ポルトガルのエホバの証人は崇拝の自由を得る
去る1974年12月8日は,ポルトガルのエホバの証人の歴史における画期的な日となりました。その日,ポルトガルのエホバの証人の協会は登録され,エホバの証人は法的な認可を得ました。こうして,約50年間続いた崇拝の自由を求める闘いは終わりを告げました。
興味深いことに,その認可が下りたのは,ちょうどものみの塔協会の会長N・H・ノアと副会長F・W・フランズがポルトガルを訪問することになっていたその週中のことでした。そこで,12月21日の土曜日および22日の日曜日に特別集会が取り決められました。
満員の大群衆が集う
土曜日の集会はポルトで開かれ,7,586人もの群衆がスポーツ館をうずめました。日曜日の集会が開かれた会場はリスボンのタパディンハ競技場で,それは2万2,000人分の座席があるフットボール競技場です。同競技場を管理する理事たちは非常に協力的な態度を示し,遠くの諸会衆から旅行をしてやって来る証人たちが日曜日の午後のプログラムを楽しめるよう,午後のフットボール試合の予定を午前中に変更することさえしてくれました。
ノアおよびフランズ両兄弟が到着した時には競技場はすでに満員で,さらに幾千人もの人々が場内に入ろうとして,なおも競技場の外で待っていました。座席が足りないためにそれらの人々は入場できませんでしたか。明らかに事の重要性を察した競技場の役員たちは,フランズ兄弟がポルトガル語で詩篇 91篇に関する講演を行なっている最中に,先例のないことでしたが,場外にあふれた群衆のために競技の行なわれるフィールド内に入る許可を出しました。それは本当に感動的な光景でした。
出席者数が最終的に集計されたところ,3万9,284人がリスボンの集会に出席し,これら二つの特別集会の出席者数は合計4万6,870人に達しました。それはポルトガルのエホバの証人の人数の3倍に相当します。そして,間もなく各地の王国会館が開かれ,会衆の集会を持つことができるようになるとの発表が行なわれたところ,どっと拍手が湧き起こり,その拍手はしばしの間続きました。
それにしても,法的な認可を得るのにどうしてそれほど長くかかったのでしょうか。歴史を少し回顧してみると,興味深い事が分かります。
崇拝の自由を抑圧する陰謀
ポルトガルのエホバの証人は,1925年5月以来神の王国の「良いたより」を宣べ伝えてきました。(マタイ 24:14)証人たちの最初の公開講演は同年リスボンのルイス・カモエス高等学校の体育館で行なわれ,出席した2,000人の聴衆は「いかにして永久に地上で生きることができるか」と題するJ・F・ラザフォードの講演を聞きました。
この講演が行なわれた後に,ものみの塔協会はリスボンのルア・サンタ・フスタ95番地に事務所を開設し,同1925年中には「ものみの塔」誌が同市で発行されるようになりました。また,わざを組織するためポルトガルに派遣されたカナダ人ジョージ・ヤングは他の集会を組織し,司会しました。しかし,事情は急に変わる場合があるものですが,翌年そのとおりの事が起こりました。
1926年に共和党政権が覆され,新政府が支配し始めました。それはローマ・カトリック教会の支持を得た非常に保守的な政府で,同政権の中心人物はオリベイラ・サラザール博士でした。
直ちにエホバの証人に対する弾圧が始まりました。「ものみの塔」誌は政府の検閲を受けることになり,わずか一年後には同誌の印刷の仕事はスイスのベルンに移さざるを得なくなりました。1933年にポルトガルでは新憲法が採択され,国民に対して絶対的権力を振るう強力な独裁国家が出現しました。そして同年,ポルトガルのエホバの証人による文書の出版はすべて停止され,協会の事務所は閉鎖されました。
その後,法的な認可を得る努力が繰り返し行なわれました。例えば,1947年5月5日,F・W・フランズはものみの塔協会の弁護士を伴ってポルトガルを訪問し,約20人の一群の人々に対して組織的な事柄に関する講演を行なうとともに,エホバの証人のわざに対する法的な認可を得る可能性についてリスボンのある弁護士と相談しました。しかし,秘密警察がカトリック教会と結託しているので,そうした要請は拒否されるであろうと率直に指摘されました。
しかし,政府の禁令にもかかわらずポルトガルのエホバの証人は,神の王国の支配の下で平和と義の新秩序が到来することを近隣の人たちに語り続けました。(ペテロ第二 3:13)1952年までにポルトガルの活発な伝道者の最高数は53人になりました。そして,再びポルトガルのものみの塔協会支部を合法的に登録することに関して弁護士と相談を行ないました。しかし,政府当局者との会見が繰り返し行なわれた後,理由らしい理由も説明されぬままその要請は正式に拒否されました。
テロ行為始まる
エホバの証人は引き続き個人の家で集まって聖書の討議を行ないました。1961年1月にポルトガルの証人は1,000人を越えました。同年,組織を法的に登録する努力が別の面でなされ,地方の協会を用いて行なわれました。しかし,カトリックの教階制当局者はエホバの証人の急速な増加に非常な憤りを感じていました。
1961年3月には一連のテロ行為が始まりました。幾百人もの証人たちの家は令状なしに秘密警察の手で捜索され,聖書や聖書文書は没収されました。また,証人たちは身体的にも危害を加えられ,投獄されました。そして,数々の訴訟が行なわれ,ある訴訟は最高裁に持ち込まれました。結果ですか。男女を問わずエホバの証人は,個人の家で行なわれる聖書研究に出席したというだけの理由で服役刑に処されました。このテロ行為は1960年代中ずっと続きました。その後,希望の光がかすかにひらめきました。それはどうしてでしたか。
独裁者サラザールは脳卒中にかかり,新首相が指名されたのです。1971年8月21日,新政権が信教の自由を宣言するに至って,なんらかの変化が今にも起こりそうに見えました。喜び勇んでエホバの証人は,「認可された宗教」もしくは「宗派」として類別されるために法律で要求されている500人の署名を兄弟たちから得ました。さらに,1972年11月14日,自分たちの信条および組織に関する膨大な書類を司法省に提出しました。しかし,月日がたつうちに,このたびの要請もまたもや「棚上げ」にされたことが明らかになりました。
ついに起きた変化
1970年にサラザールが亡くなった時,ポルトガルの暴政と圧制的支配を終わらせたいとの希望を表明した人は少なくありません。一部の国会議員も国民のために表現の自由を認めるよう公に主張しました。若い世代の人々もまた,旧政権に満足できなくなっていました。こうして,1974年4月25日,軍事革命が起こり,速やかに成し遂げられ,48年間にわたった独裁支配は一日にして覆されました。この出来事は喜ばしい変化をもたらしました。例えば,臨時軍政府は直ちに,1926年以来初めてのこととしてポルトガル国民の基本的自由が回復される旨発表しました。そして,1974年8月29日には,人々が特別の許可なしに自由に集会を開く権利を認める法律が可決されました。
この知らせを聞いたエホバの証人はどんなにか喜んだことでしょう。証人たちは幾つかの会衆を一緒にしてリスボンの大学都市スポーツ館で大会を開き,1,211人がその大会に出席しました。それに続いて,同様の十七の大会がそれぞれみな立派な公共の場で次々に開かれ,公開講演の出席者数は合計2万9,664人に達しました。そして,冒頭で述べたとおり12月にはポルトガルのエホバの証人は関心のある幾千人もの人々と共に一団となって,ものみの塔協会の旅行する代表者を迎えて二つの特別集会に集いました。
今や警察の反対ではなく,保護を受けられるようになったことは,エホバの証人にとって何という喜ばしい変化でしょう。最近,ある乱暴者が集会を妨害しようとしたので,警察に苦情を述べましたが,警察署長の答えは実に興味深いものでした。「考えてもご覧なさい! 前政権の下でわたしたちは皆さんを迫害するようにとの命令を受けていましたが,今や皆さんを保護することになりました。次の集会の際には王国会館を警備するため二人の警官を派遣いたします」。
『皆さんの神は本当に異なった方です』
聖書はクリスチャンに対して次のように諭しています。『諸国民の中にあっていつもりっぱな行動をしなさい。……それは彼らがあなたがたのりっぱな業を実際に見,その業のゆえに神をたたえるようになるためです』。(ペテロ第一 2:12)エホバの証人の行動はそのように「りっぱ」なものですか。
12月22日の日曜日,リスボン競技場で終日過ごしたあるフットボール愛好者は次のように述べました。「驚くべきことです! 午前中のフットボール試合の時には,たった5,000人の群衆が秩序を保つのに30人の警官による保護を必要としましたし,興奮のあまり審判に危害を加えようとした一見物人を警官は逮捕しなければならないほどでした。ところが,その午後競技場には約4万人もの人々がいたにもかかわらず,場内では警官を一人も見かけませんでした。しかも,騒ぎはただの一件もありませんでした」。
競技場に住むある管理人の妻はこう語りました。「まあ,考えてもご覧なさい。証人たちは競技場の清掃をする際に,今朝わたしがドアの前に置いたごみまで持って行ってしまいました。何ら問題や騒ぎを起こさずに,このように一致協力して働く人々をわたしは一度も見たことがありません」。
エホバの証人の代表者が理事たちに会って,同競技場を使用させてもらったことに対して感謝の意を述べたところ,同クラブの会長はこう述べました。「昨日は皆さんが来てくださったおかげで,このクラブは栄誉を受けました。わたしたちに感謝すべき理由は一つもありません。皆さんは市民としての行動,協力,愛という点ですばらしい教訓をわたしたちに示してくださいました」。別の理事は次のような感嘆の言葉を述べました。「わたしは,皆さんがそのように振舞えるのも,きっと皆さんの神が本当に異なった方だからに違いないと申し上げることしかできません」。
ポルトガルのエホバの証人はこの国の最近の種々の事態のゆえに熱意にあふれています。そして,11月には聖書の真理を他の人々と分かち合うわざに活発に携わる奉仕者の1万4,220人という最高数を得ました。また,証人たちは人々の家庭で1万4,160件以上の無料の聖書研究を司会しています。ポルトガルの人々は明らかに神のみ言葉の知識に飢えています。エホバの証人はそうした人々を助ける用意があり,またそうしたいと切に望んでいますし,今や合法的にそうすることができるようになりました。