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中国風の迎春目ざめよ! 1971 | 1月8日
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そのあと幾日間かは,爆竹の音が絶えず聞こえます。しかし1968年には,香港の人々はおそらく初めての静かな新年を楽しみました。土地の共産主義者たちが,爆弾を作るため,爆竹用の爆薬を使っていたので,政府が爆竹を禁止したのです。
新年は家族が再会するときであるとともに,友人や親せきが訪れるときでもあります。元日と2日には,すべての家の人たちが,あちこち訪問するのが見られます。人々は贈り物のほかに,子どもたちに配る,いろいろな額のお金のはいった赤い包みをたくさん持っていきます。当然のことながら,これらの包みは子どもたちにたいへん人気があります。アメやおもちゃを買うための,こづかいになるからです。りくつの上では,独身者はだれでも赤い包みをもらう権利がありますが,実際には独身のおとなでこれを受け取る人はごくわずかです。
訪問客が来ると,砂糖菓子やスイカの種が出されます。甘いジュースや正月の菓子をすすめられることもあります。子どもたちはこうしたもてなしをたいへん喜びますが,おとなはそれほどうれしがりません。数日間,こってりした食べ物をふんだんに食べたあと,人々はよく消化不良を起こします。
正月の3日には,習慣に従い,他家の訪問を避けます。この日に他家を尋ねると,その1年間は,友だちとけんかばかりすることになる,と人々は信じています。これを信じない人も多数いますが,二日間あちこち訪問したあとの疲れを休める機会になるので,大多数の人がいまだにこの習慣を守っています。
正月の7日目は重要な日と考えられています。この日は,「万人の誕生日」とよばれます。古い習慣によると,元日は雄鶏の誕生日2日は犬の誕生日,それにつづいて,イノシシ,羊・牛・馬などの誕生日があり,7日目が人間の誕生日とされています。
広東人は,この7日の日にもう一度家族で集まって,会食をするのをならわしにしています。こうして,新年の祝いのおもなところは幕を閉じます。過去においては,15日まで祝いがつづきましたが,近ごろは人々の生活がいそがしくなってきたので,そんなに長く祝っていられる人はまれです。事実,多くの店が4日には開店します。
中国人は,先にあげた各動物共通の誕生日を定めていますが,1年を表わすにも,12の異なる動物を用います。それらの動物とは,ネズミ・牛・虎・ウサギ・竜・ヘビ・馬羊・猿・雄鶏・犬・そして猪です。その年が何年かは,二組の中国式記号,すなわち十干と十二支を組み合わせて決めます。この計算によると,1969年は鶏年でした。1970年は犬年です。
易者は,これらの動物によって,特定の年の吉凶を占うことを好みます。1967年は羊の年で,たいへんよい年のはずでしたが,香港は,その年に史上最悪の暴動を経験しました。
お金と幸運を重視する
ここ香港で新年にいちばんよく耳にするあいさつは,「幸運と富がありますように」という意味の「恭喜発財<クンヒーファチャイ>」です。察するところ,物質の富を得ることが人生における最大の成功であり,最も望ましい目標とされているようです。事実,中国人の多くの町々では,正月の5日が財神の日とされています。この日に人々は,新年に栄えがありますようにと,香をたいたり,供え物をささげたりして,財神を家に迎え入れます。昔,上海の町では,財神の帰還する前夜,人々は夜どおし起きていて,歓迎の爆竹を鳴らしたものです。
この新年のあいさつから想像できるかもしれませんが,新年の習慣の多くは,運と密接な関係があります。信心深い人々の中には,きたる年に幸運を得ようと,寺院にもうでて香をたく人がいます。その人たちは,そこに食物を供え,その食物をまた家に持ち帰って,子どもたちに食べさせます。そうすれば,子どもたちが幸運に恵まれると信じているのです。また,新年の祝いのあいだは,幸運を断ち切ることを恐れて,ナイフとかはさみなどの刃物を使わない人たちもいます。また戸口の上に,幸運を招く札をはる人も少なくありません。
新年のあいだ人々が幸運のことを非常に気にするので,それを巧みに利用している宗教もあります。家によっては,戸口の上や屋内に,ちょうちんをつるします。それには,「万事成功するように」といった,言い古るされた文句がいろいろ書かれています。それらのちょうちんは,道教や仏教の寺院から買ってくるのです。実際のところ香港には,ちょうちんの競売で1年暮らせるだけの基金を集める寺院がたくさんあります。ちょうちんは最高入札者に売られるので,ちょうちんに書かれている文句のとおりの祝福を願う人は,1個に対して100ドル以上払います。
また,新年の祝いのあいだには,運と関係のあるタブーがいくつかあります。一例として,多くの人は祝いのあいだ床をはきません。幸運を家からはきだしてしまうことを恐れるからです。はきそうじはすべて,大みそかまでにすませてしまいます。しかし,どうしてもごみをはかねばならない人は,そのはきかたに気をつかいます。つまり,家から幸運をはき出さないように,内に向けてはくのです。ですから,財神を迎えることから,新年の伝統的なあいさつ,また,床のはき方に至るまで,中国人の新年の祝いには,裕福になりたいという願望があらわに見られます。
まちがった暗示
新しい年が,いっそう大きなしあわせをもたらすことを望むのは,別に悪いことではありません。しかし,しあわせは富とともに訪れるものでしょうか。お金と幸運を重視する中国の新年の祝いはそのことを暗示するものです。けれども証拠は,明らかに,必ずしもそうでないことを物語っています。事実,富はそれ自体悪ではないにしても,裕福になりたいという欲望はたいへん有害です。信頼できる聖書はそのことを指摘しています。「それ金を愛するは諸般の悪しき事の根なり,惑る人々これを慕ひて信仰より迷ひ,さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり」― テモテ前 6:10。
したがって中国人の新年の祝いは,人々を真の幸福の源に導くものではありません。その源は,お金でもなければ富でもなく,天のまことの神エホバだからです。
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なぜあいさつをしてはならなかったのか目ざめよ! 1971 | 1月8日
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なぜあいさつをしてはならなかったのか
★ 聖書の列王紀略下 4章29節によれば,預言者エリシャが急用でしもべゲハジをつかわしたとき,途中でだれにもあいさつしないように,また,あいさつされてもそれに答えないようにとゲハジに命じたとしるされています。ルカ伝 10章4節によれば,イエスでさえ,70人の人々を伝道につかわしたとき,同様の命令を与えました。それらエホバの忠実なしもべたちは,親切で友好的な態度の持ち主であったことからすると,それはなんと奇異な話ではありませんか。しかし,そうした命令の背後にある理由を理解するには,聖書の土地に見られた種々の習慣を考慮しなければなりません。
中東の人々のあいさつには,かなりの時間がかかる場合があります。ふたりの友人が会うと,おじぎをし,互いに相手がさいわいな暮らしをしているかどうかに関し,身ぶり手ぶりをまじえながら再三ことばをかわします。そうした型どおりの最初のあいさつだけでも,数分かかるでしょう。そのうえ,さらに,他のあいさつのことばを付け加えたり,種々のたよりを長々と交換したりして,会話を続ける場合がよくあります。それには半時間かかることさえあるのです。それで,前述の神のしもべたちは,緊急な仕事をしようとしていたやさきだったので,そうした長いあいさつをかわすために立ち止まってはならないと戒められたのです。
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