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  • 偽りの宗教のとりではバビロンから始まって世界中に確立された
    ものみの塔 1964 | 9月1日
    • て考えたのは自然のことでした。自分たちの名をあげることを望んだ利己的な人々にとって,女のすえに関する預言をニムロデにあてはめるのは愛国的また国家主義的な行為でした。ニムロデもこのような考えを好んだに違いありません。それはニムロデまたその後継者の支配力を強固なものにするからです。ノアの祝福のことばから明らかなように,このすえはセムの家系から出るのであって,ニムロデの曾祖父ハムの家系から出るのではありません。ゆえに創世記 3章15節の預言をニムロデにあてはめたバビロニア人は,女のすえをハムの家系のクシ人にした点で間違っていました。ニムロデの横死を伝える伝統が正しいとすれば,バビロニア人は大いなる蛇が女のすえのくびすを砕くという預言の成就としてこれを解釈したことでしょう。―創世 9:18,24-27。

      「母と息子」の崇拝のはじまり

      そこでニムロデの母が,大いなるへびのかしらを砕くすえの母すなわち「女」であると考えられました。たとえ聖書にニムロデの母親のことが出ていなくても,それは自然のことでした。彼女はこうして息子ニムロデの栄光にあずかります。彼女が崇められ,女神に祭りあげられることはまず間違いありません。これは母親と息子を崇拝することのはじまりとなります。クシの妻がセミラミスあるいはゼミラミットと呼ばれるようになったのは,おそらくこのためです。その名は「枝を持つ者」という意味です。枝は平和をもたらし,災難を払いよける者ニムロデを象徴するのでしょう。これについて「二つのバビロン」の20,21頁に次のことが出ています。

      バビロニア人が一般に行なった宗教においては,女神である母と息子が崇拝された。これは幼児を腕に抱いた母の像や絵画によって示されている……この母と子の崇拝はバビロンから全世界にひろまった。エジプトではイシスとイシリスの名で母と子の崇拝が行なわれた。インドにおいて,それは今日に至るまでイシおよびイシワラであり,アジアではシベレおよびデオイウスである。異教ローマにおいてはフォーチュナとジュピター・ピュエールすなわち少年ジュピター,ギリシャでは偉大な母セレスとその胸に抱かれた赤ん坊,あるいは平和の女神イレネとその胸に抱かれた子プラタスがある。チベット,中国,日本においてさえ,イエズス会の宣教師は聖母マリヤとその子供に相当するものがカトリックのローマにおけると同じように崇拝されているのを見て驚嘆した。中国の聖母シン・モーは腕に子を抱いており,後光がさしている。それはまるでローマカトリックの画家が描いたのではないかと思わせるほどである。

      広く崇拝されているこの母のもとのものは,すでに述べたセミラミスであったと考えられる。バビロニア人がセミラミスを崇拝したこと,および東方の国々で「母」なる偉大な女神リーアが崇拝されたことは広く知られている。

      ニムロデの母はクシの妻であり,従ってノアの妻の孫にあたります。ノアの妻は魚と同じく大洪水を生き残りました。この事実を用いて,異教のバビロンの宗教がセミラミスを神格化していることに注目して下さい。

      〔古代ギリシャの歴史家〕ヘロドトスの著述はこの事の証拠である。彼は彼女をユーフラテス河の堤に関連させ,バビロンの一つの門は彼女の名で呼ばれたとしている。……伝説によれば,セミラミスは誕生のとき,また地上から姿を消したとき,魚の女神アターがテイスの娘である女神のように見えた。またイシュタまたはアスターテの時と関連している ― 大英百科事典,1911年版第24巻617頁。

      偽りの宗教が更に発展し,最初のバビロン的な思想を基にいろいろな教義を作りあげたのは自然の成りゆきでした。このような教義は今日あらゆる宗教の中に見られます。その著しい例は,後にキリスト教国の偽りの宗教の礎石とされた三位一体の教義です。大洪水の後,神格化された最初の人間ニムロデは,偽りの崇拝のバビロン的な体系の中で「神々の父」となります。同じくいわゆるセミラミスは「神の母」あるいは「神々の母」となります。このようにクシとその妻およびニムロデの宗教においては,子のニムロデにいちばん大きな栄光が与えられています。「父なる神,子なる神,聖霊なる神」を教える三位一体の教義においても同様であり,キリスト教国では父なる神よりも子なる神を重要視しています。しかしキリスト教国のある部分では,父または子よりも処女なる母を崇めています。この母が大いなる蛇のかしらを砕くと教えられ,従って彼女は神の母として崇められています。―創世 3:15。

      諸国民は全く悪い出発をしました。真の崇拝のとりでから真理を受け継ぐかわりに,偽りの宗教の中心地から偽りと不敬虔なわざを受け継いだからです。それは先祖となった人々の利己主義,不信仰,不従順のためです。事態がこのようになったことは,エホバ神のお目的を妨げましたか。エホバはどのように偽りの宗教のとりでに対処し,遂にはその中から正しい人々を救い出しますか。み名を偉大なものとし,その崇拝を全地に確立するという最初の目的はどのように成就されますか。神のことばは次のように述べています,「天から雨が降り,雪が落ちてまた帰らず,地を潤して物を生えさせ,芽を出させて,種まく者に種を与え,食べる者にかてを与える。このように,わが口から出る言葉も,むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし,わたしが命じ送った事を果す」,イザヤ 55:10,11。

      偽りの宗教のとりでを破って人々を解放するため,神が何をされたかを知ることは非常に大切です。すべての国民はこのことから影響を受けてきました。偽りの宗教の発展とならんで,神のお目的がどのように成就されてきたかは,この雑誌の後の号にとりあげる問題です。

  • 実際に見て驚く
    ものみの塔 1964 | 9月1日
    • 実際に見て驚く

      ◆ アメリカ,ニュージャージー州のあるエホバの証者は,「新世界訳聖書」と「失楽園から復楽園まで」の本を求めて,エホバの証者の証言に関心を示した一人の婦人のことを次のように語っています。「私は御国会館の講演に婦人をさそいました。婦人は出席し,講演を非常に喜び,それ以後,すべての集会に出席するようになりました。私が司会している他の研究に一緒に行くことをすすめた時にも,婦人は同意しました。そののち,婦人は,いつになったら自分も家から家の伝道に参加できるのか,とたずねました。家から家の伝道を始めて約2ヵ月後,私は婦人をニューヨーク市ブルックリンのものみの塔協会印刷工場の見学にさそいました。婦人はこの見学のために仕事を一日休みました。この時の感想を書いた婦人の手紙がここにありますが,その一部は次の通りです。

      「『今日私は,聖書に約束された楽園にいるような平和な雰囲気で,多数の男女が共に働き,共に生活している様子を見ました。

      今日の世界に楽園があるでしょうか。この質問はなんどくりかえしてなさっても結構です。でも,新世社界会内にいる私たちは答を知っています。私ははじめて,自分の目でそれを見てきました。エホバの教えを人に伝えるための書物が次々に印刷されるところを見ました。エホバの導きと祝福があるなら,どんなことでも可能なのだということを今日ほど強く感じたことはありません。工場の秩序と清潔さ,また,そこで働く人のすべてがエホバの奉仕者だということには,すべての人が驚きを感ずるでしょう。さながら,エホバの巨大な手が全地の人々に手紙を書いているようでした。以前,私の心の中に,エホバの証者になることについてなんらかの疑念があったとしても,今日見たものは,そのすべてを一掃しました。それゆえ,自分もエホバに献身して,神の言葉の奉仕者になろうとの思いがかつてないほどこみあげてきます』」。

      ヨーロッパ,アフリカ,南アメリカ,アジアの各地にも,聖書文書を印刷するものみの塔協会の工場があります。こうした工場や,世界各地にある協会支部事務所で働く1461名の自発奉仕者はエホバの御国の仕事をすすめるために,そうした場所で奉仕することを特権と見なしています。

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