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良いたよりを全世界に宣布するものみの塔 1971 | 5月15日
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良いたよりを全世界に宣布する
「良いたよりをもたらす者,平和を宣明する者,何かさらに良いことについての良いたよりをもたらす者,救いを宣明する者,シオンに向かって,『あなたの神は王となられた』と言う者の足は,山々の上にあってなんとうるわしいのだろう」― イザヤ 52:7,新。
1,2 宇宙のはるかかなたから見た地球はどのように映りますか。神が地球を創造された時,天使たちはどう応じましたか。
あなたの知性の目を用いて,アポロ8号の飛行士たちによって初めて写真に取られた時の地球を描いてみてください。暗黒の空間に浮かぶその地球は,太陽の光線に照りはえて,さまざまな色の施された,巨大なボーリングのボールのように見えます。幾重にも連らなる,綿のような白い雲の合い間から,水をたたえた海洋の輝かんばかりの青,また陸地のあやなす色合い豊かな茶や緑が目に映ります。神は人類のために,なんと美しい惑星を創造されたのでしょう。そこに住むすべての人のために,神は良いたよりを持っておられるのです。それが何かご存じですか。
2 宇宙のはるかかなたの位置から地球をながめる人は,神が地球を創造された時,神の天使の子たちが「称賛の叫びをあげ始めた」と聖書が述べている理由を,容易に想像できます。(ヨブ 38:7,新)地球はこの太陽系の他の惑星すべてと著しく異なっているため,天使たちは創造者なるエホバ神を賛美し,こぞって喜びの叫びをあげずにはおれなかったのです。次いで,神が地に生きた動物を住まわせ,地上におけるご自分のわざの頂点にも位すべき人間を創造された時,天使たちが称賛の叫びをあげる理由はさらにいっそう強力なものになりました。
3,4 神なしで自らを治めようとする人間の努力の結果,地には何が起こっていますか。
3 しかし,神が人間を創造されて以来,地上では何が起こっていますか。人間が自分の創造者に反逆し背を向けたため,生活条件は理想からほど遠い状態にあります。人々は自分自身の知恵にたより,神なしで地を支配しようと努めてきました。その結果は,途方もない混乱です。人類は国家的な単位に分けられ,互いの間で絶えず論争や戦争をくり返しています。大都会はアスファルトのジャングルと化し,人が人をえじきにして理性のない野獣同様にふるまっています。暴力,犯罪,不正,反抗が至る所で見られます。
4 人間は,命のよりどころである地球の環境を破壊する,という愚行さえ犯しています。大気の汚染や川・湖・海の汚濁をもたらしています。無分別な農業方式を実施して肥よくな土地をそこない,無数の野性動物を無残にも殺し,多くの種類を絶滅させてしまいました。神なしで自らを治めようとする人間の努力は,まさにとてつもない失敗に終わっています。
何かさらに良いことがこようとしている
5,6 人類のために神が持っておられる良いたよりはなんですか。戦争に関する神の処置はどのように予告されましたか。
5 「行はるゝところの諸の憎むべき事のために歎き哀しむ」人たちすべてのために,この美しい地球の創造者は良いたよりを持っておられます。(エゼキエル 9:4)彼はご自分の構成する王国をすでに樹立され,それによって全地を公正と正義のうちに支配します。その支配のもとでは,人類はもはや互いに戦争をする国家群に分けられることなく,恒久平和のうちに生活します。
6 すでに起こっているかのような表現方法を用いて,聖書の預言はこう述べています。「きたりてエホバの事跡をみよエホバはおほくの懼るべきことを地になしたまへり エホバは地のはてまでも戦闘をやめしめ弓ををり戈をたち戦車を火にてやきたまふ」。(詩 46:8,9)この預言が書かれた時代に使われたそれら古代の武器は,あらゆる兵器を象徴するためにここで用いられています。神の王国の平和と正義の統治のもとでは,そうした物は全く必要ありません。
7 神の王国の基礎が何かを示しなさい。王国のもとでは,人々がなぜ正直かつ真実な行動をするのかを説明しなさい。
7 その王国の王はすでに選ばれ,職に任ぜられています。それはエホバ神の,試みられた忠実な御子,イエス・キリストにほかなりません。彼は聖書預言の中で,「試をへたる石たふとき隅石かたくすえたる石」と呼ばれています。(イザヤ 28:16)神の王国の全構造は,その王としての彼の上に築かれています。イザヤのこの預言は続けて,イエス・キリストのもとでの神の王国の支配が,公正と正義の支配であることを予告しています。「われ〔公正〕を準縄とし正義を錘とす」。(イザヤ 28:17〔新〕)鉛錘線が建造物の支柱や壁の真実の状態を明らかにするのと同じように,神の王国において顕著な位置を占める正義の特質により,人々は正直かつ真実な行動を取るよう促されます。不完全な人間の不等な支配のもとにある今日の状態とは,なんと大きな隔たりがあることでしょう。邪悪な人々は,「虚偽をもて避所となし欺詐をもて身をかくし」ているのです。―イザヤ 28:15。
8 神の王国の支配のもとでは,だれひとり恐れや不安を感ずる必要がありません。なぜですか。
8 神の王国では,正義の支配者たちが公正,正義および平和をもって地を支配するのですから,だれひとり恐れや不安を感じる必要はありません。もはや人に暴力を加えたり人の命をおどしたり,あるいは,他人の所有物を盗もうなどとしたりする邪悪な者は存在しません。わたしたちの創造者は,「あしきものは久しからずしてうせん」との保証を与えておられます。(詩 37:10)この地は,神の律法に反逆してそれを破るどう猛な人々に制圧される代わりに,気質が柔和で,神の律法に従順な人たちがそれを所有します。イエス・キリスト自ら,次のように言ってこのことを予告されました。「幸福なるかな,柔和なる者。その人は地を嗣がん」。これは確かに良いたよりです。―マタイ 5:5。詩 37:11。
9 神の王国,特にその樹立が人類にとって良いたよりである理由を説明しなさい。
9 神が地に対して持っておられる驚くべき目的を考えると,神の王国は人類にとって良いたよりです。それは,邪悪な者が地をいつまでも制圧することがないという保証と,はるかにすぐれた生活条件が整えられるという希望をわたしたちに与えます。神の王国が天に建てられたこと,そして,今わたしたちが現在の邪悪な事物の体制の終わりの日に生きている事実は,特に良いたよりです。この時代にあってその王国に信頼を置く人々に対し,イエス・キリストはこう言われました。「しかし,これらの事柄が起こりだすとき,身をまっすぐに起こし,あなたがたの頭をもたげなさい。なぜなら,あなたがたの救出は近づいているからです」― ルカ 21:28,新。
1世紀に始まる
10 (イ)良いたよりを宣布するわざはいつ,そしてどのように始まりましたか。(ロ)王国は当時なぜ近いと言えたのですか。
10 王国の良いたよりの宣布は,西暦1世紀に始まりました。それはイエス・キリストによって着手され,彼の追随者はそれに携わるよう教え導かれました。「行くときには,『天の王国は近づいた』と言って,伝道しなさい」。(マタイ 10:7; 4:12-17,新)神の王国はその当時まだ建てられてはいませんでしたが,この音信は適切なものであり,王国は近いと言えました。なぜなら,油をそそがれたその王がそこにおられたからです。彼はそれを代表していたのです。
11 良いたよりの伝道されるべき方法について,イエスはどのように模範を残されましたか。
11 イエスは王国の良いたよりを携えて,直接人々のところに行って伝道しました。「それから彼はガリラヤの全土をあまねく回り,彼らの諸会堂で教え,王国の良いたよりを伝道……された」。(マタイ 4:23,新)彼は個々の家でも人々に伝道しました。二,三の例をあげると,エリコのザアカイ,マタイ,娘を死で失ったばかりのある支配者などの家を訪問されました。(ルカ 19:5。マタイ 9:9,10,18,23)イエスはまた,山や海岸,それに市の開かれる広場などで伝道されました。支配者,祭司,商人,漁夫,収税吏,売春婦,兵士,その他あらゆる種類の人々に伝道されました。このようにしてイエスは,追随者たちが王国の良いたよりを伝道するための模範を残されたのです。
12 イエスはイザヤ書 61章1,2節の預言をどのように成就しましたか。
12 イエスは良いたよりを宣布して歩き回りながら,イザヤ書 61章1,2節(新)の預言を成就しておられました。「主エホバの霊がわたしの上にある。温順な者たちに良いたよりを宣布させるため,エホバがわたしに油を注がれたからである。彼はわたしをつかわされた。エホバの善意の年……を宣布するため,嘆き悲しむ者たちすべてを慰めるため……である」。苦難にあえいでいた当時の温順な人々にとって,自分たちの間に彼が王国の良いたよりを携えて到来するということは確かに快い光景でした。彼の足はうるわしい,快い光景であったことでしょう。自分たちのために行なってくださった善のゆえに,人々は彼が自分たちの間に来たことを感謝したことでしょう。彼は,苦難にあえいでいる者たちに慰めを,傷心している者たちに希望をもたらしました。ご自分の王国によってもたらされる何かさらに良いことを,神が目的とされているのを彼らはイエスから学びました。
13 ペンテコステ以後,イエスの弟子たちが,伝道に関する彼の模範にどのように従ったかを述べなさい。
13 イエスの残された模範にならって,西暦33年のペンテコステの後,彼の弟子たちは,たとえ迫害によって散らされても,その行くさきざきで王国の良いたよりを伝道しました。「しかしながら,散らされた者たちはみことばの良いたよりを宣べ伝えながら,当地を行きめぐりました」。(使行 8:4,新)彼らはイザヤ書 52章7節(新)の成就に用いられたのです。「良いたよりをもたらす者,平和を宣明する者,何かさらに良いことについての良いたよりをもたらす者,救いを宣明する者,シオンに向かって,『あなたの神は王となられた』と言う者の足は,山々の上にあってなんとうるわしいのだろう」。他の国々に行った者たちも良いたよりを伝道しました。使徒パウロおよび彼とともに旅行した者たちが,長い年月,数か国でこのわざを行なったことに関して,聖書は詳細な情報を提供しています。イエスと同じく彼らも,直接人々の所に行きました。家々を訪問し,市場やその他,一般の人々が集合する場所で話をしました。
14 パウロは,人々が神の目的を学ぶの助けるために払った自分の努力についてどう述べていますか。
14 使徒パウロは,自分の努力を通して神の王国の希望をいだくにいたった,小アジアにおける一群の人々に向かいこう言いました。「わがアジヤに来りし初の日より如何なる状にて常に汝らとともに居りしかは,汝らの知る所なり。即ち謙遜の限をつくし,涙を流し,ユダヤ人の計略によりて迫り来し艱難に耐へて主につかへ,益となる事は何くれとなく憚らずして告げ,公然にても家々にても汝らを教へ(たり)」。(使行 20:18-20)人類のために神の定められた良いことを人々が学べるよう,彼がいかに尽力したかを見てください。彼が良いたよりをもって慰めた多くの人々にとって,パウロの足もやはり「うるわしく」,また,快く映らなかったでしょうか。
15 イザヤ書 52章7節の預言がイエスの油そそがれた追随者にあてはまると,どうして確信できますか。
15 最終的にイエスとともに支配する見込みを持つ,イエスの油そそがれた追随者たちは,イザヤ書 52章7節の預言を成就します。それはパウロ自らが明らかにしているところです。彼らも平和を宣明し,「さらに良いことについての良いたより」をもたらし,救いを宣明します。他の人々に良いたよりを伝道する必要を彼らに指摘して,パウロはこう書きました。「しかしながら,信仰を置いていないかたを,どうして彼らは呼び求めるでしょうか。また,聞いたこともないかたに,どうして彼らは信仰を置くでしょうか。また,だれか伝道する者がなければ,どうして彼らは聞くでしょうか。また,つかわされたのでないかぎり,どうして彼らは伝道するでしょうか。まさに書かれているとおりです。『良い事柄についての良いたよりを宣べ伝える者たちの足はなんとうるわしいのだろう』」。(ロマ 10:14,15,新)パウロがイザヤ書 52章7節の預言を引用して,良いたよりを宣布するイエスの模範に従う人々に,それをあてはめている点に注目してください。
16 初期クリスチャン組織によって行なわれた伝道は,どんな結果をもたらしましたか。
16 初期クリスチャン組織が伝道に対して熱心に勤勉な努力を払った結果,多くの国々の人が良いたよりを聞き,信者になりました。キプロスおよび小アジアを巡る,パウロとバルナバの第1回宣教旅行の成果を,聖書は次のように報じています。「既に到りて〔会衆〕の人々を集めたれば,神が己らと偕に在して成し給ひし凡てのこと並に信仰の門を異邦人にひらき給ひしことを述ぶ」。(使行 14:27〔新〕)それら他の国々で注意深く聞き,聞いた事柄に信仰をもって応じた人々は,自分たちのところにパウロとバルナバが来てくれたことを深く感謝しました。彼らが,良いたよりのそれら宣明者の足を「うるわしい」ものと見たことはまちがいありません。こうして,良いたよりはローマ帝国全域に広まり,その結果,非常に多くの人々が神の組織の一員となりました。しかし,それは始まりにすぎませんでした。
「人の住む全地で宣べ伝えられる」
17,18 使徒たちの死後,クリスチャンの組織に何が起こりましたか。
17 使徒たちの死後,偽りの諸宗教から退廃的な信条が持ち込まれたため,クリスチャンの組織は堕落しはじめました。また,自己の考えを提唱する者たちが現われ,会衆内に分派が生じました。そうした尊大な人たちは自分の側に会衆の成員を集め,自己の歩みにしたがって離れて行きました。これはすべて使徒パウロによって予告されていたことです。「われ知る,わが出で去るのち暴き豺狼なんぢらの中に入りきたりて群れを惜まず,又なんぢらの中よりも,弟子たちを己が方に引き入れんとて,曲れることを語るもの起らん」― 使行 20:29,30。
18 クリスチャン組織のこの堕落をきっかけに,表面的にはキリスト教でありながら,その実,異教の種々の虚偽と融合させられた融合宗教ができあがりました。異教の信条と慣行とに満ちていたため,それはローマ帝国内でそれほど反対されなくなり,ついには帝国を制圧する地位につけられることになりました。想像できるとおり,この堕落した組織は王国の良いたよりの伝道を遂行しませんでしたし,人々にそうすることを奨励もしませんでした。人々は霊的な意味では死んだのです。
19 剣による改宗に関して,神のクリスチャン組織を責めることができますか。
19 このことから,その組織は真のクリスチャン組織ではなく,ヨーロッパじゅうの人々を,世にいうクリスチャンに強制的にならせるため,武器を用いることさえ辞さない組織であったと理解されます。それはイエスが自分の追随者に教示された,弟子を作るための方法ではありませんでした。そうした強制的な改宗は,神の真理のことばより自分自身の考えを重要視した人たちの,ゆがんだ思想から生み出されたものです。それらの人たちは僧職階級となり,人間の宗教哲学を説教し,それを説教された教会員たちは不活発で下位の一般信徒の階級を構成するにいたりました。それは神の方法ではなく,その方法を奨励した宗教組織は神の組織ではありませんでした。良いたよりの伝道は停止したものの,それが永久に絶えたままであることは神の意志ではなく,良いたよりが人の住む全地で宣べ伝えられることこそ,神の意志であったのです。
20 良いたよりの伝道がどのように再興されたか説明しなさい。
20 何世紀も経た後,すなわち19世紀の後半になって,神は良いたよりの伝道のわざを再興されました。その再興はアメリカ,ペンシルベニア州アレゲーニーにいた,小グループの聖書研究生とともに始まりました。彼らは,イエス・キリストが自分の追随者に与えられた使命を,キリスト教世界の諸教会が果たしていないことをはっきりと知りました。その代わりに諸教会は,政治,社会事業,人間の哲学,聖書に反する教え,人間の伝統といったものに深入りしていました。イエス・キリストのそれら現代の追随者は,良いたよりを宣布する必要を認め,すすんで奉仕する用意のあることをイザヤ同様に表明しました。その預言者はこう言いました。「我……エホバの声をきく曰く われ誰をつかはさん誰かわれらのために往べきかとそのとき我いひけるはわれ比にあり我をつかはしたまへ」。(イザヤ 6:8)こうして,その忠実なクリスチャンの群れはチャールズ・テーズ・ラッセルの指導のもとに,長い間おろそかにされていた王国の良いたよりの宣布のわざを始めました。神のクリスチャン組織が再び出現しました。
21,22 (イ)良いたよりの宣布者の数は,1870年代からどの程度ふえましたか。(ロ)彼らは「終わりの日」に対するイエスの預言をどのように成就してきましたか。また,イエスの模範にどのように従ってきましたか。
21 1870年代当時のその小規模な始まりから,良いたよりの宣布者たちの集まりは,活発なエホバのクリスチャン証人100万名を超える今日の組織へと成長しました。これは神の活動的な組織であり,現在の世の事物の体制の終わりの日に行なわれるであろうとイエスが予告されたこと,つまり「すべての国の民に対する証として,人の住む全地で」王国の良いたよりを伝道することを推し進めてきました。―マタイ 24:14,新。
22 このクリスチャン組織では,献身してバプテスマを受けた人すべてが伝道者です。全員が活動的であり,宣教に活発であり続けるようエホバの組織から絶えず励まされています。これが使徒たちの生存していた1世紀のエホバの組織のあり方でした。彼らはイエスと同様,人々の家やその他すすんで耳を傾ける人を見いだせる所ならどこへでも出かけて行きます。それら伝道者のもたらす良いたよりによって慰められ,感謝に満ちた人々にとり,彼らの姿は快い光景です。
23 神の組織が今日,どのように人の住む全地で実際に良いたよりを伝道しているかを示しなさい。
23 1世紀においては,地中海周辺の国々に対する良いたよりの伝道にかなりの力が注がれましたが,今日ではイエスの予告されたとおり,人の住む全地にわたって伝道が行なわれており,わたしたちはそれを見ています。1970年,エホバの証人は206の国々で良いたよりの伝道に忙しく携わり,そのために2億6,700万時間を費やし,神のことばと目的に関する文書を約2億3,200万部配布しました。良いたよりのこうした規模の伝道こそ,邪悪な人々の体制の終わりの日に地にあまねく行なわれると,1,900年前にイエスが予見されたものに違いありません。
伝道する組織
24,25 神が用いられる者たちの間になぜ組織が必要なのですか。初期のクリスチャンたちの間に組織が存在していたことについて,どんな証拠がありますか。
24 神の目的とされている良いたよりの世界的な伝道を遂行するためには,組織が必要です。それは神からの伝道のわざを行なうために用いられている,幾十万人ものクリスチャンの努力を統合するために必要です。その統治体は最善の成果が得られるようわざを指揮し,意見の相違を解決します。そのような組織は西暦33年のペンテコステの後に存在しており,その統治体は12人の使徒およびエルサレムの他の円熟したクリスチャン数名から成っていました。この群れは決定を下したり,特別の奉仕に人々を任命したり,論争を解決したりしました。使徒行伝の15章に見られるように,その決定は当時のクリスチャンたちの全組織に対して拘束力を有するものでした。
25 使徒行伝 15章,特に23節から29節までを読むと,神の組織の統治体が活動しているさまがわかります。シリヤのアンテオケにいたクリスチャンたちの間に論争が生じ,その問題は地方で解決がつかないまま統治体の前に持ち出されました。それを審理した後に統治体は決定を下し,その決定はアンテオケに通報されました。
26 今日の神の組織における統治体の実体を明らかにしなさい。
26 今日,王国の良いたよりを伝道するために神が起こされた組織にも,統治体があります。それはイエスがマタイ伝 24章45節から47節(新)のたとえの中で話された,油そそがれたクリスチャンの「忠実なさとい奴隷」級を代表しています。彼らは「時に応じて」霊的な食物を供給する自分たちの責任を果たしており,統治体を通してそれを行なっています。この統治体は,ペンシルバニヤ州のものみの塔聖書冊子協会の,油そそがれた者たちから成る理事会と密接に提携しています。
27 神の組織がどのように,神の関心事にのみ仕えることに専心しているかを示しなさい。
27 政治や社会改革,商業の運営や会社の投資に深いかかわりを持っているキリスト教世界の諸教会と違って,忠実な証人たちから成る神の組織は唯一のこと,つまり王国の良いたよりの伝道のみを集中して行なってきました。その組織はイエスが自分の追随者に与えた,「すべての国の人々を弟子とし…わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るよう教えなさい」との使命を,決して見失いませんでした。(マタイ 28:19,20,新)それゆえ今日この組織は,王国の良いたよりの世界的な伝道に関するイエスの預言を成就しているのです。―マタイ 24:14,新。
28,29 イエスは,良いたよりの宣布者になるようだれを訓練しましたか。この点に関して,神の組織は今日どのように彼の模範に従っていますか。
28 王国の良いたよりを伝道された時のイエスは,漁夫や収税吏などといった一般の人々を,神の真理のことばの伝道者および教え手となるよう教えられました。高等教育を施す当時の宗教の学校で訓練された律法学者やパリサイ人たちと違って,それら一般の人々は神からの祝福と権限を受けて伝道しました。彼らは神の意志を実際に行ないましたが,律法学者やパリサイ人のほうは行ないませんでした。
29 同様に今日でも,神の組織はあらゆる身分の一般の人々を,書かれた神のことばの伝道者および教え手となるよう教えたり,訓練したりします。彼らは伝道を行なう,神からの権限を授与されるため,高等教育を施す神学校に行く必要はありません。その組織は子どもたちをさえ訓練して,良いたよりを伝道できるようにします。イエスの時代の漁夫たちと同様それら一般の人々は,自分ができるなどとは夢にも思わなかった事柄を行なうよう教えられています。
30 他の国々へ送られる人たちにどんな訓練が施されますか。彼らの努力はどんな成果をもたらしていますか。
30 この組織によって設立された特別の学校は,選ばれた人たちを宣教者として他の国々へ送るための訓練をも施しています。聖書および外国語に関して,5か月間の課程から成る集中的な研究をします。割り当てられた外国の地に到着すると,王国の良いたよりを宣布し,その土地の人々に神のことばの真理を教えるため,彼らは1か月に150時間をささげます。この特別な学校であるギレアデの卒業生は,世界の多くの国々,地域,島々で良いたよりの伝道のわざを開始し,神の王国の立場を取るよう幾千人もの人々を援助してきました。
あとどれほどか
31,32 良いたよりの世界的な伝道によって何が示されていますか。イザヤ書 52章7節の成就として,神の組織は何を行なってきていますか。
31 良いたよりが人の住む全地で現に伝道されており,その規模は今までに類例を見ないほどのものであるという事実それ自体,人間の作った諸政府から成る現在の事物の体制の終わりの日にわたしたちが位置していることを明白にしています。これが,イエスの予告した他の世界的なできごとと平衡して見られるようになるなら,その時は「終わりの時」であり,最終的な最高潮が近いことをイエスは明確にされました。―ルカ 21:28,新。
32 わたしたちは西暦1914年以降,「終わりの時」にいます。この間,証人たちから成るエホバの組織は「平和を宣明(し)」,「何か良いことについての良いたよりをもたら(し)」,さらに「あなたの神は王となられた」と言っています。これは預言者イザヤの予告した事柄です。―イザヤ 52:7,新。黙示 11:17,18。
33 エホバの組織の一員であることからもたらされる祝福を望むものは,だれでも,良いたよりを伝道することが重要です。なぜですか。
33 良いたよりを宣布するために残されている時間は非常に短くなっています。しかしなすべきことはまだ多くあります。「収穫はおほく労働人はすくなし」と,イエスは言われたからです。(マタイ 9:37)神がご自分の組織の中の者たちのために備えておられる祝福を望むなら,今その一員になってください。良いたよりの活発な宣布者となって,取り入れのわざに加わってください。この美しい地球に対するエホバ神の目的が何かを人々に知らせてあげましょう。イザヤが預言した人々,すなわち平和を宣明し,何か良いことについての良いたよりをもたらす者たちのひとりになってください。
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良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所ものみの塔 1971 | 5月15日
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良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所
「マケドニア内に渡ってきて,わたしたちを助けてください」― 使行 16:9,新。
1,2 エペソを初めて訪問したパウロはどんな経験をしましたか。彼は何に気づき,どんな約束をしましたか。
神の王国の良いたよりを宣布するクリスチャンの責任を認識している者たちにとって,とどまって真理を教えてくれるようにと人々から懇願されるのは,胸の踊る経験です。イエス・キリストの使徒であったパウロは,小アジアのエペソ市を初めて訪問した時にそうした経験をしました。それは西暦1世紀の中ごろのことです。第2回目の宣教旅行をしていたパウロは,シリアのアンテオケへ向かって帰る途中,そこにしばらく立ち寄りました。彼が良いたよりを宣布するのを聞いたある会堂の人たちは,自分たちがもっと話を聞けるよう彼にとどまって欲しいと,しいて依頼しました。
2 パウロはエペソにおける良いたよりの伝道者の必要性が大きいことに気づきました。彼はその時にはとどまって彼らを助けることができませんでしたが,帰ってくることを約束してこう言いました。「エホバが望まれるなら,わたしは再びあなたがたのところに帰ってきます」。(使行 18:21,新)彼は3回目の宣教旅行の際にその約束を果たし,そこで3年間の実り豊かな時期を過ごしました。エペソに彼は会衆を設立しました。それは,40年余の後,復活したイエス・キリストによって特別に言及された会衆です。イエスは使徒ヨハネに霊感を与えて,エペソ会衆の忍耐と働きをほめると同時に,「初の愛を離れた」ことについて叱責を与えさせました。―黙示 2:2-4。
3 3回目の宣教旅行でエペソの人たちと話した際,パウロはどのように正しい態度を表明しましたか。
3 3回目の宣教旅行の終わりに,パウロはエペソの少し南にある小さな町ミレトに寄りました。そこで彼はエペソの会衆の年長の男たちを呼び寄せました。彼らが到着すると,パウロは彼らと話し合い,彼らが良いたよりを学ぶことができるよう自分がどのように尽力したかを思い起こさせました。小アジアの半島の西方を包含し,エペソをその首都とする,アジアのローマ領に足を踏み入れた当初から,迫害にもかかわらず彼は良いたよりの伝道を続けました。このりっぱな態度は,良いたよりの宣布者を大いに必要としている所へ行く人々に,今日要求されるものです。
4 マケドニアに来て,そこの人々を助けてくださいとの嘆願に,パウロはどのように応じましたか。
4 それよりも以前,さらに多くの伝道者を必要としている所ですすんで奉仕する用意があることをパウロは明らかにしました。それは2回目の宣教旅行の時のことです。彼は小アジアの半島の北西部先端にあるトロアスという町にいました。そこで彼は,マケドニアに来てそこの人々を助けるよう,自分に懇願しているひとりのマケドニアの男の人の幻を見ました。(使行 16:9,10)これを必要の非常に大きいその地域に行けとのエホバの指示に解したパウロは,さっそく船に乗り込み,マケドニアのネアポリスに向けて出帆しました。そこから彼は,通商路に当たるピリピ市に行きました。通商路に当たる諸都市に居を定めるのが彼のいつもの方法でした。そうすることによって彼の伝道した事柄が,旅行者たちによって他の都市に携えて行かれるように,と考えたからに違いありません。ピリピに彼が設立した会衆は,パウロの働きに常に特別の感謝の念をいだき,しばしば贈り物を送りました。
5 パウロ,アクラ,プリスキラはどんな模範をわたしたちのために残しましたか。
5 パウロは,今日のエホバの献身したしもべたちのためにりっぱな模範を示しました。自分の生活の中で神の王国の関心事を第一とし,伝道者を大いに必要としている他の場所にすすんで出かけて行きました。アクラとプリスキラについても同じことが言えたようです。パウロは2回目の宣教旅行中,コリントでこのふたりに会い,パウロが去るとき彼らはエペソまで同伴しました。彼らはそこにとどまって伝道しました。今日エホバの献身したしもべとなった人々は,同様に,自分たちのいる土地に比べて良いたよりの伝道者をさらに必要としている所で,自らすすんで奉仕する用意のあることを示せます。
必要の大きい場所
6,7 (イ)どうすれば王国の伝道者は自分の努力をもっと実り豊かなものにすることができますか。(ロ)自分のいる所で良い成果を収めているクリスチャンは,他の区域に移るべきですか。
6 王国の良いたよりの伝道者をさらに多く,また切実に必要としている場所は,今日たくさんあります。そしてそうした場所は現在の事物の体制に残された短い期間,宣教に対する努力をできるだけ実り豊かなものにするためのすばらしい機会を,エホバの献身したしもべたちに提供します。
7 それら献身したクリスチャンで,自分の会衆に割り当てられた区域内において良い成果を収めており,人々がエホバの組織と交わって王国の良いたよりに応じているならば,その人は言うまでもなく今の場所で必要とされているのです。宣教のための肥よくな畑を持っているわけですから,他の場所に行くよりそこで引き続き働くほうが良いでしょう。しかし,その区域で何度働くにもかかわらず,自分の努力がたいして実を結ばない場合にはどうしますか。努力の手をゆるめるか,やめてしまいますか。決してそうあってはなりません。その人の忍耐はエホバ神に喜ばれるものとなっています。
8 地域が産出的でない場合,もし可能なら他の場所に移ることが望ましいのはなぜですか。
8 しかしながら,さらに多くの伝道者が必要とされる他の地域で,援助の手を差し伸べることのできる立場にある人にとって,その地域に移るのは賢明ではありませんか。自分の舟の位置が漁猟に良くないことに気づく漁夫は,漁獲の可能性のもっと大きい場所に舟を動かします。一日が終わる前に,できるだけ多くの魚を取ることに関心があるからです。今日エホバの証人は霊的な漁夫として,自分たちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くことを欲しています。
9,10 他の国へ移ることのできる人が考慮できる,必要の非常に大きい国の幾つかをあげなさい。
9 伝道者をとりわけ大いに必要としている他の国へ行くよう,事情を調整できる家族もあることでしょう。アメリカにおける伝道者の比率は,人口524人につき一人ですが,それほど比率がよくなく,神の王国の良いたよりを伝道する人々がもっと多く必要であることを示している国が相当あります。たとえば,ボリビアでは4,222人に一人,エルサルバドル,1,951人に一人,グアテマラ,2,298人に一人,コロンビア,3,021人に一人,エクアドル,2,095人に一人,パラグァイ,2,963人に一人,ペルー,3,007人に一人という比率になっています。これらの国はすべて中南米にあり,“漁獲”はたいへん良好であることが証明されています。しかしながら,それらの中のある国には今でも,エホバの民から成る会衆が一つもない都市が幾つもあります。
10 ではアフリカを調べて,そこでの王国の伝道者の必要性がどれほど大きいかを見ることにしましょう。エホバの証人の比率は,ブルンジでは人口7万1,174人に一人,セネガル,2万339人に一人,ガンビア,3万5,111人に一人,象牙海岸,9,513人に一人,ケニア,1万1,094人に一人,マリ共和国,70万人に一人,ニジェール,10万6,296人に一人,チャド,5万人に一人,ウガンダ,9万8,234人に一人となっています。こうした国々は,他の国へ移ることのできるエホバの献身したしもべたちに,すばらしい“漁獲”の機会を提供します。
11,12 証人の宣教者がアフリカのある国々で経験している事柄を述べなさい。
11 それらの中のある国々においては非常に強い関心が見られ,証人たちは,聖書研究を望んで自分の順番の来るのを待っている人々の名簿を持っているほどです。たとえばケニアでは,約束を守らない人のために証人は時間を浪費しません。研究が行なわれるはずの時間に,人が家をるすにすることが二,三回あると,証人はその研究を取りやめ,認識をもっと示す他の人と時間を費やします。研究が取りやめになった後に,その人が取り決めを守ることを約束し,研究の再開を望むなら,その人は研究の番を待っている人々の名簿の最後の所に自分の名前を記入してもらえます。
12 ダホメーに行ったある宣教者の報告によると,わずか6か月かそこらの間に,15の家庭聖書研究を司会するようになったとのことです。彼女はこう書いています。「研究したい人すべてを構ってあげる時間はとてもありません。町でわたしたちのことはとてもよく知られるようになっており,人々はわたしたちを呼び止めては,自分と研究してくれませんかと尋ねます」。これらの国々における良好な“漁獲”の状況は,エホバの組織と交わっている人々のすばらしい増加からも示されています。この人たちも王国の良いたよりを活発に宣布しています。
13 ある証人はトラック諸島でどんな経験をしましたか。ついては,どんな質問が提起されますか。
13 想像がつくように,伝道者を特別に必要としている国々へ行った人たちは,力づけられる経験をしています。トラック地域にある多くの島々の幾つかを訪問したひとりの人は,聖書を一度も見たことがなく,王国の良いたよりを一度も聞いたことのない人々に出会いました。彼らはその人の話を熱心に聞きました。彼がしばらくのあいだそれらの人々に伝道してから島を去る時,「いつ帰ってくるのですか」と,島民は彼に何度も尋ねました。使徒パウロが最初に訪問した時の古代エペソの人々と似ているではありませんか。いろいろな国にいるそうした人々の,「渡ってきて,わたしたちを助けてください」という嘆願に,あなたは応じられますか。
自分の国の中で
14 自国内でもっと多くの宣布者が必要とされる所で,どのように奉仕をすることができますか。
14 家族で他の国へ行くことができなければ,自分の国の中の孤立した区域の一つに移ることはできるかもしれません。多くの証人はそうして,良い成果を収めました。自分たちの郷里から相当遠く離れた地域に移った家族もいますし,もっと援助の必要な,数キロしか離れていない所に移った家族もいます。ある場合には,その区域がエホバの証人の会衆から孤立しており,人々の関心を育てて,会衆を設立しなければならないことがあります。またある場合には,会衆はあっても,小さくて弱い状態であるということがあります。その会衆には助けと励ましが必要です。さらに,会衆がより強力なリーダーシップを必要としている場合もあり,それはエホバの組織の円熟した奉仕者にとって,家族を伴ってその町に行き,そこで会衆を助ける機会を提供するものです。
15 円熟したクリスチャンはどのように小さい会衆を助けることができますか。
15 円熟した証人が,助けを必要とする小さな会衆の所在地に移るなら,その益は大きいと言えます。宣教に熱心に率先することによって,会衆にいわば新しい生命を吹き込み,地方の証人たちがより産出的な「人を漁る者」となるよう助けることができます。(マタイ 4:19)そういう奉仕者たちは,パウロと彼の仲間がテサロニケの会衆にとってそうであったように,地方の会衆を鼓舞する模範となりえます。テサロニケの会衆のクリスチャンにあてて,パウロは次のように書いています。「神に愛せられる兄弟よ,また汝らの選ばれたることを知るに因りてなり。それ我らの福音の汝らに至りしは,言にのみ由らず,能力と聖霊と大なる確信とに由れり,且われらが汝らの中にありて汝らの為に如何なる行為をなししかは汝らの知る所なり。斯て汝らは……我ら及び主に効ふ者とな(れり)」― テサロニケ前 1:4-6。
16 使徒パウロはどんな特別な喜びを味わいましたか。今日の証人は自国内でどのようにその喜びにあずかれますか。
16 使徒パウロは,王国の良いたよりを伝道する新しい区域を切り開くことに大きな喜びを覚えました。ローマに住んでいたローマ人のクリスチャンにあてた手紙の中で,彼はその喜びを次のように言い表わしました。「我は努めて他人の置えたる基礎のうへに建てじとて未だキリストの御名の称へられぬ所にのみ福音を宣伝へたり」。(ロマ 15:20,21)会衆の設立されていない孤立した区域にすすんで引っ越す今日の証人たちは,同じ喜びを味わうことができます。
17 伝道者の必要が特に大きい所に引っ越すことを考えるのは,どんな人でなければなりませんか。
17 必要の大きい所に引っ越す人は当然,神のことばの真理に深い認識を持ち,宣教に熱心に携わることによってその認識を表明する人であるに違いありません。彼らは真理に強い人,『[自分たち]のうちにある希望の理由を[自分たち]に問う者すべての前で,弁明できる』人であるべきです。(ペテロ前 3:15,新)彼らは宣教を遂行するため,不便な事柄や苦労それに迫害をさえ喜んで耐える人でなければなりません。使徒パウロが持っていたのはそのような態度でした。彼らはこう言いました。「わがアジアに来りし初の日より如何なる状にて常に汝らと偕に居りしかは,汝らの知る所なり。即ち謙遜の限をつくし,涙を流し……迫り来し艱難に耐えて主につかへ(り)」― 使行 20:18,19。
引っ越すことのできない人
18,19 引っ越すことのできない人が必要の大きい所で奉仕するよう,どのように取り決められますか。
18 しかし,引っ越すことのできない人についてはどうですか。神の王国の伝道者がさらに必要とされる所で奉仕するにはどうすればよいでしょうか。約20の会衆から成る自分たちの巡回区の中に,良いたよりに関心を示す人が大ぜいいる区域があるかもしれません。しかも,その地方の会衆の区域が広すぎるため,それら関心のある人々が顧みられていないかもしれません。他の会衆の証人がそうした会衆と取り決めを設け,その区域に来て人々の関心を育てることができます。他の会衆に属しているとは言え,その会衆で処理しえない区域にもっと良い“漁場”があるなら,実を結ばない区域で時間を費やす必要がどこにあるでしょうか。
19 巡回区の他の場所にいる証人たちがそのような区域に出かけてくることができるなら,そこで人々の関心を育てるよう割り当てを受けられるかもしれません。人々が関心を示すなら,研究を始めてその研究を定期的に司会することを望まれるでしょう。それにはもちろん時間とお金が必要です。もしそうした犠牲を払えるなら,その人は移転しないでも,王国の宣布者をさらに必要としている所で奉仕することができます。
問題に対処する
20-22 宿泊設備や就職口に関して直面する可能性のある問題を述べなさい。それらはどのように克服できますか。
20 想像がつくように,自分の家から遠く離れた区域に行ったり,他の都市や国に移ったりする人は必ずいろいろな問題に直面します。それは引っ越しをする人にとって,今までに慣れていた生活基準以下の宿泊設備で満足することを意味するかもしれません。そのため,新しい区域で引き続き伝道するためには,自分の考え方を調整する必要が生じることでしょう。後ろに残してきたものを考えつづけるなら,とどまることは困難になります。
21 別の問題は仕事を見つけることかもしれません。しかし,それは解決しがたい問題だと言いきれるでしょうか。家族が仕事を捜すのを,地方の証人が助けてくれた例もあります。不慣れの仕事につかねばならない,という場合もありました。給料が今より低い仕事につかねばならないことさえあるでしょう。しかしそれも,伝道者が大いに必要とされているにとどまるためには,避けがたいことがあります。ここでも,正しい思いをつちかう態度が肝要です。パウロは次のように述べて,取るべき見方を指摘しました。「ただ衣食あらば足れりとせん」― テモテ前 6:8。
22 したがって引っ越しをする家族にとって,今までより低い収入で生活し,またそれほど好適でない宿泊設備に住むのが,王国の宣布者にとってもっと必要な所にとどまりうるための最善の策と言えましょう。それはイエスが勧めたように,神の王国の関心事を物質主義的な関心事よりもたいせつにすることになります。―マタイ 6:33,新。
23 良いたよりの宣布者がさらに必要な所で奉仕するため,親しい友人と離れることをどのように見なすことができますか。
23 親しい友人から離れるつらさが問題になる場合があるかもしれません。引っ越すからといって,それで友情が終わりを告げるわけではなく,むしろ友情を拡大する機会が与えられます。引っ越す家族は,それまでの友人に加えてさらに新しい友人を持つことになります。他の場所で王国の良いたよりを宣布するために親族をあとにした者は,百倍の親族と家を受けるであろう,と言われたイエスの約束を思い起こしてください。やはりエホバ神に献身したしもべである新しい友人たちは,肉身に劣らず親しい者となります。彼らは親切なもてなしの気持ちから,自分たちの家をそうした人たちのために開放してくれます。宣教者として他の国々へ行ったものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業生は,イエスの言われたことの真実性を証明しています。―マルコ 10:29,30。
24 王国宣布者の必要な所で奉仕する際に生じる諸問題を軽くする助けとなるのはなんですか。
24 もっと多くの王国の宣布者を大いに必要としている所で奉仕しようとする際に生ずる問題は,たとえそれがどんなものであれ,神のことばの真理の知識に至るよう人々を助けることができるという喜びの前には,全く無意味なものとなってしまいます。努力と忍耐のしがいがあります。他の人々を助けているということ,そしてなかんずく神の目に楽しみとされる事柄を行なっているということを知っているので,内的な満足が得られます。円熟した証人は,宣教における自分たちの努力が実を結ぶ時にもたらされる満足感を知っています。必要の大きい区域で働くゆえにその実が豊かな時の喜びが,どんなに大きいかを考えてごらんなさい。エホバとその御子,および人類に対するエホバのすばらしい目的について学ぶよう人々を援助するため,惜しみなく自分の時間と精力とをささげることには,確かに幸福が伴います。
いっさいの事情を考慮する
25 引っ越しをする前に,家族は何をすることが必要ですか。
25 エホバに献身したしもべである者たちは自分の立場を吟味し,もっと多く伝道者を必要としている所に行くことを真剣に考慮すべきです。他の国または自分の国の中の他の場所に移ることができると考える家族は,当然いっさいの事情を考慮し,それに対処しうるかどうかを決定しなければなりません。そうすることがなぜ非常にたいせつかという理由は,イエスの次のことばで説明されています。「あなたがたのうちだれか,塔を建てようと思いながら,まず座して費用を計算し,自分がそれを完成するにじゅうぶんなだけ持っているかどうかを見ないでしょうか。さもなければ,彼はその土台を据えても,それを仕上げることができない……かもしれません」― ルカ 14:28,29,新。
26,27 わたしたちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くのは,どうして非常に思慮深いことだと言えますか。パウロはこの点でどんな模範を残しましたか。
26 この古い事物の体制のために残されている時間は非常に短いゆえ,わたしたちの努力が最も多くの実を結ぶ所で働くのは,きわめて思慮深いことだと言わねばなりません。引っ越しできる立場にあるのなら,“漁獲”がよく,伝道者が不足している区域がほかにあるのですから,実を産出しない区域で苦闘を続けるのは理にかなっていません。しかし家族で引っ越すとなると,そこにとどまることができなければなりません。したがって,前もって計画を立て,いっさいの事情を考慮することが肝要となってくるわけです。
27 使徒パウロは,自分のいる場所が漁獲のよくないところであることに気づくと,もっと産出的な区域に移るのが賢明であると考えました。彼がアテネに長くとどまらなかったのはそのためです。それは比較的実りの少ない区域でした。それで彼はコリントに移り,2回目の宣教旅行中1年半の間そこにとどまりました。それは主が彼に望まれたことでした。幻の中で彼はパウロにこう告げました。「おそるな語れ,黙すな,我なんぢと偕にあり。誰も汝を攻めて害ふ者なからん。比の町には多くの我が民あり」。(使行 18:9,10)そのとおりであることが証明されました。
28,29 より産出的でありうる場所に移ることができると決定した家族は,どんな手続きを取れますか。
28 いっさいの事情を考慮した後,良いたよりの伝道者をもっと必要としている所でとにかく奉仕ができる,ということを決定した家族はどうすべきですか。家族の各人は祈りでそのことをエホバに申し上げ,正しい決定をする導きと助けを祈り求めます。それから,新しい区域に着いたらそこに必ずとどまれるよう,前もって行なっておくべきすべての準備に取りかかれます。できることなら,特に引っ越す場合にはそうですが,新しい区域を下検分しておくべきです。宿泊設備それに就職口も捜しておく必要があります。
29 家族で他の国へ行くことを決定した場合にはどうすべきですか。行きたいと望む国にあるものみの塔協会の支部事務所に手紙を書き,必要な情報に関してなんでも問い合わせることができます。一方,家族が住んでいる国内での引っ越しを考えているなら,その国の支部事務所に手紙を書けます。協会は,もっと多くの良いたよりの宣布者が特に必要とされている場所をその家族に喜んでお知らせします。
30 イエス・キリストやパウロの模範に従う最善の方法はなんですか。その理由は。
30 家族が大部分の時間を宣教に費せるなら,それはたいへんりっぱなことです。はるかに多くの事柄が成し遂げられることでしょうし,そのほうが関心のある人々を見いだした場合にも,より良い世話をすることができます。これこそ大半の時間を宣教にささげたイエスや使徒パウロの残した模範に従う最善の方法です。
31 エホバの組織の大規模な成長に関するどんな証拠がありますか。その組織にはいってくる人々は,だれかが自分たちに良いたよりを伝道してくれたことへの感謝を,どのように示してきましたか。
31 第二次世界大戦終了後からの短期間におけるエホバの組織の大規模な成長のほどは,王国の良いたよりの宣布のわざがいかに実り豊かなものであったかを示す良い証拠です。さらに,用いられた方法も最善のものであることをよく示しています。1945年には,14万1,606名の証人が68か国で良いたよりを宣布していました。25年以後の1970年までに,組織の規模は,10倍以上に拡大し,148万3,430名の人々が,206か国で活発に宣布のわざを遂行するに至りました。良いたよりを聞き,それに応じたそれら多くの人々にとって,良いたよりを自分たちのところにもたらした者たちの足は,預言者イザヤが予告したように「うるわしい」ものでした。(イザヤ 52:7,新)現代,遠くの場所においてさえ喜んで王国の良いたよりを宣布する人々がいることに,彼らは感謝しています。彼らは自らも良いたよりを宣布することによってその感謝を表明し,さらに他の人々に益をもたらしています。そうすることにおいて,この人たちはエホバの組織の勧める方法に従います。
32 わたしたちはどのようにイザヤ書 60章22節の成就を見ていますか。
32 ここにわたしたちは,イザヤ書 60章22節の預言の成就を見ているのです。「その小きものは千となりその弱きものは強国となるべし,われエホバその時いたらば速かにこの事をなさん」。王国の良いたよりの宣布に人々の応じる度合が急速に増大していることから,今こそエホバがご自分の地的な組織をすみやかに成長させておられる時であることは明りょうです。
33 エホバの証人にとってどうすれば神の王国の良いたよりのさらに産出的な宣布者になれるか,ということを真剣に検討することが必要です。なぜですか。
33 取り入れは大規模なわざですが,働き人は少なく,そのわざを成し遂げるために残された時間は非常に少なくなっています。あなたがその証人のひとりとしてエホバに献身しておられるなら,エホバの恵みと王国の益を願う人々を取り入れる大規模なわざに対する自分の努力を,どのようにして増すことができるか真剣に検討してください。神の王国の良いたよりのさらに多くの宣布者が特に必要とされている所で働くことによって,クリスチャン宣教をいっそう産出的なものにできないものか,真剣に考慮してみてください。あなたが今住んでいるところが,とりもなおさず必要の特に大きい場所かもしれません。
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マダガスカル 崇拝の自由を拒否ものみの塔 1971 | 5月15日
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マダガスカル 崇拝の自由を拒否
犯罪と暴力が増加する今日,どの国でも,平和を愛し,隣人の権利を尊重し,国の法律に従順である国民がせつに求められています。
エホバの証人はそのような種類の人々です。彼らは神と仲間の者に深い愛を示し,また官憲当局に敬意を表します。エホバの証人は,世界で最も高くかつ最も有益な道徳規準を,自分の子供や他人の人々にも教えているのです。したがって,エホバの証人の歴史が古い多くの国々では,現在の憎悪,殺人,反乱そして犯罪の時代にあって,エホバの証人は,国が大いに求めているような人々であることが認められています。
もしあなたが政府の要職にあるとするなら,あなたは自分の国にどんな人々が住むことを望みますか。平和を愛し官憲当局に敬意を示すような人々ではないでしょうか。確かにそれは理にかなった,実際的なことと言えます。望ましくないのは,犯罪者,非行者,無政府主義者,麻薬常習者,それに権威 ― 神によるものと人間によるものの両方 ― に敬意を示さない者です。
その理由で,世界中の分別のある人々は,政府がその国の最も平和を愛する市民に禁止令を発するのを知って,たいへん驚かされます。それらの人は,特に国の憲法そのものが崇拝の自由を保証している場合,そのような事態を理解するのに困難を感じます。
ところがまさにそうした理性を欠く誤った処置が,最近マダガスカル島で取られたのです。アフリカ南東部の沿岸沖にあるこの大きな島は,マダガスカル共和国とも呼ばれています。この国のモットーとするところは「自由,祖国,進歩」です。そのようなモットーがあるならば,崇拝の自由の面で
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