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神を愛する人と友だちになりなさいものみの塔 1971 | 4月1日
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神を愛する人と友だちになりなさい
親が子どもといっしょに読む特別な記事
わたしは,あなたが持つことのできる,一ばん良い友だちについて考えているところです。その友だちは,ほかのだれよりも,ずっと多くのことをあなたのためにしてくれました。あなたはそれがだれだかわかりますか。それはエホバ神です。
たしかに,エホバは天におられますので,わたしたちには見えません。でも,エホバは,わたしたちのことを気にかけておられ,わたしたちの友だちでありたいと望んでおられます。そして聖書は,わたしたちがエホバと友だちになれると教えています。聖書によると,むかし住んでいたアブラハムという人は「エホバの友」と呼ばれました。―ヤコブ 2:23,新。
でも,どうすればわたしたちはエホバ神の友だちになれますか。エホバが好まれないことをして,その友だちになれますか,イエスは神の友だちのひとりです。そして「わたしは常に彼に喜ばれる事柄を行なう」と言われました。ですから,もしわたしたちが神の友だちでありたいと願うなら,わたしたちも神に喜ばれることをしなければなりません。―ヨハネ 8:29,新。
今の時代,エホバを愛さない人はおおぜいいます。その人たちは聖書を学んだり,神のおっしゃることを行なったりしたいとは考えません。もしあなたが,そのような人たちと遊ぶなら,あなたはもっと神を愛するようになりますか。それとも,そのために,神をあまり愛さなくなるようになりはしないでしょうか。あなたはどう考えますか。
神を愛していない人を友だちにすると,エホバに喜ばれません。そうした人たちのために,わたしたちが,彼らと同じようになってしまうこともあります。イエスは,そのような人を友だちにはなさいませんでした。イエスの友だちはエホバ神を愛し,エホバに仕えたいという願いを持つ人々でした。そのうちの何人かを考えてみましょう。
イエスのもっとも親しい友だちは使徒たちでした。それは,ペテロとかヨハネのように,イエスといっしょに旅行したり,伝道の仕事をしたりしてイエスを助けた人々です。イエスは多くの時間をそれらの人々と過ごされました。イエスと使徒たちはいっしょに食事をしたり,神について話したりしました。そのほかにも,たくさんのことをいっしょにしたのです。
でも,イエスには,ほかにもたくさんの友だちがありました。イエスとその使徒たちがおとずれた町には,エホバ神を愛する家ぞくがいました。その人たちもイエスの友だちでした。イエスはその人たちの家によくとまって,いっしょに楽しく過ごされました。
ベタニアという小さな町には,イエスがこのんでおとまりになった,ある家ぞくが住んでいました。あなたはその人たちをおぼえていますか。その家ぞくには,マリヤとマルタ,それにそのふたりの兄弟にあたるラザロがいました。イエスはラザロをご自分の友とよばれました。また,聖書には,イエスはこの3人を愛されたと書いてあります。―ヨハネ 11:5,11。
イエスがこの家ぞくを愛して,いっしょにいることを楽しまれた理由がわかりますか。それは,この家ぞくがエホバ神を愛して,エホバに奉仕していたからです。また,イエスを偉大な師として尊敬していました。
あるとき,イエスは,ご自分の友だちになるには何が必要かを示して,彼に従う人々にこう言われました。「もし,わたしがあなたがたに命令していることを行なうなら,あなたがたは,わたしの友だちで(す)」。(ヨハネ 15:14,新)そうすると,イエスに従わない人は,イエスの友だちになれますか。あなたはどう思いますか。いいえ,イエスの友だちになれません。イエスは,ご自分の言われたことを進んで行なう人々だけを友だちにされたからです。
イエスの話を聞くのがすきな人はおおぜいいました。でも,それらの人々がみな,イエスのいわれたことがらすべてを行なおうとしたわけではありません。そうした人々はうそをついたり,人をころしたりするような人ではなかったかもしれませんが,イエスはその人たちの友にはなりませんでした。
ある日イエスのもとに来たひとりの若者はその例です。その人はイエスに次のように言いました。『わたしは神の律法を守ってまいりました。永遠の命をいただくためには,そのほかに何をしなければなりませんか』。
イエスはその若者に言われました。『あなたが持っているものを売りに行き,わたしに従う者となって来なさい』。
イエスがこのようにおっしゃると,その人はたいへん悲しみました。なぜなら,その人は金持ちで,たくさんの物を持っていたからです。その人は神を愛するよりも,そうした物を愛したので,立ち去って行きました。そしてイエスから言われたことを行ないませんでした。多くの持ち物を売って,イエスに従う者とはならなかったのです。
この金持ちの若者は,人から悪く言われるような人ではありませんでした。聖書には,イエスがその若者に愛を感じられたとさえ書かれています。でも,イエスはその人の友だちにはなりませんでした。―マルコ 10:17-22。
このことは,イエスが,神に仕えない人々に不親切だったという意味ではありません。イエスは親切でした。そうした人々の家に行って,いっしょに食事することさえなさいました。そのため,人々は,ある日,イエスの弟子たちにこうたずねました。『あなたがたの師が,悪いことをする人々といっしょに食事をするのはどうしてですか』。(マタイ 9:10,11)あなたなら,なんと言ったでしょうか。その質問に答えられたでしょうか。
イエスがそのような人々の家を訪問したのは,彼らに神についての話をするためでした。イエスは,その人たちが悪い行ないをあらためて,神に仕える者となるよう助けようとなさいました。その人たちがしていることがすきだから,その家に行かれたのではありません。その人たちはイエスのほんとうの友だちではありませんでした。
イエスはザアカイの家を訪問されたことがありました。ザアカイは悪いことをした金持ちでした。ザアカイの住んでいる町にイエスが来たとき,人々が群がっていました。ザアカイは背の低い人だったので,通りすぎるイエスを見ることができるようにと,木にのぼりました。イエスはその木のところにさしかかると,ザアカイを見上げてこう言われました。『はやくおりなさい。きょう,わたしは,あなたの家に行きます』。
イエスはなぜザアカイの家に行かれたのですか。あなたはわかりますか。ザアカイに伝道するためでした。そして,その結果,ザアカイは悪いことをするのをやめました。ザアカイは自分が取る権利のないお金を返してイエスに従う者となりました。そのときから,イエスはザアカイを友だちになさったのです。―ルカ 19:1-10。
このように,イエスは神を愛し,神に仕える人たちだけを友だちになさいました。イエスはほかの人たちに親切で,神について話すため,その人たちの家を訪問することさえなさいました。しかし,その人たちが,ご自分に従う者とならないかぎり,その人たちと友だちになりませんでした。たくさんの良いことをしたものの,神に完全に仕えようとはしなかった,さっきの若者をすら友だちにはなさいませんでした。
イエスのようになるため,あなたもわたしも,イエスのもはんに従わなければなりません。わたしたちは,すべての人に親切でなければなりませんが,だれとでも友だちになってはいけません。神を愛さず,神に仕えない人々を友だちにしてはなりません。
そのような人と友だちになるのは,どうしていけないのでしょう。もし,そうした人たちと友だちになったら,どんなことが起こらないともかぎりません。わたしたちが,そのような人々のようになって,エホバ神への愛を失うようになるかもしれません。ですから,かしこくなって,イエスのもはんに従おうではありませんか。神をほんとうに愛している人たちだけと,友だちになりましょうね。
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あらゆる種類の人々が真理を受け入れるものみの塔 1971 | 4月1日
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あらゆる種類の人々が真理を受け入れる
● プエルトリコでのこと,ひとりの「ヒッピー」が友人たちに伝道しはじめました。その良い結果についてお知らせできるのは喜びです。かつて「ヒッピー」だったその人は,現在,正規開拓奉仕者となっており,「ヒッピー運動」について自分が持っている知識を巧みに活用しています。というのは,その人はかつて,15人からなる「ヒッピー」の集団の指導者だったからです。その人たちは,ありとあらゆる種類の麻薬を使用していましたので,最初は,その兄弟が気でも狂ったのではないかと考えました。しかし,兄弟が熱心に勧めたので,そのうちの数人が検分のために王国会館に来ました。それはどんな結果になりましたか。それらの人たち全員が今では麻薬を断ち,しかもその全員が聖書を学んでおり,中には,他の人々との聖書研究を司会している人もいます。前述の開拓者の兄弟が非常に大きな変化を遂げたため,かつてそれらヒッピーたちの治療に当たっていた精神病医は,自分の手におえない患者を今ではその兄弟に回しています。昨年の8月に開かれた「善意の人々」地域大会におけるバプテスマの話の中で提出された二つの質問に,それらかつてのヒッピーのうち8人が起立してはいと答える光景を見るのはほんとうにすばらしいことでした。このかつての「集団」の大半が今では献身してバプテスマを受けた,エホバのしもべになっていることはなんという喜びでしょう。
あらゆる種類の人々が真理を受け入れていることは確かに真実です。ひとりの開拓者はこう書き送ってきました。「わたしは,ある夫婦と彼らの子ども数人を交えての家庭聖書研究を始めました。最初に,『幸福な家庭生活を築く』という章を学び,家族全員が喜びました。その研究はよく進歩しましたが,まもなくその家族には,次のようないくつかの問題のあることがわかりました。1,その家の子どもたちは近所でも,一番乱暴で行儀の悪い子どもとして知られている。2,その親は心霊術者で,夫のほうは霊媒である。3,親は合法的には結婚していなかった。研究が進むにつれて,家族は大きく変化しました。夫と妻は自分の子ども(8人の子どもの大部分)と3人の孫を伴なって,結婚を合法化する手続をし,子どもたちは新しい人格をつけはじめ,近所の人たちから驚かれるほどになりました。しかし,その家族はなお悪霊たちに悩まされていました。わたし自身,研究中に気が変になるような経験さえしました。ところが,「邪悪な霊者」に関する章を学ぶと,家族はすぐ悪霊崇拝に関係した本やその他の付属品,また宗教画のすべてを捨てました。そして今では悪霊に悩まされることはありません。その家族に起きた変化,とりわけ彼らが王国会館での集会に出席したり,戸別の伝道奉仕をしたりするのを見て,多くの人は考えさせられています。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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