ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 賭博ブーム ― あなたはそれをどう見ますか
    ものみの塔 1975 | 1月15日
    • 賭博ブーム ― あなたはそれをどう見ますか

      合法化された賭博の流行が世界的な現象となっています。宝くじを発行している国は75か国以上あり,他の形のかけ事も盛んになっています。

      アジアの多くの国では,最近,カジノ賭博を合法化しました。現代的なカジノは,アフリカのスワジランド,レソト,ボツワナなどの国でも大きな呼び物となっています。

      英国議会は,1960年に,場外馬券によるかけやカジノを含む一般的な賭博を合法化しました。オーストラリアには,政府の認可を受けた胴元が2,500人ほどいます。この国の人々は,かけ事に毎年55億㌦(約1兆6,500億円)以上を使います。これはなんと,同国政府が教育・軍備・住宅・社会事業・福祉に費やす金額を全部合わせたより多い額です!

      また毎年およそ5,000万人のアメリカ人が賭博に手を出し,推計の仕方にもよりますが,300億㌦から1,000億㌦(約9兆円から30兆円)ものお金をかけています。この金額の大部分は不法賭博にかけられるものです。しかし今では,多くの州が先を争うようにして宝くじを合法化し,新しい競馬場を認可し,場外馬券売場を設けています。

      1974年の初めまでに宝くじを発行しているアメリカの州は八州であり,さらに少なくとも四州がその事業を始めようとしています。ニューヨーク市は1971年に公認の場外馬券を売り始めました。同様の措置を取ろうとしている所はほかにもたくさんあります。また,ニュージャージー,メリーランド,ハワイなどの諸州は,ネバダ州に倣ってカジノ賭博を合法化することを検討しているとのことです。

      以前にはほとんど例外なく非合法とされていた行為が,今ではこうして合法化されているのはどうしてですか。

      合法化が可能となったのはなぜか

      主な原因は人々の態度が変化したことにあります。一世代前には,たとえ“善い”目的のためであろうと,賭博は道徳的な悪とされていました。しかし今,大部分の人はそのように見ていません。あなたご自身はいかがですか。

      賭博がしだいに受け入れられていることについて,ニューズ・ウイーク誌は次のように論評しました。「この傾向は,社会一般の放縦な風潮に一部帰せられよう。アルコール類,マリファナ,性の自由などの場合と同様,賭博に関する社会のおきてもその力を徐々に失いつつあり,賭博は現代生活の一部としてしだいに受け入れられるようになっている」。

      国会議員の中にも,賭博の公認を熱心に推進してきた人々がいます。彼らは,賭博は娯楽であり,その娯楽のために人々が支払う資金は,犯罪者たちでなく,政府が受けるべきである,と論じます。主要な宗教は明らかにこれに同意を与えているようです。(米国)聖公会の司祭ウイリアム・S・バンミーターはこう述べています。「聖公会員,ユダヤ教徒,ローマ・カトリック教徒は,賭博を道徳に反するものとはみなしていない。これは公式の見解である」。

      では,あなたご自身はどう考えますか。非常に多くの人に数々の問題を生んできた行為を勧めるのは真にクリスチャン的な行ないですか。それは聖書と調和していますか。それを合法化することには十分な理由があると明らかに感じている人々がいます。彼らは,賭博を合法化することによって,不法な賭博を営んでいる者たちが営業できないようにすることができると考えています。

      しかし,実際にそうなってきましたか。

      不法賭博は痛手を負ったか

      全米科学協会の一報告は,しばらく前,次の点を指摘しました。「州営の宝くじが不法賭博に与えた影響はごく限られたものであった……公認賭博には,人々を不法賭博から引き離すほどの魅力がない」。

      事情に通じた賭博者は,不法賭博のかけ金に対して受ける配当金よりも,公営宝くじで受ける配当金のほうがずっと少ないことを知っています。ニューヨーク市の場外馬券売場でさえ,私設馬券屋の大きな仕事を取り上げることにはなりませんでした。主だった賭博者は,私設馬券屋が提供する種々の利点のゆえにそれから離れませんでした。例えば,配当金には課税されませんし,私設馬券屋は付けを認めます。また,だるま返しや数当て賭博など,公認賭博にない種々の賭博もあります。また,多くの人にとって驚きとなるかもしれませんが,不法賭博の大多数は,フットボール,バスケットボール,その他のスポーツについてなされています。これらの競技には公認のかけがありません。その結果,宝くじや場外馬券の合法化は,人々がそうした不法賭博に落ち込む道を開くものとなりました。これは,ニューヨーク市警察局の最近の調査が明らかにした点です。

      その調査は,1972年に不法賭博が62%も増加したと推定しています。ポール・F・デリーズ局長はこう説明しました。「賭博をする風潮が作り出された。今では競馬に金をかけることが法的に許されているので,フットボール,バスケットボール,野球などでかけをすることなど思ってもみなかった多くの人が,胴元のところへ来るようになった」。

      非常なブーム

      今では毎日20万人ほどの人が,ニューヨーク市内に新たに設けられた120以上の場外馬券売場でかけをしています。また,そこでかけをしている人は,同市の成人人口の23%に達します。それらの人々は,1973年に,6億9,100万㌦(約2,073億円)ほどの金をかけ,今年は8億㌦(約2,400億円)に達すると見込まれています。ところが,同市ではこの二倍にも上るお金が不法な賭博にかけられているのです! あるスポーツ評論家は,フットボール・ファンの半分以上がその競技に金をかけていると推測しています。

      「金をかけることはあまりにも一般化してしまい,それは例外どころか常識にさえなってしまった」と,ニューヨーク市北東ブロンクス社会協議会のルース・スピリットは嘆きます。賭博が合法化されている他の国でも事情は同様です。ロンドンのデーリー・メール紙は次のように述べています。「賭博の範囲があまりにも広まり,今では社会を脅かすまでになっている」。

      賭博は本当に社会の脅威となりますか。それはどんな結果をもたらしますか。

  • 賭博は人にどんな影響を与えるか
    ものみの塔 1975 | 1月15日
    • 賭博は人にどんな影響を与えるか

      ニューヨークのある郵便局員はかけ事など一度もしたことがありませんでした。ところが,自分の家の近くに場外馬券売場が開設されました。一度のかけが次のかけを呼びました。最近,その妻が賭博癖自主矯正協会に電話をした時,彼は5,000㌦(約150万円)もの借金をしており,最後のあり金16㌦(約4,800円)を手にして飛び出したところでした。あとには,空の冷蔵庫とおなかをすかせた二人の子どもが残されていました。

      おかしなことがしばしば起こります。繁盛しているある衣料品会社の経営者が,自分の賭博癖のことで精神病医の診察を受けました。その精神病医は,問題をより深く知るためその人と共に競馬場に行きました。彼は,その人が九レースのうち七レースに勝って配当金を得る様子に目を見張りました。すっかり魅せられた精神病医は自分も一度試してみることにしました。ほどなくして彼もまた賭博癖を持つようになり,ついには医師としての自分の仕事を失ってしまいました。

      「信じられない」と言われますか。かつて賭博に凝っていたある人は,この話を聞いて,「よくあることだ」と答えました。「そのような事は何度も見ている」と言うのです。

      油断のならない悪癖

      この賭博癖は一見何でもないような事から始まります。場外馬券売場で馬券を売っている一人の人は次のように述べています。「女性は,入って来ると,たいてい最初2㌦か4㌦(約600円か1,200円)かけます。それが20㌦,30㌦となり,数か月後には一レースに50㌦から60㌦もかけるようになります。そうした例を幾つ見たでしょうか。わたしの店だけでも少なくても20人は見ています」。

      驚くほど多くの人がかけ事にうつつをぬかしています。「[場外馬券売場]に来る人の半数は,週に六日かけ事をしている」と,賭博癖自主矯正協会の一会員は唱えています。今では自分を制御できなくなり,賭博を始めたことを後悔している人が多くいます。ブルックリンに住む一主婦は,「わたしの賭博癖をやめられたらよいのに」と叫びました。また,ある若者はこう嘆いています。「近ごろは負けが込んでいるんだが……やめられないんだ,全く。血がわき立ってしまうので」。

      著名な実業家で賭博癖を持つようになった人も多くいます。ダンズ・レビュー誌は,「経営者の隠された悪徳」と題する記事の中で,賭博は,「米国社会にとって最大の脅威の一つであり,アルコール中毒や麻薬中毒をさえしのぐ問題である」と結論しました。

      確かに,かけ事を始める人が皆賭博癖を持つようになるわけではありません。事実,賭博を“害のない遊び”と考えている人も多くいます。しかし,本当にそうですか。この“遊び”は,しばしばどんな結果を生み出していますか。悲しい結果を味わった家庭がいかに多いかを知って,あなたはむしろ驚かれるでしょう。

      全米精神衛生学会の推計によると,賭博癖を持つ人は,アメリカだけで一千万人もいます。これらの人は,経済的にも個人的にも重大な問題を招くまでに賭博に凝り,自分の家族に言い知れない苦痛を与えています。麻薬中毒者やアルコール中毒者と同様,これらの人々も,何度誓ってもその悪癖をなかなか捨てられないようです。「これは間違いなく惑溺性のものである」と,賭博問題に明るい一地方検事補は述べました。

      賭博をしない人にとって,この悪癖あるいは惑溺性は理解し難いものに思えるかもしれません。しかしそれは本当のことなのです。クリーブランド在郷軍人病院ブレックスビル分院の主任ロバート・カスター博士は,賭博に凝っている人を幾人も治療しました。彼はこう述べています。「彼らは,入って来た時は全く見込みのない人々である。賭博癖に悩んで救いを求める人は非常に恐れ,かつ混乱しており,ほとんどろうばいしていると言ってもよい。賭博をやめた当初は,その命が危険ではないかと思えるほどの絶望状態に陥る」。

      人にこうした賭博癖を持たせるものは何ですか。

      道徳心をむしばむ欲望

      簡単な方法で金銭を手に入れたいという欲望,これが大きな要素となっていることは明らかです。もちろん,貧しくなりたいと思う人はいません。だれでも,必要なものを十分に持ちたいと願います。しかし,賭博においては,働かないで巨額の賞金を得る機会が差し出されています。つまり,単なるめぐり合わせや“幸運”によって短期間に富が得られるのです。この見込みが人を惑わします。そして,「初心者のつき」と言われるものによって賭博に引き込まれる人が多くいます。

      典型的な例として,カナダ,オンタリオ州のある男の人は,初めて競馬場を訪れた時に驚くほど勝ち続け,わずか4㌦(約1,200円)ほどを1,000㌦(約30万円)に増やしました。「そこでやめておけばよかったのに,やめられなかったのです」とその妻は言いました。なぜやめられなかったのですか。

      それは,賭博がしごく簡単に金銭を得る方法に思えたからです。勝ったことは彼をとりこにし,さらに多くを求める欲望を誘いました。その結果はどうでしたか。「夫は変わり始めました。あたかも別人のようになりました」とその妻は語っています。ついに彼は賭博で6万㌦(約1,800万円)を失い,自分の家庭生活を破滅に至らせました。

      欲望が一たび根を張ると,大きな勝ちを得てもなかなか満足しません。電球に引き寄せられるガのように,賭博に凝る人たちは,さらに“大もうけ”ができるという期待に踊らされます。ですから次の話もうなずけます。30代後半の一学校教師は,賭博で2万㌦(約600万円)に上る借金をかかえ込みました。ところが四日間異常なほどに勝ち続けて,2万5,000㌦を獲得しました。借金を返済しましたか。彼はこう述べています。「わたしは,この2万5,000㌦を倍に増やすのはしごく簡単だと考え始めました。それで月曜日に競馬に金をかけ始めました。しかしその週が終わるまでにそれは全部なくなっていました」。

      賭博は知らないうちにこうした影響を与え,人の道徳心をむしばんでゆきます。賭博癖を持つ人は,ほとんど例外なくいつの間にかよこしまで無節操な人になります。最近,“スーパーフェクタ”として知られるかけで四頭の馬に3㌦(約900円)かけて,11万1,000㌦(約3,300万円)を得た人がいました。しかしこの人は,写真撮影のために場外馬券売場の職員であるジェローム・T・ポールの事務所に来ることを拒みました。なぜですか。「彼は11万1,000㌦を超える借金をしており,それを返済する気が無いのである」とポールは説明しています。

      あらゆる階層の人が影響されています。ユダヤ教正統派の牧師は,賭博による借金がかさんで10万㌦(約3,000万円)にも達しました。彼はこう語りました。「わたしは自分の家族や会衆に対する責任感を全く抱いていませんでした。競馬場へ行けるようにするために葬式は早い時刻に取り決め,レースの合い間に説教の原稿を作りました」。

      そうです,賭博はこうした影響を人に与えます。それは多くの場合人を貪欲で不正直にならせ,また他の人に対する心づかいを信じられないほど失わせます。さらに,自制心をも失わせます。したがって賭博が,聖書の基本的な教えと相入れないことは明らかです。その教えは「貪欲な者」を非とし,自制と隣人愛を促しています。―コリント第一 6:9,10。ガラテア 5:22,23。マタイ 22:39。

      惑溺させる別の要素

      しかし,賭博癖の背後には,明らかにそれ以上のものが関係しています。この問題を研究してきた医師たちはそれが非常に複雑であることを知り,その問題を本当に理解しているわけでないことを認めています。しかし,賭博に伴う興奮が惑溺作用の一因となっていると考える人もいます。

      例えば,この問題を九年間研究してきたウイリアム・H・ボイド博士はこう述べました。「アルコール中毒のもとになるものはアルコールであり,麻薬中毒のもとになるものは麻薬である。一方,賭博癖の要素となっているのは興奮である」。ロバート・カスター博士も明らかにこれに同意し,「彼らが求める“麻薬”は,その行為に携わることである」と述べています。

      その行為は,お金をかける時に始まり,結果が出るまで続きます。勝つことから喜びが得られ,負けることに苦しみが伴うその過程の間ずっと興奮が続きます。ついで,ボイド博士が述べるとおり,「賭博者はそのスリルを味わうために戻って行ってそれをまた繰り返す」のです。この行為に対する渇望が非常に強いことは事実であり,賭博に凝る人が次のように言うのを聞くほどです。「絶望的にならせるものは借金をしていることではなく,朝起きた時にかけをするためのお金がないことです」。

      麻薬中毒の場合のヘロインなどと異なり,実質的成分を持たないものがどうして惑溺作用を起こすのか理解し難く思えるでしょう。しかし,麻薬中毒の場合でも,何らかの化学物質に対する単なる身体的な中毒以上のものが関係しています。精神も何らかの方法で影響を受け,精神的な惑溺状態を来たします。麻薬そのものが中毒者の体から消え去っても中毒症状が残ることから,この点は明らかです。それで,賭博について述べたさい,カスター博士は,その類似性を示すために次の比較をしています。「心理的な要求がアルコール中毒や麻薬中毒の本質である。それはちょうど賭博癖の本質と同じである」。

      金銭への愛,あるいはそれに伴う興奮など,賭博がどのような形で人の道徳心を損うとしても,覚えておくべき事実は,それが知らないうちに人をとらえるという点です。ですから,賭博を避けているのが賢明な道ではありませんか。どんな事でも容認する今日の社会がそれを合法化したというだけで,自分も試してみようなどという誘惑に陥らないようにしてください。ほんの少し,ただ“おもしろ半分”に賭博を始め,いつしか“病みつき”になり,悲劇的な結末を見た人は少なくありません。

      それを治すための努力

      賭博癖のある人がそれを断つのを助けるために真剣な努力が現在なされています。賭博癖自主矯正協会はそうした目的で設けられた世界的な組織で,アメリカだけでも200の支部と3,000人の会員を擁しています。それは,その習慣を“断つ”のに十分な動機づけを人に与えようと努力しています。しかし,それが失敗に終わっている場合は少なくありません。このことは,ニューヨークでの賭博癖自主矯正協会の集会で,ビクターと言う名のタクシー運転手が行なった告白にも示されています。

      「わたしは立ち上がって自分が賭博をやめられなかったこと,またその習慣を維持してゆくため一日に二交代分働いていることを告白しました。わたしは会員たちに,自分は堕落しきっており,この集会が終わったら競馬に行くためメリーランド州ボウイーまで四時間も車を飛ばして行くだろう,と告げました。わたしが話し終えると,三人の会員が待っており,『おい,ビック,われわれも車に乗せて行ってくれ』と言いました」。

      単に自分が堕落していることを認め,それがもたらす苦痛や問題を避けたいと願うだけでは,賭博癖を克服するのに十分な動機づけとならないのが普通です。しかし,そうした習慣を“断つ”方法があります。賭博癖の深みにはまり込んで,その後それから抜け出した人からその話を聞いてみましょう。

  • わたしは賭博狂でした
    ものみの塔 1975 | 1月15日
    • わたしは賭博狂でした

      17年間賭博に凝っていた人がその習慣を首尾よく捨て去った苦闘の経験

      場外馬券売場の前を通る時など,わたしは今でも時おり賭博への衝動に駆られます。競馬新聞を手にした群衆が街路にまであふれていることがあります。そして,いつの間にかこんなことを自問しているのです。「今でも勝ち馬を当てることができるだろうか」。こうした考えが容易に頭の中に浮かんできます。わたしはそれに対して闘い,別の方角に目を向けながら歩みを速めるのです。

      17年以上もの間わたしは賭博にうつつを抜かしていました。かけはわたしの生活を支配していました。わたしはかけ事をしないではいられなかったのです。わたしにとって,それは,飲食,睡眠,性,そうです,他のどんなものよりも大切なものになっていました。

      どんな生活をしていたか

      そうした年月の間,競馬の“予想”をするため夜遅くまで起きて翌日どの馬にかけるかを選んだり,日中を競馬場で過ごすために夜働いたりしました。賭博をするため,人に金銭をせびったり,借りたり,人から盗んだりしました。わたしたちが持っている物で金目の物はすべてどこかの質屋にありました。

      わたしは給料をもらうとすぐ競馬場に行ったものです。「10㌦かけてそれをふやせるか見てやろう」と自分に言います。その馬が負けると,「失った金は取り返さねばならない。せめてとんとんにしておかねばならない」と言ったものです。こうして,幾度となく給料をすってしまいました。

      それは,衣食住のためのお金が全く残らないことを意味していました。空腹のまま過ごすことも幾度となくありましたが,妻と二人の娘までそうせざるを得なかったのです。身に着けるものもほとんどなく,家賃を払わないために家主に追い立てられたことも少なくありません。あるいは,高利貸しから身を避けるために,夜逃げをしたこともあります。

      わたしが知っていた賭博者たちは,ほとんどすべて高利貸しの世話になっていました。しかも,たいてい幾人かの世話になっていました。正式の金融業者は多くの借金をしている人には貸しませんが,それら暗黒街の金貸しは貸してくれました。

      そうした高利貸しが乱暴を働くこともありました。彼らは用心棒を雇っていました。友人の一人が借金を返せなかったために散々殴られたのを覚えています。ですから,恐怖のうちに生活するのは普通のことでした。本当にどうにもならなくなると,荷物をまとめて夜逃げをしました。幸いなことに,わたしもわたしの家族も,肉体的に傷つけられたことはありませんでした。

      どこへ行っても賭博をする

      かけ事がどれほど行なわれているか,信じるのは難しいかもしれません。レストランやバーなど,わたしが働いた所ではどこでも,聞く話といえば“馬”のことばかりでした。しかしそのほかの賭博もなされていました。

      暗黒街に巧妙に作られた賭場がニューヨークの至る所にあります。しかし,そこへ入るには,つてや“承認”が必要です。そこには,ルーレット,ポーカー,サイコロなど,あらゆる種類の賭博がそろっていました。こうした所へ出入りすることもありましたが,わたしのかけはたいてい競馬でした。

      競馬場にもよく出かけましたが,近くの私設馬券屋でかけをすることのほうが多くありました。そのほうが興奮を覚えました。より大規模な行為があるからです。私設馬券屋は,あらゆる種類の複雑な競馬のかけを提供してくれるのです。各地の競馬場でなされるレースについて,だるま返し,背中合わせ,総当たり,数当てなどの賭博ができました。公認の事業にそうしたかけはありません。これは,かけ事に凝ってくると,公認のものに余り魅力を感じなくなる理由の一つです。

      数当て賭博は特に大きな魅力でした。週に六日そうしたかけをしたものです。それぞれの日の数は,三つの数字で構成されていました。例えば8-3-9です。最初の数字は,その日の最初の三レースの配当支払い額合計の㌦単位の最小けたを取ることによって決まります。つまり,それらのレースの後の支払い額が359㌦73㌣なら,最初の数字は9になります。そして,第五レースと第七レースの後の配当支払い額の合計は,第二と第三の数字を決めるのに,同じ方法で用いられます。

      わたしは,私設馬券屋に雇われた仲介人にしばしばかけを申し込んだものです。わたしたちの所へ来る牛乳配達人は,長い間数当て賭博のなじみの仲介人でした。普通50㌣かけ,毎朝彼に数字を書いた紙とかけ金を渡しました。一度全部の数をきれいに8-3-9と当て,300㌦の配当金を受けたのを覚えています。かけ金が50㌣だったのですから相当の金額です!

      どんな仲間たちだったか

      賭博者たちが使う言葉は同じで,その主な関心事も同じでした。それには興奮と煩いが付きまといました。しかし,互いに対する真の関心は悲しいほど欠けていました。先の牛乳配達人が良い例です。

      わたしは彼を信頼していました。長い間知っていたうえ,勝った時には必ず配当金を払ってくれたからです。ですからあの300㌦を得た後,彼の家での大きなサイコロ賭博の集まりに招待された時も少しも疑いませんでした。その勝負が不正なものであることに気付いた時には,すでに自分のあり金をほとんど失っていました。“だまされた”のです。しかし何もすることができません。不正を証明するのは難しかったからです。

      しかし“友だち”にだまされたのはその時だけではありません。ある時わたしは,かけるべき馬のリストとかけ金を仕事の同僚に渡しました。彼は分割勤務で,その日の午後私設馬券屋へ行くはずでした。後でレースの結果を聞いて,自分が勝ち馬を四つ当てたことを知って驚きました。もちろん,“友だち”がその晩やって来た時,興奮して配当金を請求しました。ところが彼は,かけをしなかったという言いわけを幾つかを並べたのです。証明することはできませんでしたが,彼が配当金を着服したことは明らかでした。

      賭博に凝っている人々はほんとうにねじけた人々です! わたしが得た配当金を持ち逃げした下劣な私設馬券屋も少なくありません。しかし本当のことを言えば,わたしも同じ穴のむじなでした。お金を借りても返済しなかったり,露骨に盗みを働いたこともあります。そうした出来事の幾つかを思い返すと悲しい気持ちになります。

      魅力と興奮

      自分のしていることが間違いであることはわかっていました。しかしその習慣の奴隷になっており,特に,金銭がたやすく手に入る魅力のとりこになっていました。実際にはその魅力が,そもそもわたしに競馬を始めさせたのです。

      それ以前にも賭博をしたことはありました。子どものころフィラデルフィア市の街角でサイコロ賭博をしましたし,後に17歳になって海に飛び出した時,船の上でポーカーをしました。競馬に関心を持つようになったのは,結婚した1928年のことです。

      その時わたしはニューヨークのレキシントン街49丁目にあるドラッグストアーの軽食堂で働いていました。わたしは,競馬をする人たちが自分たちの勝ちについて得意げに語るのに心を奪われました。彼らは負けた時のことを決して口にしません。そのことを知ったのは後になってからでした。「たやすく手に入るこの金を見過ごす手はないぞ」とわたしは考えました。

      賭博者たちが馬に関する情報をデーリー・ミラー紙から得ていることがわかりました。それである日,その中から二頭を選び,それにかけました。まだその名を覚えています。バック・ヒーローとサンフラワーです。「初心者のつき」で,わたしは両方とも当てました。

      わたしは勝ち馬を当てたのですから,競馬をするほかの人々と,いかにもよく知っているようにして話せました。「だるま返しにしなかったのは残念だったな。そうしていれば大もうけできたのに」とある人が言いました。ほどなくして,わたしは可能な限りすべてのかけを試みていました。懸命になって馬について調べ,自分で予想を立てるようになりました。

      時には競馬場へ行って大勝することもありました。そんな時は本当に興奮して誇らしく感じたものです。借金を少し返すこともありましたが,次の日には「一つすごい大もうけをする」ために競馬場へ戻り,たいていはそのすべてを失っていました。

      それでも,莫大な配当金を狙って賭博を続けました。わたしはカトリックの孤児院で育てられましたが,そこで祈りの仕方を教えられていました。それでわたしは,しばしば馬のために祈ったものです。絶望的になって悪魔に祈ったことさえあります。

      人をとりこにする賭博の魅力の一部は,結果に対する並々ならぬ期待にあると思われます。気をもませるその興奮状態を長引かせるために,わたしはしばしば他の人に新聞でレースの結果を調べてもらいました。それからその人に次のような質問をします。「第二レースの勝ち馬の名は10文字ですか。その重量は幾らですか。配当は幾らつきましたか。騎手はだれでしたか」。

      勝ち馬に近づいている時は最初の一つか二つの質問の答えからわかりました。そして最後に,何々,つまり,自分がかけた馬が勝ったかどうかを聞いたものです。それが勝ったのを聞く時には,わたしは得意満面でした。

      勝ち馬を当てるための努力

      競馬の予想をするには,込み入った過程を経ねばなりません。かけるのに良い一頭の馬を選ぶのに何時間もかかることがありました。そのレースにはかけるのに手ごろな馬はないと判断することもあります。ところがそれから何が起きますか。

      その晩,ある馬が勝つ夢を見,次の日にはその馬にかけているのです。または競馬場へ行ってストローハットが出走しているのを目に留め,その日偶然にも自分がストローハット(麦わら帽)をかぶっているのに気付きます。そこでもちろんストローハットにかけます。ある時,たなからパイナップルのかん詰めが落ちて弟の頭に当たりました。その日の出走表を調べるとパイナップルという馬が走っているのを見つけ,弟はそれにかけて勝ちました。賭博に凝っている人はそんなものです。彼らは非常に縁起をかつぎます。ですから,よく調べた上での選択につき従うよりも,かんでかけをするのです。

      カトリック教会が,賭博に凝る人のこの特長を知っていることは確かです。競馬場の近くには,献金箱を持った尼僧が必ずいるからです。“シスター”を無視するカトリック教徒がどうして競馬に勝てるでしょうか。わたしたちの多くはカトリック教徒でしたから献金をしました。その日の勝負に勝つと,わたしたちは特にたくさん献金しました。それが引き続き成功をもたらすことを念じていたからです。

      わたしが,839という数,それが当たって300㌦を得たあの数になぜそれほど執着したかおわかりでしょうか。わたしが8月に生まれ,長女が3月に,妻が9月に生まれたからです。縁起をかついでいたに過ぎません。それが自分のラッキー・ナンバーであると考えたのです。それが当たったことも幾度かありました。

      しかし実際は,勝つより負けるほうが多く,家族の者にとって生活はどん底の状態でした。わたしはやめたいと思い,幾度も決意したものです。「もうやらないぞ。これからは絶対競馬をやらない。競馬新聞を見ることさえやめよう」。それから何が起きましたか。

      わたしが仕事へ行くと,隣りの同僚が「おい,きのう何々にかけて,幾らもうけたぞ」と語りかけます。「その馬は,自分がいつもかけていた馬だ」とわたしは考えます。そして,その次にはまた賭博に舞い戻っているのです。

      転換点

      そんな中にあって,わたしの生活を最終的に変えるようになった事が1944年に起きました。わたしは家族を連れて一時的にニューヨークを離れ,オハイオ州デイトン市から数㌔離れたパターソン・フィールドに働きに来ていました。娘がセブンティーン誌の定期購読を申し込んだところ,その時のベストセラーか聖書が景品になっていました。わたしは聖書を選びました。以前から一冊欲しいと思っていたからです。それから数日たって,一人の男の人が訪ねて来て,「真理はあなたがたを自由にする」という本を配布していきました。

      数週間後のある晩,一人でいる時にわたしはその本を取り上げて読み始めました。それは宗教や聖書についてそれまでに聞いた他のどんなことより意味のあるものでした。そしてそれが,それまで38年の生涯で聞いた他のどんな事よりすばらしいものを示していることを確信しました。

      その人が再び来た時わたしは大喜びし,エホバの証人の集会へ来るようにとのさそいを受け入れました。しかしその後に病気になって長い間病院で過ごし,その後ニューヨークへ帰りました。しかしオハイオ州のエホバの証人は,そこでも証人が訪問するように取り計らってくれました。

      ある集会への招待を受け入れた時,同行してくれた証人がたばこをすわないのに気付き,こう聞きました。「エホバの証人はたばこをすいますか」。否定の答えを聞いてこう考えたのを覚えています。「それでは,わたしはだめだ。たばこと賭博は,わたしがどうしてもやめられない習慣だから」。しかしそれは間違いでした。

      何が変化を可能にしたか

      生まれて初めて,人間がいかに偉大な創造者を持っているかを認識するようになりました。もちろん,以前から神を信じてはいました。神が存在していることは知っていたのです。そうでないとすれば,複雑な機能を持つ理知ある生命体はどのようにして存在するようになったのでしょうか。しかし,今度,自分にとって神は現実の存在となり始めました。神が人類を祝福する目的を持っておられることがわかるようになりました。

      以前,次の祈りを幾度もしたことがあります。それは孤児院で教えられたものです。『天にいます我らの父よ,ねがはくは,み名のあがめられん事を。御国の来たらんことを。みこころの天のごとく,地にも行なはれん事を』。(マタイ 6:9,10,文)しかし今,神の王国が実際の政府であり,神がその政府の活動を開始させ,世界を揺るがす結果をもたらす時が来ていることを認識するようになりました。

      わたしは,この体制が確かに置き替えられる必要のあるのを確信しました。全能の神がそれを本当にもたらすのを知り,胸が躍りました。聖書のダニエル書に記されている次の預言は,特に意味あるものでした。「天の神は,決して破滅に至らされることのないひとつの王国を建てられます。そして,その王国自体は,……これらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立つでしょう」。(ダニエル 2:44,新)病気や死からの解放さえ伴う地上の楽園に関する聖書の約束も,わたしの生活を変える強い力となりました。―詩 37:9-11。啓示 21:3,4。

      それが人類を祝福する神の目的であれば,神の要求に従うべく最善を尽くすことによって自分の認識を示そうと,決意しました。わたしが学んだ一つの要求は,人は「自分に属する人びと,ことに自分の家の者に必要な物を備え」るべきである,という点です。(テモテ第一 5:8)そこでわたしはそれを実行し始めました。もちろんそれには賭博を制限する必要がありました。家族の者たちまたわたしを知る他の人々はその変化にただ目を見張りました。

      全能の神を喜ばせたいとの願いが大きくなるにつれ,この変化は可能になりました。しかし,エホバの証人が発行する健全な書物を読み,彼らと定期的に交わるのも欠かせない事でした。その集会に行くといつでも親しみ深く接してもらえました。一度も会ったことのない人でさえ近づいて来てあいさつしてくれました。わたしにはその友情が本当のものであることがわかりました。それは偽善ではありませんでした。そうした人々にいつも接していると本当に良い感化を受けます。わたしはたばこをすうことさえやめました。

      全く解放される

      しかし賭博は,はるかに強い拘束力を持っていました。これは驚きでした。たばこよりも賭博をやめるほうが簡単だと思っていたからです。ところが賭博をしたいという衝動は圧倒的なものとなり,それを正当化させていました。「聖書の中に賭博を非とする聖句はないし,わたしは自分の家族をきちんと養っている」。こうしてわたしは時おりかけをしたものです。事実,1946年わたしが初めて出席したオハイオ州クリーブランド市でのエホバの証人の大会の時,ほとんどのプログラムを聞きましたが,ある日の午後そこを抜け出して競馬場へ行ってしまいました。

      こうしたことを幾年もしていました。その衝動にどうしても抵抗できなかったのです。「余分なお金が数㌦あるぞ。少しぐらい楽しんでいいだろう」と言い訳をしました。ところが時たつうちに,思ったよりひんぱんに賭博をするようになってしまいました。またそのころクリスチャン会衆内での自分の立場を危うくするほどの財政上の問題に陥っていました。わたしの生活は危機に見舞われました。

      しかしクリスチャン兄弟たちは愛のうちに援助の手を差し伸べ,忍耐強く助言と導きを与えてくれました。わたしは「ものみの塔」や「目ざめよ!」誌の記事を読み,賭博が本当に間違った行為であることをさらに認識するようになりました。1964年の「目ざめよ!」誌の「賭博はクリスチャンにとって正しい事ですか」と題する記事には特に心を動かされました。その記事は,賭博を非とする聖句が確かにあることを認識させてくれました。

      賭博者たちがどれほど縁起をかつぎ,勝つために“幸運のレディー”に祈るかはわかっていました。彼らは不正をし,勝つためにはほとんどどんな事でもしました。勝つことは偶像になり,幸運のレディーは女神になりました。ですからその記事の中で論じられていたイザヤ 65章11節の言葉には心を打たれました。それは真の神を離れて『机をガド(禍福の神)にそなへ まぜあわせたる酒をもりてメニ(運命の神)にささげる』人について述べています。

      これを読んだ時,賭博が偽りの崇拝といかに密接な関係を持っているかを認識するようになりました。事実,初めてかけをして勝つとそれをよく「初心者のつき」と呼ぶことがあったのを思い起こしました。しかしそれが,何らかの方法で物事をあやつり,人々が最初に勝つようにして賭博に誘い込む悪魔の悪巧みであることを確信するようになりました。悪魔はそれによって,幸運と金を神とする堕落した形の偽りの崇拝に人々をつり込むのです。

      こうした認識を持って,わたしはそれまでにないほど賭博への衝動と闘うようになりました。絶対に負けるわけにはゆきません。最後にかけをしたのはもう何年も前のことですが,それでも時おりあの衝動を感じることがあります。しかし,全能の神が賭博を是認されないのですから,二度と再びかけ事をしない覚悟です。

      賭博をするよう誘惑されることがあったら,その悲惨な結果を忘れないでください。それが人にどんな影響を与え,人をどのように堕落させ,偽りの崇拝にさえ陥れるかを忘れないでください。その最初のかけをしてはなりません。すでに賭博癖に取り付かれているなら,それを克服できることを確信してください。それには方法があります。エホバの証人は,わたしを助けてくれたのと同様,喜んであなたを助けるでしょう。―寄稿。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする