂をこめ,そしてすべての思いをこめて」ヱホバを愛するために研究する人は,本当に幸福です。この者は『いつさいの知恵と霊的な分別において,神のみこころの正確な知識でみち,ヱホバにふさわしい者として歩く』でしよう。(コロサイ 1:9,10,新世)その者は,ヱホバが御子イエス・キリストを通して備えられたすばらしい御準備を真実に認識します。その御準備は,『神の全きみこころ』を行い,世の終りに生き残るため,自由の身にさせるものです。

      15 自由になつた者たちについてどんな良い例が引用されますか。

      15 聖書の頁は,神のまつたきみこころをするために自由になつた人々の例でいつぱいです。これらの人々は,神の全きみこころを行うため一生涯を戦い通して忠実を守つた人々です。その生涯は,よろこびと満足の生涯でした。バビロンに捕われていた3人の忠実なヘブル人たちがいました。彼らは群衆と共に偶像崇拝をすることを拒絶したのです。ひとりで立つことは,勇気を要することでした。丁度,いま自称クリスチャンや仏教徒たちが,先祖代々伝えられてきた偶像崇拝から離れる際に勇気を要するのと同じです。エレミヤがいました。彼は国家的な背教から離れ,ヱホバの言葉を宣明しました。それは勇気を必要としました。丁度,ヒンズー教徒やアフリカ人が国家的な宗教や種族の宗教から離れてヱホバの証言をすることに勇気を要するのと同じです。モーセがいました。彼はエジプトの上流社会の物質主義を捨てて神の民の下賤な社会を選びました。それは勇気を必要としました。しかし,彼が見出した豊かな霊的な富を考えてごらんなさい。それは,この現代の世のあらゆる物質的な恩恵をはるかに凌駕するものです。―ダニエル 3:13-18。エレミヤ 1:4-10。ヘブル 11:24-27。

      16 自由になるため,どんな報いを持つことができますか。

      16 今日のキリスト教国と異教の国の中で,幾十万という人々は真実の自由のために束縛を断ち切りました。それらの人々は『自分たちの神を知る民』です。そして,神とキリスト・イエスに信仰を持つことにより,彼らは全地にわたる一つの新しい世の社会として強くなりました。(ダニエル 11:32)親族や以前の友たちは,嘲けり笑つて『そんなことをして,何の得があるか』と言います。それらの人々は,どんな得をしますか。神の完全なみこころの知識の富,栄光に輝く新しい世における永遠の生命という確かな希望,そしてヱホバの新しい世の社会内で現在および永久にわたつてえられる真実の友のすばらしい愛です! 現在の世はその愛を決して理解しないでしよう。彼らはその愛を見ておどろきますが,この社会の一部にならないかぎり,その愛を理解しないでしよう。(ヨハネ 13:34,35)ヱホバの証者は,宇宙の主権支配者に心からの献身をささげることにより,心ののぞむすべてのものを得ることができます!

      17 自由になるためどんな積極的な行いは要求されますか。このことにおいて,どのように多数の人は失敗しましたか。

      17 献身?そうです,ヱホバへの献身は『神の全き御心』をするために自由の身となる際の最終の段階です。しかしながら,自由の身になるため積極的な行いは必要です。そして,献身に達するまでのすべての段階で積極的な行いが必要です。この世とちがつた考えをもつための積極的な努力,神の考え,聖書の仕方を考えるための積極的な研究,そして新しい世の社会内にあつて神の民と共になす積極的な交わりです。(コロサイ 3:23,24)ヱホバへの献身にまで達するために積極性は必要です。ここの段階でたくさんの人々は失敗しました。それらの人々は心を全く変えておらず,また決心もしていないのです。それらの人々は,全き献身をしていません。彼らは平和の新しい世で生活することは『すばらしい』と考えます。そして,時折りには神の奉仕に行くかも知れません。しかし,そこの段階で止まつてしまい,献身しようとはしないのです。それらの人々は新しい世の社会にみちる真実のよろこび,そして彼らにもみちる真実の愛を持つていません。心のごくわずかな部分をヱホバにささげて,残りを利己的な目的のために保つことは,十分でありません。『あなたは心をこめ,魂をこめ,力をこめて,あなたの神ヱホバを愛さねばならない,……あなたの神ヱホバは,専心の献身を求める神であられる。』(申命 6:5,15,新世)これは献身の点にいたるまで心を全く変えるという意味です。

      18 ルツはその献身という点で,どのように顕著な例でしたか。

      18 キリスト教国内に住もうと,異教の国に住もうと,モアブ人ルツの精神と同じ精神でもつて自由の身にならねばなりません。ルツは異教宗教の背景の下に訓育を受けました。しかし,ヱホバの崇拝者であるナオミは,真の神ヱホバについて教えました。ルツは古い交わりや自分の民を捨てるのにすこしもためらわず,新しい国に向かつて,新しい仕方の崇拝をするために出発しました。その道に出発しただけでなく,終りまで行い通し,神の民イスラエルに全く同化しました。自分の故郷に戻る機会が与えられても,ルツはそんなことをすこしも考えませんでした! ナオミに向かつて,彼女はこう言いました,『私はあなたの行かれる所へ行き,またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民は私の民,あなたの神は私の神です。』彼女の心はヱホバ神に全く献身していました。彼女は,死以外の何ものも,自分をヱホバとその民から離れさせないと断言したのです。神の民イスラエルの地で彼女の報いはなんと豊かなものだつたのでしよう! 彼女の忠実に対する報いは,復活のときになんと豊かなものでしよう! 死でさえも,彼女をそれから離すことができません! 今日の献身した忠実なヱホバの僕に,ヱホバが約束されている復活の際の祝福は,死でさえも引き離すことができません。―ルツ 1:16,17,新口; 4:13-15。

      19 神の献身した僕たちは,価値についてのどんな認識を持つていますか。

      19 自由の身に全くなる人々の生涯は,なんと幸福なものでしよう! それらの人々は価値を正しく評価する人々,ヱホバとそのめぐみを認識する人々,そして次のように言う人々です,『われ一つの事をヱホバに請えり我これをもとむ。われヱホバの美わしきを仰ぎ,その宮をみんがために,わが世にあらん限りはヱホバの家に住まんとこそ願うなれ。』(詩 27:4)『ヱホバよ,我なんじのまします家となんじが栄光のとどまる処とをいつくしむ。』(詩 26:8)献身した幸福な僕はその献身にそむかぬ生活をなし,昼も夜も宮で仕えて,神の民との交わりにいつもよろこんでいます! ―黙示 7:9-17。

      自由の奴隷

      20 (イ)自由になる者が『奴隷』になると言うのは,矛盾ですか。(ロ)どんな面で彼らは奴隷ですか。

      20 なんとすばらしい自由なのでしよう! それは永久につづく自由です。しかし,自由にされた神の人は『奴隷』とも言われています。言葉は矛盾していませんか。心から進んで奉仕して幸福のよろこびに満ちるヱホバの奴隷たちは,そのように見なしません。彼らは献身の誓を果して行きます。肝心な点はこうです,すなわち彼らの自由は相対的なものであつて,いつでもヱホバ神のみこころに従うということです。彼らがその御こころをよろこんで行うとき,ヱホバ神はすばらしいよろこびと自由で彼らを祝福します。しかし,その自由はいつの時でも御自分の神権的な取極めの正しい境界内のもです。それで,彼らは奴隷です,つまりヱホバの奴隷です。(黙示 19:4,5)彼らは又イエス・キリストの奴隷です,なぜならイエスは御自身の血で彼らを買われたからです。『あなた方のよく知つているとおり,あなた方が先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは,銀や金のような朽ちるものによつたのではなく,きずも,しみもない小羊のようなキリストの尊い血によつたのである。』(ペテロ前 1:18,19,新口)それで,彼らは『キリストの僕として心から神の御旨を行う者』になりました。―エペソ 6:6,新口。

      21 ヱホバの奴隷たちと,古い世の奴隷とは,どのような対照となりますか。

      21 しかしながら,ヱホバに献身しない人たちもちがつた種類の奴隷です。彼らはサタンとその世界の不幸な奴隷です。今日この地上にいる人は,誰でもこのみじめな世界の零落した奴隷になるか,又はかせを破つて自由の身となり,よろこびに満ちるヱホバの奴隷にならねばなりません。各人が決定しなければならないのです。(ヨシュア 24:15)イエスは次のように言われました,『だれも,ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し,あるいは,一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は,神と富とに兼ね仕えることはできない。』(マタイ 6:24,新口)賢明な者は次のように言います,『人われに向いていざヱホバの家に行かんと言えるとき我よろこべり。』(詩 122:1)献身の段階を断乎として取り,それからその献身をしつかり守るすべての人は,永遠のよろこびを得ることができます。

      22,23 ヱホバに献身する者たちには,どんな家族の問題が生じますか。そのような問題を取り扱うためにどんな助言が与えられていますか。

      22 しかし,古い世の事がらは献身する人々にたくさんの問題を投げかけます。多くの国で妻は夫の奴隷で,またある場所では夫は妻の奴隷です。このことは献身の問題にどのような影響を及ぼしますか。コリント前書 7章24節(新口)は,次のようにしるしています,『兄弟たちよ。各自は,その召されたままの状態で,神のみまえにいるべきである。』新しく献身した妻は,不信者の夫と共に生活しますが,しかし自分が『キリストの奴隷』となり『神のみまえにいる』ということを認めねばなりません。(コリント前 7:22-24,新口)別の言葉で言えば,その妻はクリスチャン崇拝を妨げるような卑屈な隷従を夫に捧げることはできません。しかし,自分の夫を去るという意味ではないのです。彼女はヱホバの崇拝にかたく立つと共に,家庭内で自分に要求されていることをもいつしようけんめいにいたします。(シンゲン 31:27,30)彼女は夫と自分の子供たちを愛しています,そして家族の福利のために働きます。クリスチャン原則に一致する彼女の新しい生活は,彼女の夫に大きな印象を与えることでしよう。―ペテロ前 3:1-4。

      23 ときどき『私の夫は反対です』という言葉を聞きます。しかし,夫はほんとうに反対していますか。自分の結婚配偶者と献身の事柄を一度も話しあつたことのない人がいます。不信者の配偶者が留守のとき,いくらか奉仕すればけつこう大丈夫であるなどと考えてはなりません。献身の意味を包みかくさずに説明する方がどれほど良いでしよう。ヱホバに新しく献身する人は,献身によつて家族の事柄は前よりもずつと良くなると結婚配偶者に知らせることができます。聖書もそうなると述べています。(テモテ前 5:8; 3:11)しかし霊的な事柄については,集会に出席したり,神に聖なる奉仕をささげる野外奉仕をしなければなりません。(ロマ 12:1)これらの事柄は,しばしば巧みにそして快い仕方で話しあうことができます。そして何時でも協力したいという心からの願いを明白にしなければなりません。妻は家庭の事柄における夫の頭の地位を尊敬しつづけねばなりません。夫が真理に答え応ずるなら,それはなんというよろこびでしよう! しかし,もし夫が聞かないなら,妻の謙遜な行動はしばしば多くのことを語り,彼女が良い妻であることを無言の中にも証明します。―テモテ前 2:8-10。

      24 世俗の仕事に対するクリスチャンの態度は,どんなものでなければなりませんか。

      24 多くの人々は自分の雇主または仕事に隷属していて,こんな風に感じます,すなわち自分たちの責任は勤務時間外にもあるのであつて,会社の従業員のために設けられている社会活動やスポーツの活動にも参加しなければならない,という具合に感じます。別の人は,自分の世俗の仕事に熱中するあまり昼も夜も一週の7日間を働きます。物質的な利益がどのようなものであろうと,また昇進がどのようなものであろうと,その一つとして神の新しい世における永遠の奉仕というすばらしい見込とはとうていくらべることのできないものです。賢い人は世俗の事柄を正しく抑制します。『兵役に服している者は,日常生活の事に煩わされてはいない。ただ,兵を募つた司令官を喜ばせようと努める。』― テモテ後 2:4,新口。

      25,26 (イ)重い荷となつている言伝えについて,パウロはどのように助言していますか。(ロ)神の奉仕者たちは,どんな一致した進歩的な状態を示していますか。

      25 ほんとうに牢獄である古い世のきずなはたくさんあります。このゆえにパウロは次のように諭しているのです,『いつさいの重荷とからみつく罪(信仰の不足)とをかなぐり捨てて,私たちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走ろうではないか。』(ヘブル 12:1,2,新口)この悪い世の重荷を捨てさりなさい!

      26 新しい世の活動に交わり,没頭しなさい! これはなんと貴重な交わりなのでしよう! 神の奉仕者たちは,たくさんの異なつた宗教的な背景から,たくさんの異つた生活層から,たくさんの異つた国籍から来ます。しかし,真理は彼らを一つにしました。(ヨハネ 17:20-23)兄弟愛の中に彼らはお互いどうしにあたたかい愛を持ちます。すべての者は御霊で燃えています。すべての者は心から進んで従うヱホバの奴隷であり,前途にある希望によろこび,患難に耐え,倦まず祈りをします。新しい世の活動のわざで怠ける者はひとりもいません。(ロマ 12:10-12)真実にかせを断ち切つて自由になるすべての者は,『神の全きみこころ』をよろこんでいたします。そのようにして行くとき,彼らの日々の生活は長いよろこびの日,多くの日となり,全く永遠にまで延長するのです!

  • 新世社会内で全きを得よ
    ものみの塔 1959 | 7月1日
    • 新世社会内で全きを得よ

      『それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』― マタイ 5:48,新世。

      1 神の僕たちは,何をしつかりと保ちますか。彼らは何を避けますか。

      くらやみは地をおおい,現在の悪い組織制度の奴隷たちは,その暗やみの中に住みつづけています。しかし,ヱホバのみこころをするために自由の身となる者たちは光をよろこびます。彼らはクリスチャンの「全き」を得ようと努めます。彼らは,自分たちのためにヱホバのなされたすべての事に感謝しつつ,『光の子』としての祝福された立場をしつかりと保ちます。(テサロニケ前 5:5)彼らはこの世の道を避けます。この世は自分自身の自由,すなわち神や仲間の人間に考慮を払わず自分勝手なことをする自由を欲します。この自己流の自由は,最もみじめな種類の隷属です。

      2 人はどのように光の源を保つことができますか。

      2 神に依存することを否定する人の自由は,ちようど鳥籠から飛び出て不なれな環境下で死んでしまう鳥の自由と同じです。不従順な者たちは,生命の源から飛び去りながら,生命を見出すことはできません。パウロは次のように言つています,『神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから,彼らの仲間になつてはいけない。あなた方は,以前はやみであつたが,今は主にあつて光となつている。光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである。主に喜ばれるものがなんであるかを,わきまえ知りなさい。』― エペソ 5:6-10,新口。

      3,4 (イ)不従順はどんな報いをイスラエルにもたらしましたか。(ロ)それはキリスト教国にどんな報いをもたらしますか。(ハ)いま従順という敬虔な性質は,どこだけに見出すことができますか。

      3 聖書は,不従順な人々や不従順な国民について警告となるいましめを与えています。イスラエルは,ヱホバから特別の恵みを受けましたが,不従順になり悪くなりました。そしてヱホバの御名に恥と非難をもたらしたのです。イスラエルに対してヱホバの裁きという鋭いむちは,エレミヤの口を通して述べられました,『ただ我このことを彼らに命じ,汝ら我声を聞かばわれ汝らの神となり汝ら我民とならん。かつ我が汝らに命ぜしすべての道をあゆみて幸いを得べしと言えり。されど彼らは聞かず,その耳を傾けず,己の悪しき心の謀とかたくななることにしたがいてあゆみ,また後を我に向けてその面を向けざりき。汝らの先祖がエジプトの地を出でし日より今日にいたるまで……汝かく彼らに語れ,これはその神ヱホバの声を聴かず,そのいましめを受けざる民なり。真実はうせてその口に絶えたり。汝の髪を剃りてこれを捨て,山の上になげきの声をあげよ。ヱホバその怒るところの世の人を捨ててこれを離れ給えばなり。』― エレミヤ 7:23-29。

      4 イスラエルは不従順のために滅びました。今日,キリスト教国は不従順のためにハルマゲドンの滅びに向かつて急いでいます。国家的な群れは失敗するかも知れませんが,ヱホバのひとりびとりの奴隷は,妥協をしない積極的な従順により,ヱホバの御名に栄光をもたらしました。『人間に従うよりは,神に従うべきである』と彼らは断乎とした立場をとつています。そして,苦しみも死も,全く何ものも彼らのかたい立場をゆるがすことができなかつたのです。(使行 5:29,新口)いまの末の日にあつて,同じ敬虔の性質が見出されます。それは偽りのキリスト教国の内になく,聖書の初期キリスト教に謙遜に戻つた人々の群れの中に見出されます。これらの人々は,カイザルのものをカイザルに従順に払います。しかし又,注意深くも神のものを神に払います。―マタイ 22:21。

      5 真のクリスチャンたちは,今日の大問題にたいしてどのように対処しなければなりませんか。

      5 カイザルは貪欲で威張り散らすものですから,神のものをとられないようにするため絶えず警戒を払わねばなりません。クリスチャン中立とか,真理を自由に発表するとか,ある国々では家から家に良いたよりを伝道するとか,またいつしよに集まるというような事柄は,非常な敵意とつらい試練を受けます。それによつて彼らの従順はためされます。しかし,すべての試練の中に,彼らは『救いの君』を模範として持つています。彼は『苦難をとおして全うされた』そして『さまざまの苦しみによつて従順を学び』(ヘブル 2:10; 5:8,新口)彼らも学んでいます。

      神権的な頭の地位

      6 (イ)コリント前書 11章3節では,どんな二つの重要な点が示されていますか。(ロ)イエスは,どのように頭の地位を行使しますか。

      6 聖書の中に説明され例証されているヱホバの原則の一つは,頭の地位という原則です。頭の地位は従順を含みます。家族の中では『女のかしらは男です』男は自分の妻にこの点を留意させたいと思うでしよう。しかしすべての男はその前の言葉,すなわち『すべての男のかしらはキリストである』の点をよろこんで認めたいと欲しますか。キリストの頭の地位は,人間の頭の地位ほどに感じられないとある人は思うかも知れません。しかし,そうではないのです。ヱホバから権威を受けたイエスは,自分の頭の地位を行使します。同時にイエスは『キリストのかしらは神である。』ということを認めます。(コリント前 11:3,新口)パウロは,制度を例証したときに,いろいろの異なつた器官を持つ人間の体になぞらえました。それで,頭はすべてのことをするというのでなく,ただ指示を与えるということはすぐに分ります。頭は体の器官に命じて行わせます。頭の指示の下にある体全部は,美しく協同して完全に組織された一つの単位として動き,行います。同じように,頭なるキリストは自分の体なる制度を用いて割り当てた仕事を行わせます。彼の指示は,統治体を通して地上の制度全部に達し,そして,支部を通して会衆に達するのです。―コリント前 12:12-18。マタイ 24:45-47。

      7 人はどのようにキリストの頭の地位につき従いますか。

      7 キリストの頭の地位に従うために,キリスト御自身がみちびいている制度に従うことは必要です。制度の言うことを為すのは,キリストの言うことを為すことです。制度に反抗することはキリストに反抗することです。さらに,物の道理から見ても男は,神の言葉と制度を通して来るキリストの指示に率先して従わねばなりません。もしそうしないなら,彼らがかしらの地位について語ることは空虚なもの,意味の無いものに聞えるでしよう。そして,妻たちや会衆の姉妹たちから自分の頭の地位を認めてもらいたいと要求することは,つじつまの合わないことになります。

      8 (イ)従順に対する一つの妨害は何ですか。(ロ)どんな偽りの考え方は不従順にみちびくということを例をもつて示しなさい。

      8 従順と服従に対する一つの妨害は,与えられる指示が果して適宜なものかどうかを不完全な人間が判断しようとする傾向です。それらの人々は,指示がキリストから制度を通して来たものとして受け入れようとせず,むしろ何をなすべきかについて自分の心の内で論じたり,又は他の者と論じ合います。このことは現在の悪い世では当然至極のことですが,ヱホバの御前では何の価値もありません。あるときサウロ王は敵の品物のいくらかを保存することは良いと考えました。この世的は考え方は,サウロ王の考えと同じだつたかも知れません。しかし,ヱホバは彼と同意しませんでした。ヱホバは,それとはちがう指示を与えて居られたのです。彼は預言者サムエルの口を通して,次のように述べました,『ヱホバはその言葉に従うことを善したもうごとく,燔祭と犠牲を善したまうや。それ,従うことは犠牲にまさり,……そむくことは魔術の罪のごとくさからうことは虚しきものにつかうる如く,偶像につかうるがごとし。』(サムエル前 15:22,23)同じようにエバも善と悪の決定をヱホバに委ねるよりも自分自身でするという考えにひかれました。(創世 3:1-6)今日の神の民は,同じ間ちがいを避けるべきです。

      9 ヱホバはどのように人をみちびきますか。ヱホバはどんな種類の従順を要求しますか。

      9 馬か驢馬を従わせるためには,馬銜を口の中に入れ,馬勒を用いて導かなければなりません。しかし,人間は理性と理解の力を持つています。ヱホバは御言葉を通して必要な知識を与え,そして御霊による力と,制度を通しての指示により,人間を導きます。各人が従うかどうかを決めます。ヱホバはダビデを通して次のさとしを与えました,『われ汝を教え,汝を歩むべき道にみちびき,わが目をなんじにとめてさとさん。なんじら弁えなき馬のごとく,驢馬のごとくなるなかれ。かれらはくつわたづなのごとき具をもてひきとめずば近づき来ることなし。』(詩 32:8,9)宇宙の主権者は強制された従順を欲して居らず,むしろヱホバに対する理解と愛にみちる心かる来る従順を欲せられます。

      直ぐに従いなさい

      10,11 (イ)アブラハム。(ロ)リベカの内にどんな従順の例は見えますか。

      10 ヱホバは,直ぐに従う者たちを愛します。聖書の中には,そのことを証明する例がたくさん書かれています。アブラハムはその一人です。ヱホバが,アブラハムに向かつて息子を犠牲にせよと告げたとき,そのことにつき,逃げ口上を言うとか言い争うというようなことはなかつたのです。アブラハムはヱホバに信仰を持つていたので,ヱホバに従いました。そして,刀を振り上げてまさに息子の胸を突き刺そうとさえしたのです。アブラハムは,その信仰と従順により『ヱホバの友』と呼ばれ,神の新しい世における君としての立場は保証されています。―ヤコブ 2:23。

      11 従順とその祝福についての別の例にリベカの例があります。創世記 24章にある記録の中に,リベカが直ぐに従つたことはエリエゼルが彼女に献上した飾りの品物よりも美しく輝いています。彼が水を飲ませてもらいたいと頼んだとき,彼女はすぐに答え応じました,『彼女は急いで水がめを肩からおろし,「お飲み下さい。私はあなたのらくだにも飲ませましよう,」と言いました。』そして,ヱホバのみちびきでそこに来たとエリエゼルが説明したとき,『娘は走つて行つて,母の家のものにこれらの事を告げた。』後になつて,リベカはイサクのところによろこんで行くであろうか,そして直ぐに出発するであろうかという質問が出たとき,『行きます』と彼女は答えました。(創世 24:46,28,58,新口)リベカはすぐに従つたのでヤコブを生むという特権を持つに至りました。ヤコブはイスラエルの国の支族の頭の父であり,メシヤに達する系統上で顕著な者でした。

      12,13 (イ)イエスの使徒たちは,どんな感謝を示しましたか。そしてどのように?(ロ)ヱホバはどんな性質を祝福しますか。

      12 使徒たちもイエスと接した最初から,直ぐに従う必要性を認識していると示しました。ペテロとアンドレについては,マタイ伝 4章19-22節(新口)は次のように述べています,『イエスは彼らに言われた,「私についてきなさい。あなた方を,人間をとる漁師にしてあげよう。」すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従つた。』ゼベダイの子たちであるヤコブとヨハネの答え応じた態度も同じでした,『すぐ舟と父とをおいて,イエスに従つて行つた。』使徒パウロも,すぐに従うというこの望ましい性質を持つていることを幾度も示しました。使徒行伝 9章20節の記録の述べるところによると,彼は改宗して後『ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝えた』のです。後日,まぼろしの中に『マケドニヤに渡つてきて,私たちを助けて下さい』という召を受けたとき,パウロおよび彼といつしよにいた人々は,すぐに従いました。『パウロがこの幻を見た時,これは彼らに福音を伝えるために,神が私たちをお招きになつたのだと確信して,私たちは,ただちにマケドニヤに渡つて行くことにした。』ヱホバは,彼らがすぐに答え応じたのを祝福し,実を与えました。リデヤとその家族の者はすぐに真理を受け入れて洗礼を受けたのです。―使行 16:9-15。

      13 このすべての模範の中に,すぐに従おうとする態度,利己的な意志のないこと,無関心の態度をとらないこと,そして単にそうあれかしと願うだけではないのに注意しなさい。これらの熱心な証者たちは,熱望,熱心,よろこんでする様子,注意深さ,誠実さ,直ちに行うこと,献身そして勤勉さを示しました。このことのために,ヱホバは彼らを愛したのです。

      14 従う者たちは,どんな特権を持ちますか。

      14 ヱホバの制度内の何処で奉仕しようとも,それは過分の御親切によるものです。従うならば制度内に止まります。直ぐに従うならば,その人は真実に幸福です。今日,心から進んで従う奴隷たちは,みな良いたよりの伝道者であるという特権を持つています。全くのところ,彼らは伝道せよという命令を受けているのです。(コリント前 9:16)この基礎的な名誉と特権に加えて,従う者たちには多くの責任の地位があります。いろいろの種類の開拓者活動があります。会衆内の奉仕の地位があります。宣教者として海外に行く特権,巡回の僕,地域の僕,そして地帯の僕として旅行する特権があるのです。他の者たちは,ベテルの家族の一員として奉仕することができます。割り当てられたこのすべての立場にあつて,従順と忠節は要求されています。その報いはよろこびです!―ヘブル 13:17。

      15 ヱホバの奴隷たちは,みなどんな感謝を示さねばなりませんか。どんな欠点を直さねばなりませんか。

      15 ヱホバの奴隷はみな,名誉ある奉仕の宝に感謝の念で一杯にならねばなりません。(コリント後 4:7)しかし,ある人々は会衆の記録にとどまつているのに必要なだけの極くわずかな奉仕をいたします。これは災を避けるために,保険料をいやいやにヱホバに払うのと同じではありませんか。いやいやに奉仕する者は,このことを直ぐに改めなければなりません。(コリント後 9:6,7)いつでも集会に遅刻すること,割当を拒絶したり,好ましくない重荷のように割当を取り扱つたり,直ぐに落胆したり,責任を取ろうとする気持をすこしも持たないこと,指示に従うことが遅いこと,― これらは悪い霊的な状態を示すものですぐに直すことが必要です。直すことが必要であるなら,早く直しなさい。すぐに従うことは,ヱホバの祝福をもたらします。ヱホバの祝福は富ましめるものです。―シンゲン 10:22。

      16 ヱホバからのこらしめをどのように見なすべきですか。

      16 人間は不完全であるために,ヱホバに従おうという誠実な気持を強くいだいていても,時おりに失敗することは避けがたいものです。それで,こらしめに対して正しい態度を持つことは必要です。こらしめは不注意な傾向を矯正し,心がかたくなつて反逆と敵意を抱くことを妨げます。『私の子よ,ヱホバからのこらしめを軽んじてはならない。彼にこらしめられるとき,弱り果ててはならない。ヱホバは愛する者をこらしめ,子として受けいれるすべての者をむち打たれるからである。……たしかに,こらしめはその当座には楽しくなく悲しく見えるが,しかし後になつてそれによつて訓練される者は,平和の実すなわち正義を結ぶであろう。』(ヘブル 12:5-11,新世)こらしめが神の御言葉を通して来るとき,そして神の制度を通して来るとき,ヱホバ御自身から来るものとしてこらしめを謙遜に受け入れなさい。忘れてはなりません,『教訓のこらしめは生命の道である。』― シンゲン 6:23,新口。

      クリスチャンの全き状態

      17 マタイ伝 5章48節は,今日どのように適用しますか。

      17 イエスはマタイ伝 5章48節(新世)で次のように諭しています,『それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』この世の終りの時における不完全な人間に,このことはどう適用することができますか。すなわち,新しい世の社会内に来るすべての者は,クリスチャンとして全く成長しなければならぬということに適用します。消極的に引き下がることがあつてはなりません! 各人は天的な御父の全きにならうよう努めねばなりません。全くなるとは,不安定な子供のような状態からクリスチャンの円熟に進むということを意味します。

      18 なぜクリスチャンの全きことは,いま重要なのですか。

      18 初期クリスチャンの時には,円熟というこの事柄は非常に強調されました。(エペソ 4:11-16。ヘブル 5:12–6:3)悪魔が地に来てヱホバに従うすべての者を食べつくそうとしている今日,そのことは神の僕たち全部にとつてなんと重要なことでしよう!(黙示 12:12,17)西洋と東洋の多くの国々では,物質主義と迷信が陰険な罠ですが,鉄のカーテンの背後にいるヱホバの僕たちはちがつた種類の試練を受けます,すなわち彼らは火のごとき迫害を耐え忍ばねばならないのです。ここのところでもクリスチャンとしての全き状態は必要となつています。彼らはクリスチャンの自由の中に断乎としてしつかり立たねばなりません。彼らは生命が危険になろうとも,いつでも直ぐに従わねばなりません。彼らは『死にいたるまでも』証言しつづけねばならないのです。―黙示 12:11,新口。

      19 鉄のカーテンの背後にいるヱホバの証者の耐え忍ぶ試練のいくらかは何ですか。

      19 例えば鉄のカーテンの向うにある東ドイツのヱホバの証者の活動を見てごらんなさい。今晩,御国奉仕に行くとき,果して家に帰れるものか,又は共産主義者の刑務所で4年の懲役を受けるかをも知らないで出かけるという場合,あなたはどのように感じますか。刑務所内では栄養も不足であるし,衛生状態がたいへん悪いから自分の健康はそこなわれると知つているとき,あなたはこのような事がらをどのように見なしますか。自分の『ものみの塔』を受け取るために遥か遠い処にこつそり行かねばならない,しかも,もし『ものみの塔』を携行しているということが分れば数年間の入獄という危険を冒さねばならない,ということをどう思いますか。一部の『ものみの塔』を入手するなら,『ものみの塔』を1日だけ研究して,それから他の幾百人という読者に回さねばならない,ということについてはどう思いますか。以前の僕たちは,2度か3度すでに逮捕されて4年か5年の投獄刑を受けていると知りながら,伝道者の群れに奉仕するよう任命されることについては,どのように見なしますか。良いたよりを伝道したために5年の投獄刑が課せられた後,仮出獄のかたちで家に戻つた際にふたたび宣教をするということについては,どのように感じますか。共産主義者の治安警察により何度も何度も尋問されることをどのように感じますか。彼らは組織化された御国活動に参加したあなたを逮捕しようと努力しているのです。隣人や,仕事仲間,共産党員の者が絶えずあなたに及ぼす圧迫,および学校にいるあなたの子供たちに及ぼす圧迫について,あなたはどのような反応を示しますか。彼らはなんらかの仕方で自分たちの政治制度または軍事制度にあなたか子供たちをひき入れようとしているのです。あなたがヱホバの証者の一人であるからという理由だけで,失職したり,財産を取られたり,または家から追い出されるということについては,どのように感じますか。

      20,21 そのような試練の下にあつて,ヱホバの僕たちはクリスチャンの全きことをどのように示しますか。

      20 これらの問題や,それに類似の問題は共産主義の国にいる多数のヱホバの証者にとつては,毎日のおきまりの事柄です。東ドイツだけでも,1950年以来3000人以上のヱホバの証者は投獄されました。この中,約1000人は婦人です。刑の宣告は,各人に対して平均4年です。しかし,それらのヱホバの証者は神の御こころを行いつづけています。そのことは,刑務所内にいる証者たちのある者が,1958年7月のヱホバの証者神の御こころ国際大会に送つた次の言葉からも分ります,『忠実の中に歩む16人の兄弟は,あなた方とまつたくいつしよになつていると感じます。イザヤ書 12章3,4節。』その聖句は,次の通りです,『この故になんじらよろこびをもて救の井より水をくむべし。その日なんじら言わん,ヱホバに感謝せよ。その御名を呼べ,その御行為をもろもろの民の中につたえよ。その御名のあがむべきことを語りつげよと。』

      21 そのような状態の下にいるとき,あなたはよろこぶことができますか。刑務所にいようといまいと,幾年にもわたる緊張に耐えるだけ円熟していますか。そして,愛と親切をもつて伝道しつづけることができますか。東ドイツの一兄弟からの次の報告は,そのようなクリスチャンの全きことを証明するものです。この兄弟は,自分の息子の逮捕について,次のように書いています,『息子は秘密警察に逮捕され,7週間投獄された後ふたたび留置され4年間の投獄刑を宣告されました。息子は,西ベルリンから東ドイツに文書を持ち入れたため告訴されたのです。真理のため,私自身も1950年から1956年まで投獄され,私の子供たちの別のひとりは1951年から1954年まで投獄されました。家に戻つてきた私たち2人は,及ばずながら主に奉仕ししつづけようと決意しています。主が過分の御親切を更に与えられますよう。』

      クリスチャンの全きに達する為の要因

      22 全きを得るためにどんな基礎的な性質が必要ですか。

      22 これらの忠実な僕たちのごとく,ヱホバをよろこばすすべての者がクリスチャンの全きに円熟することは必要です。彼らのするすべての努力の基礎は,愛でなければなりません。このことは,クリスチャンの全きについてのイエスの言葉からも明白です,『「隣り人を愛し,敵を憎め」と言われていたことは,あなた方の聞いているところである。しかし,私はあなた方に言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも良いものの上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らせて下さるからである。あなた方が自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは,異邦人でもしているではないか。それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』― マタイ 5:43-48,新世。

      23 全きを得るためにどんな他の性質が必要ですか。

      23 クリスチャンは全くなるために,忠実という性質とともに円熟に生長しなければなりません。クリスチャンは自分の弱点を正直に認め,その弱点を無くすよういつしよう懸命に努力しなければなりません。クリスチャンはイエスの助言を毎日行わねばならないのです。『もしあなたが完全になりたいと思うなら,帰つてあなたの持ち物を売り払い,貧しい人々に施しなさい。そうすれば,天に宝を持つようになろう。そして,私に従つてきなさい。』物質の価値よりも霊的な価値を高いものとなし,イエスの足跡に従順に従うことにより全きを得ます。―マタイ 19:21,新口。

      24,25 (イ)新しい世の交わりと古い世の交わりについては何が言われねばなりませんか。(ロ)『御霊の実』は何ですか。それは,どのようにつちかうことができますか。

      24 交わりに注意を払わねばなりません。多くの場合,親族とか以前のこの世の友たちは,新しい世の交わりのための時間に食い込んで来ます。そのようなことをさせてはなりません! それについては毅然とした態度を取りなさい! 集会の出席と,御国奉仕のために毎週割り当てているそれらの時間は,その週の中でいちばん貴重な時間です。それはクリスチャン崇拝に属する時間であつて,この古い世の何人も,それらの時間に干渉する権利を持つていません。そのような関係に係りを持つ者たちにたいし,イエスは『私に従つて来なさい』と言います。親族や古い世の友たちも従つてきたいと欲するなら,愛のある援助を惜し気なく与えます。しかし,それらの人々の妨害のために,あなたが円熟に生長しなくなるとか,クリスチャンの全きに違し得ない,などというようなことがあつてはなりません。―マタイ 8:21,22。

      25 正しい交わりの必要は,新しく興味をもつた人も,長い年月のあいだ献身している人も,またその中間にいるどの人も,心に深く銘記しなければなりません。古い世の交わりは,古い世とともに滅びます。なぜ古い世と共に滅びるという危険を冒すのですか。新しい世の社会内の兄弟たちと交わることは,よろこび,平和,満足,そして最後には永遠の生命をもたらします。『御霊の実』を示す者との交わりこそ,つちかわねばならぬ交わりです。この交わりを通して,すべての者は同じ愛,同じよろこびと平和,同じ寛容,同じ親切と善,同じ信仰,同じ柔和と節制の中に住むようになります。クリスチャンの全きを得る場所があります! それは,新しい世の社会の愛ある交わりの中にあるのです!―ガラテヤ 5:22,23。ヘブル 10:24,25。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする