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  • 忠実の目標から外づれる
    ものみの塔 1954 | 7月1日
    • 上に不幸をもたらし,その最後は全くの絶滅ということになるでしよう。―ルカ 8:31。

      エデンにあつた忠実の目標

      11 エデンで神が置いた忠実の目標は何でしたか?

      11 しかし,最初の完全な人間については,どうでしようか? 聖なる友であると共に恩恵者であるヱホバ神の前にあつて,その道を賢明に導くよう人間の前におかれた忠実の合法的な目標は何でしたか? それは,明白に言われた特定な律法であつて,その律法を破るならば,それは友情の関係を破つたもの,叛逆,そして罪の行いと,神は,考えられるでしよう。その律法は,完全なアダムと彼の美しい妻に明白に置かれました。『そしてヱホバ神はまたこの命令を人間においた「庭園にあるどの木からも,あなたは十分満足に食べてもよい。しかし,善と悪を知る木については,あなたはその木から食べてはならない。なぜならば,あなたがその木から食べる日に,あなたは必らず死ぬであろうから。」』この目標については,不明瞭のところは全くありませんでした。その目標はやさしく理解できました。その目標はやさしく守れました。この目標から外ずれた結果もまた明白に述べられていました。すなわち,そのような叛逆の行いにたいして,人間は必らず死ぬであろう。―創世 2:16,17。

      12,13 アダムとエバの前に神は目標を置かれましたが,なぜそのことは当然に正しいことでしたか?

      12 人間の福利のために,ヱホバ神は忠実のこの目標をつくられましたが,そのことについてはヱホバ神は絶対の権利を持つて居られました。人間が自分自身のことを知つていたよりも,ヱホバは人間をより良く知つていました,なぜならばヱホバは人間を創造された方だからです。この変らずにある目標によつて人間が,その創造者 ― 至高者に依存する低い者であるというのを忘れないことは,人間の福利のためであるとヱホバは知つておられました。神と人間の間にそのような導きの道標を準備することによつて,実際にヱホバは,愛の神として真の愛を表わし示しました。この合法的な制限を受けたからとて,アダムと彼の妻になにも辛く苦しくなることはありませんでした。というのは,楽園の庭園にいて幸福な生活をするのに,彼らから必要なものが取り去られるということではないからです。他の木から果実を食べる合法的な権利を彼らは持つていました。しかし,この特別な木についてだけ,彼らから食べる権利は失われていました。

      13 若しアダムが,受けるにふさわしいことを証明したならば,非常に価値ある賜物が彼のために準備されていました。ヱホバ神は,エデンと呼ばれる地の区域の東の方にあつた大きな地域にアダムとエバをおきました。この大きな地域は,非常に高い程度にまで開墾されていました,というのは神によつて設計されて置かれ,美しい楽園で庭園であると共に荘園になつていたからです。それに加えて,この地域には,あらゆる種類の害を加えぬ動物で一杯でした。同様に,果実を結ぶ木や,あらゆる種類の植物で,この地域は良く植えられていました。実際には,この地域はたんに始まりのものであつて,遂には計り知れない鉱物の資源を持つ全地球にまで拡大されるべきでありました。神の与えられたこのすばらしい美と,平和と,調和,そして大きな自然の富の中にあつて,アダムとエバは幸福な家庭を持ちました。あらゆる完全な贈り物をされる大いなる神は,その証せられた友としてアダムにそのようなものを永遠に持つという価値ある権利を,渡す前に,アダムを試験をしましたが,神は確かにそうする権利を持つておられました。誰が今日,財産の非常に価値ある賜りものを自由に敵に渡すようなことをしますか? 正常な心を持つている人は,そうしないでしよう。神の場合も同じです。人間は最初に,神であると共に王である方に対して忠義を守る友,そして信頼するに足る友であることを自ら証明しなければなりません。この原則と一致して,ヱホバ神は後に,地上にいるイエスを試験されましたが,それはイエスが新しい世の王となるのに果して適しており,そして価値があるかということを試験されたのでした。―創世 2:8。ヘブル 2:18。

      14 さらにどんな理由によつて,ヱホバはアダムと彼の妻を試しましたか?

      14 最初にアダムとエバは,このすばらしい地域に置かれましたが,その寿命はどれ程の期間か定められていませんでした。地上に栄えていた他の動物は,彼らに与えられていた制限された寿命を持つていたことは明らかです。(ペテロ後 2:12)どの特別な動物の種類も,その寿命だけ生きて,地の増しつづける富に貢献をし,それから死んで行きますが,それはその子孫が,その族または種に割りあてられた終生の仕事をして行くためです。(偶然なことですが,動物が死んで行くのをアダムが見たことは,忠実の目標を守わないことに対する刑罰として,ヱホバがアダムに発表して用いられた言葉『死』に強い力がつけ加えられました。)しかし,アダムについては,ヱホバ神は彼の寿命をはつきりと定めませんでした。むしろ,アダムの寿命の期間は,開放の状態であり,忠実の合法の目標を守ることに依存しました。しかしなから,人間の構造は,もともと人間が永久に生きることができるようつくられたものです。それで,贈りもののうちで最も大きな贈りもの,すなわち終ることのない寿命である永遠の生命を楽しむのに,アダムとその子孫たちが価値あるものであるかどうかを試験する更に別の権利を,神は持つておられました。このより大きな贈りものは,庭園にあつて,『生命の木』として知られている別の合法的な道標と結びつけられていました。

      善と悪

      15,16 (イ)この忠実の目標は,あきらかにどんな種類のものでしたか?(ロ)他の法定の象徴について,どんな例がありますか?

      15 忠実の目標が,『善と悪を知るの木』に結びつけられていたということには,何が意味され,示されているようですか? この禁じられた木を実際に触れても,また食べても,身体の上に益もまた害も生じなかつたことは明らかです。むしろ,この木と関係を持つことは,良心に影響するようでした。後になつてアダムにエバがこの木の果実を食べた時に,その肉体の上に表われた反動を聖書は記録していませんが,しかし彼らの良心は,すぐに罪を犯したと感じたということを聖書ははつきりと示しています。『それで,二人の目は開け,彼らは,裸であることを自覚し始めた。』(創世 3:7,新世)彼らの目が開いたといつても,それは彼らの身体の目を指していることはありません,なぜならばその違法の行いをした時に,彼らの目は十分に開いていたにちがいありません。それで,反応をしたのは「彼らの心の目」または良心です。そして,また神の智慧で満たされた大きい頭脳の能力をうけたことではありません。(エペソ 1:18)別の興味ある事実はこうです。正しいものと間違えているもの,あるいは善と悪との間を『知る』,または裁くことは常に支配者であるということです。アダムを庭園から追放した時に述べられた神の言葉の中に,このことは言われています。その言葉から,アダムは何が『善』また何が『悪い』かということを『知る』ために,自分自ら裁き人になろうと決定したことが推測されます。そうすることによつて,彼は天の至上の権威を拒絶しました。『それからヱホバ神は言われた「ここに人間は私たちの一人のようになり,善と悪を知るようになつた。」』これらの言葉によつて,次のように結論づけられます。すなわち,神であるとともに王である方と,人間の間にある互いの政府的な関係にあつて,その木は合法的なしるしまたは象徴,道標として役立つたということです。―創世 3:22,新世。

      16 この木の道標としての性質については,似ている意義を持つものがあります。それは,ラバンとヤコブの間の合法的な徴としてギレアデにつくられた証しの塚は,両人の互いの合法的な行いを牽制しました。(創世 31:48-53)別の例えは,現代のものです。非常に重要な法定の書類が封筒に入れられ,糊で封せられて,その上に公式の印がおされている場合に,開封する資格のない人は,その封筒を開けるべきではありません。もしそのような人が開けるならば,書類の機密性を破ることになります。罪となるのは,封印を実際に破ることではありません。禁ぜられている封印を見過してしまうという不法のくわだてこそ罪となるものです。その禁ぜられている封印とは,封筒の内部にあるものにたいして単に法定の象徴または防禦するものです。

      17,18 (イ)『善』と『悪』の定義は,何ですか?(ロ)何が善であると,誰が決定しますか? これは何を確証づけますか。

      17 次の質問は,『善』とは何ですか? そして『悪』とは何ですか?ということです。善とは,正しくて完全で,そしてヱホバの規則と正しい振舞いの原則と調和一致するものです。悪とは丁度その正反対です。悪とは,間違いであり,正しい振舞いの規則と原則と調和しないものです。創造者である神は,数日の創造の日の結果を『善し』と言われ,判断されました。(創世 1:10,12,18,21,25)成熟していないもの,または子供は,正しい振舞いについて規則をつくり,そうして何が善であり,何が悪いかを定めることができますか? もちろんできません。それですから,地上の父親たちは,子供たちをこらしめて,至上の権威によつて明白に定められている善の標準に従わせようとしているのです。(ヘブル 12:7-11)善であることの規則を決定するのは,下の位のものではありません。そう決定する方は,法律を作る上位のものです。ヱホバ神こそ最終の裁き主でありまた支配者です。そして,実際に何が善く,何が悪いかを決定される方です。

      18 ある人はイエスのところに来て,何が善であるかについて彼に尋ねました。イエスは,正しい答えを彼に与えて,こう示しました。すなわち,ヱホバ神だけが善を決定される唯一人の方であり,また神はつねに正しいことを命令されるのであるからつくられたものは,神の命令することに従わねばならないということです。『さて,みなさい! ある一人の人が彼のところに来てこう言つた「先生,永遠の生命をえるために,どんな善を私はしなければなりませんか?」 イエスは彼に言われた「何が善であるかについて,なぜ私に尋ねるのか? 善である方は一人おられる。生命に入りたいと欲するならば,いましめをつねに守りなさい。」』― マタイ 19:16,17,新世。

      19,20 (イ)この地に,罪はどのように導き入れられましたか?(ロ)原罪は,性の密通となぜ関係がありませんでしたか?

      19 悪魔サタンは卑劣にも,何が善であるかを決定するヱホバ神の権利に対して,論争を引きおこしました。それはいまから約6000年前,エデンの中のことでした。サタンはエバに悪い考え方をうつし,下位のもので低いものである彼女の中に悪い欲望をかき立てて至上の支配者ヱホバを無視させ,ヱホバの代りに,何が善いか悪いかについて彼女自らで判断させようとしました。『それを食べたその日に,あなたの目は必らず開き,また必らず神のようになつて,善と悪とを知るようになると神は知つているからである。』エバの中にあつたこの悪い欲望は,充ちみちて彼女はその禁ぜられた木を食べるという行いをするようになりました。『それで,女は,木の果実が食物として善く,目に美しく,見るからに良いものであるのを見た。女はその果実を取り始め,食べ始めた。後に,夫が共にいた時女はいくらかの果実を夫に与えた。そして夫はその果実を食べ始めた。』ここにおいて,アダムとエバは,完全な従順と忠実という神の目標から外づれ,永遠の恥辱を自らの身にもたらしました。全くその時から彼らは不幸,不法,不潔そして結局には死という道に入り従いました。彼らは至上主権者御自身の規則と言葉を無視し,そして重い叛逆という行いをいたしました。―創世 3:5,6,ヤコブ 1:14,15新世。

      20 キリスト教国の中の或る宗派はこんな風に主張しています。すなわち,アダムの原罪は,密通をしたことと関係していたというのですが,その主張は間違いであるということに注意しなければなりません。性交は問題とする点ではありませんでした。それは,人間にたいする定められた目標となるのではありませんでした。それより前の命令によつて,夫と妻が性関係を持つことは,合法的となつて許されていました。(創世 1:28を見なさい)アダムの原罪は,定められた目標から外づれることをした悪い行いでした。アダムは,神であると共に王であるヱホバを拒否して叛逆し,何が善であり,何が悪であるかについて規則の別な形式をうけ入れましたが,それが彼の原罪でありました。

      結果は聖くない

      21,22 アダムの罪の結果は何でしたか? 家族の無資格とは何ですか?

      21 この一つの叛逆の行いは,意識的にした罪のものであり,その結果はアダムだけではなく,アダムより生じた彼の家族にも全地に亙つて,災いをもたらすこととなりました。『一人の人によつて罪は世に入り,その罪によつて死が世に入つた。それで,死はすべての人に及んだというのはすべての人はみな罪を犯しているからである。』(ロマ 5:12,新世)アダムは,いまや法律を破つたものであり,以前には神であると共に王であつた方の敵となりました。それで,直ちにヱホバによつて法庭に呼び出され,女とまたサタンの支配した蛇とともに有罪であると判定され,宣告されました。アダムと彼の妻は,それ以後は叛逆者として神の聖い制度から追い出されました。人間は,エデンの完全な庭園から追放され,最後には死ぬという限定された寿命を与えられました。そして,顔に汗をながして生活を立てるために,未だ開墾されていない地の部分に住まねばなりませんでした。(創世 3:16-19)ヱホバ神は,もはや彼らの愛ある友でもなければ,賢い助言者でもありませんでした。そして,アダムとエバは神の制度より追い出されてしまいましたので,彼らはその未熟でまた未経験な判断にしたがつて,自給自活の道を構じなければなりませんでした。激しい仕事の辛い苦しさ,人間のつくつた制度がもたらした失望と悲しみ,そして彼らの息子が,気の狂つた人殺しの兄弟によつて殺されて,最初の人間が死ぬのを見るという非常な悲劇これらすべての苦しみは,かつては完全な人間であつたという構造の機能をだめにしてしまう傾向へと導きました。病気がひろまり,そして遂には死がその後に続きました。完全な人間イエスが木の上にかかつた時,彼の神経系統の上に生じたおそろしい苦しみは,どのように彼の死を早めたかを忘れないでください。

      22 子供たちは両親の資産と負債を相続します。アダムは,聖くない者,叛逆の追放者,エデンの美し庭園の地を持つ権利を有しない者,限定されない生命の寿命を持つ権利を有しない者として,死にましたので,これらの無資格または不利益は子孫の上にも来ました。それで,叛逆の族長として,アダムはすべての人間の人種の上に,家族の無資格をもたらしました。

      23,24 (イ)最初の1600年間,どんな種類の記録を罪はつくりましたか?(ロ)これらの結果に対して,ヱホバはどのように見られましたか?

      23 追放されてから後に,何が善であり,何が悪であるかについて,アダムはその聖くない不完全な判断に依存しなければなりませんでしたから,彼の930年という寿命の残つている年の間,彼はますます真の忠実という神の最初の目標から外づれていつたことでしよう。腐敗して下落して行くこの傾向は,次から次へと時代がたつにつれて彼の子供たちはより大きな堕落をするということへ導きました。ついに約1600年の後に,人間はそんなにも堕落して聖くなくなり,完全な忠実という目標から非常に外づれましたので,ヱホバは地に人間をつくつたことを残念に思い心苦しく感じました。ただノアだけが,全く義しいものであると証明されました。ノアもまた罪人として生まれましたので,完全という神の始めの目標から外づれてはいましたが,しかし彼の時代の他の人たち程に堕落していませんでした。詩 51:5。

      24 『ついに神は,人間の悪が地に大きくなり,人間の心にある考えはいつも悪だけに傾いているということを見られた。それでヱホバは地に人間をつくられたことを残念に思い,心苦しく感じました。それでヱホバは言われた「私が創造した人間や,家畜や,匍う動物や,天の飛ぶものを,地の表面からふき去ろう。なぜならば,私はそれらのものをつくつたことを残念に思うからである。」しかし,ノアは,ヱホバの目の中にあつて恵みを受けました。ノアは義しい人でした。その当時の人々の中にあつて,ノアは欠点のない人であるということを証明しました。ノアは神と共に歩きました。』(創世 6:5-9,新世)ある人はこんな風に尋ねるでしよう。ノアの時代の大洪水で,8人の良い人を除いて,神はすべての人を滅ぼしたのであるならば,その後になつて,人間が完全の状態にまで引き上げられ向上される見込みはどのようでしたか? この質問の答えについては,次に続く記事を見てください。

  • 人間が完全な忠実に達する道
    ものみの塔 1954 | 7月1日
    • 人間が完全な忠実に達する道

      1 回復された地上の楽園を得るということは,誰に関係することですか?

      前の記事の中で,人間は神に対する忠実を破り,そして目標から外づれましたので,どのように楽園を失つたかが分りました。いまから,罪人アダムの贖われた子孫たちは,回復された楽園をどのように得るかを研究しましよう。彼らが地上の回復された楽園を得るといつても,それは最初のアダムの家族のすべての者が,無条件で戻ることを意味しません。そうではなく,これは,別のアダムの下にある新しい家族制度に来る人々だけに関係するということが判ります。別のアダムとは,生命を与える父であつて,賢い牧羊者のように新しい群に注意を払います。イザヤ 9:6。ヨハネ 10:11-16。

      2,3 アダムをエデンから追放して後に,神はなぜ彼に律法を与えませんでしたか? 生活のすべての関係支配する律法の完全な法典は,何時そして誰に与えられましたか?

      2 まず次の質問をしましよう,アダムがエデンの楽園から追放された後に,ヱホバは彼に完全な従順という目標を再び語りましたか? エデンの庭園での法庭の裁きの後に,叛逆したアダムにむかつて神が再び語つたという証拠はありません。アダムが完全であつた時に,神は彼に律法を与えました。しかしアダムは利己的な心をもつてその神の律法を破りましたから,いまや不完全で叛逆したアダムに,神は律法を繰り返して話したりまたは新しい律法を与えて,アダムが最高の法律を与える神にたいして完全な忠実という目標に達するかもしれないなどと希望することはないでしよう。後になつて,ヱホバはアダムの子孫たち,たとえばアベル,エノク,ノアそしてアブラハムに話しをされました。これらの人たちは不完全ではありましたが,聖い人たちでありましたので,神は御自分の目的をいくらか示されました,そして神はアブラハムに責務を与え,彼に命令法令,また律法を与えたという記録があります。(創世 26:5。ペテロ後 1:1,21; 3:2)しかし,生命のすべての関係を支配する律法の,完全でそして詳細をつくした法典が,それらのうちの誰かに与えられたという記録はありません。実際に,モーセの時代まで神はそのようなすべてのものを含む律法の法典を与えなかつたと,パウロは示しています。しかしながら,罪とその友である刑罰の死は,王として支配し続けました。だが,アベル,エノク,ノアそしてアブラハムを含んで人間は,どれ程までに人間の完全さについての神の目標から外づれていたかを決めることはできませんでした。どの程度まで,人間は『神の栄光』に達していないかを知ることはできまんでした。なぜ?『なぜならば,(モーセを通しの)律法にいたるまで,罪は世にあつたが,律法のない時,誰も罪を負わせられることはない。しかしながら,死は王としてアダムよりモーセに至るまで支配し,アダムのした過ちの状に似ずに,罪をしなかつた者たちをも支配したのである。アダムは,将来に来るべき者に似ているものである。』ここにおいて,アダムのような者,すなわち第二のアダムの来ることをパウロは暗示しています。―ロマ 5:13,14,新世コリント前 15:45

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