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知恵を追い求めるよう激励されたギレアデ第50期生ものみの塔 1971 | 8月15日
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知恵を追い求めるよう激励されたギレアデ第50期生
「あなたがたの中で賢くて理解のある人はだれですか」。これは,さる3月7日,日曜日に挙行された卒業式で,ものみの塔ギレアデ聖書学校の第50期生50人を前にして提出された質問です。
この卒業式はニューヨーク市クィーンズ地区のエホバの証人大会ホールで午前10時から午後5時近くまで行なわれ,出席者1,999人は,場外で降りしきる雨のことなど,すっかり忘れていました。
午前中のプログラムの主題は聖書記述者のヤコブ(3:13-18)およびダビデ王(詩 139)のことばを中心としたもので,ものみの塔協会の会長N・H・ノアは,上よりの知恵は個人個人のうちに当人のわざによって表わされるが,そのわざはりっぱな行ないによってしるしづけられねばならないことを指摘しました。なぜなら,そうした知恵は「まず第一に廉潔」だからです。特に道徳面での清さ,また純正さは最も肝要です。それなくしては,人のなすわざは神にとって価値がありません。それでも,この種の知恵はこれみよがしに示されるどころか,柔和さをその特色としています。ノア会長は卒業生に対し,自分の知識のために思い上がり,知恵のように見えながら,そうでないものを誇示する人の陥るわなについて警告しました。
したがって,新しい宣教者は学校で新たな訓練を受けたからといって,外国の任命地に到着早々,その地にいる他の宣教者や,その土地の円熟した人たち,あるいは会衆の監督として仕えている人々を指導できると考えるべきではない,と会長は述べました。宣教者は自分たちの学んだことを誇示するどころか,経験を積んだ宣教者たちの言うことに謙そんに耳を傾けるべきです。そして,任命地の人々が神のみことばを理解するのを助ける最善の方法を学ぶことにもっぱら注意と努力を払うべきです。もし知恵を働かせるならば,このことに,つまり彼らの本来のわざに専念でき,無益な事柄に注意をそらされずにすむでしょう。―箴言 17:24; 16:9。
ものみの塔協会の理事ミルトン・G・ヘンシェルは卒業生に対し,宣教者の務めを賢明に遂行しようとするには,強い信仰を保つよう努力すべきであると助言しました。使徒パウロが聖書のヘブル書 11章で力強く例証しているように,強い信仰に依存すれば,多くを成し遂げることができるのです。
宣教者として巣立つこれら卒業生は,もうひとりの講演者,協会の副会長フレッド・W・フランズのことばに大いに励まされました。彼は科学上の知恵を示す事実,すなわち,物質宇宙のあらゆるところで作用している力である引力の法則に注意をひき,次いで,エホバの聖霊はそれよりもはるかに強力,かつすべてに浸透する力であることを指摘しました。この力は,クリスチャン兄弟たちに囲まれて生活していた故国におけると全く同様,地の果ての孤立した区域においても強力に働いているということを十分に確信できます。―詩 139:7。
詩篇 139篇から数多くのことばを引用したF・W・フランズは,その話の中でダビデの次のことばを強調しました。「われわれが榻を〔シェオール〕にまうくるとも 視よ なんぢ[エホバ]彼処にいます」。(詩 139:8〔新〕)したがって,イエス・キリストに従う宣教者は,自分の任命地で死ぬことが予想されても恐れるべきではなく,また,愛する親族のもとに帰って生涯を閉じたいと考えるべきでもありません。なぜなら,聖霊により『神はほかならぬ墓にさえ力を及ぼして,あなたがたをよみがえらせることができるからです』とフランズは叫び,こう結びました。『しかしながら,あなたがたは,死ぬためではなく,生きるために,つまり生きて神の王国の良いたよりを人々に宣明し,次いで彼らが生きられるようになるため任命地におもむくのです』。
卒業生50人は全員,同校の修業証書を受けました。列をなして演壇にのぼった卒業生は,19か国を含む任命書をも手渡されました。同校の5,000人目の卒業生 ― 台湾省への任命を受けたオーストリア出身の若い男子の名前が呼ばれたとき,聴衆は心からの拍手を送りました。
午後は卒業生が聴衆を楽しませ,啓発する番でした。それはまず,生徒たちの七つの出身国の代表的な音楽を演奏する,くつろいだプログラムで始まり,次いで,その午後の興味の的であった劇が上演されました。それは「エホバは忠節な者たちを祝福される」と題するもので,生徒たちはその準備に数週間を費やしました。その劇は,神の新秩序を間近にしたわたしたちが今生きているこの時代に焦点を合わせ,エホバに対する忠節のうちに道徳的な清さを保つよう励ますもので,不道徳が世界的に盛んになっているこの危機的な時代にあって,それはすぐれた助言を与えるものとなりました。
ニューヨーク市ブルックリンにあるギレアデ学校は,エホバの証人の中で宣教者として外国に行くことができ,かつ喜んでその任命に応じられる人々を訓練するため,1943年に開設されました。それら宣教者は外国の任命地に着くと,ものみの塔協会によって適当な住居および食事を備えられますが,キリスト教世界の宣教師の多くとは異なり,ぜいたくな,あるいは怠惰な生活はしません。
ギレアデを卒業した宣教者は全世界で王国宣明のわざの先頭に立ってきました。1943年当時,良いたよりの活発な奉仕者また伝道者の数はアメリカを除いて,5万3,839人でしたが,1970年には109万4,510人にふえました。確かにイエスが言われたとおりです。『知恵はそのわざによりて正しとせられる』― マタイ 11:19。
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読者からの質問ものみの塔 1971 | 8月15日
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読者からの質問
● 使徒行伝 1章8節に記録されているように,イエスがご自分の追随者にサマリヤで伝道するように指示されたのはなぜですか。それ以前(マタイ 10:5,6),イエスは彼らにサマリヤ人に伝道してはならないと彼らに告げられました。
十二使徒を限られた伝道旅行に送り出す際,イエスは彼らにこう告げられました。「異邦人の途にゆくな,又サマリヤ人の町に入るな。むしろイスラエルの家の失せたる羊にゆけ」。(マタイ 10:5,6)サマリヤ人に対する伝道をイエスが全く禁じたのでないことは,彼ご自身の言動から明らかです。イエスはたとえ話の中の一つで,ユダヤ人がサマリヤ人を隣人として考えるべきことを示されました。(ルカ 10:29-37)キリストはある時,10人の人をいやしたことがありましたが,そのうちのひとりはサマリヤ人で,彼がその10人の中で感謝を表わした唯一の者であることをほめました。(ルカ 17:11-19)さらに,イエスはスカルの井戸でひとりのサマリヤの女に伝道しましたし,その後,サマリヤの同市の他の者たちにも伝道しました。―ヨハネ 4:4-43。
したがって,マタイ伝 10章5,6節のイエスの命令は,その時と場合とに特別に適用された制限として理解されるべきです。キリストは「イスラエルの家の失せたる羊」について言ったことからして,音信をまずユダヤ人に伝える,つまり彼らに最初の機会を与える重要性を強調しておられたことが明白と言えます。ゆえに,使徒たちは伝道旅行の際,ユダヤ人に注意を集中すべきであって,その時点ですべての民族や国民に伝道しようとすべきではありませんでした。区域がユダヤ人の都市や村々に限られたとはいえ,ふたりずつからなる6組の伝道者が比較的短期間の旅行中に行なえる仕事は,確かに十分すぎるほどあったことでしょう。―マルコ 6:7。
イエスが使徒行伝 1章8節に記録されていることを言われた時の事情は,それとはかなり異なっていました。事実上,彼は世界的な伝道のわざが成し遂げられるであろうことを示す,別れの指示ともいうべきものを追随者たちに与えておられたのです。昇天する直前,イエスはこう言われました。『汝らはエルサレム,ユダヤ全国,サマリヤ,及び地の極にまで我が証人とならん』。そして,そのとおりになったのです。迫害のためにクリスチャンの弟子たちは散らされ,その結果,彼らの音信はサマリヤに伝道されました。―使行 8:1-17。
多くのサマリヤ人がバプテスマを受け,聖霊を授かるという結果をもたらした,このサマリヤ人に対する伝道が,西暦36年以前,つまり,割礼を受けていない異邦人(非ユダヤ人)が初めて信者として受け入れられた時以前に起こった事実に注目されるかたがあるかもしれません。(使行 10:34-48)これは明らかに,サマリヤ人が異邦人よりも宗教的にはるかに多くの共通点をユダヤ人と持っていたからです。サマリヤ人は(「サマリヤ五書」によって)聖書の最初の五つの本を受け入れており,それがゆえに,モーセより偉大な預言者の到来を待ち望んでいました。(申命 18:18,19。ヨハネ 4:25)そして,崇拝の方式は多くの点でユダヤ教とは異なっていましたが,それでも彼らはアブラハム,イサク,ヤコブの神を崇拝し,割礼の要求をも含めてモーセの律法を守っていると主張しました。したがって彼らは割礼を施されていない異邦人とはかなり異なった範ちゅうに属していたのです。
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迫害下にあって増加するものみの塔 1971 | 8月15日
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迫害下にあって増加する
● ブルンディの首都ブジュンブラでは,エホバの証人たちがさらにすぐれた進歩を遂げたことにより,健全な会衆が作られました。そして伝道のわざに対する反対にもかかわらず,昨年の平均を200%上回る増加がみられました。7人の兄弟たちが投獄され,刑罰として深さ約60㌢の水の中に二日のあいだ立たされました。彼らは仲間の囚人に伝道する機会をしばしば得ました。結果として,そのうちの多くが,釈放されてから集会に出席しました。中には再度逮捕された兄弟もいます。その兄弟たちは,釈放される時,伝道するのをやめるように命じられましたが,答えとして使徒ペテロとヨハネの語った,我らは見しこと聞きしことを語らざるを得ずということばをくりかえしました。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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