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神の目的とエホバの証者(その44)ものみの塔 1962 | 8月15日
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神の目的とエホバの証者(その44)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第28章 良いたよりを国の法律に書きこむ
トム: 1942年,アメリカ合衆国にいたエホバの証者にとり,法律の面で進歩がありましたか。
ジョン: ええ,ありました。しかし,特に1943年に大きな進歩があったのです。でもそのことをお話しする前に今までお話しした裁判のことを簡単に回顧してみましょう。マリア,裁判に関するノートを持っていますか。
マリア: ええ。その他のノートもあります。1938年の春,3月27日,アメリカ合衆国の最高裁判所は,ジョージア州グリヒン市の条例は全く無効であるという合法的な原則を確定しました。裁判長は次のように語りました,「出版の自由の下に,『以前は認可を受けて出版したものも,認可なしに』出版する権利を有する」。a これはロベル訴訟事件のときでした。b
1939年の秋11月22日,シュナイダー訴訟事件cのとき,最高裁判所は次のように発表しました,すなわち勧誘者が特定な資料を警察に提出して,警察署長から許可を得ることは,出版の自由を奪うことであり,憲法修正第1条に反することである,というのです。
1940年5月20日に裁決されたカントウエル訴訟事件dは,地方官庁の認可なしに宗教的な目的のための金銭徴収を禁ずる条例の違反に関することでした。この事件に適用されたその条令は「州の侵害を禁ずる憲法修正第十四条によって保証された宗教の自由を破るものであると,裁判官全員が断定した」。e
トム: 国旗敬礼の裁判であなたがたが敗訴したのは1940年ではありませんでしたか。
マリア: そうです。それはゴバイティス裁判のときの決定でした。f ジョン,その裁定は1940年の6月ではありませんでしたか。
ジョン: そうです,6月3日でした。その裁定以来,エホバの証者に対する迫害の波が起きてきました。1942年には,別の大切な裁判で私たちは敗訴しました。それはジョーンズ対オペリカgで,1942年6月8日アメリカ合衆国最高裁判所で裁決されたものです。この裁判は,エホバの証者の行なっている奉仕で,重要な部分を占めてきた街頭伝道に関係していました。最高裁判所において,アーカンソー州とアリゾナ州からの二つの訴訟と同時にこの事件も取扱われました。ジョーンズの場合,許可もなく,職業税も払わずに「本を売ること」は,アラバマ州オペリカ市の条令に違反するものではないかと論ぜられました。
エホバの証者は,5対4の判決で敗訴しました。ここで考慮された憲法上の問題は,金額が適当と考えられる差別なしの許可税は,はたしてエホバの証者の活動に適用されるかとうか,ということです。その税は合憲であると裁判所は裁定しました。裁判長ストーンは,次のような言葉で,彼の反対意見を結論づけています。
許可税は出版物に事前の制限を課すゆえ,あからさまな検閲と抑圧とあまり変わらない。運動の目的が謙そんでつつましくあればあるほど,その抑圧は一層効果的である。
マーフィ判事は補足的な反対意見を提出しました。彼はいろいろのことを述べましたが,その中でも次のように語っていました。
その金額の多少は問わない。税は要するに宗教的な思想の普及に対して課す税に変わりない。その普及は,宗教的な理由のために宗教的な文書を配布することであって,個人的な利益を求めているわけではない。そのような税は金額を考慮に入れないとしても,言論の自由,出版の自由,および宗教の実践に重荷を課すものである。配布の自由は,自由出版の生命線である……
…もし,言論の自由,出版の自由,および宗教の自由が侵害されたという主張について法廷が間違った裁定を下すよりは,これらの貴重な権利を擁護するという誤ちをする方が良い。h
ゴバイティス事件の判決について別の見解を取る
このジョーンズ事件のときに極めて興味深いことが起こりました。ブラック・ダグラスおよびマーフィ判事たちは,反対意見を述べましたが,それに加えて,彼ら自身の自発的な気持ちから1940年の国旗敬礼の裁判における彼らの意見を撤回するという前代未聞の重大な言葉をつけ加えました。
法廷の意見は一手段を是認しているが,その手段は少数者の行なう宗教の自由行使を抑圧する,あるいは抑圧の傾向を持つものと,われわれは考える。これは,ミナースビル学校地区対ゴバイティス訴訟事件の際に,同じ宗教的な少数者に対して…取った処置とほとんど変わらないものであり,その際の決定原則が論理的に延長されたものにすぎない。われわれはゴバイティスの件で意見を述べた。したがって,いまはわれわれがその件の判決も間違っていたと信じていることを述べる適当な時であろう。歴史的人権宣言の下に運営される我々の民主主義的政府は,少数者の見解がどんなに不人気であろうと,あるいは彼らの見解が正統派の見解とちがっていても,そのような宗教的な見解を受入れる大きな責任を持つものである。憲法修正第1条は,宗教の自由な実践を従属的地位に置いていない。しかし,これらの件についての意見やゴバイティスの件における意見は,宗教の自由な実践を副次的地位に置くのではないかということをわれわれは恐れる。i
アメリカ合衆国では,状態が極めて悪くなったことをおぼえていらっしゃるでしょう。エホバの証者はあらゆる面から迫害されました。国内のあらゆる所で暴徒たちは攻撃を加えてきたのです。また,強制的な国旗敬礼の儀式が学校で増加するにつれて,多くのエホバの証者の子供が放校されるようになりました。したがって,協会は兄弟たちを援助して子供たちに教育を与えることが必要になりました。このことは1936年のときに始まり,「御国学校」と呼ばれる私立の学校が開設されたのです。エホバの証者の中の資格を持つ先生が,時間を自発的に提供しました。j いろいろの種類の法律問題が幾十も生じて,協会本部の法律事務所には郵便が殺到したため,多くの法律問題をさばくことは不可能でした。
しかし,ジョーンズ対オペリカの件のときにブラック・ダグラス,およびマーフィ判事たちが国旗敬礼の問題に関して,全く予想もしない友好的な態度を取ったので,協会の弁護士は国旗敬礼の件を再びとりあげて,早く最高裁判所で裁決させようと思いました。協会の弁護士は西バージニア州チャールストンに直ちに出かけ,西バージニア州の南部地区を管轄する地方裁判所で,西バージニア州を訴え,国旗敬礼の強制を中止するようにと要求しました。この下級裁判所の判決がエホバの証者にとって有利なものになるとは予期しませんでした。この訴訟には3人の判事による裁定が要求されました。判事が3人という目的は,つまりエホバの証者に不利な判決が与えられるなら,直ちにその件をアメリカ合衆国の最高裁判所に上訴して,すぐに解決するためでした。
協会の弁護士がこの件について論じて後,西バージニア州の検事は,法廷にこう言いました,「この件に関して,私がカビントン氏に答える必要はないと思う。私はゴバイティス対ミナースビル学校地区の裁定を認めるのみです。」上級裁判所から派遣されたパーカー判事は,ムーア判事およびワトキンス判事と共にこの件を担当していました。彼は検事にこう言いました,「検事,あなたはその判決を尊重しておられるようですが,ともかくこの件について論じた方が良いでしょう」。まったく驚いた検事は,弱々しい話をし,ゴバイティスの訴訟における判決を読み着席しました。前例のない裁決ですが,この3人判事の法廷は,同様な事実に関するアメリカ合衆国最高裁判所の裁定に従うことを全員一致で拒絶し,エホバの証者に有利な判決を下しました。
一方,この件が西バージニア州教育局の上訴で最高裁判所に来る前に,エホバの証者に関するいくつかの他の件が最高裁判所で考慮されました。その中には,1943年3月8日に裁定されたジャミソン対テキサス州kおよびラージェント対テキサス州lが含まれていました。
この二つのうちの最初の件であるジャミソンの件には,テキサス州ダラス市の条例が関係していました。その条例は,ちらしの配布,宣伝物の保有,およびビラを道に捨てることを禁ずるものでした。エホバの証者がビラを配布するなら,それはこの条例の違反と考えられました。しかし,最高裁判所は,証者に対するこの条例の適用は,出版の自由を否定するもので憲法修正第1条に反するものであると裁定しました。
他の件であるラージェント対テキサス州の場合には,テキサス州パリスの条例が関係していました。その条例によると,住宅地方で勧誘したり,販売するためには,市長が最初に調査して,市長の許可を得ることが必要でした。この条例に従ってエホバの証者を罪に定めることは,アメリカの最高裁判所により不法と断定されました。それは出版を事前に検閲することであり,憲法修正第1条に違反すると見なされたからです。
エホバの証者の「重大な日」
1943年の5月と6月は,エホバの証者にとってよろこびの2ヵ月でした。なぜなら,証者を守る判決例が最高裁判所で確立されたからです。13の訴訟事件の中12は証者にとって有利な判決だったため,a1943年5月3日は,エホバの証者の「重大な日」と呼ばれています。特に主だったものは,マードック対ペンシルバニア州の件で,それは認下税の件でした。この判決は,ジョーンズ対オペリカ市の件における最高裁判所の裁定をくつがえすものでした。
認下税はこの活動を抑制しないのであるから,抑制し得るという事実を重要視すべきでないと論ぜられている。だが,それはこの税の性質を無視するものである。それは認可税であり,人権宣言により許されている特権の行使に課す税である。州は,連邦憲法により許されている権利の享受に税を取立ててはならない。……これらの自由の行使に認下税を課す力は,この法廷がくり返し打ちくだいてきた検閲の力と同じぐらいに力のあるものである。……
我々はジョーンズ対オペリカの件における判決を,今日無効にする。拘束的なその前例から解放されたわれわれは,巡歴する福音主義者たちの持つ自由を,高尚な憲法的な地位に復興する。彼らは文書の配布により宗教的な信念と信仰をひろめている。
この裁定を下した裁判所の注解には,そのような条例をたてにして証者の逮捕や断罪を促進させた憎悪の気持ちが特にはっきり示されています。
請願者たちが配布していた文書の種類 ― その挑戦的でぶしつけな性格,および設立されている教会やわれわれ多数の者が大事にしている信仰に対する攻撃 ― について,多くの強調が置かれている。…しかし,それらの考慮は,条例による認可説を課すことを正当化するものではない。社会あるいは州税の手段により,たとえその意見が人気のないもの,人心をみだすもの,また不愉快なものであっても,意見の流布を抑圧すべきではないことは明白である。もし,その手段が認められるなら,一般人から好まれない信仰として,小数者が大切にする信仰はすぐに抑圧されてしまうだろう。それは人権宣言の哲学を全く否認することである。b
マードックの件が判決されたと同じ日に裁定された別の件は,ビラや他の宣伝物を家から家に配布する助けとして家のベルを鳴らすことを不法にする条令に関するものでした。法廷はこれを出版の自由の権利侵害と裁定しました。法廷は次の原則を示しました,
文書の戸別配布者は,こうるさく感ぜられるし,犯罪行為をする良い口実になろう。しかし,彼らはまた自由論議の最善の伝統に従って,思想の流布に参加する社会内の有用な成員でもある。いろいろの目的にむすびついている多くの群れが,この伝達方法を広く使用していることは,その重要性を証明するものである。……
どの場所であろうと,すべての市民に情報を配布する自由は,自由社会の保存に全く肝要であるゆえ,その配布の時および方法に関する適当な警察および保健規定を除いては,それを十分に守るべきである。c
その日に裁決された別の重大な件は,ダグラス対ジーンネットの件でした。d 法廷は次のように裁定しました,すなわちエホバの証者はペンシルバニア州ジーンネット認下税における法律の刑法施行を命ずる権利を持たないということです。法廷は次のように述べました。マードックの件のときと同じく,エホバの証者は刑事訴訟の非難から身を守るために,その条令の違憲なることを示すことができたので,正しく擁護されるというのです。
1943年5月と6月中,アメリカ合衆国の最高裁判所が確定的で絶対的な判決を下したので,アメリカ全土に起きていた迫害の波は消滅しました。しかし,それ以前には,エホバの証者は民権条例を効果的に利用し,憲法修正第1条の保証する権利を抑圧した地方役人を連邦法廷に訴えたのです。これらの連邦法廷の禁令は,その当時の洪水のごとき起訴に対して,力づよく証者を守るダムでした。
さて,ダグラス対ジーンネットの件についての最高裁判所の判決により,そのダムは「爆破され」ました。しかし,マードックの件における有利な判決のおかげで,認下税に関するかぎり,その洪水は取りのぞかれてしまいました。その結果,1943年の夏以来,エホバの証者に対する裁判事件の数は急激に減少しました。同時に却下されていた起訴の数が急増しました。今までに裁決されていた幾百という試験的な裁判事件はみな,1943年5月と6月中になされたアメリカ合衆国最高裁判所のすばらしい裁定により最高潮に達しました。法的な面から見ると,その1943年は,エホバの証者にとって有利になった真実の変向点でした。
最高裁判所は再び前の裁定をくつがえす
1943年6月14日の国旗の日は,多くの点で5月3日と同じぐらい重大な日でした。なぜならこの歴史的な日に最高裁判所は再び以前の裁定をくつがえして,エホバの証者の法的立場の正しさを立証したからです。その日に裁定された一つの件は,当時エホバの証者に対して浴びせられていた暴動の非難という偽りの非難に関するものでした。1942年6月,ミシシッピー州では3人のエホバの証者が逮捕されて,アメリカ合衆国とミシシッピー州の政府に対する不忠を人々にすすめ,アメリカ合衆国政府への不忠を励ます文書を配布したり,教えたりしたという偽りの非難を受けました。3人のエホバの証者は暴動のかどで下級裁判所で有罪と裁定され,戦争のつづくかぎり,しかし10年を越えぬ期間,投獄刑を宣告されました。これは重大な非難であって,エホバの証者に汚名をきせるものです。国旗の日における最終的な全員一致の判決は,エホバの証者にとって有利でした。法廷は,次のような意見を述べていました。
これらの件で考慮されている条例によると,政府の政策に関する見解や意見およびわれわれの国と他の国の将来に関しての預言を他の者に伝えることは刑事犯と見なされている。その条例を上告人に適用すると,上告人は罰を受ける。上告人が他の人に伝えたものは悪い目的および悪意のある目的をもってなされたとは主張されもせず,またそのように示されたこともない。また,国家や州に対しての暴動行為を提唱したこともなく,すすめたこともない。さらに我々の制度または政府に危険をもたらしたこともない。これらの上告が他の人に伝えたものは彼らの信念と,国内政策と国家および世界問題についての意見であった。
我々は,そのような情報伝達に対して刑罰を科すことができないと判決する。e
同じ歴史的な日,アメリカ合衆国の最高裁判所は以前の裁定をくつがえしました。エホバの証者に対する暴力と暴徒の活動が増加したことは,不運なゴバイティスの件裁定が間違いであることを明白に示すものでした。最高裁判所は,西バージニア州教育局対バーネットの有名な判決で,以前の裁定をくつがえしました。学校当局は,国旗敬礼を拒絶したエホバの証者の子供を放校する権利も,教育を否定する権利もないと裁定しました。その件において裁判所は次のように述べました。
強制的な国旗敬礼を支持するなら,次のことを言わざるを得ない,すなわち人は人権宣言によって自分の考えを発表できる権利を持っているが,官憲の強制の下に自分の考えでないものを言わざるを得なくなる。……
人権宣言の目的そのものは,特定な論題を政治的な論争の変動から撤回させ,それらを多数者と官吏の手の届かぬところに置き,そして法廷で適用される法律の原則として確立することである。生命,自由,および資産に対する人間の権利,言論の自由,出版の自由,崇拝と集会の自由に対する人間の権利と他の基本的な権利は票に依存すべきものではない。それらは選挙の結果に依存していないものである。……
我々の憲法星座において固定した星があるとするなら,それは次のようなものである,階級の高い官史であろうと,階級の低い官吏であろうと,政治や,国家主義や,宗教や,他の意見に関する事柄において,何が正統であるかを規定することができず,また市民をして,言葉や行いにより,彼らの信仰を告白するように強制することができない……
国旗敬礼と宣誓を強制する地方官憲の行為は,憲法上の彼らの権限を越えて破るものであり,知能と精神の領域を侵害するものである。我々の憲法修正第1条の目的は,一切の官憲の制御を中止させることである。f
この裁定は,ゴバイティスの件の裁定を全くくつがえしました。すると,一時的な御国学校はもはや必要でなくなり,8年来はじめてエホバの証者の子供たちは自由に公立学校に戻ることができました。
トム: この問題におけるその状況や結果をお聞きすると,有名な現代の歴史家アーノルド・ジョイ・トインビーの言葉を思い出します。
われわれの時代が危険にさらされている理由のひとつは,われわれがみな,国家や,国旗や,われわれの過去の歴史を崇拝するように教えられたからだ。人間は神だけを崇拝するなら安全である。g
ジョン: 1944年,裁判所はジョンズとマードック判定における裁定を再確認して,次のように述べました,すなわち憲法は家から家の伝道をして,文書を配布する巡歴の奉仕者を,その地の牧師と同じくらいに保護するというのです。また,宣教によって生計を立てても,認下税の法律を適用する正当な理由にならないとも付言しました。h
憲法をつくり上げる者たち
これらの訴訟事件はみなすべての人の読める記念の記録になりました。アメリカ合衆国の最高裁判所のマーフィ判事も次のように述べました。
むかしから現在にいたるまで,正統派でない宗教的な信念を述べたり行なったりする者たちに対して,人は際限なく圧迫の手段を講じてきた。そして,エホバの証者は次の事実を生きながらに証明するものである,すなわち自由の理想国と考えられるこの国でさえ,従来の方法と異なる仕方で宗教を実践する権利は,いまでも不安なものであるということである。彼らの信仰は,勇敢な信仰,不人気な信仰であり,熱烈な熱心さが伴う。彼らは残酷に鞭打たれ,資産は破壊された。彼らはほとんど応用されぬ条令や規定の復活および施行でさんざんに苦しめられた………現在の他の少数の宗教人と共に,彼らのおかげで我々は宗教の自由という理想および憲法上の保証が得られたのである。i
この期間中のエホバの証者の法廷における戦いについて,多数の法律分析者や現代の歴史家たちも多くのことを述べています。
ぼう大な憲法において,一期間以上をかけて,そのコースをかたちづくることのできた人あるいは群れは,過去においてほとんどなかった。ところが,それは起こり得るのであり,それはここに起こったのである。その群れはエホバの証者である。この制度は絶えず訴訟を起こすことにより,言論と宗教の自由に関する憲法修正第14条の適用について,大きな判決例をつくったのである……
…ごく最近のことであるが憲法修正第14条の下に同じ試験が州法に適用された。その結果,州の侵害限度に関する規則を明確にする判決例ができ上がってきている。
この発展については,エホバの証者はその量および重要性の両方において,いちばん貢献した。j
…証者たちについてはいろいろのことが言えよう。しかし,なんといっても,彼らには殉教者の勇気がある。彼らはまた弁護士をやとって,法廷で戦うだけの金をも持っている。その結果,最近には彼らは他のいかなる宗派あるいは群れよりも,宗教の自由に関する憲法の発展に大きく寄与したのである。彼らは急速に事を行なっている。ある時に彼らは勝ち,ある時に彼らは負ける。k
いまでこそ明白に分かることだが,アメリカ合衆国の最高裁判所が権威を以って解釈したごとく,個人の自由に関する現在の憲法上の保証は,1938年の春よりも,はるかに広いものである。そして,この拡大の大部分は,31のエホバの証者の訴訟(16の判決意見)の中にある。ロベル対グリヒン市の件は,その最初であった。もし「殉教者の血が教会のたね」であるなら,憲法上の法律が,この不思議な群れの闘争的なしつようさ ― 多分献身と言うべきであろう ― に負うところは何であろうか。l
エホバの証者は,その証言で文字通り地をおおった。……証者ほど聖句をたえず使用し,たくさん記憶するクリスチャンは現代いない。聖書的な根拠について証者と論じて成功をおさめるには,今日の正統派キリスト教会の多数の成員以上に聖句を良く知っていなければならぬ……
彼らはあらゆる種類の反対に直面しても前進しつづける。彼らはその民権を守るためにあらゆる合法的な手段を用いて戦う。彼らは公開集会の権利 ― 時には彼らに与えられない ―,文書配布の権利,他のすべての忠節よりも神を第一に置く良心の権利のために戦う。彼らはその民権を守るための戦いをすることにより,民主主義にすばらしい貢献をしたのである。彼らはその戦いにより,アメリカ内の少数者の群れのために,それらの権利を確保したのである。ある一つの群れの民権が侵害されると,他の群れの権利も安全でなくなる。したがって,彼らは,我々の民主主義において最も貴重なもののいくつかを保存するのにすばらしい貢献をしたのである。a
ロイス: 私も,それに「アーメン」と言いたいと思うくらいです。それらの判決は,エホバの証者の神権的な目的に良く貢献したものですね。
[脚注]
a (イ)「ミネソタ法律概要」1944年3月,第28巻,第4号「エホバの証者に負う憲法」エドワード・エフ・ワイテ判事者224頁。
b (ロ)ロベル対グリヒン市303,U・S,444,58S・UT,666,82L・E949(1938年)
c (ハ)シュナイダー対ニュージャーシイ,308U・S147,60S・Ct,146,84,L・Ed155(1939年)
d (ニ)キャントウェル対コネチカット州310U・S,296,60S・CT,900,84LEd,1213(1940年)
e (ホ)ミネソタ法律概要28巻第4号,1944年3月,226,227頁。
f (ヘ)ミナースビル学校地区対ゴバイティス310U・S,586,60S・Ct,110,84,L・Eb,1375(1940年)
g (ト)316U・S,584,62S・Ct,1231,86,L・Eb,1691(1942年)
h (チ)316,U・S,584,611,616,623,62,S,Ct,1231,1245,1248。1251(1942年)
i (リ)316,U・S,584,623,624,62S,Ct,1231,1251,1252(1942年)
j (ヌ)1937年の「年鑑」(英文)52頁。1938年の「年鑑」(英文)66頁。1939年の「年鑑」(英文)84頁。
k (ル)318U・S,413,63,S,Ct・66987L・Ed,869(1943年)
l (ヲ)318,U・S,418,63S・Ct,667,87L・Ed873(1943年)
a (ワ)「ミネソタ州法律概要」(英文)中のエドワード・エフ・ワイテ判事,28巻,第4番,1944年3月,209頁。
b (カ)マドック対ペンシルバニア州319U・S,105,112,113,115,116,117,63S・Ct,870,875,876,877,87L・Ed,1292(1943年)
c (ヨ)マーチン対シュトルーザース市,319U・S,141,145,146,147,63,S・Ct862,864,865,87L・Ed,1313(1943年)
d (タ)319U・S,157,63S・Ct,877,87L・Ed1324(1943年)
e (レ)テイラー対ミシシッピー319U・S,583,589,590,63S・Ct,1200,1204,87L・Ed,1600(1943年)
f (ソ)ウエスト・バージニア州教育局対バーネット,319U・S,624,634,642,63S・Ct1178,1183,1187,87L・Ed,1628(1943年)
g (ツ)「ルック」(英文)1948年8月17日,1957年の「ものみの塔」(英文)136頁に引用。
h (ネ)フオレッテ対マッコーミック,南カロライナ州321U・S,573,64S・Ct717,88,L・Ed938(1944年)
i (ナ)「プリンス対マサチューセッツ州」における反対意見。321U・S,158,175,176,64,S・Ct438,447,448,88,L・Ed,645(1944年)
j (ラ)アメリカ弁護士協会の「権利起訴状回顧」(英文)第2巻,第4番,1942年の夏,ジョン・イー・コルダーとコーゼンコミスキー著「エホバの証者は憲法をつくる」(英文)262頁。
k (ム)チャールス・エイ・ベァード著「共和国」(英文)(ニューヨーク1943年,ザ・バイキングプレス)173頁。
l (ウ)「ミネソタ法律概要」第28巻,第4号,1944年3月,246頁。
a (ヰ)C・Sブレイデン著「これらの者も信ずる」(英文)(ニューヨーク・1950年,マクミラン会社)370,380,382頁,
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読者よりの質問ものみの塔 1962 | 8月15日
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読者よりの質問
● イエスと使徒が行なったいやしのわざは,いやされた者たちの信仰に左右されなかったと,ものみの塔の出版物にはありますが,「彼らの不信仰のゆえに,そこでは力あるわざを,あまりなさらなかった」と書かれているマタイ伝 13章58節を,どう理解すべきですか。―アメリカの一読者より
今日の信仰治療者たちは,自分がある人を治せないという事実に直面すると,それは患者の信仰が不足しているためだと主張します。しかしこれは,彼らに治す能力がないことをうまく言抜けるための口実にすぎません。ところが,イエスや使徒たちの場合はそうではありませんでした。ナインのやもめが,自分のむすこがもう一度死からよみがえらされるという信仰を持っていたことを示す記録はまったくありません。イエスはただ悲しんでいる母親を見たので,むすこをよみがえらせてその母親をなぐさめただけでした。ペテロとヨハネも,宮の門のところで,不具者をいやしましたが,それはその不具者が信仰を表わしたからではありません。不具者は何か施物がもらえるのだろうと期待してふたりを見ていたのです。そして,全く驚いたことに,彼は健全なからだにされたのです。―ルカ 7:12-15。使行 3:18。
聖書のマタイ 13章58節に述べられていることは,彼らに信仰がなかったためにイエスが多くの力あるわざを「しなかった」とか,そこでわざが「できなかった」という意味ではありません。察するところそこでは,イエスを見に出てきた者,いやしてもらうために出てきた者は多くいなかったようです。これは,つぎのように書かれている他の場所とは著しく対照的です。「すると大ぜいの群衆が,足なえ,不具者,盲人,おし,そのほか多くの人を連れてきて,イエスの足もとに置いたので,彼らをおいやしになった」。これらの人々をイエスのもとに連れてくること自体,すでに信仰を示す十分の行いでした。イエスが彼らの信仰について質問されたことを示す箇所はありません。―マタイ 15:30,新口。
● 「天と地にあるあらゆる家族の名の起るところの父」と述べられているエペソ書 3章14節(新世)は,どのように理解すればよいのですか。天にたくさんの家族があるのですか。また,どうして地上にあるあらゆる家族の名が神にゆらいしていると言えるのですか。―アメリカの一読者より
ここであらゆる家族と訳されている表現は,「パサ パトリア」で,「全家」(欽定訳)または「あらゆる家族」のどちらかに訳されます。現代訳ではたいてい新世訳と同様に「あらゆる家族」となっています。
もちろん天には,地上にあるような家族,つまり,父と母とが各家族の上にあって,他のメンバーはその両親の子どもであるような家族はありません。なぜなら,天ではめとることもとつぐこともないからです。(ルカ 20:34,35)しかしながら,エホバ神は,ご自身の制度と結婚しておられ,彼女による子どもたちをもっておられます。(イザヤ 54:5)イエス・キリストは,彼の会衆である花嫁と婚約しておられ,成員たちを天の領域に受入れつつあります。(コリント後 11:2)地上にいる油そそがれた成員の残れる者は,神の家族の成員に含められており,今日の「他の羊」は,その家族の将来の成員です。―ロマ 8:14-17。ヨハネ 10:16。
「地にある…あらゆる家族の名」は,一緒に住んでいるあらゆる小さな家族というグループのことを言っているのではなく,名前を保存する家系に言及しているように思われます。モーセの律法によると,家系を保存することがエホバ神のみ旨だったので,逆縁のおきてにも見られるとおり,エホバはいつも,相続者が家族の名前を伝えるような対策を講じられました。(申命 25:5,6。ルツ 4:3-10)もしエホバの創造的力がなかったなら,それぞれ名を持って,その名を後世に伝えて行くような家族は決してなかったことでしょう。ですから,あらゆる家族が名前をもっているのはエホバのおかげです。それは,各家系にひとつひとつ名前を与えるというように直接的なものではなく。間接的なものです。なぜなら神は地上に名前を持った家族の存在を可能にされたからです。この意味であらゆる家族は,すなわち天にある一つの家族と,地上にある多くの家系は,その名をエホバに負っています。それらが,異なった名前をもつ機会と特権をもって存在しているのはエホバのお陰です。
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