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あなたは神の名によって歩んでいますかものみの塔 1978 | 11月15日
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の音信を恐れることなくふれ告げます。しかし彼らは,近づきつつある義の新秩序の「良いたより」も宣べ伝えます。そして,義の宿る「新しい天と新しい地」をもたらす,という神の約束の完全な成就を切望しています。(ペテロ第二 3:8-13)その時には,どんなにか大きな喜びが満ち渡ることでしょう。他の神の名によって歩む人はもはや一人もいないでしょう。むしろ,理知ある創造物はすべて,永遠にエホバ神の名によって歩むでしょう。
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「エホバにふさわしいしかたで歩む」ものみの塔 1978 | 11月15日
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「エホバにふさわしいしかたで歩む」
「わたしたちは……あなたがたがあらゆる知恵と霊的な把握力とにより,み旨に関する正確な知識に満たされるようにと祈り求めてやめません。それは……エホバにふさわしいしかたで歩むためです」― コロサイ 1:9,10。
1 (イ)わたしたちはエホバとのどんなすばらしい関係を楽しめますか。(ロ)ではエホバの戒めに対するわたしたちの態度は,どんなものであるべきですか。(詩 119:47,48)
エホバ神は,だれもが持つことのできる最良の友です。族長「アブラハムはエホバに信仰を置いた」ので,「彼に対してそれは義とみなされ」,「彼は『エホバの友』と呼ばれるようになりました」。(ヤコブ 2:23)なんとすばらしい関係でしょう! しかしエホバは,そのような信仰を持つ人々が皆,ご自分の友として,ご自分の名によって歩むことを望んでおられます。もちろん,神を喜ばせ,神と親しい関係を持ちたいと思うなら,召集者の言葉を守らねばなりません。召集者は幾世紀もの昔に,次のように言いました。「真の神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めの全体だからである」― 伝道 12:13,新。
2 「エホバにふさわしいしかたで歩む」には何が必要ですか。
2 神の友となり,神の戒めを守り,神の名によって歩むためには,正確な知識がぜひとも必要です。ですからクリスチャンの使徒パウロは適切にも,コロサイの仲間の信者たちに次のように告げました。「わたしたちは……あなたがたがあらゆる知恵と霊的な把握力とにより,み旨に関する正確な知識に満たされるようにと祈り求めてやめません。それは,あなたがたがあらゆる良い業において実を結び,また神に関する正確な知識を増し加えつつ,神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしいしかたで歩むためで(す)」― コロサイ 1:9,10。
責任をめざとく自覚する
3 エホバの名によってそれにふさわしく歩みたいなら,どのような生き方をしなければなりませんか。
3 人間同士の友情は,もしこちらがなんらかの面でその人のことを誤り伝えるなら,維持することはできません。したがって,もしわたしたちがエホバを自分の友として持ちたいなら,その名が表わす事柄すべてに調和した生き方をすることが,エホバの名によってそれにふさわしく歩むということに関係していることを自覚しなければなりません。それには,聖書の言うことを自分に適用することに加えて,聖書を熱心にかつ定期的に研究することが要求されます。人々はわたしたちを見るとき,わたしたちの神を連想します。ですから,エホバの証人としてのわたしたちが,エホバの言葉と調和した行ないをして神を正しく表わすことは,非常に大切なことなのです。
4 聖なるみ名を示すことに関して,エホバの証人にはどんな責任がありますか。
4 エホバの証人はまた,エホバの名によってそれにふさわしく歩むということに,自分の生活のあらゆる面が関係していることを知っています。彼らには,その聖なるみ名をふさわしい方法で人類の前に示す責任があるのです。エホバの証人は確かに,だれかの感情を害することを恐れてエホバという名を用いることを差し控える今日のキリスト教世界の人々のようではありません。エホバはご自分の名前が世界中に知らされることを望んでおられます。(出エジプト 9:16)そして,エホバこそ至高の神であることを人々に知らせるのは,実に大きな特権なのです。
5 クリスチャンは政治問題に対してどんな態度を取りますか。なぜですか。
5 しかし,クリスチャンの責任には,単に神のみ名を語る以上のことが関係しています。わたしたちの最も大切な友であるエホバは,全宇宙の偉大な王であられます。そのみ名は,イエス・キリストを神の配下のメシアなる支配者とするその王国と結びついています。ですから,エホバの名によってそれにふさわしく歩む人々がその王国を擁護すべきであることは,言うまでもありません。したがって彼らはこの世の政治問題には全く関与しません。むしろイエス・キリストと同じ立場を取ります。「わたしの王国はこの世のものではありません」と,イエスは言われました。―ヨハネ 18:36。
6 エホバの名によってそれにふさわしく歩む者たちは,罪をどのように見ていますか。
6 世自体不義に染まっています。ゆえに,エホバの友としてエホバの名によりそれにふさわしく歩むことを願う人々は,この世と,その中にあるすべての悪とを避けねばなりません。罪に関してエホバ神と同じ見方をしなければなりません。エホバは「そのすべての道において義にかなっておられ,そのすべてのみ業において忠節です」。(詩 145:17,新)クリスチャンは,もし自分たちが盗みを働くとか,姦淫をするなどして神のおきてを犯すなら,そのためにエホバのみ名に非難が及ぶことを知っています。それは決してわたしたちの望むところではありません。むしろわたしたちは,使徒ペテロが書いているように,自分の行ないが神に栄光をもたらすことを願っています。「諸国民の中にあっていつもりっぱに行動しなさい。それは,彼らが,あなたがたを悪行者として
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