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    ものみの塔 1965 | 10月15日
    • の上に立った愛は,家族を一つにできます。「愛〔アガペー〕は,すべてを完全に結ぶ帯」だからです。―コロサイ 3:14。

      16 子供の生命のことを真に心にかけている両親に対して,聖書は何を教えていますか。

      16 両親の皆さんは,お子さんが親を愛し,聖書の次の言葉にあるような子供になることを望まれますか。「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって,次の約束がそれについている。『そうすれば,あなたは幸福になり,地上でながく生きながらえるであろう』」。神の国の治める楽園の地に永遠の生命を得させたいと願っていますか。では次の言葉に述べられている親の務めをどのように果たしていますか。「またあなたがた父たちよ,あなたがたの子供をいらだたせてはいけない。常にエホバのこらしめと権威ある教えとに従って育てなさい」。いまの時代にこの事をするには,単なる愛情以上のものが必要です。それには原則をわきまえた愛が必要です。―エペソ 6:1-4。

      17 (イ)子供を甘やかすのは,なぜ本当の愛を示すことではありませんか。(ロ)こらしめを差しひかえるのは,親と子供の両方にとってどんな悪い結果になることがありますか。

      17 適切なこらしめをさしひかえて子供のいうなりになる親は,自分を愛しているに過ぎません。このような親はこんな風に言います,「本当はそれが子供によくない事はわかっていても,あまりせがむので許さないわけに行きません」。それで子供の将来のためを考えるよりも,こらしめを与えた結果,子供の愛情を親が一時的に失うことを恐れているのです。時限爆弾を子供に与える親はありません。しかし責任を十分にわきまえていない少年に自動車を買い与えたり,年齢不相応な行動の自由を少女に許すならば,偽装した爆弾を与えるのと同じ結果になるかも知れません。原則を愛情の祭壇に犠牲にしてしまうのは偽りの崇拝にほかなりません。そして子供を盲目的に愛した親は,往々にして晩年もはや自分の思う通りにならない子の愛にうえかわきます。「むちを加えない者はその子を憎むのである,子を愛する者は,つとめてこれを懲らしめる」。(箴言 13:24)たしかにこの箴言の通りです。こらしめるとは教えを授け,訓練することです。愛が真実のものであるためには,私たちが天の父からこらしめられ,教えられている通りのことを子に対して行なわねばなりません。―ヘブル 12:5-11。

      友人同志の愛

      18,19 (イ)フィリアという言葉の表わす愛は何に基づいていますか。それが悪いものでないことは,どうしてわかりますか。(ロ)このような友愛が永続する益となるには,何が必要ですか。なぜですか。

      18 ギリシャ人がフィリアと呼んだ友愛も,人生を豊かにします。友人のない生活は寒々としたものです。友情は他の人の中に好ましい性質,良さを認め,自分を楽しい気持ちにさせるものを見出すとき,あるいは長いあいだ経験を共にしたことから好感,愛情,忠誠心を互いに抱くとき,生ずるものです。友人の間には相互に信頼感が通います。キリスト・イエスご自身も,ペテロ,ヤコブ,ヨハネの3人の弟子に特別な友情を示し,中でもヨハネは特に愛された弟子であった事が記録されています。―ヨハネ 19:26; 20:2。

      19 しかし友情が永続する価値のあるものとなるには,原則をわきまえた愛と結びついていなければなりません。そこで使徒ペテロは兄弟愛(フィラデルフィア)に愛(アガペー)を加えることをさとしています。(ペテロ後 1:7)そうでなければ,友情はへつらいと腐敗に堕し,正しくない事,その人にも自分にも益とならない事,神を汚し,隣人を害する事を行なう仲間になる結果を生むかも知れません。しかし「愛〔アガペー〕は隣り人に害を加えることはない」のです。―ロマ 13:10。

      20 神の示される友愛は,私たちがそれを表わす際のどんな導きとなりますか。

      20 原則に立脚した愛を導きとすれば,はじめから良い友だちを選び,正しい友情を培うことができます。イエスは弟子たちにむかって「父ご自身があなたがたを愛〔フィレオ〕しておいでになるからである」と言われました。それを聞いた弟子たちは心をおどらせたことでしょう。しかしイエスの弟子たちが神からそのようなほまれを受けたのはなぜですか。つづいてイエスが言われた言葉はそれに答えています。「それは,あなたがたがわたしを愛したため,また,わたしが神のみもとからきたことを信じたためである」。(ヨハネ 16:27)神の愛を受け,神の友とされるのは,それにふさわしい者だけです。(ヤコブ 2:23)「世を友〔フィロス〕とするのは,神への敵対であることを,知らないか」という警告が与えられているのも当然です。(ヤコブ 2:23)神の友であり,神から愛されている人を,自分の友にしなければなりません。―ヤコブ 4:4。

      21 このような理解を持つからといって,少数の人々だけに愛を示すのではありません。それはなぜですか。

      21 それでは私たちは愛を示すことに差別を設け,自分のまわりに垣を作りますか。そうではありません。原則をわきまえた愛〔アガペー〕は,愛情〔フィレオ〕の届かないところ,また愛情を示す意欲を起こさせないところにも働かねばならず,また働くからです。永遠の生命の報いは,結婚配偶者,家族あるいは親しい友だちだけに献身的な愛を示す人々がかち得るのではありません。イエスは次のように言われました,「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから,あなたがたの天の父が完全であられるように,あなたがたも完全な者となりなさい」。(マタイ 5:46-48)それできわめて明らかなように,私たちはたとえ好きでなくても,その人を愛することができます。私たちの生命はそうすることにかかっているのです。

      22 各人は何を真剣に自問しなければなりませんか。

      22 ここで次のように自問してごらんなさい。私の愛はどんな愛だろうか。それは原則に基づいているか,それとも感傷に過ぎないか,自然の情として愛することのできるもの,すなわち結婚配偶者,両親,子供あるいは気の合う友人だけを愛しているだろうか。このような者たちに対する愛も,彼らの永遠の福祉を求める愛か,それともこのような関係から生まれる満足のためにする愛情の表現だろうか。私の愛はどれほど純粋なものか。その答えによって,その人の価値が決まります。―コリント前 13:1-3。

  • 愛の新しい戒めを守る
    ものみの塔 1965 | 10月15日
    • 愛の新しい戒めを守る

      「わたしは,新しいいましめをあなたがたに与える,互に愛し合いなさい。わたしが,あなたがたを愛したようにあなたがたも互に愛し合いなさい。」ヨハネ 13:34。

      1 使徒パウロの論議によれば,あがないを備えた神はどんな愛を示されましたか。

      人類に対する神の最大の賜物は,愛情ではなく,原則をわきまえた愛に基づいたものです。使徒パウロは,ロマ書 5章7節から10節にその事を論じています。「正しい人のために死ぬ者は,ほとんどいないであろう。善人のためには,進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし,まだ罪人であった時,わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって,神はわたしたちに対する愛〔アガペー〕

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