-
カナダ北極圏の“住民”の生活目ざめよ! 1970 | 6月8日
-
-
がわな猟や猟にたよって生計をたてています。しかし毛皮の値段が不安定なため,せっけん石の彫り物,あざらし皮の版画,こっけいな形をした,「ウーピック」と呼ばれる小さなエスキモー人形などを作って収入を補うことを,カナダ政府はエスキモーに奨励しています。そうした技術に真の才能を発揮するイヌイトは大ぜいいます。
つい最近に至るまで,エスキモーの若者の教育は,成人の生活に伴ういろいろな責任を果たせるよう,親から学ぶ事柄にたいてい限られていました。わずか25年ほど前ですら,カナダの北極圏に正規の学校はほとんどありませんでした。しかし,今では十分の数の学校があり,学齢期の少年少女はすべて正規の学校教育を受けることができます。
エスキモーの主食は今でも肉と魚ですが,他のいろいろな食品が消費されるようになってきました。最近まで,食料は一年前に南部の地方に注文し,氷の溶ける短期間を利用して年1回,船がカン詰めや乾燥食品を運搬するという形式をとっていました。いまだに大量の食料が船で運搬されるとは言え,南の世界との交信は飛行機の便があるため,ほとんど一年じゅう可能です。そのため,ときには週二,三回,郵便物や生鮮食品が送られ,現代の他の便利品を北方の人が手にして楽しむことさえできます。
そうした食料を摂取するようになり,また健康管理が改善されたため,イヌイトの人口はここ数年急激に増加しています。数年前まで,エスキモーの幼児死亡率は非常に高いものでした。それは病気のためでもありましたが,幼児殺しが習慣だったからです。
幼児殺しが普通に行なわれた理由は,この地方には野菜もなければ道路もなく,母親は子どもに授乳しなければならず,3歳になるころまでどこへ行くにも背負わなければならなかったからです。母親がこの期間にもうひとりの子どもの世話をすることは無理だったのです。ですから,エスキモーは子ども好きで知られてはいますが,生まれた赤ん坊が特に女の子である場合は,その子を殺すことも辞さなかったのです。
カナダ北極圏に住む人々の生活上のもう一つの変化は彼らの宗教です。過去においては,ほとんどあらゆる自然現象が崇拝の対象とされていました。シラと呼ばれる空の神に至上者としての属性が付されていました。そして,セドナと呼ばれる女神が,あざらし猟を左右する神としてあがめられました。しかし,20世紀の半ばまでには,プロテスタントおよびカトリックの宣教師の布教により,エスキモーはほとんどすべてが,名目上のクリスチャンとなりました。
しかし,ここ数年来,大ぜいの人が,キリスト教世界のそうした教会は名ばかりのものであることに気づきはじめました。そのため,聖書を愛し尊敬するようになった大ぜいのエスキモーは,エホバの証人の伝道する神の御国に関する良いたよりにこたえ応じています。中には,エホバの建てられる正義の新秩序での命に関する約束を仲間のイヌイトが学ぶのを,熱心に援助している人もいます。エスキモーが「イヌイト」(住民)と呼ばれるのを好むのはほんとうに適切なことと言えます。なぜなら,神の新しい秩序では人間が国籍によってわかたれることなく,すべて神が治める「住民」になるのですから。―黙示 21:3,4。
-
-
「みどりごの口に賛美」目ざめよ! 1970 | 6月8日
-
-
「みどりごの口に賛美」
● シエラレオネで各地を巡回して奉仕する監督者のひとりのエホバの証人は,2歳になる幼いむすこに,「失楽園から復楽園まで」と題する聖書の手引きに載せられているすべてのさし絵の意味を時間をかけて教え,そうすることの益について手紙を書き寄せました。それによると,この奉仕者の妻は去る7月だけでも,そのむすこのおかげで,「失楽園から復楽園まで」の本を12冊と,ほかに8冊の書籍を配布できました。母親はその子を戸別訪問の伝道に連れて行き,家の人に本を紹介してから,いくつかのさし絵の意味をその子に説明させたのです。人々はこれを見てすっかり感心し,その多くが,さっそく文書を求めました。
― エホバの証人の1970年度年鑑から
-