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全時間奉仕は貴い宝ものみの塔 1956 | 7月1日
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全時間奉仕は貴い宝
『あなたの宝のある所には,心もある。』― マタイ 6:21,新口。
1 宝を調べるとき,何を考えねばなりませんか。なぜですか。
一摑の穀物は,一摑の金剛石<ダイアモンド>よりも貴重ですか。コップ1杯の水は,コップ1杯につめられた真珠よりも貴重ですか。容器1杯の酸素は,容器1杯の紅玉<ルビー>よりも貴重ですか。これらの質問に対しては,肯定の答もできなければ,否定の答もできません。なぜなら,環境が価値に対する判断を決定するからです。地上の人里離れたところにいる空腹な人にとつて,一摑みの穀物は,一摑の金剛石よりも,ずつと貴重なものです。乾ききつた砂漠にいて水に飢えている人は,コップ1杯の水を重んじてコップ1杯の真珠には見向きもしないでしよう。また,肺炎で呼吸の困難な人にとつて,容器1杯の紅玉よりも容器1杯の酸素の方が貴重なものです。どの場合にせよ,生きるか死ぬかという危険な時であるため,価値は普通の場合とはちがつています。生命は,貴重な宝石よりもずつと大切なものです。もし生命がないなら,貴重な宝石も単に宝の持ち腐れにすぎません。それで,宝を調べる時には,その価値の理由と,なぜその宝を重んずるか,ということについて考えねばなりません。
2,3 (イ)智恵のある人は,なぜ物質の宝に専心しませんか。(ロ)智恵のある人は,何に専心しますか。このことは,なぜ正しく評価されるべきですか。
2 創造者は,人間によろこびを与えるため,地中に貴重な宝石を置かれました。貴重な宝石が,すばらしい宝であることについては,すこしの疑もありません。しかし,生命を維持するのに是非とも必要な食物,水,そして空気についても同じことが言えます。これらのものも,愛の御心を持つ創造者が人間に与え給うた宝であります。さて,物質の宝は,ほんの僅かな一時の楽しみだけしか与えることができないのに,その物質の宝を入手することだけに専心しますか。肉の欲,願い,楽しみだけを大切に重んじて,それらを生活上の第一義のもの,つまり生活の目標にしますか。人に永遠の生命を得させる方法の方が,ずつと実際的な目標でないでしようか。
生命の与え主に奉仕する
3 ヱホバ神は,地上にある多くの宝の創造者であり,また永遠の生命の与え主であります。故に,賢い人は,ヱホバ神への奉仕に専心します。ヱホバ神は,あらゆる良き全き賜物を与えられる御方であり,かつ愛の御心を持つ大いなる与え主です。それで,ヱホバ神に全時間奉仕をする人々は,永遠のよろこびと真の満足を得ます。これこそすばらしい宝であつて,この宝から見ると,人々の欲している他の宝の価値は,全く比較にならない程低いものです。この宝だけが永遠の生命をもたらすことができます。それで,この宝に対する正しい評価をなすことは,最も大切なことです。人は,この宝を正しい見地から判断すべきです。また,その宝がなぜ価値あるかということを理解すべきです。その宝についての正確な知識を得ることにより,ヱホバの奉仕を行う人々はヱホバの御旨にかなう心を持つようになります。
4 生ける理智あるものを創造せられた神の御目的は何でしたか。
4 ずつと古いむかし,ヱホバが生命を持つ理智ある被造物を創造し始めた時,ヱホバは明白な御目的を有しておられました。ヱホバは御一人で居られても,決して淋しい気持を感じません。それで,被造物を創造したのは,自分と共にいてもらいたいためではないのです。ヱホバは,御一人でいても十分の満足を感じられ,他の如何なるものにも依存しません。それでは,ヱホバはなぜ創造しましたか。なぜなら,創造の業はヱホバによろこびをもたらしただけでなく,つくられたものもヱホバと共にいてヱホバの善,そして智恵を楽しむことができたからです。無私の御心を持つヱホバは,他の者に生命を分ち合えることを望まれました。かくして幾千万という力ある霊者たちはヱホバに奉仕したのです。これらの霊者たちは,ヱホバの輝くばかりの栄光を直接楽しむことができました。霊者たちがつねにヱホバに奉仕して,ヱホバより命ぜられた自分たちの任務を忠実になしとげるということが,ヱホバの御目的でありました。それで霊者たちには,全時間奉仕という貴い宝が与えられたのです。霊者たちに対するヱホバの御意は,次のようです。つまり,彼らが全時間を捧げてヱホバの御名に誉と栄光をもたらすと共に,ヱホバの愛と恵みを楽しみつつ,ヱホバからの知恵を全く取入れることです。ヱホバは智恵の源である故,ヱホバの御考えは貴重なものであり,造られたものにとつて一番価値のあるものです。『神よなんぢのもろもろの御思は,われに宝きこといかばかりぞや。その御思の総くくりはいかに多きかな。』『ああ深いかな,神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく,その道は測りがたい。』― 詩 139:17。ロマ 11:33,新口。
5 御使たちは,創造者に対する全時間奉仕をどのように見なしましたか。
5 いろいろな義務を与えられた御使たちは,よろこびつつ愛の創造者に奉仕しました。御使たちは,その義務を第二次的なものにして,自分自身の利害を第一にするようなことはしなかつたのです。彼らはすべての力をつくし,専心して宇宙の大いなる至上者に奉仕したのです。霊者たちにとつて,このことは一番重要な事柄でした。使者として遣わされた者たちは,一瞬のためらいもなく行きました。後ずさりするとか,しぶしぶその任務を引受ける,などということは決してありません。彼らは,ヱホバの御意をよろこんで行いました。彼らは,只そのことだけに専念していたからです。ヱホバに全時間奉仕をすることは,彼らのよろこびでありました。
6 ヱホバの最初の被造物に課せられた特別な義務に,どんなものがありますか。
6 これらの霊者たちの中で一番最初に造られた霊者には,特別な多くの義務が与えられていましたが,天の軍勢を創造することは,その義務の一つでした。力あるこの神の御子は,よろこびつつすべての力を捧げてこの仕事を行い,御父である神への全時間奉仕に楽しみを感じたのです。御子は,ヱホバの特別な代弁者に任命せられていたため,『言葉』と呼ばれました。ヨハネ伝 1章1-3節(新世)は,彼について次のように述べています,『最初に言葉があつた。言葉は神と共にいて,言葉は神であつた。言葉は最初神と共にいた。すべてのものは,彼によつてできたのであり,彼によらないでは何一つとしてできたものはなかつた。』また,使徒パウロは,次のように告げています,『御子は,見えない神のかたちであつて,すべての造られたものに先だつて生れたかたである。万物は,天にあるものも地にあるものも,見えるものも見えないものも,……みな御子にあつて造られたからである。』― コロサイ 1:15,16,新口。
7,8 (イ)全時間奉仕に対する御子の態度は何でしたか。(ロ)一つの任務を長く行つていたために,御子は失意落胆しましたか。
7 御子は,神より命ぜられた仕事を,みなよろこんで受入れました。全時間奉仕は,宇宙の特定の場所で貴い宝であるが,他の場所では願わしいものでない,などと御子は考えなかつたのです。御父である神に仕えることができるなら,奉仕をする場所が何処であろうと,御子は意に介しませんでした。御子の心持は詩篇 40篇8節によく述べられています,『わが神よ,我は御意に従うことを楽しむ。なんぢの法はわが心の中にあり。』長い全時間奉仕を行つている期間中,御子は謙遜な心持と,よろこんで奉仕する従順さを示しました。彼は,ある時にこう語りました,『私自身の考えでするのではなく,私をつかわされた方の御旨を求めている。』(ヨハネ 5:30,新口)御子は,最初からこの心持を有していたのです。故に他の生ける者は,みな御子の模範に従うべきであります。
8 ヱホバは宇宙を創造して,地球を理智ある人間の住む楽園にしよう,という御目的を立てられました。その時,この御目的を達成するように命ぜられたのは,言葉だつたのです。彼はヱホバ神から指示と力を頂いてから,物質の創造を始められました。地球をつくつて,生物が住めるように地球を準備することは,長期間かかる仕事でした。しかし,言葉は自分の仕事に興味を持ち続けました。その一つの仕事に幾十億年という年数がかかつても,彼は失意して止めるようなことをしませんでした。彼は自分の仕事を忠実に為し続け,遂に達成したのです。
9 自分の任務をしつかり為し続けることにより,彼は何を証明しましたか。それで,彼には何が与えられましたか。
9 御子のなした忠実な奉仕により,御子の信頼性は証明され,かくして御子には他の仕事が与えられたのです。その仕事の一つは,イスラエル人をエジプトの奴隷の状態から救うことでありました。昼は雲の柱,夜は火の柱を用いることによつて,彼はイスラエル人を導いたのです。そして,イスラエル人がホレブ山の麓に達したとき,モーセを通してイスラエル人に神の律法を伝えたのは,明らかに最高至上者のこの愛する御子でした。ミカエルと呼ばれるこの力ある霊の子について,ダニエル書 12章1節は次のように述べています,『汝の民の人々のために立ところの大いなる君ミカエル起あがらん。』彼らを導いて,彼らに神の指示を忠実に伝えかつ神の律法に従わぬ者たちを罰した御使は,たしかに神の選民の上に起つ君であります。
10 独り子の最も難しい任務は何でしたか。彼はその任務に対してどのような態度を取りましたか。
10 言葉は最も難しい任務を与えられました。それはヱホバの命に従い,天界における栄光の霊者としての生命を断念し,人間となつて地上で全時間奉仕をすることになつた時です。この任務のために,彼は御使たちよりも低くなり,地上にいる時に犠牲の死を遂げねばならなかつたのですが,しかし,御子はその任務を拒絶しなかつたのです。彼は大いなる至上者の命ずることなら,何事でも為すという謙遜な態度を取りました。それで,ピリピ書 2章5-8節には,次のように書かれています,『あなた方は,キリスト・イエスと同じ心を持ちなさい。彼は神の像であられたが,神と等しくなるとの考えを固執しないでかえつて自らを空しくし,僕の形をとられ,人間の様をなして生まれ給うた。そして,自らを卑くして,人の像をもつて現われ,死に至るまで,苦難の刑柱の死にいたるまで従順であられた。』この特別な任務が与えられた神の独り子に苦難や試練が課せられましたが,彼は天的な御父に捧げる全時間奉仕を止めてしまおう,などという考えを一瞬といえども持たなかつたのです。彼は自分個人の感情,自分個人の慰安,自分自身の生命よりも,先ず神への全時間奉仕を一番大切に考えました。
11,12 (イ)キリストは,全時間奉仕の宝について正しい評価をしていましたか。(ロ)キリストは,御自分の行により何を示しましたか。
11 どんな環境に居ようとも,キリストは全時間奉仕の貴い宝を正しく評価していました。物質欲に駆られている人々は,環境が変れば評価も変ります。しかし,キリストの環境が変つた時でも,全時間奉仕に対する彼の評価は変らなかつたのです。御父への奉仕の価値と,この世のぜいたくとか,慰安,また生活に必要なものの価値と比較する必要さえ少しもないことをイエスは知つていました。ある時,イエスは次のように語られました,『私の食物というのは,私をつかわされたかたのみこころを行い,そのみわざをなし遂げることである。』(ヨハネ 4:34,新口)彼はヱホバの奉仕を心から愛したため,この全世界の提供する富,誉,そして権力を拒絶しました。(マタイ 4:8-10)他の任務を為しとげた時と同じく,イエスはこの任務を為し遂げることに全く没頭したのです。イエスにとつて,神への奉仕は一番貴い大切なものでした。なぜなら,神に奉仕することによつてヱホバの御旨に適い,かつ永遠の生命を受けることができるからです。
12 愛せられた子の残した神に対する奉仕の模範は,たしかに一番すばらしいものであり,人はこの模範に従うべきです。幾十億年にも亘る御子の忠実な全時間奉仕と,またいかなる任務をもよろこんで受けて成しとげるという従順さ,および試錬をうけてもじつと耐え忍んだということは,御父に対する御子の深い愛を明白に証明しています。この素晴らしい模範は,全時間奉仕の宝に対する認識を良く示すとともに,その宝に対する正しい評価をも良く表わしています。
奉仕の方法
13 (イ)この宝は一つの奉仕の方法に限られましたか。(ロ)ノアはどのように奉仕しましたか。
13 ヱホバ神に捧げる全時間奉仕の方法は変化します。すでに学んだごとく,独り子は多くの方法で奉仕しました。地上における忠実な全時間奉仕者たちの記録を調べると分りますが,彼らの奉仕の方法も変化しているのです。すべての僕たちが同じ仕方で神に奉仕したのではありません。例えば,ノアは証しの業をなせ,という任務を命ぜられました。ノアは,大洪水前の世界に来る恐ろしい亡びについて警告を宣べ伝えると共に,神の指定し給う人間や動物を救うために方船をつくるよう命ぜられました。このようにしてノアはヱホバに奉仕を捧げたのです。それは,一番重要な奉仕でした。ノアは,個人的な思惑とか利害を第一のものになして,神への奉仕を第二のものにするようなことをしなかつたのです。ノアの気持は創造者に対して全時間奉仕をなすためであつた故に,自分に命ぜられた任務を忠実に行い,成し遂げたのです。
14 なぜモーセは失意落胆することがありましたか。
14 同様なことはモーセについても言えます。彼はヱホバへの全時間奉仕をするため,羊飼の仕事を断念しました。モーセも神への奉仕を忠実に行いました。しかし,モーセの為した奉仕の方法は,ノアの為した奉仕の方法とはちがいます。モーセに命ぜられた任務は,イスラエルの国民に関連しているヱホバの利害を守ることでした。イスラエルの国民は,不平を言う民で心がかたくなであり,かつ反逆をなす民であつたため,モーセの仕事は極めて難しいものだつたのです。このため,モーセはしばしば落胆しました。しかし彼は指導者としての責任を棄ててしまい,他の人に諸問題を任せるというようなことをしませんでした。彼が止めて逃げてしまうなら,全時間奉仕の宝を断念することになります。モーセは,全時間奉仕の宝を断念するよりは,自分の重荷を負うことを好んだのです。それで,ときおり失意落胆することがあろうとも,モーセは自分の仕事を忠実に為し続け,彼は全く神の奉仕に没頭したのです。―ヘブル 3:2,5。
15 (イ)レビ人はどんな相続をうけましたか。(ロ)彼らの奉仕の仕事は,どのように違つていましたか。
15 レビの支族は,別の形式の全時間奉仕をしました。レビの支族は,宮の奉仕をするため,イスラエルの12支族からは区別されていました。レビ人は,イスラエルの国民のなす崇拝に関連していろいろの義務を為すために専心の努力を注ぐよう命ぜられました。それで,彼らは幕屋とか,幕屋に附随するところで,常に奉仕をいたしました。神への全時間奉仕の宝は,彼らの相続でした。そのことについて,申命記 10章9節はこう述べています,『是をもてレビはその兄弟たちの中に分なくまた産業(相続,新世訳)なし。ただヱホバその産業(相続,新世訳)たり。汝の神ヱホバの彼に言たまえる如し。』レビ人の相続したものは,たしかに12の支族が受けた地よりもずつと尊いものでした。
16,17 (イ)予言者たちには失意落胆する理由がありましたか。(ロ)たとえ落胆しようとも,全時間奉仕を止めなかつたどんな人々の例がありますか。
16 後日,イスラエル人の中から予言者が起きました。彼らはちがつた形式の全時間奉仕をしました。ヱホバはそれらの予言者を用いて,不従順なイスラエルの国民に警告を告げさせました。予言者たちは,どんな非難をうけようとも,忠実に警告を告げました。『兄弟たちよ,苦しみを耐え忍ぶことについては,ヱホバの御名によつて語つた予言者たちを模範にするがよい。耐え忍んだ人たちは幸福であると,私たちは言う。』(ヤコブ 5:10,11,新世。歴代志略下 36:16)予言者たちは,人々から受け入れられず,また失意落胆する十分の理由があつたにもかかわらず,けつして止めなかつたのです。語らない前から,人々はその話を聞かないと知ること程がつかりするものはありません。エレミヤは,そのような事態に面しました。神はエレミヤに次の言葉を述べました,『なんぢ彼らにこれらのすべての言葉を語るとも汝に聞かず,彼らを呼ぶとも汝にこたえざるべし。』(エレミヤ 7:27)もし,あなたが同様な状態に今日面するとしたなら,あなたはどうしますか。話す以前から,あなたの努力は無駄なものであると知つて,あなたは断念しますか。自分の働きは無益のものと感じて,ヱホバの全時間奉仕を止めますか。それとも,その宝をしつかりと保ち,エレミヤのなしたごとく自分の仕事をなしとげますか。聖書の示すところによると,イスラエルの国民に遣わされたすべての予言者たちは,多かれ少かれ,そのような状態に面しました。『なんぢらの先祖がエジプトの地をいでし日より今日にいたるまで,われ我僕なる予言者を汝らにつかわし,日々朝より之をつかわせり。されど,彼らは我に聞かず,耳を傾けずしてその項を強くし,その先祖よりもまさりて悪をなすなり。』(エレミヤ 7:25,26)予言者たちは,神に奉仕する宝を正しく評価していたため,失意落胆を感ずるような環境にいようとも,神の奉仕を行い続けました。人々の態度がどんなものであろうとも,予言者たちの価値評価は変らなかつたのです。
17 エリヤは,全イスラエルの中で,自分一人だけがヱホバの崇拝を棄てない者と考えていました。しかし,予言者としての自分の仕事を断念するなどということは一瞬といえども考えなかつたのです。ヱホバがエリヤの生命を召すまで,彼は自分の仕事を為し続けました。他の忠実な予言者たちと同じように,エリヤは最もつらい,苦しい環境下にいてもヱホバ神への忠実を保つたのです。そして,いかなる試練をうけようと,またいかに失意落胆しようとも,彼は全時間奉仕という貴い宝を大切に重んじていました。―列王紀略上 19:2,4,9,10。
18 ダビデは,どんな方法で全時間奉仕をしましたか。
18 ダビデ王もヱホバの奉仕を大切に重んじました。彼は神より任命された王としてイスラエルの国民に全時間奉仕をいたしました。これはダビデに与えられた任務であつて,予言者たちに与えられた任務とは明白に違うものです。ダビデは油注がれた王になつて神の選民を支配しました。故に,彼は宇宙の大支配者の至上権を代表していたのです。その理由で,ダビデはヱホバの座位に坐つたと言うことができます。この言葉遣いは,ダビデの子ソロモンに関して歴代志略上 29章23節に用いられています。それは,ソロモンがダビデの次の王になつた時です。そして,神権的な王としての全時間奉仕の宝は,ダビデからソロモンに渡されました。しかし,ソロモンは,父親ダビデとはちがつて,その宝の価値に対する認識を失い,正しく評価しなかつたのです。
19 ダビデは全時間奉仕の宝をどのように見なしましたか。彼の願は何でしたか。
19 しかし,ダビデは神に奉仕することを無上のよろこびと感じました。ある時ダビデは命のあらん限りヱホバの家に住みたいという願を言表したことがあります。(詩 27:4)かくして,ダビデは自分の気持がどのようなものであるかを,はつきり示しました。彼はヱホバの奉仕を行うことのみを願つたのです。ダビデは,ヱホバの讃美が諸国民の中で歌われ,創造主のすばらしい御業が遠くかつ広く宣明されるのを切望しました。契約の箱がエルサレムに運ばれて,ダビデの宮殿の傍にあつた,天幕の中に置かれたとき,ダビデはヱホバに感謝の言葉を述べました。その感謝の言葉の中で,ダビデの願は美しく言表わされており,そしてその言葉は,神の奉仕に全く献身して,神の奉仕こそ最上の宝と見なしている人の心を的確に言表わしているものです。ダビデは,感謝の言葉を次のようにして述べ始めています,『ヱホバに感謝し,その御名を呼び,その為し給えることもろもろの民らの中にしらしめよ。ヱホバにむかいてうたえ。ヱホバを讃めうたえ。そのもろもろの奇しき御業を語れ。』(歴代志略上 16:8,9,新口)それよりずつと後の大いなるダビデは,ヱホバの為し給えることを知らしめ,ヱホバの奇しき御業を語る,という奉仕をしたのです。
御国の宣教
20,21 キリストにより,ヱホバに全時間奉仕をする新しいどんな方法が始められましたか。
20 いままでの研究から分るように,各時代においては,いろいろの方法で全時間奉仕の宝が楽しまれました。信仰を持つ人々は,神から命ぜられた仕事に従い,いろいろの方法で自分の奉仕を為しました。しかし,大いなるダビデであるキリスト・イエスが来てからは,新しい形式の全時間奉仕が始められたのです。つまり,ダビデの語つていたことを為すこと ― すなわち,ヱホバの御業をこの世の人々の中で知らせることです。イエスの時から,ヱホバの御国の良いたよりが宣伝えられました。この新しい仕事は,御国の王になるべく油注がれた者によつて正しく始められました。
21 これは,神の独り子に対する新しい任務です。御子は,王として油注がれる時よりも30年前に,彼の生命力は天からマリヤの胎に移されて,完全な人間としてマリヤから産まれました。それで,彼が30歳になると油注がれた王になり,新しい仕方で創造主に奉仕し始めました。この奉仕がどのように為されるかを他の人々に知らせるため,キリストは御国の良いたよりと神のすばらしい御業を到るところで伝道する,という模範を残したのです。これは,いままでかつてないすばらしい教育の仕事であつて,それは,永遠の生命という賜物を受けるのにふさわしい人々を,共に集める仕事でした。(ヨハネ 17:3)キリストは神の与え給うた他の任務の場合と同じく,この任務にも全時間を没頭して,まつたく成しとげました。
22 (イ)全時間奉仕の宝に関して,御国宣教はどんな変化をもたらしましたか。(ロ)この宝を自分のものにせよ,という召に対してある人々はどのように答え応じましたか。
22 キリスト以前の時代では,全時間奉仕の宝は,ごく僅かな少数の人々に限定されていましたが,御国の宣教はそのことを変えたのです。御国の宣教により,すべての国の人々は,全時間奉仕という宝を持つことができるようになり,誰でもその宝を得ることができます。ヨハネと仲間の漁師アンデレは,幾千人という人々の中で最初にこの新しい形式の宝を持つた人々です。イエスがこの宝をヨハネとアンデレに提供し,後にペテロに提共したとき,彼らはためらわずにその宝を受けいれました。同じことは,ヨハネの兄弟であるヤコブについても言えます。このことに関して,マタイ伝 4章18-22節(新口)は,次のように述べています,『イエスがガリラヤの海べを歩いておられると,ふたりの兄弟,すなわちペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが海に網を打つているのをごらんになつた。彼らは漁師であつた。イエスは彼らに言われた,「私についてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。」すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従つた。そこから進んで行かれると,ほかの二人の兄弟,すなわちゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが,父ゼベダイといつしよに舟の中で網を繕つているのをごらんになつた。そこで彼らをお招きになると,すぐ舟と父とをおいて,イエスに従つて行つた。』約束なされた通り,キリストは彼らを教えて,人間を漁る者にいたしました。彼らはいまや,ヱホバ神のすばらしい目的を宣明するという仕事に時間と力を没頭させました。
23 パウロは,全時間奉仕をどのように見なしましたか。
23 使徒パウロは,このことに関して特別に際立つています。彼は宣教のために自分の持つすべてのものを捧げました。彼はひどい試錬を数多くうけましたが,しかし全時間奉仕を止めるなどということをすこしも考えなかつたのです。パウロのうけたある経験についてコリント後書 11章24-27節(新口)は,次のように述べています,『ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度,ローマ人にむちで打たれたことが三度,石で打たれたことが一度,難船したことが三度,そして,一昼夜,海の上を漂つたこともある。幾たびも旅をし,川の難,盗賊の難,同国民の難,異邦人の難,都会の難,荒野の難,海上の難,にせ兄弟の難に会い,労し苦しみ,たびたび眠られぬ夜を過ごし,飢えかわき,しばしば食物がなく,寒さに凍え,裸でいたこともあつた。』全時間奉仕の宝を正しく評価していない人々は,これだけの理由があるなら,もう止めてしまうことでしよう。しかし,パウロは決して止めなかつたのです。パウロは,この宝を本当に大切に重んじたため,止めるなどという考えを思いもしなかつたのです。どのような苦しみや非難をうけようとも,パウロは全時間奉仕の宝を失いませんでした。また,物質的な慰安物,経済的な保証,あるいは貴重な宝石などに気を取らわれて,自分の価値判断を誤るようなことをしなかつたのです。この世の物質的なものは,宣教や,生命を与える真理とくらべる時に,損のものである,とパウロは考えました。このことについてパウロは次のように語つています,『私は更に進んで,私の主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いつさいのものを損と思つている。キリストのゆえに,私はすべてを失つたが,それらのものを,ちりあくたのように思つている。』(ピリピ 3:8,新世)人々はこの世のものだけを大切に重んじています。しかし,この世のものは御国宣教をなしつつ神に全時間奉仕を捧げる宝とくらべる時に,ちりあくたのようなものである,とパウロは考えました。
24 人の取る賢明な道は何ですか。
24 ちりあくたを大切に重んじて,それを生活の目標にすることは,愚かなことでありませんか。ちりあくたをあなたの宝にすることは,愚かなことでありませんか。金剛石,真珠,そして宝石に対する価値評価は,人のいる環境によつて全く変つてしまう故に,価値が決して変らない宝,つまり永遠の生命を意味する宝を大切に重んずる方が賢明でないでしようか。イエスは,ある時に『あなたの宝のある所には,心もある。』と言われました。(マタイ 6:21,新口)さて,あなたの心は何処にありますか。イエスの心のあつたところ,すなわち全時間奉仕の貴い宝の上にありますか。
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この宝はあなたのもの?ものみの塔 1956 | 7月1日
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この宝はあなたのもの?
『兄弟たちよ,そういうわけで,神のあわれみによつてあなたがたにに勧める。あなたがたのからだを,神に喜ばれる,生きた,聖なる供え物としてさゝげなさい。それは,あなたがたの理性の力によつてなす聖なる奉仕である。』― ロマ 12:1,新世。
1,2 (イ)どんな宝が,比較するもののない程の高い価値を持ちますか。誰がその宝を持ち得ますか。(ロ)この宝を所有しようと求めることは,なぜ重大な決定ですか。
英国の王冠についている宝石は,世界の宝石の中でもいちばんすばらしいものを集めたものです。その宝石の価値は極めて高いため,多くの人々はその宝石に嘆賞の声を放ちます。多数の人々は,これらの宝石を所有したいという強い欲望に駆られていますが,しかしそのような欲望は万が一にも実現できないでしよう。だが,王冠の宝石よりももつと価値のある宝があり,そして人々はその宝を持つことができるのです。数がほんの僅かに限られているために,その価値が高いのではありません。故にその宝を欲する人々は,それを入手することができるのです。しかし,その宝を持つ前に,或る事柄が要求されます。それで,人はこれらの要求を注意深く研究してから,それからこの宝が自分のものであるか,どうかを決定しなければなりません。
2 較べもののない程に高い価値を持つ宝は,生命の大いなる源であるヱホバ神に捧げる全時間奉仕です。その宝を求めて,その宝を持つ人には,永遠の生命が与えられる故に,いかなる宝石もこの宝とは比べものにならないのです。たとい部屋一杯に貴重な宝石があろうとも,生命の価値に及びません。神の知識や奉仕と比較した場合に,使徒パウロがそれらの宝石をちりあくたのように考えたのも全く当然であります。この価値評価は,もちろんこの世の価値評価とは全く反対なものです。それで,全時間奉仕の宝を得ようと決定するためには,注意深く考えることが是非必要なのです。人は,自分が何をしているかを知らねばなりません。そして,御国の宣教を理解するとともに深く悟り,かつ時間の許すかぎり常にその宣教に従事しなければなりません。
正しい心の持ち方
3 クリスチャンの心持は,どんなものでなければなりませんか。
3 神に奉仕したいと望んでいる人々に対して,使徒パウロはロマ書 12章2節(新世)で次のように述べています,『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,あなたの心を入れ代えることによつて,新しくなり,神の御旨にかなう善き御意を全くわきまえ知るべきである。』つまり,人は価値評価を変えねばならない,ということです。この世の仕方で物質の富を見なすのでなく,パウロの見なしたと同じように物質の富を見なすべきです。そして,今までとはちがつて,物質の富を生活上の最重要なものとは見なしません。もつとも多くの価値を置いているものは,生命の大いなる与え主,ヱホバ神に奉仕することです。このようにして,現在の組織制度に従うのを止めます。その人は,イエスの為したと同じく,神の御意を行うために自分の生命を献身します。イエスは,『私の思いではなく,みこころが成るようにして下さい。』と言われました。(ルカ 22:42,新口)その人は,またダビデの述べた心持を持ちます,『わが神よ,我は聖意に従うことを楽しむ。なんぢの法は,わが心の中にありと。』(詩 40:8)その人は,この献身をなした他の人々と共に御国の宣教に従事します。これらの献身した人々は,いま忠実な証者たちで成立つている新しい世の社会を形成しており,ヱホバ神の最高至上権と御目的に証しを立てている人々です。
4 全時間奉仕に対して,ある人々はどんな態度を取りますか。
4 献身したクリスチャンたちの大多数の人々は,いろいろの義務や責任を持つているため,全時間を御国の宣教に捧げることはできません。しかし,仮にもし全時間奉仕の宝を持つことができ得るなら,その宝を得るよう努めるべきです。人々の中には,力のある御使たちと共にヱホバの天廷で奉仕せよという招待ならよろこんで引受ける気持になりながら,御国の宣教の全時間奉仕ということが言われるや耳を閉じてしまう人々がいます。宇宙内のある場所で神に全時間奉仕をよろこんで捧げる気持がありながら,なぜ宇宙内の他の場所で神に全時間奉仕するのをためらうのですか。神に奉仕する場所とか,神に奉仕する違つた方法は,神の奉仕の価値を変えますか。それらの人々は,難しいこともなく,また迫害のない時だけにヱホバに全時間奉仕を捧げたいのですか。神に献身して,その献身を水によるバプテスマによつて象徴したときに,以前の生活については死んだということをそれらの人々は忘れているのでしようか。水の中に没することにより,以前の生活については死んだことを示しました。水から出た時には,それ以後神の御意を行うために生きなければなりません。献身した人々が,もしでき得る環境にいるなら,神の宣教を行うのに全時間を捧げるようにと,神は要求されているのです。
5 どんな種類の奉仕は,ヱホバによろこばれますか。
5 もしあなたがこの献身をなして,ヱホバに全時間奉仕を捧げ得る立場にいるなら,なぜそうしないのですか。あなたが神に生命を捧げたとき,献身を固く誓つたではありませんか。あなたの利己的な生活態度については,あなたは死にましたか,それとも今でも利己的な生活態度を第一にしていますか。使徒パウロは,こう言つています,『あなたがたのからだを,神によろこばれる,生きた,聖なる供え物としてささげなさい。』(ロマ 12:1,新口)ヱホバの奉仕を良い加減にするもの,暇のときにするもの,という風に考えるべきではありません。ヱホバの奉仕を個人的な利害の次に置くべきではありません。ヱホバの奉仕は,一番重要なものにするべきです。ヱホバの奉仕を第一に重んじない人々は,まだ価値評価を変えておらず,現在の世すなわち現在の組織制度に従うのを止めていません。それらの人々は,全時間奉仕の宝よりも,この世の富を重んじています。自らを神に捧げるとは,神の奉仕に全く献身することです。すなわち,あなた自身の意志を行うためでなく,神の御意を行うために,あなたの時間,力,能力,所有物を捧げることです。これは,神によろこばれ,かつ神の御旨にかなう聖なる奉仕です。しかし,これを行うために,あなたの理性の力によつてなされねばなりません。あなたは,自分が何をしているか,そしてなぜそれをしているかを十分理解することが必要です。
軽々しく取つてはならない
6 (イ)人は全時間宣教に,とつさに入るべきですか。(ロ)この奉仕に対する基礎的な要求は何ですか。それらは,なぜ欠くことのできない程重要なものですか。
6 全時間奉仕を宝となし,心をその宝の上に置くなら,その奉仕をしたい,とあなたは欲するでしよう。しかし,一時的な興奮の結果に,全時間奉仕を行うというものでないことに留意して下さい。全時間奉仕は,価値のある宝であつて,軽々しく取つたり,一時的に為すべきものではないのです。それで,全時間宣教を行う前に,人は注意深く考えねばなりません。時折の宣教で経験する困難は,全時間の宣教では大いに増加するということを銘記すべきです。そして,その要求をしらべると共に,果してその要求に叶えるか否かを決定しなければなりません。また費用を考えるべきです。その費用は高すぎますか。個人的な利害,たのしみ,また所有している物質を多く棄てねばなりませんか。神を愛し,神によろこんで仕えたいという気持からこの決定を行わねばなりません。人はこの宝を求めようと考える以前に,ヱホバへの真の愛と最高至上者の奉仕にたいする真実の愛を持たねばなりません。この人は,御国の宣教と神権制度の拡大に深い関心を持つべきです。また,神権制度を通して来る聖書の真理に円熟すべきです。このことは,是非とも必要なものです。なぜなら,使徒たちの場合と同じく全時間奉仕をする人々は,神権制度の特別な代表者になるからです。他の人々は聖書の円熟した理解を持ち,かつ御国宣教の熱心な模範を示すこのような人々を手本とします。
7 全時間奉仕を一時的なものと見なすべきですか。
7 ひとたび前に踏み出してからには,後戻りすべきではありません。神への全時間奉仕は,一時的な仕事ではないのです。それは二,三ヵ月もしくは二,三年全時間奉仕を行つて,それから疲れたなら止める,というようなものではありません。むかしこの奉仕を行つた忠実な人々は,難しいことがあつて失意落胆しても,この奉仕を止めなかつたのです。彼らは,全時間の『善行に倦き』ませんでした。(ガラテヤ 6:9)ひとたび全時間奉仕を始めてからは,この奉仕を為し続けました。今日の御国の宣教は,むかしの奉仕と同じく決して易しいものではありません。それですから,易しいものだろうという気持でこの全時間奉仕を始め,そして易しくないと知つてから奉仕を止める,などというようなことをしてはなりません。
全時間の僕たちは多くのことを為し得る
8 全時間奉仕の僕たちは,なぜ必要ですか。
8 ヱホバの地的の制度内の多くの場所で全時間奉仕をする僕たちを必要とします。全地に御国の良いたよりを宣伝える,という神の命令を達成するために,ヱホバの地的制度は大きな仕事を持つています。多くの人々に宣伝えて,神の真理の言葉を教えねばなりません。幾万人という人々は,この良いたよりに答え応じていますが,イエスの予言されたように,『収穫は多いが,働き人が少ない。』(マタイ 9:37,新口)主人の収穫を図るために多くの全時間奉仕者が必要とされています。御国の宣教のために,全時間をよろこんで捧げる献身した人々が制度内にいないなら,孤立した所や遠い地にいる人々に,どうして宣伝えることができますか。使徒パウロは,ひとりのマケドニヤ人が立つていて『マケドニヤに渡つてきて,私たちを助けて下さい』と願つているのを幻に見ました。そのことは,使徒行伝 16章9節(新口)に記録されています。パウロはヱホバに全時間奉仕をしていたため,自由にマケドニヤの国に行き,善意者たちを生命の道に導くことができました。パウロは自分自身のこととか,自分の利害については何も考えなかつたのです。パウロはヱホバの事柄を考えていて,命ぜられるところなら,何処へでもよろこんで行きました。
9 ヱホバの宝を受け入れる人々に対して,ヱホバは何を期待しますか。
9 ヱホバ神は,全時間奉仕の宝をうけ入れる人々に,奉仕に対する心からの従順を求めておられます。心のかたくなで,我儘な気持を持つ人々は,神によろこばれません。ヱホバ神は,御自分の御意をよろこばし,かつ神権制度を通して与えられる如何なる指示にもよろこんで従う僕たちを欲しています。キリストが謙遜と従順を示したように,キリストの弟子たちも謙遜と従順を示すべきです。それで,キリストの弟子たちは,制度から遣わされるところなら,どんな場所にでもよろこんで行くべきです。そして,『われここにあり,我をつかわし給え』と言つた予言者イザヤの従順さを示すべきです。(イザヤ 6:8)このような心持を持つ人は,熱心にヱホバの御意をなします。そして,開拓伝道者というような大きな奉仕の特権が与えられるなら,ためらうことなしにその特権を受けいれます。
10 開拓者は,自分の事柄をなぜキチンと処理して行かねばなりませんか。
10 開拓者として全時間奉仕をする時には,自分個人の好きな事柄をする時間は殆どありません。開拓者の奉仕をするために,時間の予定を注意深く立てることが必要です。開拓者は,家から家に伝道し,再訪問をなし,家庭聖書研究を司会しなければなりません。そして,神権制度により定められている時間の目標を果さねばなりません。これに加えて,開拓者はヱホバの献身した僕たちで成り立つ会衆と共に働き,御国の宣教を行うのに援助を必要とする人々を助けねばなりません。ある開拓者たちは会衆内の監督としての地位が与えられるかもしれません。それは開拓者に対するつけ加えられた奉仕の特権です。また,愛,あわれみ,そして理解を率先して示さねばなりません。欠くことのできない個人的な研究を行うかたわら,開拓者たちは自分個人の必要としているものをまかなわねばなりません。そのために,この世の時間極めの仕事をすることも必要となるでしよう。忙しい日程を持つ開拓者は,自分の事柄をキチンと処理して行かねばなりません。毎日毎日を前もつて計画することが必要です。それで,開拓者としての全時間奉仕は,易しいものでありません。それは難しい仕事です。そして,聖書の理解に円熟している人々,ヱホバの讃美を宣伝えるのによろこびを見出す人々,仕事を恐れない人々が,開拓者には必要なのです。
11 熱心な開拓者にはどんな見込みがありますか。それに対してどのような準備をすることができますか。
11 熱心な開拓奉仕をする全時間奉仕者は,将来ものみの塔ギレアデ聖書学校に招待されて宣教に関する特別の訓練をうける見込みもあります。ギレアデの聖書学校で聖書についての多くの教育を受けるばかりでなく,他の国々において御国の宣教をなすための訓練をもうけます。かくして,使徒パウロの為したと同じように,ヱホバの制度に特別の奉仕をなす準備をうけます。ギレアデで,制度に対する強い認識と,制度の働き,制度の必要,制度と私たちとの関係ということを学びます。ギレアデは奉仕者の知識と聖書的な真理の理解を広めるものである故,ギレアデに行くための一番良い準備の方法は,神権制度により定期的に供給される出版物を熱心に研究することです。また,ヱホバの食卓から来る一番最新の霊的な食物に後れぬようにしなければなりません。
12 ギレアデを卒業した者は,自分の任命地をどのように考えるべきですか。
12 学生がギレアデを卒業する時には,全時間奉仕の宝について,より深い認識を持つべきです。そして,どんな地に任命されようともよろこんでその任命を受け,そしてすくなくとも3年はその地に止まる決意で行かねばなりません。もし,3年経つて後に母国を訪問することがあつても,外国の任命地に戻つてヱホバの全時間奉仕を続けたい,と欲することでしよう。外国の任命地がどれ程不快なものであり,また失意をもたらすものであつても,その任命地にしつかり踏み止まるために,あらゆる努力を払うでしよう。止めるなどということは考えません。むしろ,神のむかしの忠実な僕たちの残した全時間奉仕をしつかり為す,というすばらしい手本を心にいつも銘記します。努力をして親しんで行こうという気持があるなら,ついには任命地の目新しい環境や人々の特異な習慣にも慣れるでしよう。そして,何時かは自分の任命地を故郷のように感じ,新世社会に属しているその地の人々にも,他の国々にいる新世社会の人々と同じように親しい感じを抱くようになるでしよう。
ベテルでの奉仕
13 ベテルの目的を説明しなさい。
13 御国の宣教を組織し,かつ献身したクリスチャンたちに聖書や聖書研究の手引を供給し続けるために,神権制度は全世界に『ベテルの家』を持つています。ベテルの家で生活し,また働いている奉仕者たちは,全時間奉仕の宝を持つ人々です。彼らはヱホバのためにすべての時間を捧げます。ものみの塔協会の支部事務所にはベテルという名前がつけられていますが,どの国のベテルも,その地の神権活動の中心になつています。『ベテル』は最高者の奉仕のために専心しており,その名前の示すように,全く『神の家』であります。
14,15 ベテルをどのように見なすべきですか。
14 献身したクリスチャンが全時間奉仕を始める時,ベテルの奉仕を選ぶことがあるかもしれません。もし,そのクリスチャンは,ベテルに入る資格に適い,また願書がうけいれられるなら,すばらしい全時間奉仕の業をすることができます。しかし,ベテルというものを十分悟るためには,ひろくヱホバの制度を見ると共に,またベテルの持つ重要な役割を見なければなりません。人は修道院に入つてこの世の人から隔離し,冥想と祈りに全時間を費やしていますが,しかしベテルを修道院のように見なしてはなりません。ベテルは,修道院とは全くちがつているのです。本当にベテルでは大きな活動がなされています。ベテルの人々は,多くの仕事をするのであつて,僅かの仕事をするものではありません。そして,自分に課せられた義務を成遂げるだけでなく,御国の良いたよりを活潑に伝道しなければなりません。
15 新しい世の社会に来る人は,みなベテルについての正しい理解を持つべきです。親の言うことも聞かない強情な子供たちをしつけるのにベテルは良いところだと思つている人々は,その見方を変えるべきです。なぜなら,ベテルはそのような場所でないからです。ベテルは,神の家です。そして,ヱホバの献身した奉仕者たちが全時間を捧げてヱホバを崇めて讃美すると共に,クリスチャン制度の福祉に仕えるころです。ベテルは扱い難い子供を矯正する学校ではありません。ベテルは,両親の為し得なかつた仕事をするところではありません。ベテルに来る人々は,全世界におけるヱホバの証者を代表する奉仕者でなければなりません。それらの人々は,神権制度によつてそのような責任ある奉仕の地位につけられる人々です。
16,17 (イ)人はどのような態度をもつてベテル奉仕に入るべきですか。(ロ)その人は,どの位の期間ベテルに居るべきですか。
16 ベテルの奉仕を軽く考えてはなりません。ためしにやつてみよう,などという態度でベテルの奉仕をしようと願うべきではありません。これは全時間の奉仕であつて,この奉仕をいつまでも行い続けようという固い決意をもつてこの奉仕をなすべきです。仮にあなたがヱホバの天廷で奉仕するよう招待されるとするなら,『験してみて,気に入るかどうか見てみよう』と言うでしょうか。御国の宣教は苦しい仕事であるため,御国の宣教に全時間奉仕をするより,別の多くの事柄を為したいことでしよう。しかし,そのように考えるべきではありません。ヱホバに仕えることは,あなたの義務であり,あなたの責任です。あなたが神に献身したなら,神に仕えることを同意したはずです。それで,全時間奉仕に専心する人々は,大いなる至上支配主を愛し,また奴隷として,ヱホバに奉仕するのを望みます。奴隷としてヱホバに献身するならあなたをよろこばすことが大切なのではなく,ヱホバをよろこばすことが重要なのです。それで,ベテルは験してみる,というところではありません。それは祝福された奉仕の特権であつて,大切に取扱い,尊重すべきものです。
17 ベテルが思つていたところとは違うからといつて,ほんの二,三日,二,三週間,また二,三ヵ月働いてから,止める理由はありません。ベテルに来る人は,どんな試錬に会おうとも,すくなくとも3年は居る決意を抱いて来るべきです。実際のところ,ベテルに入るための申込書は,はつきり次のように述べています,あなたの申込書が受理されて,あなたがベテルの奉仕に入るなら,命ぜられた義務を3年かまたはそれ以上の年月,忠実になしつづけますか。もし申込者が,はいと答えるなら,その通りに守るべきです。伝道之書 5章4節の次の言葉を忘れてはなりません,『なんぢ神に誓願をかけなばこれをはたすことを怠るなかれ。神は愚かなる者を悦びたまわざるなり。汝はそのかけし誓願をはたすべし。』つまり,神権制度は次のことを期待しているのです。すなわち,ベテルに入ろうと願う者が,実直な人物で,すくなくとも3年間はベテルで全時間奉仕をなすという同意を守るであろう,ということです。この特定の全時間奉仕を3年以上行うことは,当然に望まれています。生涯全部をベテルで奉仕することは,真実の目標であり,多くの忠実なクリスチャンたちはそれを実際に行つてきました。
多くの試錬
18 (イ)全時間の僕は,何を期待すべきですか。(ロ)失意落胆する理由があつても止めなかつた人々の例を述べなさい。
18 創造主の全時間奉仕を始めると,かならず多くの試錬を受けます。そのことを銘記すべきです。この宝を持つた昔の忠実な人も多くの試錬を受けたのでした。それで,今日でもそのことは期待されます。使徒パウロは,次のように予言していました,『いつたい,キリスト,イエスにあつて信心深く生きようとする者は,みな,迫害を受ける。』(テモテ後 3:12,新口)しかし,御国の良いたよりを宣明して,クリスチャン忠実をしつかりと守るために受ける迫害は,全時間奉仕者が耐え忍ばねばならぬ試錬の一つに過ぎません。例えば,開拓者や宣教者はいつも失意落胆という試錬に面しなければならないのです。毎日毎日働いても何の効果も得られないなら,全く気落ちしてしまい,ややもすると,『無駄なことだ』と言います。これこそ,サタンの思う壺なのです。全時間にもせよ,部分時間にもせよ,あなたがヱホバに奉仕するのを,サタンは欲しません。サタンは,あなたが止めるのを欲しています。しかし,ノアのことを考えてごらんなさい。彼は40年か50年間伝道しましたが,自分の家族以外の人は,ひとりも彼の伝道に耳を傾けなかつたのです。それは,全く失意を感じさせるものです。しかし,ノアは落胆してしまつてヱホバの全時間奉仕を止めてしまつたでしようか。当時の人々が,ノアの伝道に耳を傾けなかつたというために,そのすばらしい宝を失いましたか。エレミヤについてはどうですか。エレミヤが伝道しても,人々はその言葉に耳を傾けないであろう,と神は告げました。しかし,エレミヤは『無駄なことだ。』と言つたでしようか。失意落胆のあまり,彼は口をつぐんでしまつたでしようか。彼は自分に命ぜられたことを行わず,神にむかつて,それは時間の浪費だと言つたでしようか。彼はそうしなかつたのです。ノアと同じように,彼は自分の仕事をしつかり行いました。この忠実な二人は,たとい誰一人としてその伝道に耳を傾けなくても,自分たちが神の御意を行い,神に仕えている,ということを知つていました。彼らは人々の無関心な態度にも拘らず,自分たちの任務を行い続けることにより,自分の忠実を立証しました。
19,20 全時間奉仕を続けるために,何が必要ですか。
19 さて,あなたについてはどうですか。もし,最高至上者に仕えるという献身をして,全時間奉仕の宝を持つたならば,あなたはその宝を大切に重んじますか。そして,たとい誰一人耳を傾けない場合でも,40年か50年間伝道する位,その宝を重んじますか。事前から,一人として警告の音信に注意を払わない,と知りながらも自分に任ぜられたところに行き,そして幾年ものあいだその任命地で働いて止めませんか。それをするには,勇気が要ります。決意が必要です。ヱホバの奉仕の価値を深く悟らねばなりません。ヱホバに対する真実の愛が必要です。昔のヱホバの僕たちは,それらの性質を持つていました。あなたも持つていますか。
20 私たちは善を行うことに飽きてはなりません。『たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる。』(ガラテヤ 6:9,新口)たゆまないでいるためには,神の御言葉を絶えず研究し,かつ深く考えねばなりません。ヱホバは,耐え忍んで忠実な奉仕を為す者たちにすばらしい祝福を約束されています。それらのすばらしい祝福を深く考えるだけでなく,また聖書の中に記されている忠実についての良い手本をも深く考えねばなりません。昔の人々が,試錬をうけて,失意落胆の状態下にいても耐え忍ぶことができたのであるなら,あなたも耐え忍ぶことができるはずです。昔の人々も,あなたと同じく人間でした。使徒パウロはコリント前書 15章58節(新口)で,次のような良いさとしの言葉を告げています,『だから,愛する兄弟たちよ,かたく立つて動かされず,いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあつては,あなたがたの労苦はむだになることはないと,あなたがたは知つているからである。』それで,あなたの伝道がたとい実を結ばないように見えても,あなたの労苦はむだにならないのです。あなたの毎日の奉仕は,ヱホバに捧げる讃美の犠牲です。このことだけからも,全時間奉仕にかたく立ち得るはずです。
21 或る人々にはどのような事柄が生じましたか。この結果,どんな質問が生じますか。
21 神の僕たちには,多くの誘惑や妨害が必らず来るでしよう。しかし,キリストや他の忠実な人々は,それらの誘惑や妨害のために全時間奉仕の宝を棄てましたか。彼らの心と気持は,一つのことにしつかり結びついていました ― すなわち,ヱホバに忠実に奉仕する,ということです。彼らは,いかなる事があろうとも,それを為し続けたのです。かつては全時間奉仕の宝を持つていたが,そのような心持を有し得なかつた人々が今日います。それらの人々は,この世の時間極めの仕事に誘惑され,この世の仕事に全時間を費すため開拓者奉仕を止めてしまつたのです。それらの人々の気持は何ですか。神の御意を行うことですか,それとも自分自身の意志を行うことですか。それらの人々の宝は,物質的な富ですか,それとも全時間奉仕ですか。私たちは神よりも自分自身を愛している,とサタンは非難しています。故に,私たちは,そのサタンの非難が偽りなることを証明したいと思います。
22 人はどんな厳しい質問を自ら尋ねることができますか。
22 もしあなたが神に献身している僕であつて,なんの義務をも持つていないなら,または義務を持たなくても済むなら,なぜ全時間奉仕の宝を自分のものにしないのですか。あなたは,愛の気持からヱホバ神に奉仕しますか。それとも,サタンの非難するように利己的な理由のためにヱホバ神に奉仕しますか。もし全時間奉仕をなし得る立場にいるあなたが愛の気持からヱホバ神に奉仕するなら,なぜヱホバ神に全時間奉仕を捧げるのをためらうのですか。この宝はあなたのものではありませんか。他の人々のみがこの宝を持つのですか。大いなる生命の与え主に全時間奉仕を捧げる,と考えることは,あなたにとつて,興味の無い事柄ですか。神の御意を全時間行つても,よろこびを得られないと思つて躊躇しますか。
23 人が全時間奉仕の宝を得る時,何をするよう決意すべきですか。
23 これとは反対に,もしこの宝を自分のものにして,しつかりとこの宝を保持しようと心に決めるなら,全力をつくしてこの宝を持ち続けようと決意しなさい。この宝を失つてはなりません。迫害を受けようとも全時間奉仕を止めてはなりません。失意落胆してがつかりする時でも,止めてはなりません。金儲けの欲に惑わされて止めてはなりません。長年のあいだ奉仕をして疲れたからという理由で止めてはなりません。止めるどころか,全時間奉仕の宝をしつかりと持ち続けなさい。仮に王冠の宝石が自分のものになれば,あなたはその宝石を大切にするでしよう。しかし,全時間奉仕の宝を王冠の宝石以上にしつかりと持ち続けなさい。全時間奉仕の宝の目ばゆいばかりの美をつねに見なさい。その宝に対する認識を失つてはなりません。御使たち,家長たち,予言者たち,使徒たちが全時間奉仕の宝をよろこんで大切にしたように,あなたもその宝をよろこびなさい。その報いは永遠のものであり,その祝福は比類のないものであることを忘れてはなりません。
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その24 西半球における拡大ものみの塔 1956 | 7月1日
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ヱホバの證者の近代歴史
その24 西半球における拡大
2億100万人以上の人口を有する北アメリカは,収穫の業ですばらしい記録をのこしています。英語,フランス語,スペイン語が,おもに使われている言葉です。宗教的には,大部分が新教徒ですが,同時に沢山の無神論者もおります。しかしカトリックの思想も名方面に根強く支配しています。異教の教えが深く染みこんでいる北アメリカの人々は,最近の工業技術の発展により,物質主義的な見方をする傾向が強くあらわれています。人々は,『科学』の力を駆使して,どんな事柄でも遂行できるとうのぼれ,自分達を殆んど神とまで考えている誤ちをおかしています。常規を脱しているハリウド映画により,それらの人々は影響をうけ,
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