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  • 目ざめている為の危急なる時
    ものみの塔 1959 | 2月1日
    • 目をさましてうむことがなく,すべての聖徒のために祈りつづけなさい。また,私が口を開くときに語るべき言葉を賜わり,大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように,私のためにも祈つてほしい。私はこの福音のための使節であり,そして鎖につながれているのであるが,つながれていても,語るべき時には大胆に語れるように祈つてほしい。』― エペソ 6:11-20,新口。

      22 すべてのものの終りには,何を為すべきであるとペテロは言いましたか。

      22 使徒ペテロは,次のように語つていますが,それは特に私たちの時代の為のものであり,霊感を受けて書いたにちがいありません『すべてのものの全き終りは近づいた。それで健全な心を持ち,祈りをなしつつ油断するな。』(ペテロ前 4:7,新世)私たちは祈りをする時には,目をさましており,何を祈るべきかを明白に認識し,そして祈りをすることにより目ざめた状態を保つべきです。

      上衣を失う

      23 (イ)自ら十分に知つていて,最新の知識を持つことにより,なぜ私たちは眠りたいと欲しませんか。(ロ)長なる検閲者の来ることが盗人のようであることから,私たちはどんな危険を避けようとするべきですか。

      23 ヱホバ神の目的について生じている事柄を十分に知り,そのことについて最新の知識を持つとき,時は余りにも興奮的なものであるため,私たちは何かを見のがすとか失うということを欲しません。長なる検閲者が盗人のごとく来て,ハルマゲドンの来るべき戦いで神の裁きを執行するということから,私たちは目ざめた状態を保つために,あらゆる努力と取極めを為すべきです。危険は次の事柄に存在しています。すなわち物質的に安楽にして気楽にしようとの取極めを設け,そして検査をする者の来る時がはつきりしていないということから,彼が来るのはまだまだ遠い先のことであり,そして,この期間中,私たちは楽にしていて,彼が間近い中に来るという著しい証拠を得る時行動しようと考える事です。

      24 なぜ長なる検閲者は,ハルマゲドンの明確な時を前もつて私たちに知らせないのですか。彼に対する見張りをするために,私たちにとつて大きな援助とは何ですか。

      24 検閲者はハルマゲドンの日と時間を,前もつて私たちに知らせません。それは,私たちが或る種の目ざまし時計を仕かけておいて,彼の来るほんの少し前に目をさまし,あたかもずつと注意を払つていて目をさまし,そして自分に割り当てられた奉仕の他位に忙しくしていたという振をさせないためです。実際のところ神の警報はいま鳴つているのであつて,ハルマゲドンの直前に鳴るのではありません。それですから,私たちはいま目をさまして私たちの宣教を十分に成し行い,大いなる検閲者の来る前にできるだけ多くのことを為さねばなりません。私たちは,彼に対して偽善者の行いをしたいとは欲しません ― そんなことはとてもできないものでしよう ― むしろ,私たちは正しい良心をもつて彼の是認を得たいと欲します。それはみな私たちがこの来る方を愛しているからです。彼の来る理由について,そしてその結果が何であるかについて私たちの興味を保ちつづけるなら,それは私たちにとつて大きな助けとなります。

      25,26 (イ)上衣の意味から照らし合わせて,なぜ上衣を失うことは失う者にとつて大きな不幸を意味しますか。(ロ)宣教の上衣を取り除かれることは,何を示しますか。見張りが眠ることは,なぜ重大な事柄ですか。

      25 もし私たちが上衣を保たないなら,それは私たちにとつて大きな不幸を意味します。なぜなら彼は,私たちをその上衣を着るのに不適当な者と見なし,私たちから上衣を取り去り,そしてすつかり焼却してしまうからです。目ざめていて見張りをせねばならぬ奉仕者が衣服を失うことは,何を意味しますか。また,上衣を燃されることは何を意味しますか。象徴的な上衣とは,ヱホバの霊的な宮で宣教の任命を受けていることを示す表面の証跡です。そのことを認めるものとして,神の聖霊なる活動力は,そのような任命された奉仕者の上に注がれて,その人の義務遂行を援助します。そしてその奉仕者は神の御国の良いたよりを伝道して,羊のような善意者を全国民から集め,それから霊的な食物で彼らを養い,霊的に守るという機会と特権が与えられています。

      26 奉仕の上衣を取り除かれるということは,神の承認を失うということ,および宣教の際に不忠実になり,感謝の念を持たなかつた為に神の奉仕の特権をことごとく取り去るということを示します。自分の部署についていながら眠りこけ,安易な生活をして無活動になる為,自分の義務や任された仕事を行わない奉仕者には,そのような事柄が生じます。キリスト教国の宗教牧師がこのような真実の奉仕の『上衣』を身につけたことは一度もなく,いつの時でも神の御前にあつて裸かであつたことは明白です。ずつと以前にペテロは次のように警告しました。『さばきが神の家から始められる時がきた。それが,私たちからまず始められるとしたら,神の福音に従わない人々の行く末は,どんなであろうか。また義人でさえ,かろうじて救われるのだとすれば,不信なる者や罪人は,どうなるであろうか。』(ペテロ前 4:17,18,新口)見張りが眠つてしまい,自分に委ねられた品物を失つたり,汚したりすることは重大な事柄です。この世の軍隊で,見張りの部署についている歩哨が,戦争中に眠るなら,その者は銃殺されました。なぜですか,なぜなら,彼らは多数の兵士たちを守る為に見張つていながら,兵士たちの生命または自由を危険なものにしたからです。

      27 (イ)見張りの責任について,ヱホバはどんな警告を予言者エゼキエルに与えましたか。(ロ)奉仕者たちは何を見守つていますから,そんなにも注意深くなければなりませんか。

      27 見張りが眠つてしまうなら,危険が都市や村落に近づいているのを見ることはできません。それですから,警報を鳴らすことができず,他の人々を近づいている危険に目ざめさせることができません。2500年以上のむかし,エルサレムがバビロンの戦勝軍によつて滅ぼされそうになつたとき,ヱホバ神は予言者エゼキエルに警告を与えました。ヱホバ神は危険に瀕したイスラエル人の見張りにエゼキエルを立てたのです。『見守る者が,つるぎの臨むのを見てもラッパを吹かず,そのため民が,みずから警戒しないでいるうちに,つるぎが臨み,彼らの中のひとりを失うならば,その人は,自分の罪のために殺されるが,私はその血の責任を,見守る者の手に求める。』エゼキエルは,目をさまして見張りをつづけ,滅びの剣で危険に瀕した悪人たちを警告するよう告げられていました。(エゼキエル 33:6-9,新口)彼はそういたしました。不忠実なエルサレムは滅亡して,悪しき者たちは死滅したのです。しかし,エゼキエルは予言者の奉仕の上衣を着つづけました。奉仕者たちは,貴重な生命または魂を見張ります。この事実は,クリスチャンに宛てられた指示の中で強調されています,『あなたがたの指導者たちの言うことを聞き入れて,従いなさい。彼らは,神に言いひらきをすべき者として,あなた方のたましいのために,目をさましている。彼らが嘆かないで,喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと,あなた方の益にならない。』― ヘブル 13:17,新口。

      28 (イ)眠つている見張りから上衣を取りさると,なぜ非常な恥を受けますか。(ロ)不忠実な見張りを霊的に『裸か』にすると,どうしてそれは彼の失敗に対する刑罰となりますか。

      28 眠つている見張りから上衣を剥ぎ取つて燃してしまうなら,この信頼の置けぬ見張りは裸かになつてしまいます。恥ずかしいことに,彼の陰部はあらわにされてしまいます。創造者なる神が人体の或る部分を恥ずかしいものにつくつたというのではありません,ただ罪が世に入つて堕落した肉体に不道徳な欲望が働くため,自尊心を持つ人は陰部が一般人の目にさらされて,嘲笑や,侮りや,屈じよくを受けることに或る程度の恥を感じます。(創世 2:25;3:7。コリント前 12:22,33)それですから,不忠実な奉仕の見張りが裸にされることは,その失敗に対する刑罰です。羊のような人々や御使たちにとつては,彼がヱホバの奉仕に活潑でなく,またクリスチャンの任務を成し遂げてもおらず,その任務の下にあつて自分の義務を成しとげていないということを示します。彼はクリスチャンであることの目的を成しとげておらず,ヱホバの証者および奉仕者の一人であるとの目的をも果していません。名前だけはクリスチャンで,敬虔の形式だけは持つていますが,その実にたいしては実際には偽りです。(テモテ後 3:5)彼は不忠実で,怠け者で,安易を愛し,不注意になつて自分の義務を神権的な精神の中に真剣に採り上げていません。その人はヱホバ神のものを大切にせず,また保存して清く保とうとしません。彼は神の御国の地的な福利の増加に気をつけておらず,また地上にいるヱホバの忠実な証者たちの霊的パラダイスの保存と拡大にも気をつけていません。

      29 眠る者が『裸か』にされることは,なぜこの世の人の裸かの状態よりも一層恥ずかしいのですか。彼の刑罰は,どんな結果をもたらしますか。

      29 眠る者は,罪人であるこの世の人と同じく『裸』になります。この世の人よりも,一層恥ずかしい状態で裸になります,というのは,その人はかつて名誉あるクリスチャン奉仕という衣服を身につけたのですから,自分の責任をより良く知り,その責任にふさわしい生活をするべきでした。彼の受ける刑罰は,次に述べられている『悪い僕』の受ける刑罰と同じようになります,『その僕の主人は思いがけない日,気がつかない時に帰つてきて,彼を厳罰に処し,偽善者たちと同じ目に合わせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり,歯がみをしたりするであろう。』(マタイ 24:48-51,新口)王なる検閲者イエス・キリストにより,ハルマゲドンで神の裁きが執行されるときに,彼は不忠実な者たちや,偽善者たちと共に死ぬでしよう。彼は『裸の』牧師共と一緒に死ぬでしよう。彼らは宗教的な衣服を身に着けてキリスト教国の所謂神の宮と呼ぶ処で偽善的な奉仕をしています。それは希望の無い死,第2の死を意味します。―黙示 21:8。

      上衣を保つことの幸福

      30 (イ)眠る者に臨む不幸を見分けることは,何をより一層認識する助けとなりますか。(ロ)任命されたときのイスラエルの祭司たちのごとく,私たちは愛の中に何を遂行しますか。このことのために,私たちは神から何を頂きますか。

      30 眠つて上衣を失うことから生ずる恐ろしい結果を良く認識するとき,目をさましていて神の奉仕者として上衣を保つという特権を持つ者の幸福をより一層深く認識することができます。ハルマゲドンで王なる検閲者が盗人のごとく来るとき,私たちはそれを不意打のように受けてはなりません。また私たちは御国奉仕に怠けて,何もせず,無活動であつてはなりません。私たちの試験を受ける全部の期間中,私たちは愛の中に神への献身を成しとげます。私たちは自分の義務に目をさまし,私たちの聖なる奉仕の任務内にとどまります。丁度,宮の奉仕を命ぜられ,そして次のように命ぜられた祭司たちのなしたと同じようです,『なんじらは集会の幕屋の門口に七日のあいだ,日夜おりてヱホバの命令を守れ。然せばなんじら死ることなからん。』(レビ 8:35,36)それで,十分に目ざめている忠実な見張りとして,私たちは検閲者イエス・キリストを通し神の是認を受けるでしよう。おお,それは何と幸福なことでしよう!

      31 私たちが上衣を保つ結果は何ですか。

      31 この結果は,私たちが活潑な奉仕を行いつつ上衣を保つということになります。正式な衣服を無くさずに持つているということは,私たちが神の奉仕者として今でも引きつづき認められていること,そして神の聖なる奉仕に従つていることを意味します。神の宮でなす正式な奉仕の衣服は,取り去られて燃されることがなく,また『裸で歩い』て,宇宙の前で恥じよくを受け,ハルマゲドンで滅ぼされるこの世の一部として暴露されることもありません。ハルマゲドンのとき,検閲者にして刑の執行者は,私たちの生命を救います。正義の新しい世における私たちの生命の見込みは,私たちの為に保たれます。このようにして,私たちは永遠にわたつて『目をさまし』神の永続する新しい世で生活することを楽しみます。―黙示録 3:3-6を比較しなさい。

      32 崇拝の事柄に関して,目ざめている奉仕者はどのように報いを受けますか。

      32 私たちは,目ざめていて,汚れたものや害のあるものに対し宮で絶えず見張りをすることに報いを受けます。それは,『私たちの父である神の立場から見て清く汚れない崇拝の形式』なる真の宗教を地上で保存することによろこびの参加をするということです。唯一つの真の永遠の神ヱホバの崇拝を忠節に立証し,かくして非難を受けて来た彼の聖名を清めます。ヱホバの崇拝は,『全能の神の大いなる日の戦争』にも存続して,神の是認の下に行いつづけられます。そして,イエス・キリストによる神の御国の支配下にあつて新しい秩序の中に行われます。神の是認を受けて,良く見張りをなす奉仕者たちは,このことと全く一致しています。そして永遠の勝利の王を永久に崇拝して崇めるという報いを持つでしよう。そして,宇宙内の『生ける被造物』と共に『聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者なるヱホバ神。昔いまし,今いまし,やがてきたるべき者』(黙示 4:8,新世)と絶えず言いつづけます。よく見張りをして神の是認を受ける奉仕者は,かくしてその生活の最高の目的,すなわち創造者なる神を永久に亙つて称え,崇めるという目的を成しとげます。

      33 現在の大きな特権にもかかわらず,『ヱホバの日』が盗人のごとく来るとき,神の与えた上衣を着ることはどのような面で特権ですか。

      33 現在,ヱホバ神の霊的な宮でヱホバ神に仕えることは,なんと栄光に充ちた名誉な事柄なのでしよう。神のメシヤによる御国の良いたよりを宣べ伝えて神に奉仕するとき,この暗い悪の世の中にあつても,現在私たちは表現できぬ程の何という幸福を持つているのでしよう! 神の奉仕者として,それにふさわしい神から与えられた上衣を着ることは,なんという特権なのでしよう!『ヱホバの日』が『夜の盗人のごとく』来て,キリスト教国の偽善的な神の宮を滅ぼし,そして象徴的な竜と獣と偽りの予言者および『全地の王たち』をことごとく滅ぼすとき,この宣教の衣服を着ることは,何という特権なのでしよう! 悪鬼の霊感した宣伝と政策は,『全地の王たち』をハルマゲドンにいま集めて,彼らの滅びを図つているのです!(テサロニケ前 5:2,3。ペテロ後 3:9,10。黙示 19:19から20:3まで)そのとき目ざめていて自分の義務を活潑に行つていると見出される宣教の見張りは,ヱホバの永遠の勝利を目撃するでしよう。ヱホバは,御自分の真の宗教,および全宇宙にある御自分の唯一つの正しい政府に対する敵に対して勝利を得ます。

      34 価値のある奉仕者は,裸かと恥を受ける代りに何の中に入りますか。彼らが目ざめていなければならぬ危急の時は何時ですか。

      34 それで,彼らは裸かにされて恥を受けず,むしろそのすばらしい新しい世に生き残つて,宇宙の最高の神にふさわしい奉仕者として美と名誉を受けるでしよう。彼らはみな『尊いきよめられた器となつて,主人に役立つものとなり,すべての良いわざに間に合うようになる』(テモテ後 2:21,新口)ヱホバ神の霊的な宮で目ざめている者の報いは,全く幸福なものです。しかし,目ざめていなければならぬ危急の時は,今なのです!

  • 『ものみの塔』の研究
    ものみの塔 1959 | 2月1日
    • 『ものみの塔』の研究

      3月1日: 目ざめている者は幸福である,1-19節。そして目ざめている為の危急なる時,1-6節。49頁

      3月8日: 目ざめている為の危急なる時,7-34節,54頁

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