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ボディー・ビルは私の人生の第一の関心事だった目ざめよ! 1973 | 8月8日
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ボディー・ビルは私の人生の第一の関心事だった
街頭でのなぐり合いや,家の中でのけんかさわぎは,私の生活では日常茶飯事で珍しいことではなかったが,私はそれに勝ったためしがなかった。そのために自分がのけ者にされているように感じていた。それで私は,これを何とかしてやろうと考えた。この決意をした私は結局,「ミスター・ユニバース」,世界一の体格を持つ男性,のタイトルをめざす道を歩むことになった。
食事を厳重に規定し,ウェート・トレーニングをすることが私の生活の中心となった。私にとってその生活は一刻,一刻が楽しくてたまらなかった。男の中の男となるという一つの目的以外のものはみな二の次であった。私のからだはしだいに筋骨たくましくなっていった。そのうちに,金属製のナンバー・プレートをずたずたに引き裂けるようになり,重いウェートで,ヘラクレスよろしく,いろいろな力わざができるようになった。こうしたことはみな,男としての自負心を持つゆえんとなった。
競技や試合に参加する時の私には,最後には世界一強い男になるぞという一念しかなかった。ミスター・アルゴマ ― 最も強い男(1962年),ジュニヤー・ミスター・カナダ(1965年)などのタイトルやトロフィーがふえはじめた。
オートバイ・マニア
ボディー・ビルに励むのと並行して,私はオートバイ・レースにも夢中になっていた。アメリカ,カナダの各地でレースに参加した結果得た名声と評判にのぼせ上がっていた。
オートバイ・レースは,オートバイを乗り回す若者たちの群れに投ずる近道でしかなかった。やがて私の仲間たちは,ほろ酔い気分でわめきちらすやくざ者の群れと化した。私はドイツ風のヘルメットをかぶり,かぎ十字,くさり,むちなどで身を飾りたてていた。私たちは一団となって,善良な人びとを悩まし,カナダの国境からフロリダ州に至るまで荒し回った。こういう乱暴で放らつな生活をしていた時期に,私は参加者をして最も卑劣な行ないにふけらせた麻薬パーティーも目撃した。そして,この連中と走り回っているうちに,ついに刑務所にほうり込まれるはめになった。
刑務所から釈放されたあと,無一文に近い状態だった私は,オートバイを自分の家の方角に向けた。それは長い旅で,多くの考える時間を与えてくれた。その旅の間に,何度も私の胸をよぎったのは,もしこのようなつきあいをつづけていれば,ミスター・ユニバースのタイトル・マッチに出るどころか,死んでしまうかもしれない,という考えであった。
目ざめ
私は自分の気持ちに大きな変化を感じた。自分の今までの生活は,それこそむなしいものではなかったか。それは私をどこへ導いただろうか。私はまた,子どもの時に持っていた,自分はのけ者だというあの感情に圧倒されそうになった。しかし,このたびは自分の内部で何かが目ざめ始めていた。私の胸にはいろいろな疑問が浮かび上がった。その時は,ラジオのある宗教番組を聞いていたからだと思った。聖書はほんとうに神のことばなのだろうか。世界には種々様々な教派があるが,その中に神の是認する宗教があるのだろうか,というようなことを考えはじめた。
その時には,こうした問題について真剣に考えた。しかし,答えがわからないまま,しだいに頭から薄れていった。というのは,からだのトレーニングが再び私の生活を支配するようになったからである。1970年のミスター・カナダ・ショウが近づいていた。私の体力はまさに頂点にあった。この念願の賞を獲得することは,世界一の体格を有する男性になるという,私の生涯の最高の希望を達成するための重要な踏み石となるはずだった。
しかし,私の心は落ち着かなかった。トレーニングに,内的な真の満足を感じなくなったのである。例の疑問は,あまり考えなくなったとはいえ,やはり気になっていた。いったいどこへ行けば満足な答えが見つかるのだろう。教会へは,幻滅を感じてもう前から行くのをやめていた。ひょっとすると,ラジオの宗教番組が答えを提供してくれるかもしれない。しかしだめだった。彼らの答えも,私の霊的飢えをいやしてはくれなかった。
真理の曙光
私は以前,洗濯屋で古い知人に会ったことがあった。彼は簡単だったが宗教のことについて語り,自分はエホバの証人だと言った。その時には,私たちの会話は興味深いものではあったが,私はたいして注意を払わなかった。しかし私は再び,エホバの証人であるその友人と会うことになった。こんどは,私の口から質問が次から次に飛び出した。いつのまにか話は,通りのすぐ向かいにある私の教会のことになった。友人は,屋根の上の十字架や,芝生の中に立っているイエスの像など,種々の象徴物の起源について説明してくれた。私は興味をおぼえて,カトリック教徒が一般に信じている他の事柄についても質問した。彼の説明によると,神のことばである聖書は,悪人が地獄で責め苦にあうとか,小罪で死ぬ者たちは煉獄で苦しむというような教えを支持してはいない,ということであった。他の基本的な教理も同様に明確になった。
しかしこれはほんとうに真理だろうか。調べてみなければならない,と私は思った。いろいろな教派の本を調べてみたが満足は得られなかった。しかし,それは一つのことを成し遂げた。つまり私は,そうすることによって,エホバの証人の友人が聖書から説明してくれたことだけが,真理のひびきを持っていたということに気づいたのである。
それから間もなく,私たちふたりは定期的に聖書を勉強するようになった。驚いたことに,落ちつかない気持ちや不安定な思いはしだいになくなり,これまで一度も経験したことのない内的な平安がそれに取って代わるようになった。私を指導してくれるその友人は,私に何も強制しなかった。ただ柔和な態度で静かに,聖書の教理を論ずるだけであった。私は今,人間にではなく,私を教えてくれているこの親切な人のすばらしい神に,心を引きつけられるのを感じた。
重要な決定
私の前には二つの道が開かれていた。どちらを取るべきか。自分が今追い求めている道は,ついには人間の体力と体形の絶頂に達し,それとともに人からの誉れも得られるだろう。しかし,その成功の絶頂に達したあとはどうなるのか。それ以後,真に幸福な将来があることを示すものは何もないではないか。一方,聖書によると,『命に通ずる細い狭い道』は,神の是認と祝福を得るに至り,この道を追い求めるなら,現在は人びとにはよく思われないかもしれないが,将来は心身ともに完全な状態で永遠に生きることができる命が得られる。エホバに対する祈りは,私の生涯で最も重要な決定をするのに大きな助けになった。
いくつかの聖句を黙想したこともよかった。そのひとつは,コリント前書 1章31節の,「誇る者はエホバにあって誇れ」という聖句だった。ミスター・ユニバースのタイトルをめざしている私はそうしていただろうか。いや,私はそれとは正反対のことをしていたのである。さらに,私の行ないは,テモテ前書 4章7節の「自ら敬虔を修行せよ」という,霊感による使徒パウロのことばにものっとってはいなかった。トレーニングの方向を変えなければならないことは明らかであった。
私はすぐにマネージャーとトレーナーのところへ行って,ミスター・ユニバースはもはや自分の生涯の目標ではなく,自分自身に誉れをもたらすようなショウにもこれからはいっさい出場しない,ということを話した。彼らは怒りを爆発させて私を口ぎたなくののしったばかりでなく,エホバの名前をさえ冒とくした。しかし私は決意を変えなかった。ちょうどそのころ,ある地方新聞に,英国のある有名なサッカー選手が,エホバの証人としてキリスト・イエスの足跡に従うために,100万㌦の契約を拒否したという話がのって,私はそれに非常に励まされた。
次に私は,カトリック教会に脱退届けを出す決心をした。トレーナーやマネージャーに話した時の経験は,この決意をいっそう固くするのに役だった。私は司祭と直接会って,教会から籍を抜きたい理由を話した。エホバの証人になる希望を説明しているうちに,司祭の顔には当惑の色が浮かんだ。司祭は憤りを含んだ声で,だしぬけに,あなたはエホバの証人に洗脳されただけだ,と言った。それで私は,私が習ったことは真理であって,神のことばである聖書によって完全に裏付けられている,と説明した。この説明は,怒りに満ちた意外な答えを引き出した。「聖書に書いてあることを全部信じるわけにはいかない!」。これには私はほんとうに驚いた。その司祭が,会衆の前に立っていた時には,聖書に幾度も口づけし,最高の敬意をもって聖書を扱っていたのを思い出したからだ。しかし,扉の背後にいる今は,宇宙の偉大な神は信頼できない,またそのことばの全部を信ずることはできない,という考えを人に植えつけようとしていた。それが司祭の本音だったのである。
私は父親が61歳で死んだ時,この司祭が私の家族に言ったことを思い出した。「お父さんは自分の犯した罪のために,61年間煉獄にいなければならない」。ただし,それは条件しだいであった。というのは,荘厳ミサのとき,父親のために多くのお金を出せばそれだけ,煉獄で責め苦を受ける期間が短くなることになっていたからだ。聖書には,『死ねる者は何事をも知らず』と述べられているが,司祭はそのような聖書のことばを教えてはくれなかった。(伝道 9:5)この人は,人類に対する最大の詐欺のひとつに加担していたのである。真の神の名前に対してなんと大きな恥辱をもたらすものだろう。しかし司祭は,教会の会員名簿から私の名前を除くこと,つまり洗礼証明書を渡すことを拒んだ。
これ以上話してもむだなので,私は教会を出て市役所に行き,そこで登録してある自分の所属宗教をローマ・カトリックからエホバの証人に変えた。そのあとすぐに,かかりつけの医師に電話をかけ,聖書が「血を避けるように」と言っていることを知ったので,もし将来私自身,または私の家族に手術の必要が生じた場合,絶対に血を使わないでもらいたいということを伝えた。(使行 15:20,新)次に私は,自分の属していた政党から籍を抜いた。イエスが政治に関与されなかったことを知っており,私もイエスの弟子になりたかったからだ。(マタイ 4:8-10。ヨハネ 6:15; 17:16)しかし,もう一つの試みが控えていた。
別の司祭と会って話し合うようにという招待が来たのである。彼らはまだ私をカトリック教会と和解させることを望んでいた。私はこの時エホバの導きに頼った。そしてエホバはほんとうに私を助けてくださった。討論している間に,法王や僧職者たちが,ヒトラーと関係を持っていたことに話がおよんだ。「聖書のヤコブ書 4章4節にある,『姦淫をおこなう者よ,世の友となるは,神に敵するなるを知らぬか』ということばをご存じか」という私の問いに対し,司祭は,「それはわれわれとは何の関係もない」と言った。
しかし私は,法王が国連を訪問し,「私はあなたがたの友人として来た」と言ったのを司祭に思い出させた。「それは霊的姦淫にならないか」と私は質問した。司祭は明らかにいらいらしてきた。それから私は,カトリック教会が黙示録に示されている大いなるバビロンの主要な部分であることを説明した。「黙示録 17章1節から4節には,彼女が女王のようにひ色の衣を着,地の王たちと姦淫を行なうと述べられている」と私は言った。それを聞いた司祭は激怒し,荒々しくへやから出て行った。その態度は,エホバのことばと道に対する私の信仰をいよいよ堅いものにした。私は,エホバが大担に真理を語る勇気を与えてくださったことに感謝した。
それ以来,私は主権者であられる主エホバのみを「わが力」と認め,ミスター・ユニバースの名声を求めることをやめた。聖書は私の人生観を変えてしまった。聖書の真理は私がかつて持っていた空虚な欲望への束縛から私を自由にした。私は今,テモテ前書 4章8節にあるとおり,『からだの修行もいささかは益あれど,敬虔は今の生命とのちの生命との約束を保ちてすべてのことに益あり』ということを知っている。
私は今,喜びとしあわせの毎日を送っている。私の心からの願いは,自分の体力と能力を,宇宙の全能者エホバを喜ばすために用いることである。―寄稿。
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ソ連におけるロシア正教会の役割目ざめよ! 1973 | 8月8日
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ソ連におけるロシア正教会の役割
ロシアの文芸批評家ビサリオン・ベリンスキは1847年,ロシア正教会を称賛したある作家に宛てて書簡を送り,その中で次のように述べました。「貴君はなにゆえにキリストを引き込もうとしておられるのか。キリストといずれかの教会,ことにロシア正教会との間になんらかの共通点を見い出されたのか。キリストは自由・平等・友愛の教えを人類に知らせた最初のかたであり,ご自分の殉教の死によってその教えの真実さを決定的なものにされた」。真のキリスト教とロシア正教会の間にはそれほど大きな相違がほんとうにあるのでしょうか。
「屋根のない家」(1961年)と題する本の中で,著者モーリス・ヒンダスは次のように述べています。「帝政時代には人口の80%以上が小作農であったが,教会は異教時代から伝わっている迷信をムーズィック[ロシアの小作農]から払い落とす努力を全く払わなかった。村中を横行して,無知でだまされやすいムーズィックを食い物にしていた魔女や魔術師,魔法使いやまじない師に対して,僧職者は無関心だった。村のバツシカ[司祭]も多くの場合無知で,ウォッカにふけり,魅惑的な女の教会員を誘惑するのをやめようとしなかった。…圧倒的に数が多いという理由からだけでも,正教会の主柱を成していたムーズィックは,生まれた時からの自分の宗教に対して比較的無知のままであった。聖書を読むことはほとんどなかったし,たいてい無教育で読み書きができなかった。彼らは教区司祭からよりも,貧しい放浪者や巡礼者の語る物語やバラッドから善悪について学ぶほうが多かった」。
なぜそのようなことが起きたのでしょうか。ロシア正教会は神のことば聖書に基づくキリスト教や高い道徳規準をなぜもっと効果的に強調しなかったのでしょうか。ヒンダスはこう続けています。「ロシア正教会が最も責めを負うべき点は,同教会の帝政国家への完全な従属と追従,つまりミルユコーフのことばによれば,『キリスト教の成長の芽を麻ひさせた』ことにあった」。
『しかし,事態は確かに変化した。今ではそのようなことはない』と考える人もいるかもしれません。多年にわたって独自に行なった綿密な観察結果に基づいて,ヒンダスは今日のソ連におけるロシア正教会について次のことを指摘しています。
「憲法は教会を政治の分野から締め出しており,その働きをもっぱら宗教儀式に限っている。しかし,クレムリンから要求があれば,彼らはすぐにそれに応じ,政府の外交政策を,しかもそれがどんなものであっても進んで祝福する。クレムリンはもはや,ソ連を神聖であるとは言わないが,高度に国家主義的な正教会にとっては,神聖なソ連は常に正しく,クレムリンが敵と決めたものは,それが真実の敵であれ,単なる想像上の敵であれ常に悪いのである」。
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