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  • 全宇宙で最も優れた友情を深める
    ものみの塔 1985 | 5月15日
    • 絶えてしまう交友関係を避ける

      14 友情に関して,エホバの証人はどのようにして,ゼカリヤ 13章4-6節に予告されているような事柄を経験しないようにしますか。

      14 エホバの証人は,この堕落した暴力的な古い世の友にならないため,誤り伝えられ,冷遇され,迫害されています。地上に存在した古今のエホバの証人の中で最も偉大な方であるイエス・キリストも同じように扱われました。彼らはイエスに勝る者ではありません。(啓示 1:5; 3:14)自分たちの最も優れた友であるエホバ神の言葉に従って自らの考えを正直な態度で調整しつづけるので,エホバの証人はゼカリヤ 13章4節から6節に預言的に描かれている経験をせずにすんでいます。そこには次のように書かれています。「その日には必ずこうなる。すなわち,預言者たちは,預言をする際おのおの自分の幻について恥じるようになる。彼らは欺きのために毛の職服を身に着けない。そしてきっとこう言う。『わたしは預言者ではない。土を耕す者だ。地の人がわたしを若いころから手に入れたのだ』。そこで人は彼にこう言うのである。『両手の間にあるあなたの身のこれらの傷はどうしたのか』。すると彼はきっと言うであろう,『わたしを強く愛する者たち[「友たち」,欽定訳]の家で打たれたときのものだ』」。

      15 キリスト教世界の僧職者が公の場に出る時に特別な服を身に着けるのはなぜですか。僧職者たちはだれと自己本位な友情を築いてきましたか。

      15 これまで幾世紀にもわたって,キリスト教世界の僧職者は,自分たちの宗教的な職務に注意を向けさせるために,また自らが「平信徒」と呼ぶその会衆の成員から自分たちを区別するという自らを高める目的のために,「職服」を身に着けてきました。これらの僧職者たちは,イエス・キリストとその使徒たちおよびイエスのお遣わしになった福音宣明者たちが自分の身分に注意を向け,それをひけらかすために宗教的な職服を身に着けたという証拠がひとかけらもないのに,そうしたことをするのです。1914年に「諸国民の定められた時」,あるいは「異邦人の時」が終わり,それから「事物の体制の終結」が始まって,これまでにかなりの時が経過しています。(マタイ 24:3; ルカ 21:24; 欽定訳)僧職者は長い間,この世の商業的,軍事的,そして政治的な分子の最良の友となることに努めてきました。彼らは自分たち自身の利己的な益のために,良心の呵責を少しも感じることなくそうしてきました。しかし,この種の利己的な友情は長くは続かないでしょう。

      16 (イ)聖書預言によると,この世的な「友たち」は僧職者階級に対して間もなくどんなことを行ないますか。(ロ)身分は変わっても,僧職者がどんな最終的な経験を免れることはありませんか。

      16 僧職者も平信徒も同様に,高度に科学的な時代に置かれています。世の諸関係はこの時代の圧力によって,緊張の極限に達しています。僧職者たちは天の神のみ前で良い立場にあると主張していますが,商業的,軍事的,および政治的な事物の取り決めに神の好意をもたらしてはいませんし,悪化の一途をたどる世界情勢に何の救済も差し伸べていません。彼らのこの世的な「友たち」は間もなく,僧職者たちが役に立たず,まさに自分たちにとってはお荷物で,キリストによるエホバの王国を度外視しての物質的なより良い時代に関する僧職者たちの預言が偽りであったことに気づかされることになります。確かに,それらこの世的な「友たち」は最後には,信頼感の喪失,軽蔑,そうです,その憎しみを全面的に表わすよう心を動かされます。彼らは暴力をもって僧職者を滅ぼすか,少なくともその専門職の職服を脱がせ,ゼカリヤ 13章4節から6節に説明されているように,専門職に就いていない平信徒の地位に僧職者たちを落とすことは確かです。しかし,身分はそのように変わっても,僧職者たちが大いなるバビロン,すなわち偽りの宗教の世界帝国と共に滅びることは変わりません。それは啓示 17章と18章に予告されているとおりです。僧職者たちのこの世的な「友たち」は彼らを全く見捨てるでしょう。

      17 どんな友情には深めてゆくだけの価値がありますか。どれほどの期間そうしてゆく価値がありますか。

      17 この点を考えると,間違った種類の利己的な交友を避けるのは何と大切なことなのでしょう。一方,全宇宙で最も優れた友情はわたしたちにとってまさに掛け替えのないものであるはずです。その友情は永久に深めてゆくだけの価値のあるものです。

  • 友好的でない世にあっても存続する最も優れた友情
    ものみの塔 1985 | 5月15日
    • 友好的でない世にあっても存続する最も優れた友情

      「不義の富によって自分のために友を作り,そうしたものが尽きたとき,彼らがあなた方を永遠の住みかに迎え入れてくれるようにしなさい」― ルカ 16:9。

      1 箴言 14章20節が地上におられたときのイエス・キリストに当てはまらなかったのはなぜですか。

      「資力の乏しい者はその仲間の者にとってさえ憎しみの的となる。しかし,富んだ者の友は多い」。(箴言 14:20)イスラエルのソロモン王のこの箴言は,ソロモンより偉大な方であり,これまで地上に存在した人の中で最も偉大な人物,イエス・キリストには当てはまりませんでした。イエスは物質の富によってイスラエル人をご自分との親密な交わりに引き入れることはしませんでしたし,地上の富がどんなことにも耐えて存続する真の友情の基盤になるとも見てはおられませんでした。

      2 イエスはどんな友情を培うようご自分の弟子たちにお告げになりましたか。それにはどんな理由がありましたか。

      2 確かにイエスはある時,「不義の富によって自分のために友を作り,そうしたものが尽きたとき,彼らがあなた方を永遠の住みかに迎え入れてくれるようにしなさい」と言われました。(ルカ 16:9)しかし,イエスが念頭に置いておられた「友」とは,あらゆる価値ある所有物の源であられるエホバ神と,無限の富を持たれるみ父の子であるご自分のことでした。その同じ諭しに今日従うなら,わたしたちは地上で享受できる最も優れた交友関係,すなわち自己犠牲的なみ子イエス・キリストによりエホバ神との交友関係に入れられます。

      3 これら天的な友はわたしたちをどんな「住みか」に招じ入れることがおできになりますか。

      3 天におられるこのお二方は不滅の命をお持ちであるゆえに,いつまでもわたしたちの揺るぎない友となることができ,わたしたちを「永遠の住みか」に招じ入れることがおできになるのです。その「永遠の住みか」が,すべての聖なるみ使いたちのいる上なる天にあろうと,下なるこの地上の

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