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  • 将来,楽園が訪れるという慰めを差し伸べる
    目ざめよ! 1979 | 11月8日
    • の言葉をふまえたもの)などの題の歌がしばしば用いられます。

      多くの場合,話し手は亡くなった当人のことをいくらか話の中に含めます。その人は生前,献身したクリスチャンの鏡のような人で,さまざまな試練に遭っても聖書の原則を適用してそれを首尾よく切り抜け,他の面でも神の前に良い名を保ちたいという願いを示していた人だったかもしれません。(伝道 7:1)こうした葬儀に列席した人々は,その暖かな話に心の和むのを感じ,自分もクリスチャンとしての生活を送る面で努力するよう助けを得られることでしょう。

      もし故人が真のクリスチャンであれば,講演者の話は,その人の知っていた,聖書に基づく死者に関する希望にも及ぶことがあります。故人を含め,わたしたちすべては罪人なので,今の体制で死を避けることはできない,という趣旨の,含蓄のある何らかの説明がなされることもあるかもしれません。死は全人類が共通に受け継いだものです。―ローマ 5:12; 6:23。

      話し手は,ミサやそれに類した事柄にお金を費やせば何かの形で自分たちの愛していた人を援助できる,といった偽りの希望を遺族の人々に抱かせることはしません。いくら儀式を行なっても,死者を生き返らせることや,神のみ前におけるその人の立場を変えさせることはできません。(サムエル後書 12:19-23をご覧ください。)しかしながら,死者には意識がなく,苦しみも悩みも感じていない,ということを知るのは何という慰めなのでしょう。それに,愛する故人の将来が,復活の備えを設けられた公正で愛ある神のみ手の中にあるのを知ることも,大きな慰めです。―伝道 9:5,10。申命 32:4。

      オールスドルフの葬式の話の中で引用した聖句に詩篇 90篇10節(新)があります。その聖句はこう述べています。「わたしたちの年の日はそれ自体は七十年です。それにもし,特別の力強さゆえに,八十年であっても,やはり付きまとうのは悩みと有害なことです」。統計の数字は聖書を支持しています。ワールド年鑑(1979年)によれば,人間の平均寿命は,バングラデシュ,ベニン,チャド,マリなどの国の30ないし40歳からアイスランド,日本,オランダ,および他の少数の国々の,70歳をわずか超える(80歳には遠く及ばないが)ほどの長さにまでばらついています。

      その結果,銀行預金になぞらえて,誕生時に約2万5,600日が貸方に記入される“生命預金”のことを考える人がいるかもしれません。子供のころ,この時間は膨大なもののように感じられるでしょう。25歳になった時点ではまだ,せいぜい自分の寿命の3分の1を,お金の場合と同じように,使い果たしたにすぎません。銀行預金高が次第に減少してくるように,人生の残り時間も日を追うごとに少なくなってゆきます。35歳で人間の寿命は,どう見積ってもほぼ半ばを経過します。その時でさえ,突如として起こる不景気や予期せぬ出来事で銀行預金が底をついてしまうように,考えも及ばなかった事情ができて,人の“生命預金”が急激に減少することもあり得ます。自分の時間がこのようにして費え,その間も「悩みと有害なこと」で満たされているのが人生の目的,人生の仕組みなのでしょうか。愛する者の死が契機となって,後に残された人々は往々にしてこの深刻な問題について考え始めます。―伝道 7:2。

      それでも,嘆く人々には慰めを与えることができます。人間の創造者が目的をもって永遠に生きておられることを説明できるのです。聖書が述べるように,もし人間が神の像に創造されたのであれば,人間の寿命がこれほど短くてよいのでしょうか。(創世 1:27)これはわたしたちが聖書で学んだ愛の神のなさることとは思えません。その神は,論ずるまでもなく,ご自分の創造物の幸福と満足に関心を抱いておられます。しかし,神が死を拭い去られるということを聖書から学びかつ受け入れるなら,それは本当に大きな慰めとなるのです。

      真のクリスチャンの仕える神は,『死人を生かす』神であると聖書に保証されています。(ローマ 4:17)エホバ神は,人類共通の死者の墓をからにし,死者を地上の楽園に生き返らせることによって死を葬り去ります。このような望みがあるので神の僕は確かに,『希望を持たないほかの人びとのように悲しみません』。―テサロニケ第一 4:13。

      楽園を待ち望む

      葬式の話の中でも,愛する人を失った方々を個人的に慰める際にも,よく地球に対する神の当初の目的に考慮が払われます。その目的とは,パラダイスのようなエデンの園が地をことごとく覆うまでに広げられることでした。(創世 1:28)神の目的は挫折するはずがない,いや挫折しないと信じて間違いありません。なるほど,神は深いお考えがあって,み子が地に遣わされて贖いの犠牲となる時まで,そして天の王国が建てられる時まで人間の不完全さが依然として続くことを許されました。しかしわたしたちは,これから楽園が地のすみずみにまで回復されるということに全幅の信頼を置くことができます。将来地上に復活してくる死者の前には,生前の生活に比べてはるかに優れた,より平和でより報いの多い生活を享受する機会が開かれることも確実です。神の言葉に裏打ちされたこの約束は,何という慰めとなるのでしょう。

      亡くなったのは私の友人の母親でしたが,その母親の親類や友人の方々に別れを告げたときも,私の脳裏にはまだこうした事柄が去来していました。美しいオールスドルフの公園のような楽園を後にしながら,私は目前に迫った別の種類の楽園の希望について,歓喜せざるを得ませんでした。それは生ける者のための地上の楽園にとどまらず,死者でさえあずかることのできる楽園なのです。

  • 大災害をもたらした洪水
    目ざめよ! 1979 | 11月8日
    • 大災害をもたらした洪水

      ブラジルからの報告

      水に恐ろしい力があることはよく知られています。その力を利用すれば,水は人間の有用な僕となります。しかし,その力が一気に爆発して,水が突然その破壊的な力をふるうことがあります。

      今年の初め,ブラジルの人々は水の破壊力を目の当たりにしました。フランス,ベルギー,オランダ,ポルトガルの4か国を併せたほどの地域が大洪水に見舞われ,人々は恐怖におののきました。それは,「ブラジルを襲った史上最悪の天災の一つ」であった,とある雑誌は報じました。ミナスジェライス州の全域とエスピリトサント州の大半の地域,リオデジャネイロ州の北部,そして最後にはバイア州南部が洪水の大きな被害を受けました。ブラジル北東部に通じる2本の主要道路が冠水したため,ブラジルは二つに分断されてしまいました。

      洪水が猛威をふるっているさなかに,ブラジルの東北部からサンパウロに向かっていた一目撃者は,自分の体験を次のように語っています。

      被災地で

      「私たちを乗せたバスはエスピリトサント州のリニュアレスに着きました。眼前には痛ましい光景が広がっていました。約40日にわたって雨が降ったため大災害が起きていたのです。ドセ川がはんらんし,行く手にあるすべてのものを流し去っていました。

      「川堤に沿って,水かさが急速に増えたため,安全に逃げる時間的余裕はだれにもありませんでした。牧畜場は造作なく水の中に消えていきました。

      「私たちはサンパウロに向けて旅行を続けることができるでしょうか。憲兵がすべての遠距離交通を停止させていました。幹線道路は大きな被害を受けていました。いくつもの橋が,まるでマッチ棒のように水で折り取られていました。私たちは,カヌーで川を渡り,対岸でバスに乗ろうと考えましたが,目的を果たすことができませんでした。

      「一日,一日と時間が過ぎてゆきました。婦女子は,地元の人の好意で,夜の間家の中に泊めて

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