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  • あなたの将来 ― それは予告可能ですか
    ものみの塔 1977 | 10月1日
    • あなたの将来 ― それは予告可能ですか

      あなたの将来を予告してくれる人を捜すのにどれほど遠くまで行かねばなりませんか。きっと,自分の住む地域にそのような人がかなりいることでしょう。

      しかし,茶の葉占い,手相占い,占星術者,およびその他の種類の占いが大勢いても,大抵の人はそのような人々に占ってもらおうとはしません。なぜですか。

      一つの理由は,占いの言うことは往々にして不正確だからです。占いが正確さを誇るような場合でさえ,その予告が余りにもばく然として,あいまいなために,ほとんどどんな出来事にも当てはまることは珍しくありません。

      古代異教の神託による予告についても同じことが言えます。ギリシャの著述家ルキアノスは,物事を占うある人についてこう述べています。「彼は神託を伝え,神からの答えを与えるが,それを非常に抜け目なく行なう。そして神託のしきたりに従って,分かりにくい,疑わしい,あるいはあいまいな答えを与える」。

      そのような神託は,時として全く逆の意味に取れるような答えを与えることがあります。例えば,ギリシャ北西部にあったエペイロスの王ピュロスは,次の二通りのどちらにでも取れる答えを得ました。

      1. 「アエアコスの息子たる汝は,ローマ人を征服できる,と我は言う。汝は出で行き,再び戻る。汝は戦いにて滅びることあらじ」。

      2. 「ローマ人は,アエアコスの息子たる汝を征服できる,と我は言う。汝は出で行き,再び戻ることあらじ。汝は戦いにて滅びん」。

      神託の意味するところを前者と解したピュロスはローマと戦い,敗北を喫しました。

      占いの予告がより具体的で,実際にその予告通りになる場合でさえ,それはささいな事柄に焦点を当てているのが常です。例えば,タローカードを使うことによって予言の能力を身に着けた一婦人は次のように語っています。「私が読み取った事柄の大半はささいな事でした。女中の兄が入隊するとか,隣りの人に子供が生まれるなど……その一つとして重要なものはありませんでした」。

      異なった予告

      それでは,来たるべき重大な出来事について事前に知る方法は全くないということになりますか。いいえ,それとは反対に,前述のものとは全く異なったタイプの,信頼の置ける予告を得ることができるのです。そのような予告は聖書の中に見いだされます。

      イザヤ書,エレミヤ記,エゼキエル書,ダニエル書など聖書の預言書を開くだけで,全く異なった種類の予告に気づかれるでしょう。聖書の預言は個々の人々の人生におけるささいな事柄を扱うのではなく,国民全体の将来を再三再四予告しています。諸帝国の興亡,およびその特徴が,それらの国々と神の民との関係についての具体的で詳細にわたる記述と共に聖書の中に記されています。しかも,その多くは予告された出来事の起こる幾世紀も前に記されていたのです。

      また,相互に何の関係もない占いの予告とは異なり,聖書の預言すべてには相互に関係があります。例えば,聖書は,「イエスについて証しすることが預言に霊感を与えるもの[字義的には,預言の霊]なのです」と述べています。(啓示 19:10)聖書の預言すべては,「地のもろもろの国民」を祝福する,アブラハムの「胤」,つまり子孫としてのイエス・キリストの役割を中心としています。―創世 3:15,新; 12:1-3; 22:18,口; ガラテア 3:16。

      その上,聖書の預言者たちは,極めて価値の高い道徳的な音信を伝えました。預言者たちは,神の律法を破った王や高官たちを大胆に戒め,多くの場合,そうすることによって自らの命を危険にさらしました。

      しかし,最も印象深いのは,聖書の予告が極めて詳細に至るまで成就しているため,他の予告とは際立った相違を見せているという点です。そして聖書預言は,あなたに直接関係のある将来の出来事についても述べているのです。次の二つの記事の中で,その例を幾つか検討してみましょう。

  • 幾世紀も先の歴史が事前に書き記されたいきさつ
    ものみの塔 1977 | 10月1日
    • 幾世紀も先の歴史が事前に書き記されたいきさつ

      人間が事前に歴史を書き記せるかどうかについて,あなたはどう思われますか。そんなことは不可能だと決めつけて,深く調べようともせず,この質問を退けてしまう人もいます。

      しかし,ちょっと考えてみましょう。懐疑主義的な人が否定したというだけで,真の予告などあり得ないとする根拠になるでしょうか。そのような結論を性急に出すのは確かに賢明なことではありません。幾世紀も先の歴史が事前に書き記されたことを示す証拠は,多分あなたの家にもあるはずです。どうしてそう言えるのですか。

      あなたは聖書を持っておられることでしょう。世界中の何億人もの人々はその聖書を,神の霊感による言葉とみなしています。(テモテ第二 3:16)聖書には,予言されて幾百年も経てから成就した出来事に関する予告が数多く記されています。ここで幾つかの例を検討してみることにしましょう。

      『ティルスは引き網の干し場となる』

      聖書預言の驚くべき正確さを物語る一つの例は,フェニキアの海港都市ティルスに関する預言です。この都市は,他の民を犠牲にして,極めて強大になりました。同市は,金属およびガラス製品,そして紫色染料を産し,陸路を行く隊商の交易地であり,一大貿易地でした。同市の商人や貿易業者は,自分が君たち,また尊い人々のようであると豪語していました。(イザヤ 23:8,口)かつてはティルスとイスラエルの間に友好的な関係が見られました。しかし,ティルスがやがてイスラエルの敵と同盟を結んだため,その友好的な関係は長続きしませんでした。イスラエルに対するティルスの裏切りのゆえに,神はご自分の預言者イザヤ,エレミヤ,エゼキエルなどに霊感を与え,このフェニキアの海港に災いが臨むことを予告させました。例えば,次のような預言が記されています。

      「主権者なる主エホバの言われたことはこうである。『現にわたしはあなたに敵する,ああティルスよ,そしてさながら海が波を起こすように,多くの諸国民を起こしてあなたを攻めさせる。そして彼らはティルスの城壁を必ず滅ぼし,その塔を打ち壊し,わたしは彼女からその塵をこすり取り,岩膚の輝く,裸の表面とする。彼女は海のただ中にあって引き網の干し場となる。……現にわたしは,北から王の王,バビロンの王ネブカデネザルを携え,馬と戦車と騎兵と会衆,おびただしい数の民と共にティルスを攻めさせる。またわたしはあなたを岩膚の輝く,裸の表面とする。あなたは引き網の干し場となる。あなたは決して再建されることはない。わたし自ら,エホバが語ったからである』と主権者なる主エホバは言われる」― エゼキエル 26:3-5,7,14,新。

      世俗の歴史は,ネブカデネザルが西暦前607年にエルサレムの町とエホバの崇拝のための神殿を破壊した後に,ティルスの攻略を手がけたことを伝えています。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは,フェニキア年代記,およびそれまでに記された他の歴史書に注意を向け,ティルスに対するネブカデネザルの攻囲が13年に及んだことを述べています。聖書は,ネブカデネザルの軍勢がティルスにかなりの痛手を負わせたことを示しています。―エゼキエル 26:8-11。

      ティルスは,バビロンによるこの打撃から立ち直りました。しかし,幾世紀も後,アレクサンドロス大王に率いられたギリシャの軍勢がティルスに攻め寄せて来ました。当時ティルスの町は,本土から800㍍ほど離れた島にありました。町の住民が,降伏しようとしなかったため,アレクサンドロスは激怒し,配下の者たちに本土の旧市街の廃きょを掘り起こさせて,そのがれきを海に投げ込むよう命じました。こうして,島にある町に向かって土手道が作られていったのです。その後,海戦があり,アレクサンドロスの軍勢が優勢になりました。そして,七か月に及ぶ包囲の未,アレクサンドロスの配下の者たちは島にある市街を攻め落としました。同市の住民が必死の抵抗を試みたとき,同市には火が放たれました。それは,別の預言者であるゼカリヤの予告していたとおりになったのです。「これは火で焼き滅ぼされる」― ゼカリヤ 9:4。

      幾世紀にもわたってティルスの人々は町を復興させようとしましたが,その度にティルスは敵の軍勢の手に落ちています。まさに,神の預言者たちの予告していたとおりです。(エゼキエル 26:3)古代世界の強大な海洋王国だったティルスの現状はどのようなものですか。廃きょ,そしてスールと呼ばれる小さな港が昔の名残りをとどめています。ニナ・ジテジァンは,自署「ティルスの変遷」(1969年版)の中で,「この港は今日では漁船の避難する港,そして網を広げるための場所となっている」と述べています。まさにエゼキエルを通して預言されたとおりです。―エゼキエル 26:5,14。

      バビロンに続いてメディア-ペルシャとギリシャが興る

      バビロンが世界を支配する強国として君臨していた西暦前6世紀に,預言者ダニエルは二匹の象徴的な動物の登場する驚くべき幻を夢の中で与えられました。最初の動物は二本の角のある雄羊でした。「そして,二本は共に長かったが,一方は他方のものより長く,長いほうは後に伸びてきたものであった」。(ダニエル 8:3,新)この雄羊は何を表わしていましたか。み使いはダニエルにこう説明しました。「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている」― ダニエル 8:20,新。

      ダニエルはここで,バビロンに取って代わる世界強国の名前を挙げていたのです。ここに詳細が述べられているとおり,バビロンはメディア-ペルシャの前に倒れました。最初はメディア人(小さいほうの角)のほうが強力でしたが,後にペルシャ人のほうが優勢になりました(後に伸びてきた長いほうの角)。

      この幻に登場する第二の動物はどのようなものですか。ダニエルはその動物についてこう述べています。「雄のやぎが全地の表を日の沈む方からやって来たが,それは地に触れてはいないのであった。そして,その雄やぎには,その目の間に際立った一本の角があった」― ダニエル 8:5,新。

      この雄やぎは前述の雄羊と戦い,その戦いに勝ちます。(ダニエル 8:6,7)その後,ある異常な出来事が起こります。ダニエルは続いてこう述べています。「[雄やぎ]が強大になるや,その大いなる角は折れ,その代わりに四つが著しく伸び,天の四方の風に向かった」― ダニエル 8:8,新。

      自分に与えられた象徴的な幻のこの部分の意味をみ使いに尋ねたところ,ダニエルは次のような答えを得ました。

      「また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間の大いなる角,それは第一の王を表わしている。そして,その者が折れて,その代わりにやがて四つが立ち上がったが,その者の国から四つの王国が立つ。しかし,その者ほどの力はない」― ダニエル 8:21,22,新。

      ここで,メディア-ペルシャに続く世界強国としてギリシャが興ることが予告されています。

      雄やぎの「大いなる角」は折れて,その後に四つの別の角が現われますが,この「大いなる角」は何を表わしていましたか。み使いの説明にあるとおり,大いなる角は,世界強国としてのギリシャの「第一の王」を表わしていました。それはアレクサンドロス大王です。興味深いことに,アレクサンドロスが死んだ後,結局その帝国はアレクサンドロスの四人の将軍たちの間で分轄され,予告されていたとおり,「天の四方の風に向か」いました。―ダニエル 8:8,新。

      ヨセフスによると,アレクサンドロスがエルサレムの近くに来た際,同王にこの預言が示されました。その時の様子について,こう記されています。「一人のギリシャ人がペルシャ人の帝国を滅ぼすと述べていたダニエルの書が同王に示されると,王は自分がそこに示されている者であることを信じた。アレクサンドロスは有頂天になり,一時的に群衆を退出させたが,翌日再び彼らを召し,何なりと好む物を所望するようにと告げた」― ユダヤ古誌,第11巻第8章5節。

      ですから,一つの預言的な幻のこれら幾つかの詳細な点に関してだけ見ても,聖書のダニエル書は,200年も先の歴史を事前に説明していたことになります。しかも,聖書のこの同じ書は,さらに遠い将来についても言及していたのです。どうしてそう言えますか。

      6世紀も前に記された歴史

      ダニエル 9章に見いだされる,類例のない預言は,歴史上起ころうとしている出来事を600年も前から細部にわたって示しています。この予告は,「エルサレムを修復して建て直せという言葉の発せられる時から」六十九「週年」を経て,「指導者なるメシア」が現われ,それから間もなくエルサレムとその神殿が破壊されることを明確に示していました。(ダニエル 9:24-27,アメリカ訳)この預言はどのように成就しましたか。

      エルサレムを修復して建て直すようにとの布告は,ペルシャ王アルタクセルクセス・ロンギマノスによって,その治世の第20年に出されました。その布告は同年の秋,すなわち西暦前455年の秋に効力を発するようになりました。それから,(「一週」を七年として)六十九週年,すなわち483年を数えると,西暦29年になります。聖書の記録によると,ナザレのイエスがヨルダン川でバプテスマを受け,メシアとして登場したのはまさにその年のことでした。―ルカ 3:21-23; 4:16-21。

      この同じ予告は,メシアが『[第七十]週の半ばに断たれる』であろうことを示しています。(ダニエル 9:26,27,新)この点と詳細に至るまで一致して,イエスは西暦33年の春,過ぎ越しの日に亡くなりました。それは,バプテスマによってメシアとしての歩みを始めてからちょうど『一週年』の半分,つまり三年半後のことでした。―マタイ 26:2。ヨハネ 13:1,2。

      エルサレムの滅亡について言えば,この預言はメシアが現われ,死によって断たれるのを見る世代に関してこう述べています。「そして,その都市と聖なる所とを,そこへ来る一人の指導者の民が破壊に至らせる。それで,その終わりは洪水による。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である」。(ダニエル 9:26,新)イエスはご自分の死の五日前に,この点に関してさらに詳細な点を示されました。次のように記されています。

      「そして[エルサレム]の近くに来た時,イエスはそれをながめ,それのために涙を流してこう言われた。『もしあなたが,そうですあなたが,この日に,平和にかかわる事を見分けていたなら ― しかし今,それはあなたの目から隠されているのです。あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに塁を築き,取り囲んで四方からあなたを攻めたてる日が来るからであり,彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです』」― ルカ 19:41-44。

      予告された,『先のとがった杭で築いた塁』について,ヨセフスは,ユダヤ人の反乱に際し,ローマのティツス将軍がエルサレムの周囲にさくを築くことを主張した,と伝えています。同将軍配下の兵士はその地方の樹木をことごとく伐採し,わずか三日で,杭を使った全長8㌔近くに及ぶさくをエルサレムの周囲にめぐらせました。それに続く大虐殺で,エルサレムの「子ら」110万人が死にました。同市の滅亡に関する予告がどれほど徹底的に成就したかは,わずか三つの塔と西側の城壁の一部だけしか残らなかったことからも分かります。ヨセフスはこう書いています。「同市を取り巻く残りのとりですべては徹底的に破壊され,その場を訪れる人々はそこに以前人が住んでいたと言われても信じないような所となった」。

      エルサレムのこの滅びは,ダニエルが聖書のダニエル書を(西暦前536年ごろに)書いてから605年ほど後の西暦70年に起きました。幾世紀も先の出来事を事前に記した聖書預言が細部に至るまで成就しているのを調べるのは,実に信仰を鼓舞するものです。しかし,聖書の予告は遠い過去にかかわるものばかりではありません。その多くは今日著しい成就を見ており,さらに,輝かしい幸福な将来を享受する方法をあなたに示しているのです。次の記事はそのような預言を幾つか取り上げています。

      [583ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      「七十週」

      ダニエル 9:24-27

      西暦前455年 西暦33年 西暦70年

      (春)

      西暦29年 西暦36年

      69週年(=483年) 第70“週”

      イエス

      油そそがれる

      アルタクセルクセスの イエス エルサレムの

      第20年 「断たれる」 滅亡

  • 聖書預言に見る古代バビロンから20世紀までの歴史
    ものみの塔 1977 | 10月1日
    • 聖書預言に見る古代バビロンから20世紀までの歴史

      聖書の予告した事柄は,古代に著しい成就を見ました。では,聖書が20世紀に関する事柄をも予告しているのをご存じでしたか。

      聖書のダニエル書の中には,古代バビロンから現代に至るまでの主な世界強国の興亡を物語る,預言的な幻が記されています。例えば,西暦前6世紀に,ダニエルは四つの象徴的な獣の夢を見ました。これらの象徴的な動物に関するダニエルの描写によると,その動物は次のようなものでした。

      (1)初めは鷲のような翼を持っているが,後にそれを失い,人間の特質を帯びる獅子。(2)多くの肉をむさぼり食う熊。(3)四つの翼(ただでさえ速いその速度をさらに増す)と四つの頭を持つ豹。そして,(4)実在するどんな動物にも相当しない,「恐ろしく,すさまじく,際立って強い」野獣。この四番目の獣には,大きな鉄の歯,十本の角,そして別の「小さな」角があり,その小さな角には目と「大仰な事を語る口」が付いていた。―ダニエル 7:3-8,新。

      バビロンから「人の子」による支配まで

      これら四つの獣は何を表わしているのでしょうか。聖書の記述によると,それらの獣は「王」あるいは王国を象徴しています。(ダニエル 7:17)獅子は,この幻が与えられたときに中東で最も有力な強国だったバビロンを表わしています。(エレミヤ 4:5-7)熊は,世界強国としてバビロンの後に興った王国をさしています。それはメディア-ペルシャであることが明らかになりました。翼のある四つの頭を持つ豹は,ギリシャ帝国を描いたものです。豹の四つの頭について言えば,アレクサンドロス大王の死後,将軍たちが支配力を得ようと争い,やがてそのうち四人がそれぞれ四つの異なった地方に支配権を確立しました。この幻に登場する四番目の象徴的な獣は,ギリシャ帝国をのみ尽くした世界強国,すなわちローマを表わしています。

      この四番目の獣の十本の角,および目と「大仰な事を語る口」のある別の角は何を表わしているのでしょうか。(ダニエル 7:8,新)聖書は時として,支配者や支配王朝を象徴するのに角を用いることがあります。(ダニエル 8:2-10,20-22。ゼカリヤ 1:18-21。ルカ 1:69-71)十という数は,満ち満ちた様,全体,あるもののうち存在している要素すべての総和を表わします。(マタイ 25:1。ルカ 15:8; 19:13,16,17)歴史は,ローマ帝国がやがて様々な国へと分割されていったことを示しています。第四の獣の十本の角は,ローマが崩壊した結果生じた王国すべてを表わしていると思われます。

      十本の角の間から現われた「小さな」角である英国は,それまでローマ帝国の弱小な属国にすぎませんでしたが,西暦18世紀に世界一の商業および政治上の強国となって頭角を現わしました。英国と米国はその緊密な結び付きと,全般的な行動の一致ゆえに,今日ではしばしば英米世界強国と呼ばれています。この強国は,聖書中の「小さな」角の描写によく当てはまります。

      英米世界強国はいまだに存在しているのですから,四つの獣に関するダニエルの幻は,古代バビロンの時代から今日に至るまでの人類史の発展を予告していることになります。しかし,連綿と続く人間の政治上の王国が終わった後にはどんなことが起きるのでしょうか。ダニエルはさらに次のように述べています。

      「わたしが夜の幻の中でずっと見ていると,見よ,天の雲と共に人の子のような者が来るのであった。その者は日を経た方に近づき,彼らはその者をその方のすぐ前に連れて来た。そして,その者には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国民,またもろもろの言語の者がすべてその者に仕えるためであった。その支配権は,過ぎ行くことなく,いつまでも定めなく続く支配権,その王国は滅びに至ることのないものである」― ダニエル 7:13,14,新。

      「人の子」イエス・キリストが,『もろもろの民,国民,またもろもろの言語の者すべて』に対する支配権を手中に収め,しかもこの時代にそうされるということを考えただけでも心が躍るではありませんか。この時代に生活している人々は,すばらしい祝福を期待して待つことができます。

      ネブカデネザルの夢に現われた像

      似たような意味の事柄を伝えているのは,ネブカデネザルの見た預言的な夢です。このバビロニア人の王は,人間の形をした巨大な金属製の像を見ました。ダニエルは,その像の「頭は良質の金,その胸と両腕は銀,その腹と股は銅,その両脚は鉄,その両足は,一部は鉄,一部は型取った粘土でした」と説明しています。―ダニエル 2:31-33,新。

      ダニエルは,金でできた頭がネブカデネザルを表わしていると説明しました。つまり,拡張して考えれば,ネブカデネザルをもって始まるバビロニア人の支配者の王朝です。(ダニエル 2:37,38)銀でできた胸と両腕は,続いて興ったメディア-ペルシャ世界強国を予表していました。銅でできた腹と股は,「別の王国,[バビロンから数えて]三番目」のものを表わしていました。(ダニエル 2:39,新)これはギリシャ世界強国です。像の次の部分である鉄の両脚は当初ローマを表わしていました。しかし,ローマが像の鉄の部分すべてに当てはまるわけではありません。どうしてですか。

      それは鉄が像の両足にまで伸び,型取った粘土と混ざっているからです。そして,この像の両足について,聖書はさらにこう述べています。「一つの石が人手によらずに切り出され,像の鉄と型取った粘土でできた両足を打って,それを砕きました。その時,鉄も型取った粘土も銅も銀も金も皆共に砕け(ました)」― ダニエル 2:34,35,新。

      ネブカデネザルの夢のこの部分は何を意味していましたか。ダニエルは次のように説明しています。「天の神は,決して破滅に至ることのない一つの王国を建てられます。そして,その王国は,ほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらすべての王国[像全体で表わされていた]を打ち砕いて終わらせ,それ自体はいつまでも定めなく立ちます」― ダニエル 2:44,新。

      地のすべての王国の存在を打ち砕いて終わらせ,神の支配がそれらに取って代わるという事態は,ローマ帝国の時代には起きませんでした。ですから,この像の鉄のような特徴は,ローマに続いて興った世界強国である英米に受け継がれました。ゆえにこの幻は,古代バビロンの時代から,「人の子」イエス・キリストの手中にある神の王国が地上の支配権を掌握するまでの人類史の主な出来事を予告している点で,四つの獣に関する幻と対比されます。

      では,間もなくこれらの預言が成就すると期待できますか。

      キリストの臨在の「しるし」

      イエスが殺される少し前,弟子たちはイエスに,その「臨在と事物の体制の終結のしるし」を求めました。(マタイ 24:3)「臨在」と言ったとき,弟子たちはキリストが王国の権力をもって支配することを意味していました。イエスは弟子たちの質問にどう答えられましたか。マタイ 24,25章に記されているその答え全体,およびそれに対応するマルコ 13章とルカ 21章の記述をお読みになれば,多くの益が得られるでしょう。ここでは幾つかの際立った点だけを取り上げることにします。

      ルカによる福音書の記述によると,イエスはご自分の臨在のしるしの一部として次のような事柄を挙げられました。「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足が起こります」。(ルカ 21:10,11)啓示の書は,イエスが王として臨在する際のその同じ証拠を象徴的な言葉で説明しています。象徴的な「白い馬」に乗る者であるイエス・キリストに,人類の世に対する実際の王権を表わす「冠」が与えられた後,地上で起きる事柄について次のように描写されています。

      「すると,別の[馬とそれに乗る者が現われ],火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた。[『国民が国民に敵対して立ち上がる』ことについて述べたルカ 21章10節の記述と比較してください。]……

      「そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手に天びんを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の中央から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ[当時の一日分の賃金],大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損うな』と言うのを聞いた。[飢饉に関するルカ 21章11節の記述と比較してください。]……

      「そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデス[人類共通の墓]が彼のすぐあとに従っていた。そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである。[ルカ 21章11節には疫病に関する記述が含まれていることに注目してください。]」― 啓示 6:1-8。

      あなたはこうした事柄をご自分で経験してこられたのではありませんか。1914年に第一次世界大戦が始まって以来,今日生きている人々の世代は類例を見ない戦争,食糧不足,および伝染病を経験してきたのではありませんか。しかも,イエスが王国の権力を帯びて臨在しておられるしるしはこれだけではないのです。

      イエスはご自分の臨在のしるしの別の特徴として,次のような事柄をつけ加えられました。「また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう」。(マタイ 24:12)この世代になって,世界の多くの土地で犯罪発生率が上昇した結果,神と同胞に対して人々の抱いていた愛が全般的に冷えてきた,ということに同意されるのではありませんか。―テモテ第二 3:1-5と比較してください。

      しかし,世界情勢がどれほど暗たんたるものであっても,それは聖書を信ずる人に,喜びを抱く強力な理由を与えることになります。イエスはさらにこう述べておられるからです。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」。つまり,こうした苦悩の時代の始まりを目撃した人々は,神の天の王国が現在の事物の体制を終わりに至らせるときに,まだ生きているということになります。―マタイ 24:8,34。

      では,何が現在の事物の体制に取って代わるのですか。神の支配の下にある新しい事物の体制です。その時地上にもたらされる状態を,聖書の啓示の書は次のように描写しています。「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:3,4。

      そのような新しい事物の体制の下で生活したいと思われますか。そうであれば,イエスの与えた「しるし」の成就は,あなたにとって特に意義深いものとなるでしょう。イエスはこの点を指摘してこう語られました。「これらの事が起こり始めたなら,あなたがたは身をまっすぐ起こし,頭を上げなさい。あなたがたの救出が近づいているからです」― ルカ 21:28。

      何という壮大な希望でしょう。しかし,神は,生き残って新しい事物の体制に入る人すべてに一定の要求をしておられます。それらの要求は決して難しいものではありません。(ヨハネ第一 5:3,4)あなたは神のご要求を学ぶために聖書を研究したいと思われますか。神のご要求を学ぶことに,喜びを見いだされるに違いありません。エホバの証人は,喜んで無料の家庭聖書研究を司会いたします。また,エホバの証人の王国会館で開かれる集会は無料で,一般の人々に門戸を開放しています。すぐエホバの証人と連絡を取り,この20世紀における聖書預言の成就に対して,さらに深い見識を得てください。

  • ものみの塔の新会長の選出
    ものみの塔 1977 | 10月1日
    • ものみの塔の新会長の選出

      地上におけるエホバの業は,すでに即位しておられる王イエス・キリストの指導の下に堂々と進展しています。わたしたちの敬愛するネイサン・H・ノア兄弟が1977年6月8日に死去したため,エホバの証人の世界的な活動を指導する法人団体であるペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会,および米国におけるエホバの証人の業を管理する合法機関であるニューヨーク法人,ものみの塔聖書冊子協会の新しい会長を選出することが必要になりました。エホバの証人の統治体の成員15人全員の共同推薦に基づいて,両法人団体の理事は1977年6月22日に合同会議を開き,全員一致でフレデリック・W・フランズを両法人団体の会長に選出しました。フランズ兄弟がその席上で,1923年7月4日にノア兄弟が浸礼を受けたときのこと,そしてその翌年からニューヨーク市ブルックリンにあるエホバの証人の本部で,フランズ兄弟がノア兄弟と密接に交わりながら奉仕したことについて話したのは興味深いことでした。フランズ兄弟は1945年以来,ペンシルバニア法人の副会長として奉仕しており,1977年9月12日で84歳になりました。しかし依然として非常に活発にエホバに仕えており,この時もアイルランドからイスラエルまでの11か国に及ぶ講演旅行から帰ったばかりでした。優れた聖書学者としての同兄弟の際だった評判,および王国の関心事に対する同兄弟の勤勉な業のゆえに,フランズ兄弟はあらゆる所のエホバの証人の信頼と忠節な支持を受けています。同兄弟は,エホバの民がこの事物の体制の終わりまで業を続け,奉仕をやめず,共に祈り続けるようにとの熱烈な願いを表明しました。

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