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    ものみの塔 1968 | 9月1日
    • 善は急げ

      人はだれでも自分の愛する者を喜ばせるために何かしようと心に決めたことが,いつかはあったに違いありません。友人であれ配偶者また両親であれ,その人に対する愛や感謝の気持ちを表わそうと考え,贈り物,手紙,やさしいことば,あるいは何らかの親切な行ないによって自分の気持ちを表わそうとしたことがあるでしょう。その人が自分にとってどんなに大切であり,その人からしてもらった事,してもらっている事にどれだけ感謝しているかを,愛する人に知ってもらいたいからです。

      このような決意は無私の気持ちの表われであり,尊いものです。しかし何かしようと心に決めても,なかなか実行しないことがあります。それは他の事柄のためにそのことをだんだん延ばすからです。願いが心の中に燃えているうちに実行しなければ,いつまでたっても延ばしてばかりいるかもしれません。そのうちには,せっかく思いついたことを忘れてしまうか,あるいはあきらめてしまうでしょう。

      それを避けるには,次のことを知らなければなりません。現代の複雑な生活においては,せっかく良いことを思いついても,それを忘れがちになるということです。予期しない事が起こり,場合によってはそのほうにすぐ注意をむけなければなりません。しかし小さな事にふりまわされなければ,思いついた善を実行して愛する者を喜ばせ,自分も喜びを得ることでしょう。

      聖書はこのことについて賢明な助言を与えています。「お互に,またみんなに対して,いつも善を追い求めなさい」。(テサロニケ第一 5:15)善を追い求める,すなわちいつもそれを目ざす必要があることに注目してください。人間は他のことにかまけてこの好ましい性質である善を忘れる傾向があるために,このような助言が与えられているのです。愛する者や友人に善をすることを延ばす習慣に陥らないように,気をつけなければなりません。

      この次にしようと言って延期するのは,物事を当然のこととして受けとる傾向のためでもあります。どうしてそう言えますか。たとえば,年老いた両親を夕食に招待しようと前々から考えている夫婦があるとします。しかしいつも何かのさしつかえが生じて,のびのびになってしまいます。自分たちも老齢の両親も来週あるいは来月たしかに生きていることをあたりまえと考えているのではないでしょうか。確かにそうです。しかし聖書はこれについて何と述べていますか。「あなたがたは,あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたは,しばしの間あらわれて,たちまち消え行く霧にすぎない」。(ヤコブ 4:14)これは全く真実です。来週はおろか,明日どうなるか確かにわかる人はひとりもいません。―箴言 27:1。

      夫婦も互いをあたりまえと考える自己満足の気持ちに陥らないように気をつける必要があります。一生の伴侶に対して,ちょっとした思いやりを示す無数の機会をとらえてください。配偶者のために計画した善をすることを延ばす習慣をつけてはなりません。ある夫は2人の子供を残して妻に突然に死なれました。その人は,妻を当然のものと考えていたと述懐し,今になってみると,自分にとって妻がどんなに大切なものであり,また妻がどんなに夫につくしたかを妻に語れないことを残念がりました。わたしたちはこうした経験から教訓を学ぶことができます。生命ははかないものであるゆえに,わたしたちは心に決めたことをいま行なうべきです。それを延ばすべきではありません。

      計画したことを延期しないようにするには,自分の気持ちを表わすのに何か特別なことをしなければならないという考えに束縛されないことです。これは親切な気持ちを表わすのを延ばす原因となります。特別なことをしようとする計画が,かえって目的の実現を妨げるかもしれません。どうしてですか。簡単にできる小さなこともなかなかはたさず,しかも遠大な計画のほうも延期するからです。

      今日,後悔の気持ちで悩まされている人が大ぜいいます。その中には持っていたものを失って,はじめてその価値を認識した人がいます。またせっかく良いことを考えながら延期しているうちに肝心の相手に死なれてしまった人もいます。そしてしようと思えばできたのに実行しなかったことを悔いて心を悩ませます。過ぎたことは今さらどうにもできませんが,このような人は経験から学べます。ふたたびくり返さないことを決意して,改めることができます。遂に実現しなかった過去のことで悩むよりも,いま生きている愛する者に善を行なう機会を積極的にとらえることができます。この教訓はわたしたちすべてにあてはまります。わたしたちは計画した善を,機会のあるいま行なうべきです。確かに復活の希望はあります。しかしその時まで待つ必要はありません。

      ある少女は賢明にも自分の気高い願いをすぐに実行し,両親に次のように書き送りました。「お父さんとお母さんへ。昨日の『ものみの塔』研究は良いものでした。わたしは子供のころを思い出し,エホバの薫陶とこらしめによって育ててくださった,すばらしい両親を持ったことに対し,エホバに感謝しました。お父さん,お母さん,どうもありがとう。わたしは成長するにつれて,そのことをますますありがたく思うようになりました」。両親は喜んだに違いありません。両親の苦労に対する深い感謝の念を言い表わすのは,賢明であり,愛のあることです。両親の愛,無私の働き,自己犠牲に対する感謝の気持ちを,いま表わしてください。

      わたしたち自身の益のためのみならず,自尊心のためにも,物事とくに有益な善をすることを延ばす傾向に打ち勝つことが必要です。神のことばの述べることを心にとめるならば,励みを得ます。「あなたの手に善をなす力があるならば,これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」。(箴言 3:27)だれかに何か親切なことをしてあげようと心に決めましたか。延ばさないで今それをしてください。

  • 骨も造られた
    ものみの塔 1968 | 9月1日
    • 骨も造られた

      ● エホバは,ご自分の創造物について論じられた時,ヨブの注意をカバに向けさせ,その骨は「鉄の棒」のごとく,「銅の管」のごとしと述べられた。(ヨブ 40:18)同様に驚嘆すべきものとして,人間の耳の微小なあぶみ骨がある。その長さはわずか2.6~3.4ミリで,重量は2.0~4.3ミリグラムしかない。カバのどっしりしたあしの骨を創造された神は,人間の耳の小さなあぶみ骨をも造られた。

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