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  • 迷信の背後にあるものは何ですか
    目ざめよ! 1979 | 2月8日
    • の言うなりになることもないという[信念]を支持する宗教である。この神は,善人の上にも悪人の上にも同じように雨を降らせ,陽光を注ぐ。その神は信条を暗誦したり,ろうそくをともしたりする者をえこひいきしない。人間の務めは……この神を呼び起こし,自分の欲する物をその神から得ることではない。むしろ[人は],宇宙に関する真理,つまり従うべき道を見いだすよう努め,そうした道に向けて自らを整え[ねばならない]。こうした信仰は人気を博した試しがない。この信仰に追随する者は侮辱され,忘れ去られ,そのうちの少なくとも一人ははりつけにされた」。

      ここでこの本の著者は,人気のない,真のキリスト教に言及していました。古代の忠実なイスラエル人,イエス,そしてイエスに倣って生活する人々が,“幸運の女神”や縁起や迷信に信仰を置いたことは一度もありません。むしろ,人間の創造者であられるエホバ神の,書き記されたみ言葉に生活の導きを求めました。―申命 18:10-12。列王下 21:6。イザヤ 8:19; 65:11。使徒 16:16-24。

      あなたは迷信についてどうお考えになりますか。そうした迷信を打破することができます。そのための最善の方法は,聖書を注意深く調べ,その原則に従って自分の生活を形造ることです。

  • 成功を促す教育
    目ざめよ! 1979 | 2月8日
    • 成功を促す教育

      『エホバ神に対する深い愛を抱き,神がわたしたちを愛しておられることを確信しているなら,皆さんの生き方は成功するでしょう』。あなたはこのような言葉にどんな反応を示しますか。

      昨年の9月10日の日曜日,ニューヨーク州のロング・アイランド市にあるエホバの証人の大会ホールに集まった1,899名の聴衆は,この考えに全く同意しました。これは29人の学生から成る,ものみの塔ギレアデ聖書学校第65期生の卒業式で,W・L・バリーによって語られた言葉です。この学生たちは外国の地での宣教者の仕事に備えるため,五か月に及ぶ特別な訓練の課程を終えました。

      何年か前,バリーはギレアデ学校に入学し,その後日本で長い間,宣教者たちと働く機会に恵まれました。ですから宣教者としての割当てを神の愛の表われとみるようにというその激励の言葉は,個人的な経験という豊かな背景によって裏付けられていました。バリーは外国の任地で直面する問題のうちでも,非常に実際的なものを取り上げました。『新しい言語,新しい食物,新しい宣教者の家の取決め,さらに新しい病気にさえ』慣れなければならないでしょう。しかしギレアデで訓練された宣教者たちは,神の言葉と祈りによって強められ,創造主に対する愛ゆえにその業に固くつき従い,成功を収めることができます。

      ギレアデ学校の教育計画は,霊的な見地,実際的な見地の両方から学生たちを援助するように作られてきました。ドン・アダムズはこの点に注意を引き,宣教者の家での洗濯の仕方,食事の準備について彼らが受けた実際的な特別の教育について触れました。この履修課程の新しい面が助けとなり,宣教者の奉仕が関係者全員にとってますます喜ばしいものとなるよう期待されています。もとよりこの実際的な訓練は,ギレアデの学生たちが聖書の真理のより良い教え手となるのを助ける教育に付随するものに過ぎません。そしてドン・アダムズが指摘したように,宣教者が幸福になるか否かを左右するのは優れた精神態度です。業に固くつき従う宣教者であるためには,人々の霊的な福祉に対する関心と,個人的な満足感が重要な役割を果たすでしょう。

      別の話し手,M・S・アレンは成功を正しく評価するときに助けとなるいくつかの考え方を示しました。アレンは「あなたがたは何を求めているのですか」(ヨハネ 1:38)という,イエスがヨハネとアンデレに問いかけた言葉を主題として用い,わたしたちが物事を行なう動機が大変重要であると述べました。クリスチャン宣教者として成功を収めるには,その動機は他の人よりも偉い者として目立ちたいとか,少数の特権階級の一員に数えられたいとかいう,人に認められることを求めるものであってはなりません。宣教者はアンデレの模範から益を得られます。アンデレは第二の地位に甘んじ,自分の兄弟ペテロを含め他の人々をメシアに紹介しました。このようにもし同胞にイエス・キリストを知らせることによって神に謙そんな態度で仕え,そのことに喜びを見いだすなら,優れた宣教者になることができます。

      卒業生が派遣される幾つかの国では,多くの人々が文盲です。そのため,リチャード・ウィーロックは最近出版された書籍のさし絵を用いるよう勧めました。こうして新しい宣教者たちは,その土地の言葉を学んだ後に,読み書きのできない人々の所にも聖書の音信を伝える点で成功を収めることができます。

      この学校の教訓者のひとり,K・A・アダムズは,人間的な見地で人々を見ないよう警告しました。イエス・キリストは「うわべを見て裁くのをやめ」なさいと述べておられるからです。(ヨハネ 7:24)ある地域では反応が遅いかもしれませんが,神はわたしたちとは違った目で人々を見ておられるかもしれません。例えば,イタリアとスペインのエホバの証人たちは長い間奉仕したにもかかわらず,ほとんど進歩は見られませんでした。ところが,ここ数年間に目を見張るばかりの躍進を遂げたのです。これは新しい宣教者たちが任命地にとどまることを促す立派な励ましとなりました。

      この学校の教務係を務めたU・V・グラスも同様に忍耐の重要性を強調しました。外国の任地に到着したときの宣教者は,移植されこれから成長が妨げられるかもしれない植物に似ています。しかし忍耐してそこにとどまることにより,やがて祝福を味わうことになるでしょう。

      学校の校長,F・W・フランズは,卒業生たちが神に是認された状態を保つために払わねばならない個人的な努力をかなり強調しました。この目的のためフランズは,「自分が聞いている事がらに注意を払いなさい。あなたが量り出しているその量りであなたがたは自分に対して量り出されるでしょう。そうです,あなたがたはそれ以上に加えられるのです」というイエス・キリストの言葉を用いました。(マルコ 4:24)ゆえに,人がその主人であるイエス・キリストに対して示す専心の注意やうやうやしい敬意の程度が,その人の霊的進歩の度合いを決定するのです。クリスチャンとしての進歩を何ものにも妨げさせないためには,自分の交わりにも注意すべきです。そのため学生たちは,この世的な精神で自分たちを汚しうる人々と交友関係を持つことがないよう,強く諭されました。

      続いて卒業生たちによって扱われたプログラムでも,成功するための主眼点が強調されました。特に二つの聖書劇はその目的にかなうものでしたが,とりわけ最初の劇によって,神の約束が成就してもたらされる祝福にあずかるためには,神の指導に対する信仰と従順が大切であることが浮彫りにされました。二番目の劇ではエホシャファト王の治世中に生じた出来事が扱われ,王の成功はエホバ神に対する全幅の信頼にかかっていたことが明確に示されました。

      確かに,ギレアデ第65期生の卒業式でうかがい知ることができたのは,この学校の主要な目的は学生たちが宣教者としての業に成功を収めるよう助けることにあるという点でした。同時にプログラム全体は,出席者すべてが自分の歩みを成功させる面でエホバ神に援助を仰ぐことを励ますものとなりました。

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