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  • チリの宗教はどこへ行く?
    目ざめよ! 1972 | 9月8日
    • を取り行なう者だけが聖書を持つことができ,あとのわたしたちが聖書を読むのは罪だと言われていたからです。霊的な事柄を論じたり,聖書の教えを生活に適用したりすることは,いっさい教えられませんでした。

      「そういう生活を7年つづけたのち,私は修道院を去りました。私はそこに不公平なことや偽りがあるのを見て,だまされたような気持ちになり,幻滅を感じました。それはおよそ霊的避難所ではありませんでした。しかし,教会や教会の代表者たちへの信仰を失ったとはいえ,神への信仰は失いませんでした。のちほどエホバの証人の助けを得て聖書そのものを読みはじめたとき,私はどんなに喜びを感じたことでしょう。それはいかにも合理的で,カトリックとはいかにも異なっており,いかにも真実でした。現在の私はもう偽善的な宗教組織の奴隷ではありません。その代わりに,愛に富みまた目的を持つ神エホバに奉仕することに,大きな満足を見いだしています」。

      こういう例がたくさんあることを考えてください。そうすれば,今日チリでどんなことが起きているか相像できるでしょう。二つの流れ,または傾向があります。キリスト教世界の宗教は苦悩し,衰退しています。一方,神のことばである聖書に示されている真の宗教はますます盛んになっています。しかしこれは,この邪悪な事物の体制が終わる前に生ずると,聖書が預言していたことなのです。―イザヤ 2:2,3。

  • 集いを楽しく,有益なものにする
    目ざめよ! 1972 | 9月8日
    • 集いを楽しく,有益なものにする

      客をもてなす人にとって,これはなんという挑戦でしょう。あなたもきっと経験なさったことでしょう。どう対処されましたか。たぶん,飲み物などは大した問題ではなかったことでしょう。しかし客をもてなす,そうです,みんなに楽しんでもらうことはいかがでしたか。集いを楽しく愉快なものにするために,何をなさいましたか。それは客にとって有益な集いでしたか。

      客をもてなす取り決めを設ける人は,客が自分のところにいる間その気分転換をはかってあげる責任を負うことになるのを忘れてはなりません。あなたに招待された客は,あなたや他の客たちと気持ち良く交わるために数時間気楽に過ごそうとしてやって来ます。集いのあり方については,あなたの指図を待っています。たいてい,なんらかのプログラムについての案を持っている主人が,招待した友だちを喜ばせ,有益な仕方でもてなすことに成功します。

      避けるべき落とし穴

      市販のゲームを買えば客をもてなすのに役だつと考える人がいますが,そうとも限らないようです。それに,落とし穴があります。気をつけて選ばないと,友だちの益になるどころか悪い影響を与えてしまうようなゲームをうっかり買って後悔することもあります。

      例えば,いろいろな偽装ゲームを宣伝したパンフレットに出ているあるゲームの説明を考慮してみてください。「このゲームの妙味は,一番を競って互いに外交的なかけひきを行なうところにあります。常套手段としては,不信行為・ぺてん・詐欺・うそ,その他人生を生きがいのあるものにするすべての方法が使用されます」。あなたの客はこのようなゲームをして益を受けるでしょうか。

      今日売り出されている別のゲームの道具と説明書を見ると,このゲームで遊ぶ人は「かけ帳を作ったり,強要行為に従事したり,高利貸しになったり,物品を強奪したりといった不法行為に,罰せられることを少しも心配せずに携われます」,と書いてあります。そのトランプをする人は,強奪,八百長,強要行為にふけったり,運送中のアルコール飲料を抜き取ったりすることを楽しめます。また,色情をさそるゲームもあります。

      もちろん,たかがゲームではないか,ただの遊びに過ぎない,という人がいます。しかし,この種のゲームをよく思わない人もいます。不健全な欲望をかき立てるので強く反対します。あなたはどうお考えになりますか。

      今日,たくさんの種類のゲームが手にはいります。その中には,客に楽しみや益を与えるのに役だつものが少なくありませんから,ゲームを選ぶことができます。しかし,友だちをもてなすのにゲームを買わなければならないと感じる必要はありません。少し頭を働かせれば,みんなにとっても楽しく喜んでもらえるゲームを作り出すことができます。ですが市販のゲームの場合と同様,自分で作るゲームにも落とし穴がないとは限りません。競争心を刺激するゲームはある人の興味をそそるかもしれませんが,他の人ほど機転が利かなかったり,覚えのよくない人にはいごこちを悪くさせます。負けたりまちがった答えばかりするゲームを楽しむ人はだれもいません。楽しく感じるどころか,当惑させられたり,いらいらさせられたりするぐらいのものでしょう。賢明な主人はこうしたことが起こらないようにします。招待した客全員に楽しんでもらいたいからです。

      しかも競争の関係するゲームになると,熱中しすぎて,単なるゲームだということを忘れてしまう人がいます。真剣になりすぎるのです。この一例として,ある夫婦の経験があります。よしみになったふたりは別の夫婦とブリッジを始めたところ,この新たに友だちになった夫婦があまりにも必死になってゲームをするのですっかり驚いてしまいました。妻の話によるとその時の模様は次のようでした。危く殴り合いになるところでした。一晩じゅう,しんらつなことばのやりとりをしていました」。そして2度目にトランプをしたときには,もっと深刻でした。この夫婦がこれらの集いを楽しまなかったことは言うまでもありません。

      ゲームのために友情関係に緊張が生じることがあるのは残念です。美容師だった故ヘレナ・ルビンスタイン女史のある親しい友人の話によると,彼女と作家のサマセット・モームが「あるときブリッジをしていましたが,彼が彼女を神経過敏,彼女が彼を卑劣だといったことから,互いに憎み合うようになりました」。ですから,人をもてなすために何を用いるかについては,平衝の取れた見方と識別力が必要になってきます。

      社交的な集いにおいて,人を建て起こす会話が有益であることは言うまでもありません。他の人の経験を聞くと,視野が広まりますし,その人に対する認識が高まり,思いやりの気持ちを抱けるようになります。しかし大勢の客が集っているときには,一晩じゅう会話だけで過ごすことは無理です。たいていグループに分かれてしまって,あれこれといろいろなことを話し合う人もいれば,座ったまま,何かが始まるのを,あるいは帰る時間が来るのを礼儀正しく待つ人もでてきます。しかしみんなが飽きずに参加できるような何かを計画しておくなら,多くの集いであまりにしばしば見られるこの落とし穴を避けることもできます。

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