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    ものみの塔 1969 | 6月15日
    • 昨奉仕年度中,特にしもべたちは,不活発になって神の民との交わりを絶つた兄弟姉妹たちが再び組織に戻るのを助けて,大きな努力を払いました。その努力は豊かに祝福されました。そして,エホバの組織に戻るようにそうした人々を助けるため,おもに聖書と放とうむすこに関する「ものみの塔」誌の記事とを用いました。たとえば,一姉妹はそのような『失われた羊』のひとりを訪問して,「ものみの塔」誌の記事から幾つかの節を読みました。すると突然その『失われた羊』は涙を流し,病気その他の家庭問題のために気落ちして集会に出席できなくなり,野外奉仕をやめたいきさつを話すのでした。そして,長い間交わらなかったので,排斥されたのではないかと考えていました。もちろん排斥されてはいません。伝道者は「ものみの塔」誌にある適切な聖句を読み,エホバがあわれみの神であられることを示しました。この訪問は功を奏し,その『失われた羊』は組織に再び戻りました。こうして昨奉仕年度中,多くの人が組織に戻って喜びを味わっただけでなく,各会衆も大きな喜びを得ました。ごくわずかの時間しか残されていない今,そうした人は一刻も早く神の組織に戻らねばなりません。

      東ドイツ

      この国では,正規の野外奉仕に携わって一般の人々を訪問することができないため,伝道者は,御国の音信を人々に伝える最善の機会をたえず伺っています。伝道者が逮捕されると,それまで関心を持っていた人々は当局の圧力を受けて,しりごみさせられました。こうした事態にもめげず,エホバの証人は人々を尋ね,区域をまわって伝道しています。

      一人の伝道者が休暇開拓者として区域で数日奉仕していたときのこと,1軒の新しい家を尋ねようとしました。するとその家の前に1台の車がとまり,4人の男が車を降りて伝道者に近づいてきました。そして4人の男と一緒に玄関に着いた伝道者はとっさに気転をきかせて,冷蔵庫を売り払いたいと考えていたのはこちらではなかったかと家の人に尋ねたのです。そばにいた4人の男は今や始末に困り,ついに家の人に向かって今日は鉱夫のための祭日なので旗を立てるようにと告げました。こうしてその兄弟は無事その場を去ることができました。

      ある姉妹は新しい区域で伝道してもあまり効果はないと考えていました。しかしそうした区域で働いている人がみな大きな喜びを得ていることに気づき,自分もそうしてみることにしました。その姉妹は若いむすこを連れて伝道しました。その区域には1軒の肉屋がありました。最初,二人はその店を素通りするつもりでいましたが,ふとしたことで,素通りするのをやめてその店にはいり,ごく簡単に証言したところ,店の主人はこう叫びました。「やっと会えました! あなたが尋ねて下さることをどんなに待ち望んでいたことでしょう!」 こうしてその家族は一緒に聖書研究を始め,今では数人の知人もその研究に出席しています。その姉妹は新しい区域で働くことの大切さをよく悟りました。

      別の姉妹はある魚屋の前で,一人の婦人が陳列窓に並べられた魚を見ているのに気づきました。そこで婦人に近づいて,「こうした魚が人間の手からえさを取って食べる時のことを想像できますか」と尋ねました。この興味深い会話がきっかけとなって姉妹は御国の祝福についてその婦人に証言することができました。その婦人の話によれば,前に西ドイツを訪れた時,そうした話を聞かされ,そしてきっとだれかが尋ねて音信を伝える時が来るだろうと聞かされたとのことでした。しかし今やそのことが家の玄関ではなく,店先でなされたのです。とにかく姉妹と会えて喜んだその婦人は,人間とこの地に関する神のすばらしい目的を今熱心に学んでいます。

      かかりつけの病院の待合室で自分の番を待っていたある姉妹は,自分と同じ年配で,かなり重い病気にかかっている婦人に気づきました。そこで,その患者の名前を知ろうと考え,医師が指名してその婦人を診察室に呼んだとき,よく注意してその名前を書きとめました。幸いにも婦人の住所も聞き取れました。姉妹はその人を訪問して慰めを与えるエホバの御国の音信を伝えたかったのです。数日後尋ねてみたところ,その婦人は姉妹のことをすぐ思い出しました。そしてその婦人は自分も神を信じてはいるが,信仰を笑いものにする夫が家にいるため,エホバの証人を家に入れることができないと述べ,目には涙さえ浮べていました。それで二人は別の時間に会うことに決め,聖書研究を始めました。そして盲目の母親と,17歳になる娘も研究に参加したのです。こうしてその姉妹の注意深い伝道の結果,エホバの道を感謝し学ぶ人が3人見いだされました。

      バスを待つあいだの時間も効果的に使えます。ある姉妹は予定のバスを30分ほど待っていましたが,その間,隣りにある夫婦が腰かけていたので,姉妹は用心しながらその二人に話しかけました。そしてその夫婦が聖書に対する信仰をもっていることを知りました。しかし一般の人々はひどく他人を恐れており,こうした状況の下にあって,ふたりの名前と住所をどのようにして入手しその夫婦と連絡を保てるでしょうか。姉妹は畑で摘んだイチゴをカゴに入れて家に持ち帰るところでしたから,イチゴを少し取り出して,食べてもらいたいと勧めました。二人は大喜びし,どこで買ったのかと尋ねたので,姉妹は自分の畑で作っていることを話し,二人の依頼に喜んで応じ,その家にイチゴを届ける約束をしました。こうして姉妹は,知りたいと思っていた事柄を知ることができたのです。数日後,二人の家を訪問した姉妹はやがて聖書について話し合いました。すると突然,主人は,「特にお見せしたいものがあります。だれにも言わないでくださいね」と言って,「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世へ」と題する,ものみの塔協会の本を姉妹に渡したのです。姉妹はたいへん驚きました。その本を使って聖書研究が始められ,いまその伝道者は,この夫婦がエホバの賛美者に仲間入りする日を待ち望んでいます。

      ハンガリー

      昨奉仕年度中,ハンガリーの兄弟たちは熱心に働き,その努力は祝福されました。御国のわざは非常に発展し,多くの人々がキリストの弟子になりました。政府当局はわたしたちのわざに対してむしろ寛大な態度を取ってきましたが,新聞は依然としてエホバの証人に対する中傷的な記事を掲載しています。

      家庭が分裂している場合,真理の側にある配偶者は激しい試練に直面する場合があります。しかし次の一姉妹の経験が示すように,忍耐と寛容を保てば,いつかは実を結ぶでしょう。その姉妹の住んでいる村では,兄弟たちがこれまでに宗教上の熱狂的な反対を受け,真理のゆえに死の脅迫さえ受けました。姉妹とその夫は姉妹の父親と一緒に住んでいますが,特にその父親は真理に激しく反対していました。それで義理のむすこをそそのかしてエホバの証人を憎ませ,さらに義理のむすこの妻,つまり自分の実の娘をも憎ませたのです。こうして義理のむすこは妻に残忍な仕打ちを加えるようになり,妻をなぐってしばしば失神させるほどでした。しかし姉妹はエホバへの忠実を保ち,しかも幾年ものあいだ愛と忍耐とをもって夫に仕えました。あるときには父親と夫を前にして優しい,しかし確固とした態度で「お望みなら,わたしを殺してください。しかし,たとえ殺されようとわたしはエホバにより頼みます」と述べました。夫はその村の司祭の片腕として信頼されていました。なぜなら,自分の妻さえ容赦しないほどにエホバの証人を憎み,自分の教会のために戦ってきたことをその司祭は知っていたからです。その夫は自分の教会のためにあまりにも熱心に尽くしたため,近隣の村の司祭さえその働きを模範としてほめるほどでした。

      ある日,その夫が司祭と個人的に話し合った際,司祭は聖書について話し,聖書を手にしてはならないと語りました。このことばに大きに衝撃を受けた熱心な教会のこの支持者は「では,聖書を読むのは罪ですか」と司祭に問い正しました。司祭は,それは罪ではないが,もし聖書を読めば,やがて妻と同様の信仰をいだくことになるだろうと答えました。すると夫は,ひどい仕打ちを加えてきたにもかかわらず,妻がいつもいかに愛と忍耐を示してきたかを司祭に告げ,聖書を読んでそれほどのひととなりが築かれるのであれば,聖書を読むのは有益なことではないかと話しました。こうして教会のために尽力することをやめ,神の国について妻が語るのを聞き,集会に出席しはじめ,やがて真理を伝道するようになりました。今では司祭は彼にあいさつさえしなくなりました。会衆の兄弟たちはかつてそれほど真理を憎んでいた人が集会に出席するのを見て大いに喜んでいます。これは不信者の配偶者を持つ姉妹たちすべてにとって,確固とした立場を保ち,忍耐し続けるための大きな励みとなっています。憎しみをいだいていたその父親はどうなりましたか。彼はハンガリーを去って親類を尋ね,そこで死にました。こうしてこの姉妹の事情は一変してしまいました。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1969 | 6月15日
    • 読者からの質問

      ● テモテ前書 2章15節の使徒パウロのことばによれば,女は「子を生むことによって救はるべし」とあります。これはどういう意味ですか。

      ここでパウロは霊感の下に,女性としての正しい態度や働きについて論じています。クリスチャンの妻の身の守りとなる尊い役目の一つは子供を養育することです。パウロはこう書きました。「女は,健全な考えを持ち,信仰と愛と清さとを保つなら,子供を生むことによって守られるであろう」― テモテ前 2:15,新。

      しかしR・A・ノックス訳のこの句は,出産そのものが女性に永遠の救いをもたらすかのようにとれますが,それはこの句の正しい意味ではありません。男女を問わず,人は,主イエスを信じ,正確な知識を持ち,信仰を働かさなければ永遠の救いにあずかれないことを,他の多くの聖句が示しているからです。―使行 16:30,31。ヨハネ 17:3。ロマ 10:10。

      他の翻訳によれば,この句は,神に仕えた婦人たちが出産をするとき,神がそのすべてを守られるという意味にとれます。(モファット訳,新アメリカ標準訳)しかし当時まで,またそれ以後の出産のすべてがそうであったわけではありません。(創世

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